第24話 青蓮の戦い。

 遠くで火の手が上がっている。

 渾沌と青竜の諍いが回避できたとはいっても、白夜皇国は戦の最中にあり、国境の方では戦闘が続いている。

 青蓮は夜が明けたら渾沌と共に、再びあの国境の村へ向かう。

 そこには必ずレンザとシェムハが待ち構えているはずだ。もし居なかったとしても、二人が姿を見せれば必ず駆けつけるだろう。

 彼らの目的は渾沌と青蓮なのだから。


「渾沌様……」

 霊廟の奥、宮城で一際高い塔の上、渾沌と青蓮は身を寄せ合うようにして夜空を見ていた。

「見えるか? 青蓮。この先、ずっと先にレンザとシェムハがいる」

「目には見えませんが、気配は分かります。俺の中にいた青竜様と同じ気配。かすかだけれど、確かに」

 青蓮はそう言うと、隣に伏せるようにして座っている四つ足の渾沌の首に寄り添った。

 艶のある毛皮は怪我をしていた時とは比べようもなく熱く、渾沌の中に力が漲っていることを知らせてくる。

「なぜ、そんなにも人間は獣人が憎いのでしょうか……元々俺の国では獣人奴隷は少なかったと聞いてます。親たちに聞いても獣人に特別含みを持ってはいなかった」

「夜楼国は人間の国の中でも特に栄華を誇っていた。獣人だけではなく、人間の奴隷もたくさん抱えていた。人間の頂点にでも立った気でいたのだろう。最後は獣人だけでなく人間からも攻められて陥落した」

 青蓮がそっと渾沌の首の毛を梳いてやると、渾沌はくるると嬉しそうに喉を鳴らした。

「500年前の夜楼国との戦いでも、渾沌様は戦われたのですか?」

「ああ、そうだ」

「500年……」

 同じ世界に縛られてはいるが、渾沌が人でも獣人でもないことは分かっていた。

 それをまさか神と呼ぶほどの存在だとは思わなかったけれども。

「お前にさみしい思いはさせない」

「え?」

「お前がこの世を去る時。俺はお前の御霊を抱いて常夜の国に帰ろう。同じ廟で共に眠りにつくのだ」

「渾沌様っ!? そんなっ」

「良い。これは俺に付いて来てくれるお前への報償だ。お前はそれだけの働きをした。怖い思いもたくさんさせた。守ると言って苦しい思いもさせてしまった。この戦が終わった後はもう二度とそんな思いはさせない。共にあろう、青蓮」

 くるると再び喉を鳴らして、渾沌は茫然としている青蓮に頬を寄せた。

「……それでは、渾沌様のお役目が……」

 青蓮は震える手で渾沌の襟足を撫でる。

 常世の国へ共に帰る。それは、渾沌も一緒に死ぬということ。

 それほどまでに愛されているのだという喜びと同時に、神である渾沌が自分と一緒に役目から降りるなんてことが許されるのだろうかと不安になる。

「役目なんぞ在って無いようなものだ。俺はお前と共にありたい。その為に天帝にこの命を還すことは何の問題もない」

「渾沌様……」

 こんなに幸せなことがあっていいのだろうか。

 そっと寄り添ってくる渾沌に、青蓮も体を寄せて二人寄り添いあう。

 こうしていると胸の中に温かく甘いものが満ち溢れてくるような気がする。

(渾沌様が持ってきてくれた杏を思い出す……)

