第27話 末っ子オメガ、獣人王の花嫁となる。
「そんなこと、俺が許せるわけないだろ!」
青蓮が青竜の力を受け継ぐと決めてすぐに、猛反対をしてくる人物がいた。
青竜の依り代として体を明け渡していた銀狐だ。
銀狐は青竜を己の奥に引っ込ませ、青蓮を捕まえると強く反対したのだ。
「お前は方術の扱いもわからないのに、いきなり神降しなんか耐えられるわけがない!」
「兄さん……」
毎日一緒にいたはずなのに、ずっと青竜が表にいたため、こうやって銀狐が感情もあらわに怒る姿が新鮮に見える。
「大体、お前もいいのかよ! 青竜って言ったらお前の対抗馬じゃないか! そんなもんに自分の嫁がなるんだぞ!?」
「俺は構わん。どうなろうと青蓮は青蓮だ」
四つ足の姿のまま長椅子に寝そべり、青蓮の膝を枕に渾沌はくわっとあくびをしながら言った。
「俺は反対だ。レンザたちを見て、過ぎたる力が如何なものかはわかっただろう」
「兄さん、それは俺も考えた。でも、俺が青竜から力を貰い受けることで、渾沌様が俺のことを気に病まずにお役目を果たせるのなら、俺にはそれが一番なんだ――だから俺は青竜の力を受け継いで神仙になる」
青竜の力を正式に受け継ぐことで青蓮は神仙を名乗ることになる。
神と人の中間にあるものをさす神仙は、強大な方術士として戦で名を馳せた銀狐にも与えられている名でもある。
戦場で成果を上げたものに与えられる褒賞でもある。
次期皇帝妃が今回の戦で戦果を挙げた、故に神仙の名を与えられると言うのは、獣人たちにとっておめでたい話でもある。
血筋ではなく強き者が時代を治める。そうやって選ばれた次期皇帝に添うものが強いに越したことはないのだから。
「よし! ならば婚儀は延期して俺と修行に出よう。お前がその力をきちんと制御できるようになるまで一緒に……」
銀狐は青蓮の手を握りしめ、今すぐにも宮城を出ようと言うが、さすがにそれは渾沌が遮った。
「それは許可できん。それに何かあっても俺が封じ込めるから大丈夫だ」
すかさず渾沌が口を挟み、盛り上がる銀狐に喝を入れる。
しかし、銀狐も負けてはいない。元々反りも乗りも合わない同士だ。すぐに反論が飛び出してくる。
「封じ込める? レンザにしてやられたお前に何ができるのか?」
身分の上では銀狐はこの国では青蓮の従者にあたるのだが、そんなことは気にせずに次期皇帝の渾沌に食って掛かった。
バチッと渾沌と銀狐の間で火花が散ったように見えたが――
「ちょっと! いい加減にしろよ、兄さん!」
青蓮がすかさず割って入った。
「渾沌様だって、俺だって納得してるのに兄さんが何で口出すの!? 渾沌様と結婚するのも、青竜様からお力を授かるのも俺でしょ!」
「いや、その、だから危険だとな……」
「そんなの百も承知! 誘拐された時も、青竜様の祠跡に行った時も、レンザたちと戦った時も、いつもいつも危険だった! でも、それでいいんだよ! 俺はこの国の皇帝妃となって国を護る渾沌様にお仕えするの!」
「青蓮……」
完全に言い負かされた銀狐を見て、渾沌と青蓮に茶を持ってきた銀兎がぶはっと噴き出して笑った。
「神仙も形無しですね。青蓮様は立派な皇帝妃になられましょう」
「銀兎!」
「それよりも、青蓮様へのお力の譲渡、如何な儀式が必要かご相談させていただきたいので、そろそろ青竜様とお替りいただけますか?」
「――なに、特別なことは何もない。我が与えると宣言し、それを青蓮が受ければ終わりだ」
急に銀狐の口調が変わり、青竜の意識が返答する。
こんな風に身体の中に2つの意識があってもこの二人――青竜と銀狐は混乱もしていない。
「では、婚儀の前に形ばかりではございますが青蓮様の昇仙の儀を行ってもよろしいでしょうか?」
「うん? 民草の前で見世物になれと?」
「いいえ、そうではございません。儀式は渾沌様のお立合いはお願いいたしますが、青竜様と青蓮様のみでお願いいたします。私たちも外に控えさせていただきます」
「特別に儀式は要らぬのだぞ?」
「それでも、人間や獣人の社会では「名」と言うものが重要になることがございまして。青蓮様のお立場であれば、「名」は役に立ちましょう」
「オメガ性の青年よりは天仙であるほうが箔が付くと言うわけか」
「下世話な話ではございますが」
「よい。ならば気が済むようにすればよい」
「ありがとうございます」
銀兎が深く頭を垂れて礼を述べると、青竜は一瞬満足げに微笑んで、すっと表情を変えて言った。
「だから、俺は認めん!」
「……どういう仕組みなのですか? そんなに簡単に入れ替わるもので?」
不意に銀狐に戻ったのを見て、銀兎は首をかしげる。
