第16話 禍を討つモノたち。

 緑楼国宮城。城と言うよりは砦に近い、質実剛健なその宮城にシェムハとレンザの姿はあった。

 二人は白夜皇国内に潜ませた内通者の協力を得て、何とか脱走することに成功したものの、仲間のロッタを失ってしまった。


「銀狐神仙め……」

 レンザは憎らしげにその名前を吐き捨てる。

 双子の妹であるロッタを殺した、人間の裏切り者。

「だから俺は言ったんだ、あの青蓮というオメガをさっさと殺すべきだと」

 シェムハは毒づいているレンザを冷ややかな目で見るとため息混じりに言った。

 今回の行動は大失敗だ。折角、白夜の宮城まで入り込み、あのバケモノの目の前まで行ったのに、欲を出したせいでロッタは死んだ。貴重な術者を失ったのは大きな痛手だ。

「どうせ我々が緑楼国の人間であることは察しているだろう、やつらには幾らでも開戦の理由がある。この地はすぐに戦場になる。そうなる前に戦力を削ぎたかったのだが……」

「貴方はロッタが死んだことをそんな風にしか思えないのね。貴方に獣の耳があったら私が間違いなく殺してやるのに」

「感情的になるなレンザ」

「いいえ……いいえっ! 感情的になるわ。より一層の憎しみを募らせてあのバケモノもオメガも銀狐も必ず殺してやる」

 愛する双子の妹の亡骸を葬ることもしてやれなかった。

 身命を賭して獣人の穢れを一身に受け入れ呪術者となった妹。

 レンザにとってロッタは世界の全てだった。二人で必ず――と誓ったのに。

「戦になるならなれば良いわ。私が獣人どもを駆逐してやる」

 レンザの獣人たちへの恨みは相当なものだ。元より憎んでいたところに、双子の妹を殺され、より憎しみが強まっている。

 シェムハはレンザに気づかれぬように小さく溜息をつく。

 正直なところ、シェムハには獣人にそこまでの憎しみは無い。シェムハにはシェムハの目的があってこの国に協力しているだけのことだ。

 うんざりした気持ちになりながら、シェムハは怒り狂っているレンザを眺めて、もう一度小さく溜息をついたのだった。


 ◆ ◇ ◆


「銀狐、話があります」

 宮城の方術士たちの部屋に篭り、青蓮の穢れを浄化するための術を練り続けていた銀狐はやつれた顔で声の主を見もせずに答えた。

「そんな暇はない」

「青蓮様に関する事なのですが」

「……わかった」

 青蓮のため、そう言われてしまえば銀狐は断れない。

 今こうして寝食も忘れて新たな術の練成を続けているのは、偏に愛おしい弟の為でしかない。

 銀兎は銀狐を連れて部屋を出る。

 そして、何も言わずにどんどんと通路を進み、宮城の裏庭へと出た。

 この先へ進めば歴代皇帝とその后たちが眠る霊廟がある。

 霊廟はごく一部の獣人だけが入場を許されている。もちろん、銀兎は許された一人だ。

「霊廟……?」

「ええ、人に聞かれたくない話をするには一番です。私しか鍵を持っていませんから」

 裏庭を抜けて、霊廟へと足を向ける。

「そこまでしてする話ってなんだ?」

「ここならば、渾沌様にもお声が届かないのです」

 霊廟の中は結界が張られている。

 窮奇や渾沌が眠っている時に、その眠りを妨げないために外界から断ち切られているのだ。

 彼らが目覚めるのは天界からの声によってのみ。故に天界からの知らせがない限りこの廟には誰も近づかない。

「渾沌にも聞かれたくない話? ろくな話じゃないだろ、それ」

 銀狐は赤銅色の髪をがりがりとかき混ぜるように掻くと、手に持っていた結い紐で邪魔にならないように手早く結い上げた。

 髪に隠れていた顔が明らかになるとそのやつれ方は顕著で、目の下に濃く陰があるだけでなく頬の線も細く鋭くなっている。

 この様子では青蓮の穢れを祓う術には至れていないのだろう。

「銀狐、貴方は青蓮を連れて逃げてください」

「は?」

 銀兎は銀狐を見つめて至極真面目に言った。

 戯れではない。

「そんなの、俺にできるワケがないだろう?」

 銀狐は目を眇めて、皮肉な笑みを浮かべると襟元を緩めて首を顕わにする。

 そこには黒革で作られた獣につけるような首輪がはまっている。

 渾沌の血で黒く染められた首輪は強い呪具として銀狐を戒めている。

 この首輪の呪いによって、銀狐はここから逃げ出すことも、渾沌に逆らうこともできないでいるのだ。

「こいつが何かはお前も知ってるはずだ」

「大丈夫です。――これを」

