獣人王の花嫁

第26話 神の器、花嫁の覚悟

 静かに夜が明ける。

 レンザの遺体は緑楼国側の兵に引き渡すこともできないくらい跡形もなく朽ちた。

 青蓮は渾沌の腕の中でずっとそれを見ていた。

 渾沌も身じろぎもせずに見ている青蓮をずっと抱きしめていた。

 こうして終わった今、彼女たちを哀れだと思うのは勝者の傲慢でしかない。

 でも、それでも、青蓮は彼女たちを哀れだと思った。

 彼女たちが囚われていたのは過去の因習。

 没落した王家の血筋だと言うだけで、何百年も前に無くなった国を取り戻せと、幼いころから背負わされていたのだ。

「それでもな。あの女たちは間違っていたのだ」

「青竜様?」

 青蓮の心を読んだかのような返答がなされた。

 顔を上げると、渾沌の隣に立った青竜が薄く笑みを浮かべて立っている。

「幼き頃から大人たちの思惑に囚われていたかもしれない。それは女たちの罪ではないが、その夢に縋ったのは過ちよ」

「夢に縋る……」

「あの女たちは昔の様にたくさんの奴隷を従えた国を取り戻すことが栄華と思っていた。しかし、そうではないのだ。奴隷を従え栄えた国はのだ」

「俺たちは神と呼ばれたりもするが、真の意思は天に在る。天は世界は人のものでも獣のものでもないとしている。故にどちらかが偏ることを良しとせず俺たちを下す」

 渾沌が腑に落ちないと言う顔をした青蓮の髪を優しく撫でながら続けた。

「白夜皇国も歪み始めていたのだ。世襲制を辞めて実力優先にしたのは良かったが、それはまた力に偏る結果となった」

「それは獣人たちの国が人間に虐げられないために……」

「一国が大きな力を持てば必ず戦になる。白夜が力を振るわずとも、それを恐れた周辺の国が動くこともある。そういう火種を抱えてはならないんだ」

「そういうことか」

 青竜が突然同意を示した。

「なんだ?」

「いやなに、何故、我が半覚醒とはいえ天の示しもないのに目覚めたのかということだ」

「お前はあの女の祈りに答えたと言ってなかったか?」

「それもあった。しかし、天の示しもあったのだろう」

「どういうことですか……?」

「お前たちだよ」

 青竜はにっこりとほほ笑んで言った。


 ◆ ◇ ◆


「青蓮はオメガ性の人間だな?」

 渾沌の背に再び乗り、宮城へと戻った渾沌と青蓮、そして青竜は、渾沌の私室で卓を囲んで座っていた。

 銀兎は帰還兵たちの指示に追われていてまだ戻ってきてはいない。

「はい。俺はオメガ性で……この国へ嫁ぐように言われてここまで来ました」

 四つ足に戻り青蓮の膝に頭をのせて寛ぐ渾沌の頭を撫でてやりながら、青蓮は青竜に問われるままに答えた。

「それは僥倖。オメガ性は男であっても女のたちを持ち、子を孕むことができる。そういう受け入れ育むことができる性は、人間としての器が深いのだ。あの女に受け入れられなかったものも、お前であれば零さずに受け入れることができよう」

