第38話 道筋

遥は弓道部のメンバーと、風颯学園を訪れていた。

「弓道部は毎年、人気なんだな」

「引退式は風颯学園の伝統だからね」

「今年は部長の村松くんが主体なんだな」

「あー、あの射形の安定してた人か……」

大会や合宿で、風颯学園の部員と顔見知りになっている人も多い為、部長が誰かくらいは、皆分かっているのだ。目の前では、部長である村松が客寄せをしている。十五時から試合さながらのように弓を引き、引退式が行われる為、昨年の蓮のように、村松は朝から部活をまとめるべく動いていた。

「ハル!」

「村松くん、お疲れさま」

「お疲れさま。みんなも弓引いていく? これから参加出来る時間帯になるんだけど」

「私は回りたい所があるから、みんなは引いてる?」

「私は遥と行きたい所あるから、またあとで来る」

「んじゃあ、俺らは引いてくからまた後でなー」

「うん」

遥について行くと言う事は、蓮のいる三年A組に行くと言う事だ。男女別になり、遥たち四人は校舎内へ入っていった。

「村松、ハル来てた?」

「うん。学祭回ってまた来るって言ってたぞ?」

「そっか……」

「サキも会えるだろ?」

「うん……」

「じゃあ、清澄のみんなは俺が案内するから、後よろしくな」

「部長、ずるいっす!」

「あー、頑張れ」

学祭の陽気な気分も相まって、合宿や大会で見た彼らとは違い、緊張感が和らいでいる。残った四人は村松に連れられ、弓や矢を選ぶと、楽しげな笑みを浮かべながら弓を引いていくのだった。



「何名様ですか?」

「四名です」

「ご案内致します」

浴衣姿の男性に案内され席につくと、浴衣に前掛け姿の生徒たちが接客に当たっている。メニューは、あんみつか豆かんの二種類と、緑茶がセットになっている。四人ともあんみつを頼むと、程なくして彼がやってきた。どうやら裏方で働いていたのだ。

「お待たせしました。みんな、いらっしゃい」

「蓮さん、お邪魔してまーす」

「こんにちは」

「浴衣似合いますねー」

次々とチームメイトが彼に話しかける様子に、遥からは笑みがこぼれている。

「遥、また後でな」

「うん」

彼女たちの、正確には遥の為に、裏から出て来てくれていたのだ。あんみつを食べながら女子四人は、次に回る所を考えている。

「食べたら、陵たちと合流する?」

「うーん、いいよ? 別でも」

「えっ? 美樹、いいの??」

「何か四人とも、ずっと道場にいそうじゃない?」

「確かに……。陵は竹弓引けるって喜んでたよね」

「うん……」

四人には、数日前に話をした際の男子四人の様子が頭に浮かんでいたのだ。

「じゃあ、遥は十五時に道場で合流ね!」

「うん、ありがとう」

彼女だけ昨年同様、別行動なのだ。彼と過ごす学園祭は最後の機会である。

「遥はいいなー」

「いいな?」

「蓮さんと仲良いし」

「そうかな? それなら、美樹だって仲良いと思うよ?」

「美樹と陵は、バカップル認定されてたからね」

「ちょっ、奈美?」

「いいじゃない。学祭でも仲良さげだったって、噂になってたし」

「マユまでー」

部活とは違い女子だけの為、恋話コイバナも盛り上がるというものだ。


蓮が制服に着替え教室に戻ると、遥は友人達と楽しそうにしていた。彼のすきな笑顔で話をしている。

「遥、蓮さん来たよ」

「あっ、うん。また後でね」

「うん!」

チームメイトに手を振り、彼女は蓮の隣に立つと、二人は屋上へ歩いていく。

「蓮、お疲れさま」

「あぁー、ありがとう」

「あんみつ、美味しかったよ」

「よかった……」

昨年と同じく、鍵を借りていた彼が屋上の扉を開けると、校庭から学園祭の賑やかな笑い声や活気のある掛け声が聞こえている。

「ん、美味しい」

「よかった……」

蓮は彼女の差し入れの弁当を美味しそうに食べていた。物心つく頃から一緒にいるが、二人きりで過ごす時間は、そう多くはない。遥が高校生になってからは、特にそうだ。

二人は晴れ渡る空を見上げていた。

「引退式か……」

「早いね……」

「そうだな……。後で一緒に引こうな?」

「……うん」

仲睦まじい二人の様子は、周囲の人が見ていたら、美樹と陵のようにバカップル認定されていた事だろう。彼女の肩に頭を寄せた蓮は、そっと目を閉じていた。遥と過ごす最後の学園祭に、想いを馳せていたのだ。そして、彼女もまた日差しの暖かい中、時折吹き抜ける冷たい風に、季節が移り変わっていく事を感じていた。

ーー蓮……。

本当に…引退しちゃうんだね……。

部活動は、そういうものだ。三年間チームメイトと共に切磋琢磨し、記録を、より大きな大会へと進めるよう目指していく。弓道部で言うなら、高校三年で出場する全国大会がまさにそうだ。彼は二連覇で幕を下ろしたのだ。

