第12話 穢れた術を祓うは……
「来ちゃダメですっ! 来ないで!」
声が聞こえた途端、青蓮は力の限り叫んだ。
床に這った状態では大して声も出なかったが、それでも青蓮は叫ぶ。
「渾沌様! 逃げて! 来ちゃダメで……グッ」
不意に上から強い力がかかった。
いつの間にか部屋の中にいたロッタが青蓮の胸を上から踏みつけている。
「……だ、メ……」
「お前は囮なのだから、もっと大きな声を出すんだ」
ぎりっと踏みつけられる力が強くなる。
「余計なことは言わずに悲鳴でも上げていろ」
「ひっ! ぎ、あぁ……」
目の前がチカチカと瞬くほど肩に激痛が走る。
ロッタが手にしていた細身の刀を青蓮の肩に突き立てたのだ。
「あああっ……ああっ!」
『青蓮!』
その声と同時に部屋の中が暗くなった。
「バケモノめ!」
ロッタはそう叫ぶと青蓮の肩に突き刺していた刀を引き抜いた。
それと同時に青蓮は部屋の隅へと蹴り飛ばされる。
「ぐっ……」
思い切り壁に身体を打ちつけ思わずあげた青蓮の苦鳴に被さるように、部屋いっぱいに音が轟く。
それはもう声ですらない。
大きく割れんばかりの音が部屋中にあるものをビリビリと揺らす。
「渾沌……さ……ま」
虫のように床に這ったまま、顔を上げようにも痛みに身体が動かせない。
青蓮は床に頬を押し当てたまま、渾沌の名を呼んだ。
「フゥ、ブンさ、ま……」
『チンリェン』
その頬を何かがなぞる様に触れる。
『青蓮、辛い思いをさせたな』
「渾沌様……」
大きな獣の舌が頬を流れる涙を拭い取るようにぺろぺろと舐める。
手を伸ばして触れたいがそれも出来ない。
それに気がついたのか、渾沌が青蓮の背の方へと顔を向ける。
そして、手を縛る縄を解こうと口を開いたとき、その口の中からいきなり鋭い刃が突き抜けた。
「渾沌様っ!!?」
渾沌の背後から声が聞こえる。
「私がいるのを忘れないで欲しいね。このバケモノ」
渾沌の頭を貫くようにロッタは手にしていた刀を突き刺したのだ。
口の中から生えた切っ先からぽたぽたと黒い血が落ちる。
『このぐらいで、俺が死ぬと思うか』
渾沌は頭を刀で貫かれたまま、ぐいっとその刀ごとロッタの身体を引き倒そうとするが、ロッタはすっと刀から手を離し、後へと軽々と飛び退った。
「死にはしなくともお前の血が手に入ればいいのさ」
ロッタは刀を突き刺したときに浴びた血をうっとりと眺めると、手についた渾沌の血を舌を伸ばして舐め取る。
黒い血に口元を汚したロッタがにやりと笑う。
獣人の肉を食らってその血を自分の中に溜め込み、その血を呪詛として獣人たちを縛り付ける。
渾沌の血がロッタの中に。
「我が命に従え、獣人の王よ」
ロッタの声が高らかに告げる。
「地に伏して、服従せよ」
ぐるる……と低く震える音がするが、渾沌はゆっくりと青蓮の隣にその身を伏せた。
身を伏せて大人しくなった渾沌を踏みつけると、ロッタはゆっくりと甚振るように刀を引き抜いた。
渾沌の口からごぷっと音を立てて更に血が溢れる。
「この部屋はお前を出迎えるために誂えた部屋だ。四方の壁も床も天井も獣人の血で染まっている。お前は入る事は出来ても、出る事は出来ない」
ロッタは舞姫のときと同じ美しい笑顔で微笑んだ。
「お前は私に使役されて自分の国を滅ぼす凶神となるんだよ」
その言葉に渾沌は再びぐるる……と唸る。
「夜楼国の怨敵を倒す時が来たのさ」
高らかに笑い声を上げロッタは部屋から出て行く。
その行動に躊躇いはなく、自分の術に余程の自信があるのだろう。
確かにロッタの術は完璧なのかもしれない。
渾沌が命じられるままに伏せたまま、その背を見送るしか出来ないのだから。
◆ ◇ ◆
「ぐ……くぅ……」
ロッタの気配が完全に遠ざかると、伏せたままでいた渾沌が僅かに身じろぎした。
「渾沌様っ! 大丈夫ですか!? 渾沌……さま? え?」
「いてててて、思いっきりやりやがって……」
