第17話 戦乱に在りて。
戦火は瞬く間に広がった。
まるで乾いた牧草に火をつけたかのように、小さな国境での諍いは一気に戦と成り果てた。
「待っていたと言わんばかりの有様だな」
宮城の物見の塔の上から煙の上がる東方を眺めて、渾沌は目を眇めている。
緑楼国との因縁は長い。
渾沌が窮奇と共に現界に顕現した時から敵対していると言っても過言ではない。
渾沌はいわゆる「人間の敵」だ。獣人とのつり合いを保つために人を屠るバケモノだ。
かつて夜楼国と呼ばれる人間の大国だったのを滅ぼしたのも渾沌だった。
窮奇に言われた事がある。
『人の数は決して減らない。彼らの力は数である。ただそれを甘く観てはならない。人には力を使う知恵があるのだ』
故にそれを上回る人外の力でつり合いを保たなくてはならない。
力は時に洪水のように溢れれば暴走するものだから。
そんな言葉を思い出しながら、渾沌は東方の空を観ている。
渾沌にとって人は屠るべきものであり削るべき力だ。
「……青蓮」
しかし、こうして戦火を眺めていても、この世界にもう一つ灯る命の火を感じ続けている。
今は遠くにいるけれども、決して渾沌が見失うことの無い火だ。
「お休みのところ申し訳ございません、渾沌様」
声を掛けに来た銀兎も武装している。武官ではないからと言って戦わないで済むほどこの国は広くも強くも無い。
確かに白夜皇国は強く広大な獣人の一大国家ではあるが、ここしか国を持たない孤独の国でもあるのだ。
「緑楼国の監視から連絡がありました。やつらはこのまま華風国へと戦火を広げるつもりのようです」
「華風国だと?」
青蓮の故郷である華風国は白夜皇国と友好ではあるが、獣人の国ではない人間の国だ。比較的、中立の立場をとっているとは言え、白夜を相手に戦っている中で戦力を割くほどの価値があるとは思えない。
「青蓮の関わりか?」
渾沌に関わるものを徹底的に追い詰めるためとも考えられるが、それにしても今行うべき事では無いだろう。
戦況は国力の差もあって白夜皇国が優勢に進んでいる。そんな中で余所見をする余裕など無いはずなのだが。
「華風国からは極秘裏に緑楼国から使者が来ているという報告を受けていますが、彼らは華風国側の国境にある鉱山の再開発を求められているようで……」
銀兎の報告に渾沌は首をかしげる。
「鉱山? あんなところにそんなものがあったか?」
「辰砂が取れていたと古くに記録がございますが、今はもう枯渇しているはずです。元より採取できる量も少なく、鉱山と言うほどでは無かったようです」
「そんなものを一体……」
そこまで言って、渾沌はふとある事に気がつく。
「おい、青蓮が言っていた大蛇が眠る地はその方角ではないか?」
「あっ! ……すぐに地図をご用意いたします。渾沌様も本陣の方へお戻りくださいませ」
渾沌の言葉の意味を悟った銀兎は、踵を返して急ぎ塔の足場を降りて行く。
青蓮が姿を隠す前に、毒によって穢れた目に東の地に大蛇が眠っていると言っていた。
詳細な場所は青蓮にも分からないようだったが、ここから東の地である事は確かなようだった。
(東方の蛇……)
それ以外にも青蓮は窮奇の存在も見えているようだった。窮奇と渾沌の姿が分かると言うことは、神性の濃いものを見分けているのだろう。だとしたら、この大蛇もまた神性を持つものと言える。
(青竜……)
地の四神である窮奇と渾沌に対を成す存在である天の四神。
その一柱が東方を守護するとされる青竜だ。
そしてもう一つ。
(青蓮が兄の銀狐に連れられて、身を隠しているのもまた東方……)
戦乱が続く中、渾沌は毎日のように出陣して戦場を巡っている。
今、渾沌がこの地を離れる事はできない。
青蓮とは距離を置くこととなってしまったが、渾沌に青蓮の身を守る自信はあっても渾沌の傍に居れば必ず恐ろしい思いをさせてしまうだろう。
それならば、力量に問題の無い銀狐と共にどこかで隠遁していてもらったほうが良いと思ったのだが……。
(何事も無くとはすまないだろうが、せめてもう少し時間が稼げればいいのだが)
最終的に青蓮に何かあれば渾沌はこの国を放り出しても助けに行く。
だが、獣人たちを、自分の眷属たちを見捨てることもしたくはない。
渾沌は大きく伸びをしてから、四足の獣に変じると、そのまま着ていた毛皮をくわえて塔の上から身を躍らせる。
(今のままでは目が悪い……)
影のように黒い獣は、風に乗って空を駆け、本陣のある宮城の本殿へと飛び去って行った。
「渾沌様、こちらに地図をご用意いたしました」
桔紅が卓に大きな布製の絵図面を広げる。
絹の生地に書かれたこの地図はところどころ縫い接ぎしてあったが、それは情報を細かに修正した跡だ。
「華風国は何と言っているのだ?」
「国境の――ちょうどこの当たりにある昔の鉱山の再開発を、緑楼国が求めてきているとの事です」
「古地図はあるか? その辺りが鉱山だとされていた頃のものだ」
「こちらに」
銀兎が古びた木簡をつないだ物に描かれた地図を差し出す。
かなり色あせてはいるが、地系の一致が見て取れた。
