第6話 ツンデレの犬、ブラコンの狐。
「今日からここがお前の部屋だ」
渾沌はそう言いながら、青蓮を抱いたまま部屋の中に足を踏み入れる。
そこは異国情緒溢れる美しい部屋だった。
「俺の……部屋?」
用意されていた婚儀までの仮住まいの宮は、青蓮の故郷である華風国の文化を取り入れた調度品が揃えられていたが、この部屋の中はまるで違った。
部屋の外の建物の様子などと比べても違うので白夜皇国風と言うわけでもないようだ。
「凄い綺麗ですね……」
青蓮は部屋の中央に置かれた寝台の上にそうっと静かに下ろされた。
寝台には黒く染めた布に鮮やかな花の刺繍が全面に施されており、まるで花畑の上に座っているような錯覚を覚える。天蓋からも白い薄絹がたっぷりと流れるように下げられているが、その薄絹にも小花の刺繍がされていて、日の光に好けると花吹雪が舞っているようだ。
薄絹の向こうに見えるタペストリーには、決して派手ではないけれど、丁寧に絵物語が刺繍で綴られている。
他にも家具や調度品はそれぞれ一つ一つが丁寧に作られ、揃いではないものの、そのアンバランスさがよい雰囲気を醸し出している。
この部屋をあつらえた人物のお気に入りばかりを集めたような宝物の部屋のようだ。
「気に入ったか?」
寝台に座った青蓮の両手を握ったまま、渾沌はどこか不安そうに青蓮を見つめている。
「お前のために集めた」
青蓮は目を瞠る。
「どうしたら、お前が俺の宮に来てくれるかを考えてたんだ……」
ぽつりぽつりと語る言葉を拾えば、青蓮が宮に来るのを断った日から、ずっと渾沌は青蓮が好きそうな調度品などを探し求めて、手に入れたものはこうして全部飾り付けていたのだと言う。
「俺の為に……ありがとうございます」
「……気に入ったか?」
「はい。凄く素敵です」
「そうか! ではずっとここにいてくれるか?」
「……渾沌様がお許しくださるのなら……」
「許す! お前はずっと俺の側にいるんだ」
渾沌がぎゅっと強く手を握ってくる。
その手がかすかに震えている事に気がついて、青蓮は胸がいっぱいになった。
怒らせた青蓮の機嫌をとるようにバルコニーに置かれた甘い杏の籠。
この部屋の中を取り巻く沢山の調度品。
それらのどれも派手で目を引くようなものではなく、一つ一つが青蓮を思ってそっと差し出されるような心のこもった品物ばかり。
青蓮はそこにこめられている心こそが嬉しかった。
今まで怯えて胸に影を落としていたものはもう何もない。
「幾久しく、宜しくお願いいたします。渾沌様」
青蓮は寝台の上ではあったが、きちんと座りなおすと渾沌に向けて頭を下げた。
しばらくすると、銀兎が仮住まいの宮から色々な荷物を携えて渾沌の宮へと移ってきた。
「これはまた随分と集められたものですね……」
沢山の調度品に飾られたこの部屋を銀兎も初めて見たらしい。
「新しい宮へ移られる時はこの調度品も全て持って行かれる様にいたしましょう」
聞けばここに揃えられている品々は、一見地味で大人しいデザインだが、全てのものが宝石をちりばめるよりも高価な細工を施されているのだという。
「どれも何百年もの時を経ても使い継がれるようなお品ばかりですから、渾沌様も末永く共に在るお方への贈り物として選んだのでしょう。こちらのタペストリーなど、白夜皇国と国交のない青波王国の伝統的な織物で……」
「え? 国交のない国の品物なんですか!?」
交易に特化している商人たちは、例え国同士につながりがなくとも渡る術を持って入るが、そう言う品は非常に高価なものばかりだ。
「ああ、こちらは渾沌様が直接探しに行かれたのだと思いますよ。あの方は民草に紛れてよく他所の国へ出入りされているので」
「自分で!?」
次期皇帝が自分で他国の市場に出向き買い物をしているというのか?
