第18話 逃げるもの、追うもの。

 銀狐の嫌な予感は先を進むにつれ、益々高まってきている。


 どう考えてもこの先に何か別の目的があるような道とは思えない。

 華風国の地理は熟知しているが、この先にあるのは廃村寸前の小さな村だけだ。

 その村もこんな森の中を通るのではなく、森を迂回するように敷かれている街道があるので、旅人や行商の商人たちは皆そちらを通る。

 獣や山賊が身を潜めているような森の中を突っ切る利点は何もないのだ。

(それなのにずっと追ってきている)

 銀狐たちが森に入ってからもうずいぶん時間が経っている。

 その間ずっと複数の騎獣が追ってきているのだ。

 距離をつめながら追ってきているので、後をつける事が目的ではないだろう。

 接触すれば戦闘は免れないと思うが、あまり派手な事をして国境の向こうにいるだろう緑楼国の兵士たちに気づかれたくもない。

 しかも、連れは盲目。傍を離れる事はできない。

「青蓮、お前、どこかで少し隠れてられるか?」

「追っ手がいるの? すぐに片が付く?」

「とりあえずは回り込んで様子を見ないと……」

 できるなら背後に回りこめればありがたい。

「じゃあ、先を急ごう! 確実に敵かも分からないんでしょ? もし違ったら無駄足になっちゃうじゃないか」

「……敵である確率の方が高いがな」

「じゃあ、兄さんは倒しに行ってよ。俺は一人で先に進んでるから」

「目の見えないお前を置いていけるわけないだろ!」

「どっかに隠れてろとか言ってたじゃないか。それならこっそり移動してても似たようなもんだよ」

「……先を急ぐ」

「そうして!」

 銀狐は仕方なく、馬に更に無理を強いる事を選んだ。

 青蓮の言う「何かがある場所」までどのくらいの距離かも分からない。

 馬がつぶれてしまったら、式を呼び出して二人を運ばせるしかないが、できればそれまでに決着がつけたい。

(そう、上手くはいかんよなぁ……)

 銀狐は自分の胸にしがみついたまま、一方を指差し続ける青蓮を見てこっそりと溜息を付いた。


 そして、悪い予感は微妙に的中した。


「桔紅……」

 後少しで、追っ手が追いつくとなった時に馬が限界を迎えた。

 このままでは落馬の危険性もあったので、そうなる前に荷物と共に馬から下りて銀狐と青蓮は近くのくぼ地に身を隠した。

 馬はそのまま手綱から開放され、追っ手が来る方角へ少し走って――弓で射られて死んだ。

 そして、その死んだ馬の様子を見に姿を現したのは、渾沌の従者である桔紅だった。

「桔紅って渾沌様の従者の!?」

 銀狐の呟きを聞きつけた青蓮が思わず顔を上げる。

「青蓮、まだしばらくこのままで居てくれ」

 結界を張りたいが、結界を張る事でばれる可能性もある。

 今見つかって居ないならば、このままやり過ごしてしまいたい。

 せめて、もう少し距離が離れないかと期待する。

「どうして? 桔紅なら一緒に……」

「青蓮、俺はあの男が大嫌いなんだ」

「何それ……」

 青蓮は目の傷を隠すように顔に包帯を当てているが、包帯に隠れずに見える口元を見ただけでも呆れているのがよく分かる。

「理由は色々あるが、俺が大嫌いだと言うだけで、あいつを敵視するには十分だ」

 銀狐は本気だった。

 宮城に捕らわれていた頃からずっと胡散臭いと思っていた。

 現皇帝の親戚筋だと言うオオワシの獣人だが、銀狐も桔紅とは幾度か先の戦でかち合った事がある。

 鳥系だけあって目が良く、戦場で探査のような事をしていたようだ。

 師団長と思われる大きな狼の獣人の傍に寄り添っていたのを覚えている。

(狡賢い、墓場泥棒の目)