青蓮の目の前で、渾沌の黒い影のような身体が見る見る縮まり人の形になる。
人の形に戻れるのは知っていたが、そこで戻ったのは予想外の姿だった。
「銀狐兄さん!?」
「おう。遅くなってごめんな。すぐに解いてやるからな」
銀狐は懐から短刀を取り出すと、青蓮を戒める縄を全て切り解いた。
縄は切れた端からシュワシュワと音を立てて灰クズのように崩れ落ちた。
「薄汚い術を使う……」
銀狐は青蓮の手足を戒めていた術からそれがどんな術であるのか察したらしい。
「お前を縛っていた縄には獣人の血が染みこませてあった。この部屋の壁や天井もそこら中が血塗れだ」
「獣人を従属させるための術だって……血肉を食らって使役するって言っていた……」
青蓮は銀狐に助けられ身体を起こすと、ロッタに聞かされたことを全て銀狐に話した。
銀狐は青蓮の肩の傷を手当しながら、黙って話を聞いていたが、話し終わると眉間に思いっきりシワを寄せて大きなため息を吐いた。
「相変わらず胸糞悪い連中だ。共食いまでして呪詛を使うなんて……」
「兄さんはこの術を知ってたの?」
「ああ、俺も人間だからな」
人間だから、獣人を奴隷として使役する術を知っている。
人間と獣人の間にはいまだに深い溝がある。
「夜楼国って言ってた……」
「白夜の連中が滅ぼした国だな」
「白夜の滅ぼした国……」
「戦争に良し悪しはないんだ。獣人たちが解放されたのは獣人たちにとっては良いことだが、人間から見たらどうなんだろうな。白夜皇国と交流のある国は多いが、全てが友好国とは言えない。むしろ、華風国くらいじゃないのか? 自国の民を嫁にまで出すような国は」
銀狐はなんてことはないようにそう言いながら、大きく伸びをすると首の後ろあたりを撫でるように触った。
「あ! 兄さん、頭! 頭大丈夫なの!?」
確か、首の後ろからざっくりと刀が突き抜けていたはず。
それを思い出して青蓮が慌てる。
「おう。問題ない。刺されたのは俺じゃなくてこいつだからな」
そう言って項のあたりに貼り付けられていた符を剥がしてみせる。
符の真ん中は切り裂かれ、黒く焦げたように色が変わっていた。
「今頃、あの女は俺の毒を食らって力尽きてるだろうよ」
「え?」
「俺の化けっぷりもなかなかだろう?」
あの黒い血は銀狐の仕込んだ毒だったらしい。
銀狐は渾沌がいつも身に着けている毛皮を羽織っている。その上から変化の術をかけて姿を渾沌に見せかけていたらしい。
「獣の術を使う連中は目よりも嗅覚が先なんだ。これだけ渾沌の匂いがぷんぷんとしていれば、俺の匂いにも俺の毒の匂いにも気がつくまいよ」
獣人は単なる奴隷として下働きをしていたわけじゃない。
戦に出れば前線にいるのは必ず剛健な獣人たちだった。それと戦い続けてきた銀狐だからこそ彼らの弱点も知っている。
「獣人を操る術があるように獣人を殺す毒もある。人間と獣人は主従であっただけじゃない。ずっと戦い続けてきたものでもあるんだ」
「……うん」
それはよくわかる。
白夜皇国に行ってから人間の姿は殆ど見ていない。
本殿に出入りしている人間は青蓮と銀狐くらいのものだ。
本殿にいる獣人たちは青蓮たちを差別したり忌み嫌ったりはしない。
しかし町に出れば話はまた別だろう。
国に入った時に歓迎はされたけれど、あれは渾沌も一緒だったからだ。
銀兎は青蓮が城下町に出ることを良いと思っていない。
婚儀を終えてからにしましょうというのは、正式に位の定まっていない人間を外に出すのは危険だと思っているからだ。
本来ならば村長の一家が娘を庇って逃げ出すのも仕方がないくらい難しいことなのだ。
「お前はそんな敵陣にも等しい場所に嫁ぐんだぞ?」
「そうだね。でも、俺はそれは覚悟してきたんだよ。渾沌様に会って、ちょっとびびったりもしたけど、あの人の側に居られるなら多少危険でも頑張れるかなって思い始めてるんだ」
「……こんな風に誘拐されてもか? この事態を渾沌がわかっていて招いたとしてもか?」