 銀兎は懐から小さな銀の鍵を取り出す。

「それは――」

「開放の鍵です。その、首輪の」

 銀兎は銀狐の肩をつかむと自分の方へぐっと引き寄せ、襟から覗く首輪に手を触れた。

 そして手にしていた鍵を、首輪につけられた小さな錠前に差し入れると、鍵を回すまでもなくポロッと崩れるように首輪が外れて落ちた。

「これで貴方を縛るものはなくなりました。銀狐神仙」

「……だからって、お前の言うこと聞く義理もないよな」

 首輪の外れた銀狐は心なしか肌つやが戻ったように見える。

 どんなものでも呪いは呪いだ。それがなくなって本来の銀狐自身を取り戻したのかもしれない。

 神仙とまで呼ばれ、五行の属性を操り、人からも獣人からも恐れられる方術士。

「癪な話しだが、戦になればの傍ほど安全な場所もない。あれは番と決めた青蓮を必死に守るだろう」

「渾沌様はお力は強い。多分、貴方も敵いますまい。ですが……謀略には長けておられない」

 ただ壊し、ただ滅ぼすためだけに存在する渾沌は圧倒的な強さを持っているが、それと同時に人の企みや謀略のようなものを巡らせるのは不得意だった。

 強いが故に悩まずともすんでいる弊害のようなものだ。

「鋼の爪も、龍の体躯も持たない人間の唯一の武器だ」

「……それは否定しません。人間は獣人を制する術を知っている。渾沌様も手加減なされば人に滅ぼされかねない」

「だから青蓮を連れて逃げろと? 意味が分からんのだが」

「これ以上、青蓮様を苦しめるのは私たちの本意ではございません。先日は助かりましたが、次からは率先して渾沌様の弱点となりうる青蓮様を狙うでしょう」

「…………」

「そして、青蓮様を失われた時、渾沌様はこの世界を滅ぼしかねない存在なのです」

 青蓮は見事、渾沌の枷となった。

 渾沌は枷を得ても力を持ち続け、目覚めた時とは比べようもないほどに強くなっている。

 そんな状態で枷を失ったらどうなるか。

「俺が青蓮を連れて逃げたら、奴は追ってくるんじゃないのか?」

「ご自分で青蓮様を遠ざける事はできませんが、そうでなければ渾沌様もご理解いただけると思います」

「奴はそこまで理性的か?」

「――今は、まだ」

 この先では分からないけれども。

 暗にそう含めて銀兎は目を伏せた。

「では、理性的なうちに行動に出るか……」

 そう言って銀狐は大きく溜息をつく。

「ありがとうございます」

「言っておくがな。俺は青蓮を何よりも優先する。それは変えられない」

 もし、枷を失い、暴走した渾沌が青蓮に害をなすような存在になったら。

 銀狐は今度こそ全力で渾沌と戦うことになるだろう。

「……青蓮に恨まれる事になってもな」

「銀狐殿にはご苦労をおかけします」

 そう言って銀兎は深々と頭を下げたが、銀狐はそれを鼻で笑って流す。

「さて、嫌がる青蓮を説得するのは面倒だ。部屋から連れ出させてもらうぞ」

「では警備の兵に言い含めて……」

「俺を舐めているのか? お前らの警備など無きも同然。だからここから連れ出すんだ。青蓮を安全なところで匿うためにな」

 銀狐は結い上げた赤銅色の髪を揺らして霊廟を出て行く。

 その後姿はまるで見事な赤銅色の尾を持った赤狐のようであった。


 銀兎はその立ち去る背中をじっと見つめていた。何も聞かずに出て行った銀狐は、きっと銀兎の胸のうちなど見通しているのだろう。

 銀狐と言う人間は、思ったよりもずっと情と義理に厚く、獣人の国に留まる事になっても他の獣人たちと隔てなく接していた。

(彼ならば……)

 あの美しい赤狐ならば、渾沌の番を守りきるだろう。

 方術だけではなく謀略にも長け、戦を駆け抜けた神仙。

(獅子身中の虫を祓うまで、どうか……)

 祈るような気持ちで、銀兎は銀狐が出て行って再び閉じた扉にむけて頭を深く垂れたのだった。


 ◆ ◇ ◆


 銀狐は誰に見つかることなく、青蓮を白夜皇国の宮城から連れ去った。

 報告を受けた渾沌は銀狐が危惧していたような暴走を起こすことなく、静かに一言「そうか」とだけ言って追っ手をかける事もしなかった。


 そして、青蓮がいなくなってから3日目の夜。

 白夜皇国国境付近で緑楼国の兵と武力衝突があり、これを機に白夜皇国は新たな戦乱へと突入したのであった。

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