第19話 戦乱。
「歯を食いしばってろ! 舌を噛むなよ!」
銀狐はそういうと符を一枚口にくわえ、手で複雑な印を切った。
青蓮は銀狐の背に負ぶわれた状態で、帯で銀狐ときつく縛られている。
「わかった!」
銀狐の背にぎゅっと顔をつけ、体を丸めて縮こまるようにしてこれから来るだろう衝撃に備える。
「破ッ!」
銀狐のかけ声とともに、下から突き上げられるように浮かび上がる。
「つかまってろよ!」
「う、うんっ」
銀狐の召喚した青銅の騎獣が二人を背に乗せたまま足場の悪い森の中を走りだす。
桔紅にも足止めのための術を放ったが、一瞬そこから術の気配が飛び去るのを感じた。桔紅自体は多少足止めできるだろうが、仲間への伝達は防げなかった。
「とにかく全速力で行くからな! もう止まることはできないぞ!」
この先に何があるのかはわからない。
そこへ行きたがっている青蓮にだって何があるのかわかっていないようだ。
ただ視力を失った代わりに人ならざるものを視るようになった青蓮の目に何かの小さな光が感じられているだけだ。
これで罠だったらたまらないなとは思うものの、渾沌級のバケモノがいるのでなければ何とかなるだろう。もしそんなバケモノが待ち構えていれば、青蓮の目にも視えるはずだ。
(当てが無いにも程があるが、ここまで来たら何としてでも目的地までたどり着かないと)
それはすでに勘でしかなかったが、当たるのは悪い予感ばかりではない。
(まずは、逃げ切らないと)
銀狐はさらに術を重ね掛け、青銅の騎獣の速度を上げられるだけ上げた。
「もう少し、先……なんだけど……」
騎獣の足を止めた銀狐に青蓮が声をかける。
目的地まで止まらないと言っていたが、二人を乗せた騎獣は青蓮の感じる「なにか」まであと少しのところで足を止めたのだ。
「悪い、この先は乗り物は無理だ」
銀狐は青蓮を背負ったまま騎獣から降りて術を解く。
青銅の騎獣は音もなく姿を消し、その場には二人だけが残った。
「歩くの?」
「いや、どうするか……ちょっと考える……」
銀狐は必死に頭の中に叩き込まれていたこの辺りの地理を思い出そうとするが、位置がどんなにずれていても、こんな目の前にあるような巨大な亀裂が存在しているような土地ではなかった。
亀裂の幅は広く、どんなに跳躍力のある騎獣でも飛んで超えるのは難しそうだ。
そして、亀裂を迂回しようにもどこまで迂回すればいいのかもわからない。銀狐の立つ位置から亀裂の端は目視できなかった。
「嘘だろ……こんな亀裂があるなんて報告受けてないぞ……」
切り立った崖となっている側面は生々しく土が剥き出しになっていてる。これはまだ亀裂ができてそう時間がたっていないことを意味する。
もしこの見た目の通り最近できたのだとしたら、ここまでの亀裂ができるほどの現象を観測できていないはずがない。
「方術的な何かか……」
こんな亀裂ができるほどの術。
それこそ、渾沌くらいのバケモノが起こす「禍」のような……。
ハッとあることに気が付いて、銀狐は青蓮に尋ねた。
「青蓮、お前、宮城にいた時に東方に大蛇がいるって言ってたな?」
「……うん、たぶん蛇だと思うけど、黒くて長くて大きな影だ」
「そいつは、もしかして、今、俺たちの足の下にいないか?」
「それはもっと東の方にいるけど……もしかして、目の前って崖なの?」
目に穢れを受けている青蓮には実際の風景は目視することができない。
「ああ、巨大な亀裂ができていて、亀裂の端も底も目視はできない。渡ろうにも鳥にでも乗らなければ渡れないような巨大なやつだ……」
「じゃあ、あれは、遠くにあるんじゃなくて……」
「あ?」
「光はその亀裂の底にあるのかも」
「まじか……」
銀狐は青蓮を体に結び付けている帯を解き、亀裂から少し離れた木の根元に座らせると、改めて亀裂の様子を見に戻った。
「探査せよ」
呪符を亀裂の中に投げ入れると、ひらりと舞ったそれは小さな鳥の姿に変わって亀裂の底へと吸い込まれるように落ちて行く。
地の底へと降りて行く小さな
暗い
暗い
暗い
暗い……
光が届いていたのはほんの僅かな距離だけで、あっという間に黒一色に染められた世界だけになってしまった。
(だが、それにしても闇が濃すぎる)
これだけ広い亀裂なのだから、もう少し光が下まで届くはずだ。
何かが満ちている。
光を閉ざすような濃厚な何かが。
(これが青蓮の言っていた「何か」なのか?)
