第25話 東方青竜の力。

 これが最終決戦となるのは、間違いなかった。

 緑楼国は捨て身の攻撃に出る。

 夜楼国をつぶされ、奴隷である獣人どもが国を成すなど、こんな屈辱があるだろうか。

 その屈辱を晴らすのは夜楼国王族の悲願だった。

 かつて大陸の中央に栄華を誇っていた夜楼国を再び取り戻したかった。

 美しく豊かな人間の国。


 しかし、それも今叶わぬ夢となり始めている。


「この責任をどうするつもりだ、レンザ王女」

 声を尖らせ言葉を荒げているのはシェムハだった。

 シェムハが夜楼国の復興を掲げて没落した王家の筋を国政に押し上げたのは、こんな風に暴走した挙句に自滅するためではなかった。

「お前はあのバケモノ王に突撃して死ねば何とかなると思っているようだがな、この敗戦は夜楼国の復興を100年は遅らせることだろうよ」

「そんなことはまだわからないわ。渾沌さえ殺せば逆転の好機はあるはずよ。あの時、邪魔さえ入らなければ、私は渾沌を殺せていた!」

「その邪魔はバケモノ王の味方に付いたようだぞ」

 人間に加護を与えるという神――東方青竜は意にそぐわぬ働きをした人間へには加護なぞ与えはしない。

 神などという存在は人間の思惑の通りに動くものではない。奴らには奴らの理があり、その理から外れたものに手など差し伸べない。

 その上、ロッタが略奪し、レンザがその身に宿した青竜の力は半分。

 神の力を得るために毒に等しい薬を呷り、ボロボロになったその体では力は真価を発揮することもできない。

「もう一度問う。どうするつもりなんだ? 何か策はあるのか?」

 シェムハは目を眇めてレンザに問う。

 シェムハにはシェムハの目的がある。この死にかけの王女と心中するつもりはない。

(レンザにはせいぜい大暴れして死んでもらわねばならん)

 二柱の神を道連れにすることは難しかろうが、どちらか片方だけでも何とかしてもらいたいものだ。

「……青竜を取り込んで完全な形で力を手に入れるわ」

「そんなことができると思っているのか? この間は青竜に手も足も出なかったじゃないか」

「あいつらの弱点は分かっているでしょう? 私にはロッタの残した獣の穢れがあるわ」

 ギラギラと瞳だけを異様に輝かせたレンザが笑うように言った。

 青竜との戦いで傷ついたレンザにもうかつての輝くような美貌はない。

 青竜の力に飲まれかけているのか、肌のいたるところに黒い鱗が現れ、髪も肌も艶やかさを失い、美姫だった姿は面影もない。

(バケモノはこいつも同じか……)

 昔、夜楼国では青竜の眠る廟が辰砂の鉱脈にあったことから、水銀を神につながる薬として重宝した。水銀を飲むことで青竜の言葉を聞くことができるというものだ。

 それは今も続く習わしらしく、ロッタもレンザも幼いころから青竜の言葉を聞くために水銀を飲まされ続けていたようだ。

 それが功を成したのかは分からないが、ロッタは青竜の力の半分を略奪することに成功し、レンザはその力を己の体に宿すことに成功した。

 そこまでは良かったのだ。

 運よく力を手に入れた双子の姉妹は暴走した。

 間者として送り込んでいた桔紅が聞いたという話が重なる。

 神の力を暴走させないために、渾沌は青蓮というオメガの青年を番に呼び寄せた。

 この姉妹にもそういうものが必要だったのかもしれない。

 旅芸人を装って青蓮を誘拐し、渾沌をおびき寄せ獣人奴隷の砦で殺す計画を実行した。

 しかし、青蓮の縁の者である銀狐神仙によって阻まれ、ロッタは命を落とした。

 そして、レンザは歯止めが利かない暴走を始めた。

(利用するだけ利用しようと思ったが、この辺が潮時……)