 最初はどうなることかと思っていた。オメガだからと望まれた婚姻が上手く行くのかも不安だった。

 発情期が来た時にいきなり血をぶっかけられたり、やることなすこと滅茶苦茶で、でも、青蓮だけを真っ直ぐに見てくれた。

 窓辺にそっと置いてくれた杏の実を食べた時に、こんな滅茶苦茶な人だけど愛してくれているのだと感じた。

「お慕い申しております。渾沌様。この命果てる時まで、どこまでもご一緒させてください」

 青蓮はぎゅっと渾沌の首に縋りついて、硬いけれども艶やかな毛並みに顔を埋める。

「青蓮……」

 渾沌も愛おし気に自分にしがみつく青蓮へもっとすり寄ろうとした時に、何者かの気配を感じた。

 渾沌が体をこわばらせたので、何事かと顔を上げた青蓮もその存在に気が付く。

「……青竜」

「青竜様!」

 青竜が涼しげな顔でそこに立っていた。

「仲睦まじく善きことよ」

「そう思うなら邪魔をするな」

 ぐるっと威嚇するように渾沌は喉を鳴らして言った。

「ふふ、そうは言っても、依り代が今すぐに声をかけねば体を返せと言うのでな。仕方なくだ」

「兄さん……」

 銀狐の依り代――銀狐らしい話だ。

 渾沌をライバル視している銀狐がこの瞬間を逃すとは思えなかったが、本当に声をかけてくるとは。

「その依り代の話は話半分にしろ。俺の憩いのひと時を邪魔するんじゃない」

「それは申し訳ないな。では、邪魔した詫びに青蓮に良いものをやろうか」

「え? 俺に?」

「然様。人間のお前に加護を与えられるのは私だからな」

 青竜は人間の側の神様だ。

 しかし、渾沌と交わろうとしている青蓮を人間と見ることができるのだろうか?

「神と番になるお前にご祝儀のようなものだ。事が終わったら授けよう」

「ありがとうございます。青竜様」

 青蓮は慌てて立ち上がって青竜に礼を言う。

 渾沌は不意に立ち上がった青蓮を引き留めるように服の裾を噛んだ。

「渾沌様!?」

「ふふふ、お前の旦那はやきもち焼きだの。邪魔者は明日に備えて部屋に戻るとするよ」

「本当に邪魔しに来ただけか!」

「お前の番に良いものをやろうと言う話だ。悪くはあるまい」

 早く帰れとばかりに渾沌は威嚇するような唸り声で返した。

「渾沌様、兄がすみません……本当に弟離れできなくて……」

「ふん。まあ、良い。お前を娶るのは俺なんだからな」

 グイッと再び服の裾を引かれて渾沌の方を振り返ると、渾沌はいつの間にか獣人の形に戻って、二人で下に敷いていた布を腰に巻いている。

「こ、渾沌様っ、なんでいきなり人の姿にっ!?」

「こうせねばお前を抱きしめられないだろう?」

「え?」

 渾沌の言葉と同時にぐるんと世界がひっくり返る。

「渾沌様っ!?」

 青蓮を胸に抱きあげた渾沌は、塔を降りる階段ではなく物見台の端へとずんずんと歩いて行く。

「さっさと部屋に戻ろう。これ以上、あの赤狐に邪魔されてたまるか」

「え、えええっ、ええええ!」

 渾沌はそう言うや否や、青蓮を抱いたままひらりと物見台の手すりを乗り越えた。

「ぎゃあああああああっ!」


 飛び降りたのと同時に青蓮の色気の欠片もない絶叫が宮城に響き渡り、駆け付けた銀兎と青竜に滾々と朝まで説教される羽目になった。

 しかし、二人の長い説教よりも、気絶した青蓮が夜明けまで目を覚まさなかった方が、渾沌にはより堪えたようだった。


 ◆ ◇ ◆


 夜が明けて、出陣を待つ隊の先頭に渾沌と青蓮は立っていた。

 四つ足の姿に、赤い布をまとった渾沌の背に、青に銀の意匠が施された軽甲冑を付けた青蓮が座っている。

 騎獣を用意するという銀兎も断り、渾沌を抱いて移動してやろうという青竜も断った。

 渾沌の邪魔になるかもしれないと思ったが、それよりも二人が離される方が弱みになると渾沌に諭され、青蓮は渾沌の背に乗ることにした。

「重かったら言ってくださいね」

「大丈夫だ。子猫が乗っているより軽いかもしれん」

 そんな軽い戯れを見せつつ、二人は出陣に備えている。

「渾沌様、兵が整いましてございます」

 同じく青い軽甲冑をつけた銀兎が、牢に入っている桔紅の代わりに渾沌に告げた。

「よし、では出撃する。――俺の後ろに続け! 俺は道を拓く。そして、生きて戻れ、無用の死は望まん!」

 渾沌の言葉と同時に、どうっと地が震えるような声が上がる。

 兵士たちが口々に鬨の声を上げているのだ。

 渾沌に続き、祖国を護ろうと、獣人の誇りを奪われまいと戦いに行く者たちの声だ。

「生きて戻りましょう、渾沌様」

「もちろんだ」

 そして、青蓮の重みなど感じないような軽快な動きで渾沌は立ち上がり駆け出す。

 続く兵士たちの足音を聞きながら、青蓮はぎゅっと渾沌の首にしがみついた。

 今日の青蓮は腰に刀も佩いている。

(渾沌様と共に)

 守るなどと烏滸がましいことは言えない。

 自分自身が生き抜いて、渾沌の手間とならず、渾沌のそばに寄り添うことこそが青蓮の役目。

(必ず……)


 青蓮にもう何も迷うことはなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る