神と呼ばれる禍

第14話 四凶の渾沌。

 この世界には八柱の神が御座おはす。

 世界の四隅を支え天と地を繋ぐとされている。

 天の神と地の神。四神は天に在り、四神は地に在る。

 地に在る神は、地に生きるものたちと共に在る神だとされた。


 この世界には沢山の命が存在する。

 その中でも人間は突出した繁栄を果たし、他の命の上に立つものとなった。

 人間たちは驕り、我らこそが神に等しき存在であると、他の命を脅かしもした。

 世界にある八柱の神々は、このままでは世界は均衡を失い滅んでしまうと考えて、人の世界に最も近い場所にある地の四神が人に混じり均衡を保つ事を決めた。

 そして、地の四神のうちの二柱、窮奇クォンクィ渾沌フゥブンが人に混じり、獣人を率いて、世に戦乱を巻き起こした。


 人間は勢力を欠く事となり、世界の釣り合いは再び保たれた。


 ◆ ◇ ◆


 渾沌は獣人としてこの世界に現れたが、その本性は獣人ではない。

 人間たちから獣人を解放して、その勢力を作ることで世界の均衡を保つと言う目的で神界から現界へと顕現した。

 その顕現で渾沌は盲目であるが故に世界のすべてを見渡せる4対の目を持つ巨大な黒い四足の姿を得た。

 共に顕現した窮奇は人の姿も得ていたが、渾沌はその必要を感じず、窮奇と共に獣の姿のままで人間を思うがままに喰らい続けた。

 故に神でありながら、人間たちから禍と呼ばれ、地の四神ではなく四凶と呼ばれている。

 二柱の神は獣人のための国を起こし、人と対する勢力を作り上げることでこの世界の釣り合い果たし、目的を達した後は長く眠りにつくこととなった。

 しかし、世界は再び人間が勢力を増そうとしている。

 そこで今度は渾沌が一人目覚め、人の姿も得て、獣人たちを率いる国の長として地に現れたのだった。


「枷など要らん」

 渾沌は今世での従者である銀兎ユィンツーにそう言って、本殿の奥に作られた廟にすえられた自分の棺の上でごろりと身を横たえた。

「そんな面倒なものにかかわる暇があったら、寝ているかひと暴れするほうがましだ」

「いいえ、渾沌様にはぜひつがいとなられる人間をお傍に置いていただきませんと」

 銀兎は異形の渾沌を前にしても怯むことはない。

 銀兎の家は先の窮奇初代皇帝の代から宮廷に仕え、皇帝の姿を語り継がれ、いつかのために備えている家系だった。

 故に天帝の命で今世に目覚め、目が覚めるなり戦に借り出された時も、このオオトカゲの獣人の銀兎がすぐに渾沌の傍に侍り、もう一人オオワシの獣人である桔紅チュウフォンの二人とともに戦場を駆け巡った。

 その時に人の姿であることを強いられ、仕方なく黒髪に褐色の肌の男の姿を得た。

 しかし、渾沌の本来の姿は獣を基盤とした神性であり、人の姿でいるより四足の獣の姿でいるほうが過ごし易いのだ。

 少し毛足の長い黒い四足の姿は犬や狼のように雄々しく、ネコや狐の優美さも備えている。頭から喉に向けて並ぶ4対の目はギロリと銀兎を睨むが、その目は盲目で見えない。

「睨んでも駄目ですよ。この世界にいる以上、番は必ず必要です。何の枷もなく渾沌様が暴れまわったら、一夜でこの世界が滅びます。そんなことになったら天帝陛下に討ち取られるのは人間じゃなくて渾沌様の方ですよ」

 この従者は渾沌が人ではなく神性である事を知りながら、全く恐れることなく渾沌についてくる稀有な存在だった。

 それが重宝する事も多いのだが、大抵は口煩く小言ばかりなのが玉に瑕だ。

「面倒くさい」

「私が探してきますから、渾沌様は食い殺したりしないで大事に扱ってくださいね! よろしいですね!」

 銀兎は念を押すように言うと、官服の裾を翻して廟から出て行った。

「番など娶っても、瞬きする間のことだろうが……」

 棺の上でぐうっと伸びをすると、渾沌は獣の姿から人の姿へと変化する。

 獣としての姿も大きいが、人の姿も獣人の中でも目を惹くほどの美丈夫だ。

 棺にかけられていた布を腰に巻き、棺の中に敷かれていた毛皮を上衣の変わりに引っ掛けると、そのままのそのそと銀兎の出て行った扉へと近づく。

 その扉の向こうには白夜皇国の宮城があり、本来、次期皇帝に選ばれた第一皇子である渾沌が住まう宮もそこにある。

 現界で人や獣人に混じると己との違いが良くわかる。

 渾沌は明らかにこの世界では異質なものだ。このような『個』の姿をとってはならないものだ。『禍』と呼ばれるのも当たり前だ。『個』が有する限界をはるかに超えた存在なのだから。

(そんな俺が『個』の真似をして番だと……)

 先の皇帝になった窮奇にも確かにそんな存在がいたように思う。

 この世界では渾沌たちは獣人たちの中に時折生まれる「アルファ」と呼ばれる突出した血脈の者と同じくして扱われるために、「アルファ」の対の存在である「オメガ」が番には相応しいとされていた。

