「死」が望む「声」

もりくぼの小隊

「死」が望む「声」


 ―――― なにかしら?


 少女は夜に目を覚ます。寝室に何かを感じる。瞳を閉じ耳をすます。少女の眼に光は感じない。気配を感じとれるのは研ぎ澄まされた耳と鋭敏な肌の感覚だ。


 フュ――――鼓膜を揺らす風の音。いつの間にか開け放たれた窓から部屋の温もりを侵す風。冷たく頬を触る夜の風。それは誰かの吐息のようであり、しなやかな指のようだ。


 ――――ああ、来てしまったよ。君の元についに来てしまったよ。


 少女の耳に囁く恐ろしくも美しき「声」張り積めた恐怖に背筋を伸ばす。耳と頬に敏感に感じた夜風と間違えたそれは怪しげなる侵入者。恐ろしくて声もあげられない少女に侵入者は美しく声を揺らし語りかける。


 ――――どうしたんだい? 君のその美しい「声」を聴かせておくれ。私に聴かせておくれ。この世でもっとも美しい君の「声」だ。


 両の頬に触れ、懇願するこの「声」こそが美しきものだと少女は思った。肌に感じる人のものと思えぬ冷たい指はその小さな唇に触れる。耳に広がり続ける懇願の言葉は恐ろしくも好奇の心を刺激する。少女はその小さな唇を震わせて応えてしまった。


 ――――なぜ、ワタクシの「声」が聞きたいのでしょう? 平凡なるワタクシの「声」などを。


 しばしの沈黙。侵入者はまたその美しい「声」を紡ぐ。少しの怒りを乗せて。


 ――――君の「声」が平凡であるならばこの世の「声」という「声」はガラクタであろうものさ。


 少女はその言葉に否定の色を飛ばす。


 ――――それは名も知らぬあなた様の「声」をもガラクタと仰る? それは否でしょう。ワタクシにはあなた様の「声」こそが本物の美しさと感じます。

 ――――それは偽りである。

 ――――いいえ、いいえ。偽る思いは無いことです。この世の美しき「声」はあなた様です。


 少女に恐怖の感情はもはや無い。この美しき「声」を否定し、自分のような眼の見えない女の「声」を肯定しようなどと言うのだから。


 ――――だが、やはりそれは偽りだ。

 ――――なぜでございましょうか?

 ――――それは私がこの世のものではないからだ。

 ――――この世のものではない? では、ワタクシの目の前で頬を触るあなた様はなんなのでありましょう?

 ――――「死」である。

 ――――「死」?


 目の前の存在が言っている意味がわからなかった。だが、この頬を触る指の冷たさは人ではないとやはり理解できてしまう。


 ――――君を見てきた幼き頃から君を。その時から、君の「声」に全てを奪われてしまった。障害なぞ問題ではない。ただ「声」を聴き続けていたいのだ。ああ、「声」を「声」をその私を魅了する「声」を。

 ――――幼き頃からワタクシを? ならば、ああ、ならば。あなた様が「死」であらされるのであればワタクシはそんな小さな時から「死」を約束されていたのですね? そしていま、迎えに来たと。この「声」のために。


 貪るように少女の声に耳を傾ける「死」の細く冷たい腕に触れ首をゆっくりと倒した。


 ――――哀しいか?

 ――――いいえ、逆です。嬉しいのです。喜ばしいのです。どんな形であれワタクシを必要としてくれるあなた様にこうして出会えた事に。ああ、ワタクシを連れ去ってくれますか? この暗闇の世界から。

 ――――君が望むのであれば我が元に迎えよう。だがそれはこの世との別れ。それに君は堪えられるだろうか? いまを超えるあの暗黒に君の「声」は曇ってしまわないだろうか?

 ――――いいえ、いいえ。ワタクシの「声」は曇りませぬ。このまま生き続けても心に広がる闇は消せませぬ。年と共に衰える「声」はあなた様の望むものでは無くなるでしょう。だからよいのです。未練などワタクシにはありません。

 ――――わかった。君を連れてゆこう。その「声」は永劫に私のものだ。


「死」は少女を抱きしめ、少女もまた「死」を抱きしめた。


 ――――ワタクシはどうすれば、あなた様に奪っていただけましょうか?

 ――――簡単な事だ……「死」ねばいい。






 その美しい「死」の「声」を聞いた途端、少女の身体は寝室の床に転げ落ちた。「声」もなくただ綺麗な寝顔で床に転がった。

 その側にもはや「死」はいない。



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「死」が望む「声」 もりくぼの小隊 @rasu-toru

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