 銀狐にはそんな印象だけが残っている。

 白夜皇国の宮城に乗り込んだ時に、桔紅の姿があった事に驚いたが、この男ならそうやって強いものに取り入って生きて行くのは得意だろうとすら思ったのだ。

 銀狐が銅像を呼び攻撃を仕掛けた時も、銀兎は真っ先に青蓮の前に飛び出し庇おうとしたが、桔紅はじっとこちらの様子を見るばかりで渾沌の傍から離れなかった。

 渾沌を守るためと言うのならば、それも正しいだろうと思うが、銀狐にはどうしてもそうは思えなかった。

「でも、どうして桔紅がこんなところまで来たんだろう……」

「あいつ、渾沌の直属だろ?」

 追って来ていた気配は複数あった。桔紅以外の連中は今は少しはなれたところにいるようだ。

「渾沌様のご命令で来てるのかな……?」

「俺たちを殺せって?」

「そんなっ」

「まあ、それは冗談だとしても、桔紅は渾沌の直属だ。渾沌の命なくして動くことはない。だが、命令を受けて国を出たが、実際の命令を果たしているかは別の問題だな」

「…………」

「……なんだ、そんな顔をして」 

 青蓮が驚いたような顔をして銀狐を見ていた。

「銀狐って……渾沌様の事、結構好きだよね」

 今度はその青蓮の言葉に銀狐が虚を衝かれる。

「は……」

 衝撃のあまり言葉まで詰まる。

 あんなバケモノを好くなんて物好きは、お前のほうではないか! と叫びそうになるのをぐっと堪えた。

「なんでそんな話になるんだ?」

「……なんとなくね」

 青蓮の口元は笑っている。

 あのバケモノを憎んでいるかと問われればそうではないと答えるが、決して好いているわけではない。

「その件に関しては、絶対に違うと否定しておく。あいつも嫌いだ」

 可愛い青蓮を奪った男。

 それだけでも十分気に入らない。

 その上、混沌は次元の違うバケモノだ。

 神仙とまで呼ばれた自分ですら、あのバケモノには敵わない。

 だから、あのバケモノなら青蓮を必ず守り切るだろうと、銀狐は身を引いたのだ。

「だが、それ以上に気に障るのがあいつなんだ」

 銀狐はじっと身を潜めながら、馬の辺りを探っているらしい桔紅を見た。

 桔紅は相当な数の矢を馬に打ち込んでいた。馬が倒れた後も。

 明確な殺意を感じるほどに。

(国境が近いといってもここは華風国の領土内だ。緑楼国の兵がいるような場所でもない)

 そんな場所で、馬に乗る「誰か」を追い、その「誰か」を殺そうとした。

(敵意しか感じない)

 その敵意が「青蓮」と「銀狐」に向けたものか?

 その確証はまだないが、可能性は非常に高いと思っている。

(くそっ! 青蓮を連れた状態で戦闘はしたくない。何とかして、移動しないと……)

 銀狐が思い巡らしていると、青蓮がそっと銀狐の袖をつかんで呼んだ。

「どうした?」

「桔紅はオオワシの獣人でしょ? ならば夜目は弱いから、日が落ちれば逃げられないかな?」

「……あいつにどこまで鳥の特性があるのかわからないが、鳥は意外と鼻がいいんだ。今、俺たちは風下にいるから見つかってはいないが、風の向きが変わればすぐに見つかる」

「戦うしかないの?」

「そうだ……と言いたいが、状況的に少し不利だ。できれば撒いて逃げ切りたい」

「可能性は?」

「強行突破」

「……俺が邪魔?」

「俺はお前を逃がすためにここにいるんだ」

 不安そうな顔をしている青蓮の頬をきゅっとつまむ。

「どうにもならなくなったら渾沌でも呼べ。あいつなら国を捨ててでも飛んでくるだろ」

「それはできない。そうさせないために離れたんじゃないか」

「なら、俺の言うことを聞いて、俺についてきてくれ。桔紅一人程度なら何とかなるだろう」

 他の連中と距離があるうちが好機だ。

(もしかしたら、俺たちだとわかって射ったのかもしれないな)

 他の連中と距離をとって一人で見に来たのは、青蓮と銀狐を殺すところを見られたくなかったのかもしれない。

(とりあえずは、強行突破させてもらう)


 桔紅を殺すのは、今ではない。


 ◆ ◇ ◆


「なっ! これはっ……」

 桔紅が異常に気がついて声を上げた時には、すでに足元から大きな青銅の手が沸き上がるように姿を見せていた。

「ちっ!」

 慌てて後退るが、鳥の獣人であっても空を飛ぶ羽をもたない桔紅は、一足遅く青銅の手に掴まれてしまった。

「銀狐めっ……」

 大きな手に握りこまれる直前、近くのくぼ地から別の銅像が姿を現し走り去るのが見えた。

 こんな術を使う人間が、その辺にごろごろいるはずはない。

「ぐ……」

 しかし、それに気が付いたところですでに身動きは取れない。

 狭くなる掌の中で、桔紅は胸元から一枚の呪符を取り出すと、ふうっと息を吹きかけた。

「青蓮と銀狐を見つけたと伝えろ」

 息を吹きかけられた呪符は小さな鳥の姿になり、青銅の指の隙間から外に飛び出す。

「逃がさん……」

 胸をつぶされるような息苦しさの中でそれだけつぶやくと、桔紅は意識を失ってしまった。

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