「やっぱりそうなんだ。あの宮にあんな簡単にロッタが侵入したのはおかしいなって思ってたんだ」
これは渾沌の描いたた企みのうちなのだ。
考えてみればあの渾沌があんなに簡単に誘拐をさせるわけもない。
「渾沌様には何か考えあってのことなんだろ? 銀兎さんも兄さんもそれを承諾してたんだろうし……事前に一言くらいあってもいいじゃんとは思うけど、それを嫌だとは思わないよ」
「青蓮……」
銀狐は青蓮の髪をくしゃくしゃと掻き混ぜるように頭を撫でた。
「くそっ、こんな良くできた弟をあんな野郎に嫁がせるのは本当に腹が立つ!」
「兄さん……」
「でも、お前ならあの野郎を抑える事が出来るのかもしれないな」
ぎゅっと銀狐に抱き寄せられる。
こうやって抱きしめられるのは何度目だろう。
ずっとこうして守られてきて、今度は渾沌に守られるのか……。
でもそれでは渾沌の側に居られない。
「俺もね、渾沌様を守りたいんだ」
今は素直にそう思う事ができる。
それは流されるようにしてここまできてしまった青蓮の自分で歩む第一歩でもあった。
「さて、渾沌が来る前にここを脱出するか」
「そうだね」
銀狐の手を借りて青蓮も立ち上がる。
刀を突き立てられた傷はもう殆ど痛みもない。銀狐曰く蘇生の術だと言われたが、改めて兄もまた規格外に近い存在なのだと思い知る。
「もう少し得るものがあればよかったんだが……」
天月一座を疑わしく思っていた渾沌たちはどんなに調べても尻尾を出さない連中に罠を仕掛けることにした。
謁見を許し、宮城に招き入れることで動きを見せるだろうと読んでいた渾沌は、青蓮を囮として攫わせ、それを追って根城を叩こうと思っていた。
しかし、銀狐は渾沌が獣人である事を危惧した。
天月一座の連中がこの国の中枢を狙うとしたら、当然獣人に対する策は重ねてきているはず。そこに力任せに飛び込むのは役得ではないと、獣人を操る術に関して知識のあった銀狐は、誘拐された青蓮をすぐに追おうとした渾沌を引きとめ身代わりを買って出たのだ。
「ここにはあの女以外いないようだしなぁ」
「でも、帰る前に、ロッタを……確認しないと」
死んでいるのをと言葉に出来ないあたり青蓮はまだ甘いが、それでも、ロッタが渾沌に仇為す存在である事は間違いないので、銀狐の毒で死んで居ることを祈らずには居られない。
「そうだな。気配がないのは死んでいるからならいいが」
「……ちょっと、話がうますぎる気がするんだよね……」
嫌な予感は拭えていない。
渾沌は姿隠しの呪具を纏ってまで天月一座からその姿を隠し、銀狐は念には念を入れて渾沌を装いここまでやってきた。
途中までは本物の渾沌が追ってきていたのも信憑性が出ていたと思うが……。
「青蓮、お前はここに居ろ。この部屋は良くも悪くも獣人には何も出来ない。渾沌にも何もできないが、あのロッタとか言う獣人もどきにも従えるための術を発動させる以外なにも出来ないだろう」
「そうなの?」
「ああ、だからあいつは俺を従えた後に早々に部屋を出て行ったんだ」
「でも、俺がここに居たら渾沌様が来ちゃうんじゃない?」
銀狐の話では渾沌はここへ来る途中で留まっているはずだ。
何の連絡もなく時間が過ぎれば、ここへ来てしまう可能性が高い。
「その時はお前が『うざいから来るな!』とでも叫べば一瞬で固まって動かなくなるだろう」
「そんな酷いこと言わないよ」
ケラケラと笑う銀狐を睨んだ後、青蓮は銀狐が入ってきたという窓の方を見た。
あたり一面赤黒く塗られた中で、そこだけが小さく腐食したように穴が開いている。
「あの穴があれば声は届く」
「わかった。でも、兄さんも無茶しないで確認したらすぐに逃げよう」
「そうだな。ここは穢れが強すぎる」
銀狐は青蓮の髪をもう一度掻き混ぜると、羽織っていた毛皮を深く被りなおし扉を押し開け、部屋を出て行った。
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