第10話 天月一座の薔薇の棘。
午後になって、渾沌と青蓮は
白璃宮の謁見の間に現れたのは座長だという男と一座の歌姫と舞姫の三名だった。
座長のシェムハはまだ若く屈強な男で、周囲にいる獣人たちと引けを取らない体躯の持ち主だった。
「気に入らん……」
極々小さな声でそう呟いたのは、青蓮の横に控えている銀狐だった。多分、すぐ隣にいる青蓮くらいにしか聞こえないような声だ。
その声を拾って、青蓮がちらっと銀狐のほうを見ると、彼は仮面のような笑顔のままで一座のほうをじっと見ている。
更に渾沌は今日は何故か黒いベールのような布を被っており、その顔を見えないようにしていたが、不機嫌な様子を隠しもせず硬い爪の指先で玉座の肘掛をトントンと叩いていた。
野生児二人組みはこの一座が気に入らない様子だ。
青蓮にはどうしてこの二人がそんなにもこの人たちを警戒するのかが分からない。
確かにシェムハは旅芸人の座長と言うよりはどこかの傭兵のように見えるが、その後に立つ二人は見惚れるほどに美しかった。
赤い衣装を身に着けているのが歌姫のレンザ、青い衣装を身に着けているのが舞姫のロッタ。二人は双子なのだそうで、まるで鏡に映したかのように良く似ている。
金色の髪、白い肌、青い瞳、紅を注した唇は薔薇の花弁のように艶やかだ。
そんな完璧なつくりの二人が、美しく着飾り、艶やかに微笑んでいるのは観ているだけでうっとりとしてしまう。
「本日は、我が一座の看板を連れてまいりました。どうぞ、ここで一曲披露することをお許し下さい」
座長のシェムハが恭しく頭を垂れて願い出る。
渾沌はその言葉に自分では答えず、すぐに隣に控えている桔紅に何事かささやいた。
そして、渾沌に代わり桔紅がシェムハの願いに答える。
「許す。と申されております」
「これは有り難き誉れ。レンザ、ロッタ、渾沌殿下と青蓮様の為に最高の一曲を捧げなさい」
シェムハは芝居がかった仕草で大仰に感謝してみせると、二人の美姫に声をかけた。
「はい、シェムハ様」
二人は鈴が鳴るような軽やかな声で同時に答えると、レンザは琵琶を取り出し、ロッタは結い上げていた髪をするりと解いた。
そこに二人いるだけで彫像か絵物語の美しい挿絵でも見ているようだった。
◆ ◇ ◆
二人の演技は見事の一言で、一曲歌い終わった時には青蓮は感動で手を叩きながら思わず立ち上がってしまった。
「こんな素晴らしい歌と踊りをこんな間近で見れるなんて本当に嬉しいです。ありがとうございます」
青蓮の住んでいたような田舎には旅芸人たちが来たとしても、こんな有名な一座が来ることはない。娯楽の少ないこの世界で歌舞の舞台を見ることはとても贅沢なことなのだ。
「次代皇帝妃の青蓮様のお目に留めていただけましたのは行幸にございます」
にこにこと愛想の良い笑みでシェムハも返す。
これはもう少し話をした方が良いのかと、青蓮が言葉をかけようとすると、すっと銀狐が青蓮の手を取り椅子へと座るように促して言った。
「青蓮様はお疲れのご様子、お部屋にお戻りになられます」
「え?」
その銀狐の台詞にあわせて、渾沌も再び何事か桔紅に告げた。
「かしこまりました。――本日の歌舞は見事であったと渾沌殿下からもお褒めの言葉を賜りました。お前たちに今日の褒美として褒賞を与えるとのことです。この後、官吏がお前たちを案内しますので、このままここにて待つように」
「ありがとうございます」
一座の三人がそろって頭を垂れて礼を述べる。
「それでは、本日の謁見はここまで。渾沌殿下と青蓮様がお下がりになられます」
桔紅が言うや否や渾沌は立ち上がり、青蓮も銀狐に手を取られて立ち上がる。そして高台から降りるといつの間にか逆の側に銀兎が控えた。
銀狐と銀兎の二人に挟まれるようにして、青蓮は一座の前を通り抜ける。
(どうして……?)
