ポトリと落とした

「龍王、後は頼んだ」

 俺が首をポンと叩くと、「んぎゃ」と小さな声が返ってきた。


「ちょ、ちょっとどうするつもり!」

 飛び降りようとした俺のローブの端を麻也ちゃんが握りしめる。


「龍王の周囲に防御陣を張っておいたから攻撃も届かないし、落ちることもないから安心して」

 俺は麻也ちゃんの頭もポンと叩いて、龍王の背から飛び降りる。


「死んじゃうわよ、あほー!」

 麻也ちゃんの叫び声が響いたが、この高さなら下まで聞こえないだろう。


 俺は落下しながら戦力を分析する。


 商店街をぐるりと結界魔法のような物で囲み、洋服店の前にワンボックスの車と黒塗りの高級車が一台ずつ止まっていた。


 結界魔法を展開している術師が南北にひとりずつ。

 店の前に停まった車の中には五人の武装した一般人と、防御魔法で身を包む人間がひとり。


「いや、もうひとり姿を隠しているか」

 合計九人の位置取りと能力を計算して、駒を振る。


騎士ナイトは店の中で待機、ルークはそれぞれ南北の結界師に、歩兵ポーンはそのまま自動防御」


 これでも過剰戦力かも知れなかったが、見えないやつが不安で……

 悩んだ挙句クイーンも取り出す。


 そして浮遊魔法で減速しながら武装した一般人の目の前に降り立つと、


「おめえが、狐に雇われた用心棒か?」

 黒いスーツに夜なのに似合わないサングラスをかけた、腹の出たおっさんが拳銃を向けてきた。


 サーチ魔法が俺に訴える。

「高血圧、高血糖、ヅラを確認」


 やはりまだこの世界で魔法が上手く使えていないようだが……

 この顔つきは間違いないだろう。



 弟よ、一体この十九年で何があったんだ?



   × × × × ×



 初めて魔物を倒したとき、俺は手に残る生々しい感覚に苦しんだ。その魔物は豚のように醜く女子供かまわず惨殺したが、人語を理解し二本足で歩いていたからだろう。


「オークも生きるために人を殺しているのなら、俺がしたことは善なのでしょうか悪なのでしょうか」


 そう聞くと、師匠は赤茶色い癖っ毛をくしゃくしゃと掻きながら、

「そうかもしれんなあ、オークからすればお前が悪で、村人からすれば善だったかもしれん」

 つまらなさそうに俺を見る。


 師匠、大賢者ケイト・モンブランシェットはいつも派手なドレスに身を包んでいた。


 人族なら十二歳ぐらいにしか見えない幼い容姿だったが、切れ長の目鼻立ちは整い、ガラス細工のような精密な造りで、まるで高価な陶磁器人形ビスク・ドールのようでもあった。


「じゃあ、どうすれば……」

「お前が今朝食べた兎からすれば、人もオークも変わりはないじゃろう。生き物は全て命を奪い合って生きておる。食べるのも争うのも、生きるためのごうじゃからなあ。それが嫌ならば、今息を止めて死ぬしかあるまい。しかしそれは卑怯な方法じゃな」


「人は苦しみながら生きて行くしかないのですか」

「いや、そもそも苦しむ必要が無い」


 俺が首を傾げると、

「善悪など人がつくった幻想じゃ、立場や見方によって変わる物差しなど持つものではないわ。しかしお前が感じておるような『恐れ』はある。そして自然のことわりや人々のことわりから外れる『罪』もある」


「もう、良く解らなくなりました」


 返り血を全身に浴びたまま佇む俺を、師匠はニコニコしながら眺め、


「それを理解するには、先ずお前の『欠けた何か』を見つけんといかんな」

 背伸びしながら、俺の頭を撫でる。


ことわりから外れた『罪』を知らぬものは阿呆じゃ、その『罪』から逃げるのは卑怯者だ。こいつらには罪の怖さを教えてやればよい。そして罪を知って楽しむものがおり、それがお前のことわりを阻むなら、その罪を背負え」


「もっと解らなくなりました」

 苦笑いすると、師匠はそっと俺を抱きしめた。


「汚れちゃいますよ」

「阿呆、服などどうでもよい。今はお前の心が心配じゃ」


 そのぬくもりと貧乳が俺の胸に当たる感覚で、心の中にあった冷たいものが解け始めると、

「まあ、もっと分かり易く言えば、自分の意志を貫けと言うことじゃな」



 師匠は俺を心配そうに眺めながら、更に力強く抱きしめてくれた。



   × × × × ×



 それ以来、戦闘の前に俺は必ず問いかけている。


「お前は罪を知らぬ阿呆か、罪から逃げる卑怯者か、それとも俺が背負うべき罪なのか」


「何言ってやがるんだ? まあいい、この結界の中じゃあ好きなだけ銃を撃ってもバレねえらしいし、お前の顔は俺の一番嫌いな奴にそっくりだ」


 いつもそうだが、俺の問いにまともに答えてくれるやつがいない。

 弟のリュウキが迷わずトリガーを引くと、パンパンと安っぽい音が響く。


『名称マカロフ、ロシア製拳銃』


 武器アイテム分析魔法がそう答えたが、俺が防御をする前に銃弾が空中で停止した。どうやら俺のまとっている微弱な魔力を貫通する力もないようだ。


「ちっ、やっぱり妙な技を使いやがる。構わねえ、お前ら始末しろ!」

 我が弟はザコキャラのようなセリフを吐くと、後ろにいた同じスーツを着た四人の金髪男たちに指示を出す。


『名称AK-47、ロシア製自動小銃』


 武器アイテム分析魔法からの解答と同時に、今度は派手な発砲音が立て続けに響く。分析魔法は敵の周囲に浮遊する思念を読み取るものだから、その性能や威力までは分からない。