 次の戦いでは必ず渾沌と青竜が出てくるだろう。

 そうなればレンザはもう理性など保つことはできずに襲い掛かるのは明白。

 獣人で力任せな戦い方をする渾沌であっても、策もなく力任せに襲ってくる相手に引けを取るようなことはないだろう。

 その上、向こうには青竜を身に宿した銀狐神仙もいる。

 今のところ暴走している様子はないが、暴走を抑える術を得ているとしたらこれ以上の厄介な敵はいない。

「今度こそ殺してやる……獣人たちもあのバケモノも……」

 さっきに目を輝かせるばかりの哀れな女を見つめながら、シェムハは間近に迫っているだろう戦いからどうやって逃れるかを考え始めた。


 ◆ ◇ ◆


「渾沌様、火の手がっ!」

 森を抜けるなり、空に幾筋もの煙が立ち上っているのが見えた。

 渾沌の背に乗ったまま、青蓮は煙の上がる方角が目的地であることを確かめた。

「銀兎! 村に残してきた兵の引き上げはどんな状況だ?」

「負傷した兵はすべて帰還させました。村には200の兵が警備のために残っております」

 天馬に乗っている銀兎がすぐに隣に走り出て渾沌に報告する。

 隊を率いている渾沌は加減して走っているため、騎獣に乗った兵士たちもなんとか追いついてきていた。

「200か。少し足りんな」

「……はい」

「俺は先に行く。お前は他の兵を率いて追って来い。途中、避難する村人たちがいたら保護を頼む。俺の戦いの加勢より優先しろ」

「それはっ……」

「お前たちの足では俺に追い付けん。お前たちが村に着くころには決着も付いているだろう。それならば逃げる民を救え。それがお前たちの仕事だ」

「……御意」

 銀兎は何か言いかけて止めて、くっと前を向くとはっきりと同意を示した。

「ご武運を! 渾沌様! 青蓮様!」

「おう」

 渾沌は鷹揚にそう答えると一気に足を速める。

「ご武運を! 銀兎さん!」

 青蓮は慌ててそう叫んだが、もうすでに声が届く距離ではなかった。

「舌を噛むなよ、青蓮」

 そんな青蓮を見て笑いながら渾沌が声をかけ、さらに速度を上げる。

 その後ろにはただ一人青竜が涼しげな顔でついてくる。

「居るな」

「ああ」

 渾沌は青竜に短く言うと、青竜も簡素に答えた。

 しかし、これで十分だった。この先に目的のものは居る。

「青蓮よ、お前に少し力を貸してやろう」

「え?」

 渾沌の背に捕まっているだけでいっぱいいっぱいの青蓮が顔を上げると、青竜はそっとその額に触れた。

 触れた指先が冷たいと感じた瞬間、青蓮の視界が一気に開けた。

「え? ええ?」

「お前の視界を開き、刀を扱うに困らぬ力を与えた。これで渾沌の背を降りても、己の身ぐらいは護れよう」

「あ、ありがとうございます!」

 銀狐の顔が銀狐じゃない上品で楚々とした笑みを浮かべて笑う。

「獣の血の混じりがあると言うのに、お前は清涼な良い気の持ち主だな。青竜は水の眷属、お前とは相性も良かろう」

「はい?」

 きょとんと青蓮が問い返すと、不機嫌そうな渾沌の唸り声が響く。

「はははっ、焼もちか、心の狭い亭主を持つと大変だな」

「渾沌様はお優しくて素敵な方です!」

「少しばかり腹が黒いがな」

 渾沌がぐるるっと喉を鳴らして立ち止まりそうになるのを、青竜は前を見るように指をさして促して言った。

「腹の奥底まで黒いのが来たぞ」

 渾沌が駆ける先、村の入り口を護る大門の上に、ゆらりと黒い影が立っているのが見えた。

「レンザ……」

 まだ遠くで顔すらわからないほどの影だが、青蓮にもはっきりと分かった。

 自分の中にちりちりと共鳴しあうような反発しあうような感覚が湧き上がってくる。

(あれは……)

 今ならば彼女がなんであるのかはっきりとわかる。

(禍だ……)

 四凶と呼ばれる渾沌は自分を「禍」だと言うけれど、獣人たちにとっては希望でもある。

 しかし、今、目の前にいる女の姿をしたあれは、人でも獣でもない力を憎しみで塗り固めて、ただそれだけのために立っている。誰を救うものでもない。例え彼女自身の望みを叶えたとしても、彼女の心すら救われない。