二人は酷く緊張している。
今ここで誰かが一言でも声を発したら、いきなり斬り付けられても不思議ではないほどに。
(この人たちに何が……)
青蓮は前を通り過ぎる時に三人の方に目をやると、ロッタだけが少し顔を上げてこちらを見ているところに目が合ってしまった。
(え……)
身分の高い者たちが自分の前を通り過ぎるときは、許しのないとき以外は必ず地面に伏してこちらを見ないようにして控えるのがこの国の慣わしだ。
天月一座は他国の旅芸人だが、宮城やそれに順ずる場所に呼ばれた時は基本的にその国の仕来りや慣わしに従うものだ。
ロッタの行いは不敬として咎められても不思議ではない行いだった。
しかし、青蓮と目の合ったロッタはニッコリと魅惑的に微笑み、青蓮たちの通り過ぎるのを見送ったのだ。
「気に入らない」
部屋に戻るなり言い放ったのは銀狐だ。
「あの座長の目! あれは腹に一物在る者の目だ」
「こればかりは私も銀狐に同意します。青蓮様、宴の催しは別の一座を探しましょう」
銀兎も同じことを言う。
渾沌と桔紅は次の公務の為に宮には戻らず出かけていったが、あの様子では天月一座を呼ぶことは賛成しないだろう。
流石にここまで来ると青蓮もどうしてもとは言えない。
歌も踊りも素晴らしかったが、ここは宮城で、迂闊なことをしてはならないのは重々承知だ。
青蓮も納得し、銀兎と銀狐は新しい芸人一座を探し始めようとした矢先に、渾沌から知らせが来た。
『婚儀の宴には天月一座に歌舞を披露させる』
これには銀兎と銀狐がそろって眉を潜めた。
知らせを持ってきた桔紅からは渾沌様のお考えあってのことだからと言うが、納得が行かないのか二人は桔紅を伴って渾沌様の下へ事情を伺いに行くことになった。
青蓮は部屋に残り、夕食までの間、読書をすることにした。
婚儀までに準備しなくてはならないのは婚儀の支度だけではない。白夜皇国という国の文化や仕来りを覚え、婚儀の後は白夜皇国の者として振舞えるようにならなくてはならないのだ。
それに加えて、庶民の出である青蓮には皇帝妃としての職務も覚えなければならない。
渾沌も銀兎も、それを強要する訳ではないが、出来ないで居て良い事ではないくらい青蓮にも分かる。
青蓮は暇を見つけては、本や書類に目を通し出来ることを少しずつ増やしている真っ最中だった。
窓辺の長椅子に腰掛け、硝子越しに差し込む日の光の中でページをめくっていると、外で何か動くのが目の端に過ぎった。
「えっ!?」
前の仮住まいの宮とは違い一階に部屋があるので、外を警備の兵が歩いているのかと思ったが、窓の外に目をやって青蓮は驚きの声をあげた。
「あなたは……」
慌てて立ち上がり、窓を押し開いた。
「青蓮様、突然のご訪問、お許し下さい。天月一座のロッタでございます」
そこには先ほど謁見の間で見事な舞を披露したロッタが立っていた。
「どうして、ここに……」
踊り子の時の煌びやかな衣装から質素な平服に着替えているが、輝くような金色の髪を結い上げた美姫を見間違えはしない。
「お散歩をしていたら道に迷ってしまって。硝子窓を覗いたら青蓮様がいらしたので、つい……」
ロッタは窓枠に手をかけている青蓮の手に自分の手を重ねるようにして触れてくる。
青蓮は慌てて手を引こうとしたが、それは許されず予想以上に強い力でギュッと手を握られ窓の外に引っ張られた。
「なにをっ……!?」
「少しお散歩いたしましょう? ねぇ、青蓮様」
ロッタは腕ばかりか青蓮の服の帯まで掴み、あっという間に窓から外に引きずり出され、あろうことかロッタの肩に担ぎ上げられてしまった。
「少しお静かにしてくださいませね」
ロッタは美しい顔を意地悪く歪めるように微笑むと、青蓮が声をあげる間もなくその口に札を貼り付けた。
(方術!?)
たった一枚の薄い紙を貼られただけなのに、青蓮の口はピクリとも動かず、唸り声すら上げられなくなってしまった。
◆ ◇ ◆
その後はもう青蓮にはどうする事もできなかった。
ロッタに担がれたまま、人を背負っているとは思えないような速さで庭園を突っ切って行く。
途中、警備の兵と行き合うことを期待したが、警備がいつも居る場所にはぐったりと警備兵たちが横たわっていた。
(方術が使えるなんて……)
青蓮自身は方術を使うことは出来ないが、兄の銀狐が方術を使えたのでそれがどんなものであるかはよく知っている。
呪符や呪具、または呪文などを用いて、この世界の理に反する行いを可能とする術だ。
銀狐は青銅の像を瞬時に作り出し、その像を敵と戦わせる事が出来る。それは普通では考えられないことだ。青銅の像を瞬時に作り出す事も、動かないはずの金属の像を戦わせる事も。
特異な術であるだけに、方術を使える方術士の数は少ない。
大抵はどこかの国の軍属となり、その術を国に捧げる。
銀狐も元は華風国の軍属で、青蓮の婚儀に際して特例として白夜皇国へ来ることを許された。裏でどんな取引があったかは分からないが、それは特例中の特例で、本来なら友好国の皇族に自国から嫁ぐという場合であっても許されるようなことではない。
方術士は軍のトップシークレットにあたる存在だからだ。
そして、獣人より人間のほうが術を使える事に長けている。
獣人に方術士が皆無と言うわけではないが、人に更に獣と言う属性を足されている存在の獣人には、その上に更に属性を持つというのが難しいからではないかと言われている。
だから、獣人で方術が使えるのは、銀狐のように複数の属性を操れる仙人級の術しだという事になる。
(警備兵に方術士は居なかった。銀狐兄さんが簡単にこの国に入り込めたのも方術に長けていたからだ……)
それは、獣人の国の弱点を突いたと言っても過言ではないだろう。
ロッタも同じように方術が使えるのだから、包囲を突破してくることは不可能ではなかったのだろう。
(このままじゃ拙い……)
誘拐されているのは間違いない。
素敵なお花見散歩のお誘いとかそんなものでは絶対ないだろう。
そして、青蓮に方術に抗う術はない。
(このまま誘拐されてしまったら……)
青蓮には考えるのも恐ろしい展開しか思い浮かばなかった。
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