 窮奇は白髪に白い肌のオメガの少女を連れていた。

 少女は窮奇に良く仕えていたように思う。しかし、人間である少女は窮奇の強い気に耐えられず、人間の通常の寿命すらも果たすことなく早死にした。

 そして、窮奇もまた少女を失ったことで『個』としての存在を保つことができず、その姿を失い、この廟の奥で深い眠りについている。

「俺にはそんなものは必要ない」

 渾沌は廟の扉を開けると、一足掛けに屋根の上にと登り、そのままの勢いで廟の隣に立てられている塔の上へと駆け上がった。

 塔の最上階の屋根の上からは、この白夜皇国を一望することができた。

 すでに日は落ち辺りは闇に包まれていたが、盲目であるが故に千里眼を有す渾沌には晴れた昼のように世界が見渡せる。

 眼下にはたくさんの命が犇めくようにして暮らしている。

 そして、そこから更に遠くにはもっと多くの命が犇めき合っている。

 この世界は命にあふれ、生と死を繰り返しながら釣合いを保ち続けている。

 その世界について、渾沌には思うところは何もない。

 渾沌はこの世界の釣り合いを正すために、この世界を破壊することしか興味がない。

(正しく、俺は『禍』だ)

 枷が必要だというのならば、傍に置く必要はなく、この宮城のどこかに閉じ込めておけばよい。


 禍に番など必要ないのだから。


 ◆ ◇ ◆


「……などと、お考えだった頃もあったわけですね」

 そわそわと落ち着かない渾沌を前に、銀兎は澄ました顔をしてはいるが、心の中では「それみたことか」と思っているに違いない。

 それくらい渾沌の考えは変わった。

 青蓮チンリェンという一人のオメガに出会って。

 青蓮は特別美しいわけでも、特別賢いわけでもない。顔は整っているほうだがやや地味で童顔、髪の色も目の色も黒、背は高すぎず低すぎずだが、獣人たちから見たら華奢な子供のようだ。

 最初、華風国から候補が決まったと知らされた時には面倒なことがやってくるとしか思ってはいなかった。

 しかし、白夜皇国へと花嫁を乗せた馬車が近づいて来るにつれ、そわそわと落ち着かなくなってきた。

 まだ距離はかなりあるはずなのに、甘い花のような香りがその方向から漂ってくるようだった。

 その香りは大層心地よく、いつまでもその香りを嗅いでいたいと思わせた。

 香りに釣られ、渾沌はその香りがする方へとふらふらと足を進める。マタタビに酔った猫のようだと我ながら思うが、そのくらい抗えない誘惑だった。

 途中、花嫁の馬車の車列を襲おうとしていた盗賊どもを蹴散らし、あたりを根城にしていた山賊たちも片付け、花嫁の乗る馬車にたどり着いたときには喜びのあまりに雨雲まで呼んでしまった。

 渾沌が呼んだ雨雲から降り注ぐ雨は虹と彩雲を呼び、瑞兆を国内外に広く知らしめた。

 ただ、肝心の花嫁は驚きに震え上がって馬車の中で縮こまっていたのだけれど。

「もう少し、お優しく接して差し上げてください。今のままでは蛮族に浚われた姫君と変わりませんよ?」

 先ほども青蓮がオメガ特有の発情期を抑えるための薬湯を飲んでいるのを止めさせようとしてしくじった。

 発情期を止める薬には濃度は薄いものの人が摂取し続ければ毒が溜まり早死にしかねない成分が含まれていた。

 確かに発情期はかなり抑えられるだろうが、青蓮が早死にしてまで抑え込むものではない。

 第一、渾沌の番なのだから孕ませれば発情に苦しむこともなかろうと思い、そう告げた途端に頬を張られたのだ。

「渾沌様はもう少し人の機微をお学び頂きませんと」

 そう言うと銀兎は渾沌の部屋を辞してしまった。

 ここから先は自分で考えろということなのだろう。それが人の機微を学ぶことだと。

「人の……機微……」

 渾沌にとって人間は獣人より脆く儚い存在だ。

 そんな生き物の機微などとは、どれだけ細かで儚いものか。

 現に渾沌には何故青蓮が怒ったのか良くわかっていない。

 だが、このまま青蓮に不機嫌なままでいられるのは嫌だ。

 いつもは心地よく香る青蓮の甘い香りが、少し少なくなってしまっているように感じるのだ。

「機嫌をとるのか……」

 人間の機嫌がどうやって直るのかも正直わからない。

 現界に顕現してからはかなり獣人や獣のさがに左右されることもある。これは天界では感じなかったものだ。

「…………腹が減ったら機嫌が悪くなる?」

 満たされた状態で不機嫌なものは少ない。

 青蓮は素直そうな人間だと思われたので、もしかしたら腹が満ちれば機嫌も直るかもしれない。

「…………」

 ふと、食事のときに青蓮が嬉しそうに杏を食べていたのを思い出した。

 肉食である渾沌には果物の旨みというのはあまり理解できないが、故郷でも良く食べていたのだという青蓮は果物が大好きだ。

「杏か……」

 渾沌は獣の姿に変じて、窓からのそりと外へ出る。

 そして、くんくんと鼻を鳴らすと、杏の甘い香りを探した。

 摘みたての熟れた杏を青蓮は喜んでくれるだろうか?

 杏の匂いを捕らえると、渾沌は夜の闇の中へと一気に駆け行ったのだった。


 渾沌が顕現して以来、誰か一人のために、何かをしようと思ったのはこれが初めてのことだった。

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