「ここしばらく、青蓮様の元へお渡りになる以外は、殆ど宮城を抜け出して飛んで回っていたようですから」
「……これからは俺がきちんとお側に参ります」
銀兎は苦笑混じりにそう言ったが、青蓮がこの国に着てから渾沌がまともに宮城で職務に付いた日は殆どないのだろう。
青蓮はほんの少しそれを心のどこかでくすぐったく思いながら銀兎にも頭を下げた。
なんだか、どんどん「渾沌の妃」になって行くなぁと思いながら。
◆ ◇ ◆
「青蓮!」
本殿の渾沌のための謁見の間に足を踏み入れるなり、軽い調子で名を呼ばれて青蓮は顔を引きつらせた。
「兄さん……」
正面の高台には渾沌がむすっと不機嫌そうな顔で座っていた。
服装は毛皮の上着に腰布と言う軽装だが、立派な誂えの椅子に座っていると中々の貫禄に見える。
そして、その前には腕に縄をかけられ、仙術を封じるといわれる呪符を貼られた銀狐が床に直接座らされていた。
「一緒に帰ろうな、青蓮」
銀狐はどうみても罪人の
「兄さん、いい加減にしてくれよ! 俺はこの国で骨をうずめるの! 華風国には帰らないの!」
青蓮は高台へ案内される途中で思わず足をとめ、空気を読まぬ銀狐に言い返した。
「何を言ってるんだ、青蓮? お前が望んできたわけではないだろう?」
「望んできたんじゃなくても、今はここがいいんだよ! 国に帰る気はないよ!」
これだけはハッキリしておかなくてはならない。
青蓮はやっと白夜皇国――渾沌の側に居ることを受け入れたのだ。
国に帰るつもりはないし、銀狐について行く気もない。
「渾沌様、俺は渾沌様のお側に居りますから!」
高台に座っている渾沌に向けてそう言うと、むすっとした表情は崩さないが椅子の後ろで黒い尾がばっさばっさと揺れる。
「青蓮、こっちへ」
高台に上がり、渾沌の隣の椅子に腰掛けようとすると、渾沌に手招きで呼ばれる。
何事かと一歩近付くと、まるで風にさらわれるようにふわりと身体が浮き、気がついたら渾沌の膝の上に座らされていた。
「こ、こん、渾沌様っ!?」
「お前はここで良い」
ツンとして入るものの、尾は嬉しげに揺れ、耳は完全に青蓮を意識している。
(獣人って……こんなに分かりやすいものなのか……)
「青蓮っ!? おい! 何やってんだ! 離せ!!」
銀狐が悲鳴のような声をあげて、左右に立つ兵士たちに立ち上がれぬようにぐっと押さえ込まれる。
叫ばれた青蓮はこれで渾沌の機嫌が損なわれたらどうするんだと青褪めるが、渾沌は銀狐の悲鳴を鼻で笑うと、ぎゅっと膝に座る青蓮を抱えなおした。
「我が妻を膝に抱いて何が悪い?」
「このスケベオヤジめっ! 離せ! 離れろっ!」
銀狐は自分が恩赦を受けようと乞う立場である事はまるで気にせずに罵詈雑言怒鳴り散らす。
「渾沌様、すみませんっ、兄は昔から俺のこととなると見境がなくなってしまって……ご迷惑は俺からもお詫びいたします。どうか寛大なご処置を賜りますようお願いいたします」
青蓮は渾沌の膝に座らされて、真っ赤になりながらも縋るようにして願った。
「もう二度とこの国の地を踏ませないように言い聞かせますので、どうか……」
本来ならば死罪どころかその場で殺されても不思議ではない狼藉を銀狐は働いたのだ。
青蓮の兄弟である事を理由に、渾沌は青蓮を許すと言ってくれたが、いつ気が変わって罪人と落とされるか分からない。
「青蓮よ、兄と離れるのが辛いか?」
「え?」
「お前が望むなら、あの兄をお前の側仕えにしても良いぞ」
にやりと笑う渾沌はどうみてもロクでもないことを考えているように見えたが、青蓮は兄の命が助かるならばと必死だった。
「の、望みます! お願いします!」
渾沌の毛皮の上着をつかむようにしてお願いする青蓮に、渾沌は一際機嫌よく尾を振ると後ろに控えていた桔紅に命じた。
「首輪を持て」
「御意」
桔紅は物陰に控えている兵士から赤い絹に包まれた何かを受け取ると、銀狐の前にしゃがみこんだ。
「渾沌殿下からの恩赦である。心して受けよ」
「はぁっ!? おい! 何すんだよっ!」
丁度、桔紅の背に隠れてしまって何をしているのか見えないが、桔紅に押さえ込まれた銀狐がバタバタともがいているように見える。
「何だよこれっ!?」
桔紅が作業を終えて立ち上がると、銀狐は自分の首を両手で絞めるような仕草をしたまま叫んだ。
「首輪っ!?」
「それは忠誠の首輪だ。その首輪をはめたものは俺に決して逆らうことはできない」
渾沌の言葉に銀狐が顔色を失う。
「クソっ、呪具か! こんなもの付けられてこのままでいるわけないだろうっ!」
銀狐が首輪を引きちぎろうとした瞬間、渾沌がゾクリとする低い冷たい声で命じた。
「首輪を外してはならぬ」
「!?」
銀狐の動きが止まる。
「俺に逆らい、死ぬことも許さぬ。首輪をつけ、俺と青蓮に従え。お前はこの宮城にて俺と青蓮を守るのだ」
簡潔な言葉での命だったが、それだけ突き刺さるように染み入る。
華風国を捨て、白夜皇国の民となり、渾沌と青蓮――延いてはこの白夜皇国の為に尽くせと命じたのだ。
「返事をせよ、銀狐。ここに忠誠の証をたてよ」
いつの間にか縄を解かれた銀狐がゆっくりと立ち上がり、渾沌の前まで歩み出ると膝をついて礼の姿勢をとる。
「銀狐神仙、今この刻より、御方の御世続く限り忠誠を誓います」
脂汗をかきながら銀狐はそう告げた。
「神仙よ、その言霊しかと受けた。言霊の縛りある限り我が側にある事を許す」
渾沌の言葉に銀狐はぎゅっと目を閉じた。
口約束と侮るなかれ、仙術を使う銀狐にとって、この宣誓は決して破れない戒めとなる。破ることはできない。死んで逃れることもできない。渾沌の言葉のままこの国に身を捧げさせられたのだ。
「兄さん……」
青蓮の声に銀狐はびくっと身体をすくめ顔を上げる。
その瞳には多様な感情が見て取れたが、それを慰めることは青蓮には出来ない。
強引な手段とは言え、こんな寛大な処置はない。
死罪にも値することをやらかしておいて、宮城に、青蓮の側に付く事を許してもらえたのだ。
青蓮は渾沌の膝からゆっくりと下りると目の前に立つ銀狐の元へと歩み寄った。
側に来て見ると、その首には黒い革と銀の金具で出来た首輪がはめられている。
「青蓮……」
「……良かった……」
めちゃくちゃな兄だが、青蓮にとっては大切な家族だ。
こうして離れて嫁いできても、それは何も変わらない。
そんな兄が死罪になるところなど見たくはない。
「これに懲りて、渾沌様に感謝して、しっかりしてくれよな。馬車馬のように働いて! 国に尽くして!」
「あ」
青蓮の言葉に銀狐が再び固まる。
「え?」
「ははははははっ! いたずら狐が次は馬か! 我が妻は面白いことを命じる」
愉快そうに大声で笑う渾沌の言葉に青蓮は己の失態を悟る。
渾沌と青蓮に従え。
渾沌はそう命じていた。
「え、これって……」
「……流石に、馬車を引くのは無理だぞ……」
銀狐はそう呟くと、首輪を付けられたときよりもがっくりと肩を落としたのだった。
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