 だがこれも特に防御が必要なさそうだ。

 問題はこの銃撃にまぎれて、もうひとりの敵が動いたこと。


 ローブに仕込んでおいた師匠譲りの杖を引き出す。

 この杖は物干し竿にしか見えないが、今までの戦闘でキズひとつ付いたためしがない。しかも魔力を供給すれば、長さを自在に変えることもできた。


 師匠は杖とは呼ばず、神具「ニョイ」と呼んでいたが……

 実際、物干し竿や突っ張り棒として利用していたから、本当に神具かどうかは分からない。


「伸びろ、ニョイ!」


 俺の掛け声に合わせてニョイが伸び、動いた気配の中央を貫いたが、銃撃がやんだだけで手ごたえがない。


「くそっ、化け物が」

 弟が腰を抜かして座り込んでいたが、お兄ちゃんとしてはズレてしまったズラが心配でならない。


「面白い術ですね、退魔士が好んで使う叡山えいざんの金剛棒に近いですが」

 その声の方向を見上げると、ワンボックスのワゴンの上に巫女姿の少女がいた。


 手には扇子を持ち、サラサラの黒いロングヘアが風に舞っている。

 短すぎる袴から見える太ももも、ぱっつん前髪もなかなかポイントが高い。


 自動防御のポーンが二枚、同時攻撃を仕掛けたが、


「こちらはあたしたちが使う式神に近い」

 扇子で払うように避けると、ポーンは魔力を失ってポトリと地面に落ちた。


 そして意志の強そうなツリ目で俺を睨む。


 これは結構ヤバいかもしれない。

 美少女巫女なんて…… 帰ってきて本当に良かった。


 サーチ魔法を飛ばすと、

「身長158センチ、ヒップ78、ウエスト58、バスト80のCカップ」


 そんなデータが表示される。

 そこは戦闘に関係ないが、大切な情報なので心に留めておく。


 しかし今の戦いでハッキリしたが、俺の魔法にズレが生じているようだ。

 ここは切りたくなかったが、あの駒を使うしかないだろう。


「闇を統べし夜の女王よ、俺との誓いに従い…… 暴れろ!」


 クイーンを指ではじくと黒い霧が立ち込め、

「ダーリン久しぶりだよー、で、ここは何処で、あたいは何をすればいいのかな」

 チェーンや革ベルトで体中を拘束した、七~八歳にしか見えないピンクのロングヘアの幼女が現れる。


「詳しい説明は後だ、気配を上手く消してるやつがいる、そいつを捕まえてくれ」

「うーん、あっ、いたいた。でもこいつは大物だよ、報酬は弾んでね」


 幼女クイーンがまた黒い霧に変わって姿を消す。


 一連の動きを見ていた巫女服美少女がもの凄く嫌そうな顔をして、

「へ、変態召喚士なの? あんな小さな子にいやらしい格好させて。や、やっぱりここで成敗するわ」

 更に俺を睨んだ。


 まあそう思われると思ってたから、あいつは使いたくなかったのだけど。


 弟も目の前の美少女もおとりだろう、たぶんこのスキに加奈子ちゃんを狙って本命が動いたはずだ。


「もう少し遊んでいたかったが、そうはいかなくなった。決着をつけさせてもらうよ」


 上空で見ている麻也ちゃんの信用を得たかったし、ズレた感覚を取り戻す時間が欲しかったが、状況がそれを許してくれない。


「変態ごときにどうにかできると思わないで!」


 ドンと車の屋根を蹴って、美少女が空を舞う。

 俺のニョイを避けたのもうなずける身のこなしで、空中で扇子を振って紙吹雪を飛ばした。


 多分これが、麻也ちゃんや巫女服美少女が言ってる『式神』だろう。

 戦うことで術式を分析したかったが、


「収納魔法、開け」

 ここにきて何度か使った信用性の高い魔法でこの場を治める。


「えっ、なに」

 俺は旅のテント代わりに使用していた亜空間に式神ごと美少女が吸い込まれたことを確認して、クイーンの後を追った。


「うぎゃー!」

 店内に入ると、クイーンの叫び声が聞こえる。


 方向は食事をしたダイニングの奥。

 気を失って廊下で倒れていた幼女を回収して、更に踏み込むとドアが半開きになって明かりが漏れている場所があった。


 その下には鋭い刃物で切られたような傷跡の残る騎士ナイトが落ちている。クイーンとナイトの挟み撃ちをかわす相手なんて、異世界でも数人しか思い当たらない。


「しかもこの切り傷は」

 嫌な予感が頭をよぎったが、今は加奈子ちゃんが心配だ。


 急いでそのドアを開けると、

「何よ麻也、こんな夜中にうるさいわね」


 バスタオルを身体にまいた風呂上がりの加奈子ちゃんがいた。

「ん、あれ、タツヤ君?」

 そして俺の顔を見ると、ポカンと口を開けて……



 バスタオルを、ポトリと落とした。

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