「この当時は夜楼国の領地だった場所です」
「産出していたのは辰砂か……」
「はい、辺り一帯は水銀の汚染がひどく、元より人の立ち入らない場所だと」
「そうか。――桔紅」
「はい」
「お前の部隊を華風との国境に配備しろ」
「御意」
短くそう命を受けると、桔紅はすぐに本陣を出て行く。
桔紅の部隊は少数精鋭の渾沌直属の部隊だ。国軍の総指揮を取る現皇帝の白虎の許可無く動かすことができる。
「……渾沌様、よろしいのですか?」
出て行く桔紅の背を見ながら、銀兎が小声で渾沌に問う。
この部屋には信頼の置ける者達しかいないが、それでも銀兎には何か懸念があるようだ。
「良くはなかろうな。しかし、避けては通れんだろう」
渾沌は椅子に座ると溜息混じりに返した。
「いざとなれば俺が行く。それが罠だとしても、俺が行かねばけりはつかん」
「罠とお分かりでも……ですか」
「そうだ。やつらの狙いはこの国の衰退ではない。俺だ」
「それはこの国を狙うも同然の事。渾沌様がなくてはこの国は立ち行きません。それは獣人たちの未来が閉ざされると言うことです」
「俺が居なくなっても窮奇がいる。窮奇がいなくなっても次の何かが顕現するだろう。世の理とはそう言うものだ。俺でなくてはならないのは敵方だけの事よ」
「だから、ご自分の身も国も省みず、青蓮様をお守りすると?」
「……お前はぶれないな。俺が目覚めた時から一貫してこの国のためか」
「それが、私の務めにございますゆえ」
渾沌に無礼を承知でこんな話ができるのは、目覚めて以来ずっと付き従っている銀兎しかいない。
桔紅も確かに直属の従者だが、あれは武術の腕を買って渾沌が傍に置いているに過ぎない。
「……なのに、青蓮を逃がしたか」
「婚儀はまだとは言え、青蓮様も我が国の民にございます」
青蓮を渾沌の傍に置いておけば、渾沌は青蓮の身しか守らない可能性がある。
しかし、だからと言って青蓮を邪魔に思うわけではないのだ。むしろ、渾沌に正気を保ってもらうには青蓮と言う存在が必須だ。
だから、銀兎は青蓮の守護に命を掛けるであろう銀狐に委ねたのだ。
「だが、我らの思惑に天は従わぬようだな」
渾沌と銀兎の思惑は思うほうへは向かってくれないようだ。
「銀兎、心配ならばお前も青蓮の元へ行け。お前は青蓮の従者だ。主人の元にいるのが勤め」
「渾沌様!? それは……」
「なに、近いうちに俺も行く事になる。現状の戦闘地域は俺一人で何とでもなる。元々緑楼国に白夜と戦をする体力などそうはないのだ。それをひっくり返す手をやつらが持っているからこそ、やつらは開戦に踏み切ったんだ」
渾沌は銀兎を見て皮肉気に目を眇める。
「疎い俺でもそのぐらいの計算はできる。……だから、青蓮の元へ行ってくれ」
「……御意にございます」
銀兎は渾沌の命に深く傅いて応えた。
◆ ◇ ◆
「兄さん! もうちょっと早く走る馬はなかったの!?」
深い森の中、青蓮と銀狐の二人は馬の背に跨り、急かされる様に全速力で馬を走らせている。
二人は白夜皇国の宮城を抜け出した後、一旦、故郷の華風国へ戻り、生まれ故郷の村ではなく、華風国の城下町を目指していた。
緑楼国とは隣り合わせだが、城下町は国境からも遠く、銀狐の昔の仲間も多い。何かあれば軍の様子から情報も入るため、しばらく様子を見ようと思っていたのだ。
しかし、城下町へ向かう途中、青蓮が急に緑楼国との国境の村がある方へ行きたいと言い出したのだ。
「無茶を言うな。二人乗りでただでさえも馬が弱るのに、この道もない森の中だ。俺でなければ馬がとっくにつぶれている!」
手綱を握り、盲目の青蓮を乗せて、ほぼ全力で駆け抜けていられるのは、銀狐の方術で二人の重みを馬にかけない様にしているからだ。
戦場で身軽に動き回るために体を浮かし軽くするよう編まれた術だが、それを継続し続けているのは偏に銀狐の力量のすごさだった。
「それでも急いで! この先に何かあるんだよ!」
「何かってなんだ!? お前の目に見えるのか?」
青蓮は呪いの穢れによって視力を失っている。そのために殆どのものは見えないが、ごく限られたものだけを感じ取れるようになっていた。
「渾沌様とも良く分からない大蛇とも違う。小さな……すごく小さなものなんだけど……なんだかよく分からないものだよ!」
銀狐にしがみつくようにして馬に乗っている青蓮はもどかしげにそう叫んだ。
なんだか分からない。
でもきっと大事なもの。
そんな勘のようなものに付き動かされて道を変更させた。
こうして急いでいる最中も感じるものは感じるが、それは何かは分からない。
「でも、急がないと……光が消える……」
「くそっ! 急いでやりたいのは山々なんだが……」
一方、銀狐の目には青蓮とは別のものが捉えられていた。
この道もない森の中を一定の距離を置いて後を追ってくる存在がある。
「ただの山賊ならいいんだが……」
銀狐は嫌な予感がしてならないのをじりじりと感じながら、青蓮の望む方へと馬を急がせるしかなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます