第3話
昔から、人と違うことをすることが好きだった。私だけの世界で生きることが好きだった。みんながおままごとをしている中、一人で泥団子を作った。みんなが流行り物のアニメで盛り上がっている中、一人で時代劇を見ていた。そんな人と違うことを思うがままできたのは両親がいたから。それなのに、ある日両親が事故で死んだ。その時から私の世界はガラリと変わってしまった。祖父祖母と暮らすようになった。学校も変わった。転校先で今まで通り、人と違うことをしていた。外でみんなが遊ぶ中、一人でひたすら小説を読んでいた。クラスメイトたちも、私をすっかり腫れ物扱い。あらぬ噂をされ、仲間はずれにされた。すると、見かねた担任の先生がみんなと同じように外で遊びなさい、と言った。それがムカついたから、全校集会のとき、こっそり抜け出して、一人でかくれんぼをしてみた。そうしたら、居場所が見つかったあと、祖父と祖母が呼ばれた。みんなと違うことをしたがるんです、と先生が言う。そうすると祖母は、両親がいなくなって誰かの気を引きたかったのかもしれません、といった。私は、そんなわけ無い! と叫んだ。そう言うと祖母はどうして私達を困らせるの、と声を震わせた。どうして普通でいてくれないの、とついには泣き出した。そのときからだ。私の体から何かがストン、と抜け落ちた。真っ白で純粋だった心が消えた。担任の先生から毎日毎日、みんなと同じことができる子がいい子なのよ、と言われた。私は普通でいよう、普通で、とすべてを諦めて愛想笑いの仮面をつけ、みんなに近づいた。すると、どうだろうか、祖母も先生も友達も、みんな手のひらを返したように、いいこね、偉い、なんて褒めだした。私はその言葉に向かって唾を吐きたくなったけれど、グッと堪えた。
そんな体験をしてからだろうか。私の世界ですっかり空はいつも灰色になった。いつも曇っていた。愛想笑いでできた友達はみんなへのへのもへじに見えた。カカシがたくさん。私はカカシコレクターにでもなった気分だった。だからか、自分の個性を活かして、自分の思い通りにいきている人を見ると、妬みと僻み、醜い感情がどろどろと溢れ出して、私の中を埋めていった。何かに打ち込むことも、誰かを想うことも、全て投げやりに諦めた。普通でいなくちゃ、普通でいよう、と言い聞かせ続けられた心は真っ平らでぺっちゃんこだ。
きっと私は彼女達を羨ましく思っているのだろう。情熱的に恋をすることも、何かに一途に打ち込むことも、真っ白なままでいられることも。私と似ている、と感じていたミドリがあんなふうに強く怒れることすら羨ましかった。
「……さっきは叩いちゃってごめんね」
ミドリの声だった。ぽん、ぽん、と背中を撫でられる。彼女はピッタリ私に体をくっつけて座ると、そのまま背中を撫でた。何も答えずに、顔を膝に埋めると、彼女の手は更に優しくなった。
「私ね、なーんにもないの」
彼女が途端に語りだす。その言葉に私は耳を傾けた。
「一人でいることが大好きで、周りの友達と一緒に行動するっていうのがどうにも苦手で。でもね、ある時気がついたの、それじゃあ生きづらい。どうやってもどこかで人とかかわらなきゃいけない。それだったら、どんな人でも当たり障りなく受け入れてもらえられるような、カメレオンみたいなやつになろって、決めたの。それからは早かった。私は背景になった。目立たずに、地味に生きていた。でもね、ある時気がついたの、私空っぽだって。私には何もないって。気づいたときにはもう手遅れで。私みたいなやつ、もう誰も見向きもしなかった。透明人間な私は何をやっても世界を変える力なんて持ってない。もっと楽しんでおけばよかった。ローズみたいに恋をしたり、カナリーみたいに何かに打ち込めばよかった。だから私逃げちゃった。こんな世界嫌だって。それで気がついたらここにいた」
彼女の言葉は淡々としていた。その言葉は私の中にストン、と入ってきて、親近感というものを感じた。
「ホントはね、ここから出ることはいつでもできるの。でも私は一生できない。外が怖い。普通でいなきゃいけないことが、周りに合わせなきゃいけないことが怖い。みんながクローンのようで吐き気がするの。だから、もう無理に取り繕うのはやめた。ここにいていいならここで何もせず、個性豊かなあの子達に振り回されるまま生きようって思ったの」
「少しだけわかります……その気持ち」
「駄目よ、わかっちゃ駄目。こんなふうに消えちゃ駄目。お願い、貴方はそのまま生きて」
「自分は閉じこもってるくせに?」
私がそういうと彼女は、一瞬嫌な顔をしたあと、ぷっ、と笑った。
「あはは、まったく、ほんとに面白いなぁ。貴方は間違いなくこの中で一番普通で一番変わってるわ」
「矛盾してる」
「矛盾しててもいいじゃない?」
思わず彼女と顔を合わせて笑ってしまった。頭がなんだか冷えた気がした。ミドリは優しくて暖かくて強い、そう感じた。
「頭が冷えたならローズに謝ってきなさい? 気にしてたからあの子」
「うん、そうする。ありがとう」
「どういたしまして」
私は先程の道筋に戻る。ふと、くるりと振り返ってミドリの方を向く。
「ミドリは地味って言われてたけどそんなことないよ!」
「え?」
「優しくて暖かくて春の太陽みたいだよ!」
そう言うとなんだか恥ずかしくなって、一目散に駆け出す。こんなこと言うの柄じゃないけれど、どうしてもそう言いたくなった。ミドリのなにそれ、と笑う声が聞こえた気がした。
しばらく走ると、ローズが一人でポツンと座っていて。そこに勢いよく近づき、思いっきりお腹のそこからごめんなさい、と叫んだ。
「うわっ!? 何よ、びっくりさせないで!」
「あ、えっとさっきのこと謝りたくて……」
「別に気にしてないわ」
明らかに目が泳ぐ、少し落ち込んでいたのは確実だろう。
「まぁでもありがとう、気にしてないけどね」
「ローズ、恋って必要?」
「必要よ!」
「恋をするのが普通の人?」
「いいえ、恋をするのは狂人だけよ」
何それ、と返すとふふふ、と大人っぽく笑う。さらりと、前髪をかき分けると、テーブルに肘をつく。
「熱くて火傷しそうなものがあったら貴方はどうする?」
「触らない」
「そうよね、でもそれをあえて触るのが恋よ」
なるほど、と少し納得してしまった。まだ私は恋をしたことないけれど、周りの友達が恋をするところを見ていたから、なんとなくわかる。
「でも恋はやけどするだけじゃない。心を温めてくれるの」
「……恋、してみたいかも」
「してもろくなことないわよ?」
「でもしたほうがいいんでしょ?」
「好きな相手ができたらしなさい。それまではお子ちゃまなソラはだぁめ」
ワシャワシャと私の頭を撫でる。そして、ぎゅ、と抱きしめる。
「恋をしても決して後悔しないような恋をしなさい。私はね、彼に言いたいことがあったの。でも言えずに死んでしまった。だから、伝えたいこと、周りの人にいっつも言い続けるのよ。気づいたら、もう手遅れなんてことにならないようにね」
うん、とうなずくと素直になったわね、と驚いたような顔をした。ここに来てからなんだかスッキリしたのだ。心に使えていたものが取れたというか。
「たぶん、ここにいる人たちから悪い影響もらっちゃったのね」
そうかもしれない。
「ふふふ、優等生やめちゃえ、普通を装った不良になっちゃえ」
普通を装った不良だなんて、悪役みたいでちょっと面白そうだな、と思う。体がどんどん軽くなっていく、ミドリとローズ、二人の言葉は私のほしい言葉だった、私が知りたい言葉だった。まるで私のことを何でもしているかのようだ。
「さて、次はシロとカナリーのとこだね」
「え?」
「シロもきつく言っちゃったって落ち込んでたから」
「あの子落ち込むことあるんだ……」
「そりゃあねぇ……、特に最初の頃なんてシロ本当に酷かったんだから」
早く行きなさい、と私の背中を押す。その手は温かくて、お姉ちゃんがいたらこんな感じなのかな、とふと思った。
もう見慣れ始めたパステルカラーのこの景色も、前よりも体に馴染んできた。最初は異常だ、普通じゃない、と決めつけていたけど、今じゃこんな世界もありじゃないかな、と寛容になっている自分がいることに気がついて驚く。ミント色の地面を蹴って、サーモンピンクの丘を抜け、クリーム色の壁を横目に彼女の真っ白な髪を目印に走る。
「シロ!」
彼女は振り向いて、くしゃりと笑ったあと、申し訳なさそうに顔を俯かせた。彼女が口を開く前に私がごめんね、と言う。すると目を見開いて、初めてあった頃のように金色の目で見つめてくる。
「さっきは、あんな言い方してごめんなさい」
「こちらこそ、ごめんなさい」
「普通なんて誰かが誰かの基準で決めるものじゃないよね、私間違ってた」
シロは更に零れそうなほど目を見開く。
「ソラがそんなこと言うようになるなんて」
「煩いな、人間は変わるものなんだよ」
「あら、私達は変わらずにここにいるのに?」
「変わっても変わんなくてもいいの、私は変わりたいから変わる!」
「言うようになったじゃん」
なんか嬉しい、とクスクス笑う彼女に思わずムッとした。彼女の実年齢が何歳かなんて知らないが、見た目は中学生くらいなのだ。そんな見た目なのに、母親のように振る舞われるのは癪だ。それを感じ取ったのか、シロは更に笑う。
「そんなに笑わないでよ」
「ごめんね、つい」
「ついじゃないよ」
「あ、ねぇ、昔さ私になんでここにずっといるのかって、聞いてきたでしょ? 今なら教えてあげる」
――私のお父さんとお母さん、死んじゃったんだ。
そういうと、目を伏せる。そして、風鈴のような今にも消え入りそうな声で、忘れたくなくて、といった。
その瞬間、私は理解した。さっきローズに、過去に縋り付いてる、と叫んだとき、同時にこの子も傷つけてしまったのだと。
「そんな顔しないで。貴方は悪くない。確かに私達は異常よ。けどね、それは逃げているわけじゃない。私達は私達なりに向き合って、守って、前に進んでいるの。私のお母さんとお父さんがいなくなったとき、私の髪の毛は真っ白になった。なんでそうなったかはよくわからないけれど、この髪のせいで、優しかったお祖母ちゃんも親戚も友達もみんないなくなった。……それにこの髪を見るたびに、お父さんとお母さんのことを思い出して、泣きたくなった。それなのに、涙はもう出なくなったの。ずっと苦しかった。髪の毛を見ないように逃げていた。そんなとき、ここの空間に招かれたの。だから私は、思い出から逃げるのをやめた。そんなにお母さんたちが忘れてほしくないならむしろずっと思い続けてやるって決めたわ。ここで、大好きな人達のために、よく似た人たちと一緒に暮らしたり、何もしなかったりしてみようって。確かに外の世界に興味がないと言ったら嘘になる。でも、外に行ったら私は逃げてしまうわ。忘れず器用に生きていくなんてこともうできないわ。できるかもしれないけれどやりたくもない。やりたいことだけをできるここにいるって決めたの。ここは何もできないけれど、なんだってできるのよ」
「そんなことがあったんだ……」
彼女の瞳は強かった。力強くて、真っ直ぐ自分と向き合っている。よっぽど、外の世界で、周りと同化するという逃げ道を自分で作っていた私のほうが弱い。シロはぽすん、とその場で座ると、手をとんとんと横に叩いて、私に座れ、と合図してきた。この場所は、この世界の中で一番高い丘のような場所で、全体が見渡せた。私より背の低いシロは私の方をそっと見上げて、控えめに言った。
「ソラ、今でも、ここに来たこと、後悔してる? 今すぐ、帰りたいって思う?」
「いいや全く!」
「ふふ、即答」
ありがとう、そういう彼女の嬉しそうな顔は、見た目相応で。子供らしい無邪気な笑顔だった。可愛らしいその顔に思わず私も、笑顔になって、こちらこそありがとう、と感謝を述べずにはいられなかった。
「なんだ、もう仲直りしちゃったの?」
唐突に後ろから降ってきたアルトの声。振り向くと、カナリーが布のかかった少し小さめのキャンバスを持って上から覗いていた。
「仲直りしてほしくなかったの?」
「まさか、そんなことないさ!」
戯けて言う彼女は少しは不服そうだ。じゃあ何なの、とシロが聞くと、カナリーはなんでもない、とぶっきらぼうに答えたあと、キャンバスを私に、ん、と突きつけた。突然のことに戸惑っていると、早くとってよ、と促す。
「……凄い!」
キャンバスにかけられた布を取ると、そこにはいろんな色に染まる空があった。夕焼けや星の輝く夜空、朝の紫、沢山の時間の空が外側から真ん中の水色に吸い込まれていくように鮮やかに混ざっていく。
「空ってさ何色にもなれるんだよ」
絵を眺めていると、彼女が私とシロにしか聞こえないように溢す。
「その時の思うまま周りの影響も吸収して、自分だけの色になっていくんだよ」
この絵は彼女なりの励ましなのだろう、と察した。シロもそれに気づいたようで、ニヤニヤ、カナリーの方を見ている。
「無理に強がらなくていいんじゃない? 時には下を向いたっていい。その時の思うまま、自分をいろんな色に、変えてしまえばいい。落ち込んでも強くなれるのが人だからさ」
無理に強がらなくていい、その言葉は私の心にすんなりと馴染んだ。かき氷シロップのようにじわり、じわりと溶けていく。
「ありがとう……、ありがとうカナリー」
「まぁ、君に幸あれってね」
カナリー、くっさぁとシロが笑う。カナリーはこういうときくらいいいだろ、と反論する。カナリーとシロのやり取りを眺めていると、だんだん世界が白くなってきた。
「あ、れ?」
「お、どうやらもう君に私達は必要なくなったみたいだ」
どういうこと……、と尋ねると、もうバイバイってことだよ、とシロが答える。
「やだ、せっかく、仲良くなれたのに」
「私達と仲良くなっちゃ駄目だよ、私達みたいになっちゃだめ」
「なんでそんなこと言うの」
「だって、貴方は私で、私は貴方。失敗作の私達がいつまでも貴方と一緒にいるわけにはいかない」
「ねぇ待ってどういうことなの」
世界はどんどんどんどん白くなっていく。パステルカラーがさらに薄くなって、シロやカナリーがどこにいるのかわからない。
「お願い、あなたはそのまま生きてね」
「恋もするのよ」
「じゃあね、ソラ」
「君に幸あれ」
そんな彼女たちの声が混ざり合って、一つの声になる。髪色も皮膚も瞳も全て同じ色になって、真っ白な光とともに消えた。
目を覚ますと私は、クローゼットの前で、キャンバスを抱きしめて泣いていた。全部、全部、覚えている。彼女たちのことは忘れていない。ただそのことに安心した。
「こういう話ってさ、普通きれいさっぱり忘れるんじゃないの」
そう一人つぶやく。ここまで鮮明に覚えていたら、余計寂しくなるじゃないか。
ふと、スマホを見ると、友達から、返信がない私を心配するメッセージが届いていた。ごめん寝てた、そう送ると安心した、と返ってきた。いつも返信早いから、心配しちゃったけど、ソラだって寝落ちすることくらいあるよね、と余計な一言までつけて。
――無理に強がらなくていいんじゃない。
その言葉が頭の中で反芻する。キャンバスを部屋の隅にそっと置き、ザラザラとしたその表面を撫でる。
スマホを開き、メッセージを送ってくれた友達に、私やりたいことがあるの、と送る。なぁに、とすぐに返信がきた。ほんの少しメッセージを送るのに躊躇ってしまう自分に活を入れて、震える指でメッセージ送信ボタンを押す。
――小説を書きたいんだ。
あの子達……私のことを忘れないために。自分に向き合って、今まで思っていたことを思うままに。物語を紡いで、どこかの誰かが救われるような、そんな小説を書きたい。
いいじゃん、応援するよ、そんな返信に酷く安心して、私はありがとう、と送る。私の世界が灰色からパステルカラーよりも濃い色の世界に変わる気がした。
空は今日も澄み渡っている 志賀福 江乃 @shiganeena
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