青蓮は光のようなものと言っていたはずだが……。
「青蓮……」
銀狐は青蓮を呼ぼうと立ち上がって、何かの気配が近づいてくるのに気が付いた。
「くそっ! 思ったより早かったな」
間違いなく桔紅の仲間だろう。もしかすると桔紅も合流しているかもしれない。
「兄さん? どうしたの?」
「青蓮! 追手が来た」
「ええっ! もう!?」
「思ったより早い。仕方ないから先に進むぞ!」
銀狐は青蓮のもとへ駆け寄り、再び背に背負った。帯で縛っている余裕はない。
追手の気配はすぐそこまで来ている。
「しっかりつかまっていろ!」
「兄さん! 兄さ……」
青蓮が何か言う前に、銀狐は全速力で走りだす。
そして――
銀狐は亀裂の中へ、躊躇いもせずに身を躍らせた。
◆ ◇ ◆
「渾沌様、国境警備から、桔紅が脱走したと連絡が入りました」
銀兎は早馬の寄越した手紙に目を通しながら渾沌に告げた。
「思ったより早かったな」
しかし、渾沌はその知らせに驚く様子もない。
「それだけ切羽詰まっているということか。――皇帝陛下の軍はどんな様子だ?」
渾沌は今回の戦の総大将ではない。総大将はあくまでも現皇帝だ。
故に行動にも少し制限がある。好き勝手に飛び回れないのだ。
「あと少し――ではございますが、何やら特殊な連中がいて苦戦を強いられております」
「特殊な連中?」
「はい。何故か戦意喪失して離脱する部隊が出現しているのです」
「そりゃ……」
渾沌の頭に浮かぶ連中の名を口にするよりも早く、次の伝令が飛び込んできた。
「急報! 皇帝陛下が負傷! 直ちに渾沌様に前線へとの御命です!」
「チッ!」
不遜にも渾沌は忌々し気に舌打ちをする。
「役立たずの老いぼれが」
「渾沌様、お言葉が過ぎます」
この部屋にいるのは渾沌の味方ばかりではない。皇帝直属の者たちもいるのだ。咄嗟に銀兎が諫めるが、渾沌は取り合う気配すら見せない。
「役立たずは役立たずよ。伝令! 陛下の怪我の具合は如何ほどだ!」
「は、現在治療中とのことですが、太刀を受けて意識不明とのことでございます」
「……あと少しと言う時に」
これはもう戦場に渾沌が出るしかあるまい。
それはいい、最初から戦闘には立つつもりだったのだ。
それを現皇帝の見栄で若造なくとも何とでもなると、渾沌に留守居を命じて皇帝は軍を出立させたのだ。
獣人の評価は力で決まる。
戦はそれを見せつける好機だと思ったのだろう。
「渾沌様、出立のご準備を」
「……わかった。御命であるからな」
渾沌は羽織っていた毛皮を脱ぎ捨てる。
褐色の肌が露わになり、ぶるっと一瞬体を震わせるだけで、その輪郭は獣人のものから四つ足の獣の姿へと変わる。
「ただし、行くのは俺一人でいい。すぐに終わらせて戻る」
「渾沌様! せめて私がご同行いたします!」
銀兎が慌ててすがるが、渾沌は振り向きもせずに窓から身を躍らせる。
そして、日の暮れ始めた空を見上げて、大きく遠吠えを上げるとそのまま風のように宮城の外へと駆け出して行った。
獣姿の渾沌に追いつける速さの騎獣などいない。
銀兎は渾沌が姿を消した方角をじっと見つめながら思案する。
皇帝陛下が負傷したというのも気になる。
現皇帝は怪異に近い渾沌にこそ及ばないが、歴戦の猛者であり、その力を認められて皇帝となった。
少し見栄を張るようなところはあるが、決して軍人として劣るようなことはない。むしろ、軍略に関しては力任せの渾沌より優れ、また警戒心も人一倍強い。
そして、気になることはもう一つあった。
戦意喪失して離脱する部隊の多さ。
これは明らかに何かしらの術のようなものを使われていると思われる。
先の戦の時にも夜楼国との戦いでは奴隷使いたちに苦戦を強いられたのだ。
獣を従える術。
青蓮と銀狐の話では、天月一座のロッタと言う女がその術を使ったと言う。
天月一座は夜楼国から流れを接ぐ緑楼国所縁の者たちに間違いはないだろう。