「はぁ……」

 青蓮は青竜の言葉の意味が上手く呑み込めず首をかしげるが、青竜は構わず話を続けた。

「あの女が死んで我が力は我に戻った。今ならば、我の守護をお前に与えることができよう」

「守護?」

「我はあの女たちに力の半分を奪われた時に顕現した肉体を失った。このまま、この依り代より抜け出れば、私の力は天に還る」

「え、それって……」

「死ではない。――が、次に顕現するまでただの力として天に在るのみ」

「力を取り戻したのに?」

「そうだ。だから青蓮、お前に我が力をやろう」

「ええっ!?」

 びっくりして上げた青蓮の声に膝の上の渾沌も驚き目を覚ました。

「勝手なことを言うな。俺の嫁だ。蛇臭いのはかなわん」

「我は蛇ではない。竜だ。お前の従者にも我が眷属が居ろうに」

「銀兎か」

 そう言えば青竜は何度か銀兎のことを眷属と呼んでいた。

「あの鱗は我が眷属の証よ。だが、あれは我と共鳴することはできても獣の血が強すぎる。加護を与えるはかえって毒になろう」

「そう言う……ものなんですか?」

「あれはお前の従者なのであろう? それも都合よい。我が眷属は善き人間を選んだ」

「ちょ、ちょっと待ってください! 俺はそんな力は要らなくて! 渾沌様と静かに暮らせたらそれでいいんです」

 青蓮はどんどん進む話に待ったを掛けた。

 青蓮に青竜の力を受け取る気持ちはない。

 今回のことで強く学んだ。過ぎたるものを持つことが、どんなに恐ろしいことかを身をもって知ったばかりだ。

 それでなくても人間は過ちを犯す。その時に身の丈に合わぬものを持っていれば、どんな惨事になることか。

「お前はきちんと過ぎたる力の恐ろしさを学んでいる。それにな、我が力を得ばお前の悩みはすべて解決するぞ」

「え……?」

「我が力をお前が身に宿しても、特別なことはあまりできないだろう。それはお前の肉体が器としては許容があるが、道具としては人間と変わりないからだ」

 青竜は神の力をオメガ性の青蓮が宿すことができても、それを神の様に自在に使うには足りないと言う。

「お前は底深き水瓶よ。そこから水を汲みだすには柄杓がいる。お前は柄杓ではない。ただ我が力を湛えるだけの器に過ぎぬ」

「それは俺の中に膨大な力がただあるだけということですか?」

「そうだ。しかし、その力があるだけでお前は恩恵を受けることができる。それは神のごとき長き寿命よ」

「――っ!」

 青蓮は思わず息を飲んだ。

 青竜の力を受ければ、青蓮は人間の寿命で尽きることなく、神である渾沌と同じ寿命を生きられる。

 渾沌が青蓮の寿命に合わせて共に常夜の国へ行ってくれると言われた日から、青蓮はずっと悩み続けていた。

 渾沌の言葉はとても嬉しかったが、本当にそれは許されることなのかと。

 渾沌にはこの国の末を見守る役目があるのに数十年の寿命でこの地を去ることは許されないだろう。

「青蓮……」

 じっと黙って聞いていた渾沌が青蓮の顔を覗き込む。

「無理をするな。お前はお前であればいいのだ」

「しかし、渾沌様……」

 青蓮は自分の悩みを渾沌に打ち明けた。

 渾沌は問題はないと言うが、青蓮は素直にそれには頷けないのだ。

「それが、お前の善きところでもあるのだがな」

 平行線をたどる話し合いに渾沌はため息をつくが、それでもその眼差しは優しく、青蓮のすべてを受け入れてやりたいと雄弁に語っている。

「青竜様、もしそのお力をお受けした時に、俺は渾沌様に害をなすようなことはございませんか?」

「多少はあろうな」

「え!?」

「お前は渾沌に抵抗することのできる力を得る。夫婦喧嘩になった時は尻に敷いてやればよい。その程度のことだ」

「そ、それはっ」

 揶揄われたのかと思うが、青竜は涼し気な笑みを崩してはいない。

 こういうところも神という特別な存在だからなのだろうか。

 青蓮もこういうものに近くなるのだろうか?

「不安はあろうが、それは杞憂であると言おう。お前には渾沌が居り、この依り代もまたお前の助けになると言っている。青蓮、我と同じ色を名に抱きし者よ」

「は、はいっ」

「これは、此度のお前の働きに対する褒美である」

 どう返事をしてよいのか躊躇っていると、膝に頭をのせていた渾沌がその鼻先でつんっと青蓮の手に触れる。

 その手を伸ばし、それを受け取れと。

「いいのですか……渾沌様……」

「お前が選べばよい。何があろうと俺はお前と共にあるだけだ」

 青蓮にはその言葉が何よりも嬉しい。

「ありがとうございます、渾沌様。俺も渾沌様と共に」


 青蓮の答えは決まった。

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