肩を寄せ合っていた二人は、特に口にする事なく、手を繋いでいる。遥が彼に視線を移すと、蓮もまた彼女へ視線を移していた。小さな笑みが漏れると、どちらからともなく唇を寄せていたのだ。

「ーー遥……」

頬を赤らめ視線を逸らす彼女をぎゅっと抱きしめると、彼の背中に自然と腕を回す遥がいるのだった。


時間になり道場では、風颯学園伝統の引退式が行われている。次々と試合さながらのように放たれていく矢は、圧巻である。

ーー綺麗……。

蓮の射は、いつも安定してる。

でも、それだけじゃない。

……音が違う。

空気を切り裂くような、そこだけ違う空気が流れているような弦音がするの。

彼の後輩だけでなく、彼女のチームメイトも、彼の安定した射に、目を奪われていたのだ。

「ーー凄いね……」

「うん……」

美樹に頷いて応えた遥は、自分の事のように嬉しそうな笑みを浮かべていた。

彼は拍手に包まれながら引退したのだ。


「ハル……」

感動を滲ませていた彼女が振り返ると、袴姿の小柄な少女が立っていた。

「ーーサキ……」

それは、中等部時代の遥のチームメイトであり、彼女が風颯学園から離れた要因の一つでもある。

「あの…私……」

「遥、どうかした?」

彼女の様子に心配になったのだろう。隣にいた美樹が、顔を覗き込んでいた。周囲の友人も、彼女の表情が強張っている事に気づいていたのだ。

「ーーううん……。サキ、久しぶりだね。元気?」

「うん……。あの、話いい?」

「……うん。ちょっと、言ってくるね」

「遥?」

「ん? 大丈夫だよ」

彼女はいつもの笑顔を作り、美樹に応えると少女の後をついて行くのだった。


ーー今更…何の話があるんだろう……。

遥の胸中は意外にも冷静だった。

嫉妬からの嫌がらせも、今では大した事じゃない。

当時は、それなりに傷ついたり、悩んだりもしたけど……。

私は一人じゃないって、分かってるから。

大丈夫。

冷静さを保っているが、声をかけられた事には彼女も、それなりに驚いてはいた。今までにも合同合宿や大会で顔を合わせる機会はあったが、サキが話しかけてきたのは初めてだったからだ。

「ーーハル…中学の頃、ごめんなさい……。学校まで変わると思ってなくて……」

「ーーサキ……。もう…気にしてないよ……」

「でも……」

「私は弓を辞めないから。それだけ…言っときたくて……」

「うん……」

小さく頷く彼女に、遥は中等部の頃よりも凛とした表情で、応えていた。

ーー私の譲れない想い。

「またね」

そう告げた彼女が、その場を後にすると、同じような表情を浮かべた彼が立っていた。彼女を遠くから見守っていたのだ。


「遥! 勝負するだろ?」

「……うん!」

蓮は袴姿のまま、彼女の元へ駆け寄っていたのだ。遥がいつもの笑顔で応えると、彼のジャージを羽織らされ、道場端の的に導かれていた。

二人が視線を通わせると、次々と矢が放たれていく。彼女は迷わずに、弓を引けるようになっていた。

ーー楽しい……。

ずっと、こうしていられたらいいのに……。

的には既に、十二本の矢が中っている。いつもなら、ここでめているが、今日は二十本で勝負するようだ。彼女が右隣の彼に視線を移すと、弓を構えていた。遥も彼に続くように弓を引くと、心地よい弦音が辺りに響いている。

変わらない二人と変わっていく景色に、彼女はただ夢中になっていたのだ。

此処からまた始まる。

逃げ出したくなる日もあったけど、大丈夫。

私は今の場所で、自分の出来る射を続けていくから……。


的に二十本ずつ矢が中ると、周囲からは拍手や温かな声がしている。彼女は彼のジャージを着たまま、友人と楽しそうに笑っていた。その姿に、安堵する蓮がいたのだ。

「みんなも引いていったら?」

「はい!」

笑顔で応える清澄高等学校弓道部員に、彼は微笑んでいた。今の彼女があるのは、彼らがいたからだと分かっていたのだ。

その後、学祭の雰囲気のまま弓を引く彼らの姿に、彼女と共に嬉しそうにする蓮がいるのだった。



遥はいつもの道場で袴姿に着替え、弓を引いていた。彼の最後の学園祭が終わり、気持ちを整えていたのだ。

ーーサキとも…話せるようになってた……。

私は弓道がすき。

それだけは譲れない。

そしてーー……。

「……遥」

「蓮…お疲れさま……」

「お疲れ」

彼は強く彼女を抱きしめていた。

「……っ!!」

「……楽しかったな」

「うん……」

「明日から……また朝、一緒に引けるな?」

「うん!」

彼を見上げると、優しい瞳をした蓮がいた。二人は額を寄せ合うと、久しぶりに二人で弓を引く機会を待ち遠しく感じていたのだ。

「ーー遥の射、楽しみだな……」

「うん……。私も楽しみ……」

今年も二ヶ月足らずで終わる。道場には冷たい風が吹き抜けていた。

ーー嬉しいけど……。

彼女は続く言葉を飲み込んでいた。今、告げてしまったら、より一層切なくなる事が分かっていたからだ。

辺りには心地よい二人の弦音だけが、響いているのだった。


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