ならば敵勢に同じような術を使う者たちがいても不思議ではない。
(しかし、ならば何故殺さない)
獣人は人間よりはるかに身体は優れているが、戦意喪失して無抵抗な状態であれば人間でも倒すことは可能だ。
それなのに、術が使われ戦線を離脱させるだけで、獣人たちが怪我を負うようなことすらない。
戦線離脱してしまった者たちは、みな近くの村に収容し休息をとらせている。
近く宮城まで戻ってくる予定だが、渾沌が出立したので帰ってくる前に戦が終わるかもしれない。
(ただ、これだけで終わるとはとても思えない……)
銀兎には不安しかない。
準備不足も甚だしい状態で切られた火蓋。
白夜皇国に有利に動きすぎる戦況。
渾沌の出陣。
そして、青蓮の不在。
青蓮を混沌から引き離したのは本当によかったのだろうか。
そのことは今も銀兎は迷い続けていた。
銀狐神仙が傍にいるとは言え、目の見えないあのか弱い人間のオメガの青年を、どうすることが正解だったのだろうか。
◆ ◇ ◆
戦場は酷い有様だった。
いや、酷くない戦場などない。いつも血と死体であふれているのが戦場だ。
そんな戦場を幾度も見たが、ここはそれ以上だった。
「何をしているんだ……」
あと少しで国境につくというところで、渾沌は異変に気が付いた。
国境ではなくそこからわずかに外れた白夜皇国内の村で火の手が上がっていたのだ。
もしや国境から進軍を許して、主戦場が移動したのかもしれないと、渾沌は慌てて火の手の上がるほうへと踵を返した。
そして、そこで見たものは、獣人兵たちが同じ獣人を襲うという地獄絵図だった。
「間抜けな次期皇帝陛下。地獄の窯の底へようこそ」
女の嗤い声が聞こえた。
「お前は……」
ぐるると喉の奥が唸るような声が出る。
渾沌が村の様子を見下ろすために立つ建物の隣の屋根に一人の女が立っている。
「天月の芸人か」
天月一座の歌姫レンダだった。
青蓮を誘拐し、目に穢れを植え付けたロッタの対となる女。
「今頃、敵討ちにでも来たか。野垂れ死んだ片割れは弔いはしたのか?」
渾沌が、ロッタのことを口にするとレンザはさっと顔色を変えた。
癇に障る嗤い声は消え、唇を噛み締めて憎悪を瞳に燃やしている。
「……今度は、お前が獣人どもに屠られる番だ。自分の手ごまに殺されろ」
「何?」
レンザの声と同時に、ひゅっひゅっと風を切るような音がいくつも聞こえる。
「何をっ……」
音と同時に渾沌に縄や鎖が巻き付く。
下を見ると、いつの間にか集まってきた兵士たちが、渾沌を捕らえんと撃ち込んできているのだ。
その兵士たちはみな獣人だ。白夜皇国の御印をつけているのも見える。
「お前か、女」
「おお、こわ。もちろん私の所為ですわ。獣人を操る調教師が死に絶えたとでもお思いでした?」
そう言いながら、レンザは手にした小さな鉦を振る。
「く、ぐぅぅ……」
鐘の音が軽やかに鳴り響くたびに、渾沌を戒める縄や鎖が強く締まる。
縄や鎖には獣の穢れが染みついていて、渾沌は力任せに引きちぎることができない。
しかし、獣人の抵抗を失わせるであろう「獣の穢れ」は、縄や鎖、兵士たちが持つ武器などからは感じるものの、目の前のレンザからも操られているのだろう兵士たちからも感じない。
(なんだ、これは……)
ギリギリと押さえつけられながら、何があるのかと必死に辺りを探るが、目の前にいるレンザと兵士たち以外に何の気配も感じられない。
(――いや、違う)
気配がないのではない。渾沌が感じられないのだ。
(俺が、濁っているのか……)
やたらと辺りが眩しい。
その光の強さに、渾沌は目を閉じずにはいられない。
そして、その光が邪魔をして、渾沌の五感を封じて行く。
「薄汚い四凶。真の神の力で、この世から消え去れ」
だんだんと閉じられてゆく意識の中で、レンザの高笑いが聞こえたような気がした。
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