「私が青竜様とお話し中も、その会話は聞こえているのですか?」
「変わる。わかる。聞こえる。自我が多少ぼんやりするが、入れ替わっても違和感はない」
「神を降ろしても身体に負担がない時点で驚きですよ」
「あの女たちとは違う。あの女たちの中には獣人を使役するための獣の穢れがあり、それを宿したまま神降しをしたのだ。あれは当然の結果だ」
「俺の中には渾沌様の気があるからダメだって兄さんは思ってるの?」
話を聞いていた青蓮は疑問を口にしてみた。
渾沌も青竜も問題はないと言うが、実際その身に降ろしている銀狐の意見が知りたい。
「いや、お前はオメガ性なので複数の
「オメガ性ってそんなに便利なものだったんだ……」
「オメガ性の人間に巫女だとか神官が多いのはそういう理由もある。人間の中にいきなり獣人が生まれること、獣人の中にオメガ性がいない事などもそう言う理の中での話だ」
「それが何ゆえに生まれるのかと言われたら、それは天の思し召しですとしか言いようのないお話ですが」
銀兎がいつの間にか茶菓子まで用意して、饅頭の乗った皿を卓に置いた。
「そういえば銀兎さんは青竜様が眷属とおっしゃってましたね」
「私はオオトカゲの獣人なので、竜には遠くつながるものだとされています。それゆえでございましょう」
銀兎がそっと額の鱗に触れる。
それは玉虫色に輝く美しい色をしていた。
「青竜様のお姿も同じお色なんでしょうか?」
「伝承ではそう謳われておりますね」
「残念ながら、顕現した時の器を失った時点でもう姿を見せることができぬのが残念よの」
不意に銀狐が青竜に入れ替わる。
「俺に見えていたのはお姿の影ばかりだったので残念です」
「では、お前にもわかるように我が印を残してやろうな」
そう言うと、青竜はすっと青蓮の額を撫でた。
「えっ……」
冷たいその指が触れた瞬間、まるでそこから体が切り裂かれるような熱が体中を走り抜けた。
痛みはない。ただ、ただ大きな何か、膨大な力が、自分の中に爆発的にあふれて――消えた。
「青竜っ!」
膝の上にいた渾沌が毛を逆立てて唸りを上げる。
「善き人の子よ。お主に加護を与えたものがいたことを忘れるでないぞ……」
そう言うと、青竜はふわりと風に花びらが散るように床に崩れ落ちた。
「何が……」
青蓮は訳も分からず、触れられた額に手をやると、そこには今まで感じたことのない感触がある。
「え?」
「くそっ! あの蛇! 俺の番に印を刻むとは!」
思わず人の姿に変化した渾沌にぎゅうっと抱きしめられた。
「印?」
「はい、青蓮様の額に、青竜様の御印が……」
青蓮の額には人の指先ほどの鱗が三枚、蓮の花のような形で表れていた。
それは美しい青で、青蓮が顔を動かすたびに水面に光が躍るように輝いている。
「昇仙、おめでとうございます。
銀兎が青蓮の前に膝を折り深々と頭を下げた。
「俺が……神仙……」
渾沌に抱きしめられいるので額に触れることはできないが、そこに何か輝くものがあるのは感じた。
見える光ではない。視力を失っていた時に感じていたあの光輝く何か。
それが青蓮の額にある。
「青蓮、青蓮、そんなものすぐにとってやるからな、気持ち悪くはないか? 痛くはないか? 大丈夫か?」
渾沌が青蓮を抱きしめたまま、その額をごしごしと擦る。
印と言われたそれは痛くなかったが、擦る渾沌の手が少し痛い。
正直にそう言うと、渾沌は頭の上にいつもピンと立てている耳をまっ平になるほどぺしゃりと寝かせて、きゅうんと仔犬の様に喉を鳴らした。
「渾沌様、俺はこの印に負けぬように渾沌様のお傍でお仕えいたしますね!」
ふんすと息も荒く青蓮が意気込みを語ると、渾沌は情けなく眉まで下げて「ああ、そうだな」と言ってから大きくため息をついたのだった。
◆ ◇ ◆
こうして、予期せぬ事態ではあったが、無事に青蓮は青竜の力を貰い受けた。
美しい青い鱗の蓮の花を額に抱いた青蓮は、白夜国の民にこの先末永く愛されることになるだろう。
あの後、青竜が抜けた銀狐は意識を取り戻したが、青蓮の額にある印を見て渾沌と同じようなことを喚きたてたが、銀兎に退場させられていった。
そして、青蓮は今、渾沌と共に渾沌の寝所に連れてこられている。
「え……と、渾沌様?」
青蓮は寝台の上に座らされ、その膝には四つ足の獣に戻った渾沌が頭をのせている。
それは良い。渾沌に膝を貸すのは青蓮も大好きだ。
しかし、今日の渾沌は青蓮を連れてきてからまったく口を利かない。
黙って青蓮の膝に頭をのせ、不機嫌そうにたしったしっと太い尾で寝台をたたいているばかりだ。
(これは怒ってるのかな……?)