 間違いなく人間にとっても獣人にとっても「禍」だ。

「刀を抜け青蓮。喉元に食らいつくぞ」

「はいっ! 渾沌様」

 渾沌の声に鼓舞されて、青蓮は腰に佩いた刀を抜いた。

 刀が手に吸い付くようになじむ。青竜の祝福はきちんと発揮されているようだ。

 刀を両手で握っても、渾沌の背から尻が浮くこともなく、渾沌と青蓮はレンザの正面に飛び込んだ。

「おのれえええぇっ!」

 レンザもただ出迎えはしない。喉元に食らいつこうとした渾沌の腕をつかむと、周囲からあの獣の穢れが染みついた縄が渾沌に向けて投げつけられる。

「渾沌様! 背中は俺が!」

 青蓮は渾沌を絡めとろうとする縄を次々に切り落として行く。

 刀は思ったよりも軽く思うように動かせ、青蓮は渾沌に触れさせることなくすべての縄を切り落とした。

「ぐぅ……」

「観念しろ、女!」

 縄を潜り抜けた渾沌の牙が一度レンザの喉元を狙う。

 しかし、レンザはずるりと体を滑らせて渾沌の爪と牙から逃れた。

「蛇みたいな動き……」

「青竜の力のうちだろうな」

「そんな能力とかあるんですか?」

「水に属するものだからな。形を変え囚われず流れ行くのは得意だ」

 それに対して渾沌は火。変化と破壊の為の力。

「次はその喉笛を食いちぎる!」

「忌々しいバケモノめっ!」

 渾沌の牙が喉笛を捕らえ、その白い首に突き立てようとした瞬間。

 二人が戦っている物陰から一人の男が飛び出して、あっという間に青蓮の構える刀を短剣で弾き飛ばした。

「あっ!」

「腕に覚えがあっても油断しているとこうなる」

黒い軽鎧を付けたシェムハが、刀を失った青蓮を渾沌の背から引き離した。

「よくやったわ、シェムハ。その男をこちらに寄越しなさい」

 レンザがにやりと笑う。

「青蓮っ!」

「おっと、動くなよバケモノ。動けばお前の嫁は真っ二つだ」

「く……」

 シェムハが構える切っ先が、じくっと青蓮の喉に食い込む。

 肌が切れ血の流れる気配に渾沌は低く唸るだけでじっと様子をうかがっている。

「待て」

 事態がまずい状態で膠着しかけたが、それを破ったのは今まで後ろに控えていた青竜だった。

「そのものを我に寄越せば、その女に我が力の残りも授けてやろう」

 青竜は顔にかけていた銀の布をまくり涼し気な顔でいる。

「どういうつもり……」

「今のままではお前に不利だ。我は釣り合いを保ち、人に加護を与えるもの。何の不思議もあるまい?」

「青竜様!」

 こんな気まぐれがあっていいのだろうか。

 シェムハの腕に囚われたまま、為す術もなく青蓮は唇を噛み締める。

「まずはお力を。それと引き換えにこの男を捧げましょう」

 レンザは抜かりなく慎重に青蓮に条件を持ち掛けた。

「良かろう。後でも先でも、我の力はお前のものだ」

 青竜の言葉にレンザは瞳を輝かせる。

「おお、おお、青竜様……」

 ふらふらと青竜の前に歩み寄り、レンザは膝をついて祈りの姿をとった。

「我が一族の悲願。我が片腹の悲願。どうぞ、今、この時に」

「我が眷属を名乗る女よ。我が力をに」

 青竜がレンザの前に手をかざす。

「えっ……」

 青竜の手ひらに生まれた青い光の珠のようなものが、すうっと水に溶けるようにレンザの体の中に吸い込まれて行く。

「あ、あぁ、ああ……」

 レンザの体は淡く青く輝き、痙攣するように細かく震えながら立ち上がった。

「あああ、ああああ……」

 苦悶とも恍惚ともとれる声が唇から溢れる。

 すでに言葉は成していない。

 声はどんどんと高くなり、悲鳴のように辺りに響き渡った。

「おいっ! 何をしやがった!?」

 シェムハが青蓮を捕らえたまま、青竜の方へ短剣を向ける。

「女が望んだものを体に入れてやっただけだ。その器では我が力は受けきれないようであるがな」

 玻璃の鈴がなるような涼し気な笑い声。

 そんな話をしている間にも、レンザの体が黒く染まり肉が崩れ始める。

「レンザ……くそっ!」

 シェムハは青蓮を青竜の方へ突き飛ばすと、素早く物陰に入った。

 そして、そこに待機していたらしい天馬が空高く舞い上がる。

「青蓮!」

「渾沌様! シェムハが逃げるっ……」

 青蓮に駆け寄った渾沌に後を追ってと促すが、渾沌は四つ足から獣人の姿に変わり青蓮をしっかりと抱しめた。

「よい。あれとは何時か遣り合う事もあろうが、今はもう良い」

「渾沌様……」

 渾沌の腕に抱かれ、青蓮は青く燐光を振りまきながら断末魔の声を上げ続けているレンザを見た。

 細く美しかった腕は崩れ落ち、まるで蛇のような姿になり果てたレンザ。

「この女が死ねば、戦は終わる。夜楼国の王族の最後の末だ。これでやっと終わる」

 青蓮は言葉が出ずに、ぎゅっと渾沌にしがみついた。


 天月一座の美しき歌姫・レンザの歌が命と共に終わるまで、青蓮はじっとその姿を目に焼き付け続けた。

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