自分の所有である青蓮に他者の印が刻まれたことは、渾沌にとっては間違いなく腹の立つ出来事だろう。
しかし、この印を受けなければ、青蓮は渾沌について長い時間を添うことはできないのだ。
(それは分かってくれたのだと思っていたけど……目に見える印が気に入らないのだろうなぁ……)
この印を消せるなら消してやりたいが、それができないことを青蓮は感じていた。
この印は青竜の加護だ。この印がある限り、青蓮が内に宿した力を暴走させるようなことがなく、その力を巡らせてその器を支えることができる。
最後まで青竜には助けられっぱなしだった。
そんなことをつらつらと考えていると、ぺしっと軽く渾沌の尾が青蓮の尻を叩いた。
顔を見ると目を閉じているように見えたが、どうやらチラチラとこちらを見ていたようだ。
(これは怒ってるんじゃないな)
多分、すねているのだ。
渾沌も青蓮の額の印が何であるかはわかっているのだろう。
渾沌の力は青竜に対抗するものである為に、暴走しそうになった時に打ち消すことはできるかもしれないが、青蓮の体に合わせて流れを構築するようなことはできない。
それが分かっているから、自分の所有物に名前を書かれるようなことをされても、一応は我慢しているのだろう。
(随分と漏れちゃっているけど)
青蓮はそうっと宥めるように渾沌の頭を撫でる。
耳がピンと立って青蓮の様子をうかがっているのを見ながら、青蓮は黙々と渾沌の毛並みを指で梳いてやった。
「良い匂いがするな……」
不意に渾沌が口を開いた。
「渾沌様も良い匂いがしますよ。草原を渡る風の匂いです」
青蓮は渾沌の背に乗せてもらった時に感じた風のすがすがしさを感じる。
「お前は清涼な水のような匂いだ」
「それは青竜様のお力をいただいたからですか?」
「……そうだな」
「渾沌様はお嫌いな匂いなのですか?」
「そんなことはない」
即答だった。
「お前から香る匂いがどんなものであっても俺はお前を厭うことはない」
「ありがとうございます。渾沌様……」
「?」
言葉を潜めた青蓮を見上げるように渾沌が顔を上げた。
やっと正面から顔を見合わせることができた。
「俺は……」
青蓮はそっと渾沌の顔に頬を寄せて、絞り出すような小声で言った。
「……渾沌様と同じ匂いになりたいのです」
「青蓮!」
渾沌がガバッと体を起こした勢いで、青蓮は寝台にコロンと転がされてしまう。
「ふ、渾沌様っ!?」
渾沌は青蓮の上に四つん這いでのしかかると、ふーふーと荒い息を飲みこむように抑え込んだ。
「お、俺はっ」
「はいっ!」
「お前を愛しているぞ! 青蓮!」
「渾沌様!」
渾沌の不器用な告白に、青蓮は感極まって渾沌の首に縋りついた。
不器用なだけに実直で偽りのない言葉が青蓮の胸まで届く。
「渾沌様……俺も、渾沌様を愛しています……」
びびっと渾沌が髭と耳を震わせる。
「渾沌様……」
甘えるように名を呼ぶ青蓮にさらにのしかかろうとして、渾沌はぐっと眉間に力を入れて何かに堪えるようにして体を引いた。
「え?」
ここで引くか!? と青蓮は慌てて起き上がろうとしたが、再び渾沌に寝台に押し倒された。
人間の姿の渾沌が泣きそうな顔をして青蓮を見下ろしている。
「俺の本性は獣だが、お前を最初に抱くときは同じ姿でと決めていた。お前が共にある限り、俺はこの姿をお前だけに捧げよう」
「渾沌様……」
青蓮はもう渾沌の名を呼ぶことしかできない。
胸の内にあふれてくるのは大きな喜び。
姉に命じられてお触書の求めるままにここまでやってきた青蓮だが、心の底から渾沌の傍にいると決めたのは、間違いなく青蓮の意思だ。
末っ子オメガは、バケモノの獣人に嫁入りする。
それは、とても幸せな一人と一匹のお話として、末永く語り継がれる物語となる。
二人はそっと手を取り合って、唇を合わせた。
あとは、もう幸せの中に溺れるように、二人は身を躍らせるばかりだった。
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