第32話 展望

神山家一階の和室にある祖父の仏壇には、きゅうりで作った精霊馬しょうりょううまとナスで作った精霊牛が備えられていた。

「遥、次はこれを運んでー」

「うん」

母の呼びかけに応え、彼女は制服姿にエプロンを着け、一番広い和室へ料理を運んでいく。

今日は祖父の三回忌なのだ。

「ハルちゃんも大会出るんでしょ?」

遥は料理をテーブルに並べると、みのるに声をかけられていた。

「うん。来月頭の大会に出るよ」

「ハルも蓮も強いからなー」

「みっちゃん、ありがとう」

「ミツ兄は相変わらず、ハルちゃんに甘いなー」

「ってか、ハルと蓮くんはまだつきあってるの?」

「ちょっ、わたる?!」

遥は思わず声を上げていた。

満は大学生活が忙しいようだが、祖父の三回忌の為、実家に帰ってきていたのだ。

三回忌法要が行われる中での従兄弟の発言に、遥だけでなく蓮も、「今聞くなよ! 」と、心の中で叫んでいた事だろう。飲んでいた緑茶を吹き出しそうになっている。

「航……つきあってるよ。っていうか、航も彼女できたって言ってたじゃん?」

「そうなの?!」

「ちょっ!」

蓮の細やかな反撃である。満も遥も知らなかったのだろう。この後、神山兄妹から質問攻めに合う航がいるのだった。


賑やかだったおときの時間も、もうすぐ終わる為、心なしか淋し気になる遥がいた。

「三人とも来月は大会か……」

「カズじいちゃん。俺は八月中旬だから、二人が先に大会が来るな」

「うん」

「あぁー、連覇目指して頑張るよ」

「あぁー! それでこそ、蓮だな!」

ハイタッチをする二人は、来月の大会に向けての気合いは十分なようだ。

「懐かしいな……」

一夫は目を細め、仏壇に視線を向けていた。蓮の祖父は、遥たちの祖父とライバルであり、親友でもあった為、想い出も人一倍あるのだろう。二年経っても、慣れない事の方が多いようだ。

遥も祖父のことを想い浮かべていた。

おじいちゃん、私…清澄に入ってよかったよ……。

少しは……再生に、貢献できたかな?

部長になって、緊張しない日はないけど……。

楽しいよ。

勿論返答があるわけではないが、私の射をすきだと言ってくれた祖父なら笑ってくれている。そう、彼女は感じていたのだ。


「送ってくー」

「俺もー。そして時間あったら、カズじいちゃんに射形見てほしい」

「あっ、私も!」

遥も満も袴姿に着替えている。蓮と一夫を見送るついでに、道場で練習するつもりなのだ。

「いいぞ。蓮も着替えてくるか?」

「うん!」

道場に四人で集まることは滅多にない為、心なしか緊張している遥がいた。一夫の射を間近で見れる機会は、いつだって貴重なのだ。

袴姿の三人が揃うと、満、蓮、遥と年齢順に一射ずつ弓を引いていく。弓返りの音も、弦音も、心地のよい三人の音が響いている。普段は年相応な彼らだが、弓においては大人びて見える。

一夫は彼らの成長した射を見ながら、滋と切磋琢磨してきた日々をまた想い出していたようだ。一人では、辿り着けない高みを目指していた事を。

十二本矢を射るまで、一夫はただ静かに眺めていた。孫たちの成長ぶりに、感化されたのだろう。

一夫は私服のままだったが、蓮が着替える際に取ってきた彼の弓具を受け取ると、まっすぐに的を見据え、矢を射る。

その立ち振る舞いは、さすが範士九段と言えるだろう。貫禄があり、どんな時も安定しているのだ。

「三人とも成長したな……」

「ありがとうございます」

正座のまま、彼らは揃って応えていた。その様子に一夫は笑みを浮かべると、彼らの明るい未来を願っているようだった。

「五段を目指して精進していきなさい」

「はい!!」

五段の審査からは五人の審査員のうち、四人の票がなければ合格できない為、格段に難しくなる。

そして五段以上の段位を取得後、一夫や滋のように称号を錬士・教士・範士と進めていけるのだ。

瞳を輝かせて応える彼らがいたように、一夫の目には映っていた。彼らにとって祖父たちは、いつまでも憧れの存在なのだ。

「カズじいちゃん、ありがとう」

「あぁー、久しぶりに楽しかったよ。満も遥も自分らしくな」

「はい!!」

一夫と蓮の帰っていく後ろ姿に、二人とも自分の理想を目指して矢を射ると、改めて誓っているのだった。




「ハルは相変わらずだなー」

「おはよう、みっちゃん」

遥は日曜日も朝から、道場で弓を引いていたのだ。

「俺もやる!」

「うん! みっちゃんは午後の新幹線だっけ?」

「あぁー」

まだ夏期休暇ではない為、満は東京へ戻るのだ。

無言で矢を射ると、次々と的に中っていく。二十射皆中を決めた所で矢取りを行うと、自然と兄妹での会話も弾んでいた。

「久々にこっちで射ると、初心を想い出すなー」

「そっか……。夏休みは向こうでバイトなんだっけ?」

「あぁー」

二つしか歳が変わらないけど……。

こういう時に、年の差を感じる。

きっと蓮もーー……。

「……遥も東京に来いよ?」

「えっ?」

「次は、また三人で弓が引きたいじゃん?」

「うん……」

満はたまに突拍子もない事を言うが、それは彼女の想いと一致していた。一度離れて気づいたのだ。もう一度、彼らと弓を引きたいと。

……再来年、みっちゃんと…蓮と……一緒に、矢を射る事ができる私でありたい。

「まずはお互いの優勝だね」

「あぁー!」

遥にしては珍しく「優勝」を口にしていた。

中ることは結果であって、そればかり求めたりはしない。

でも……それでも、蓮とみっちゃんと弓を引き続ける為には、少しでも今の場所で、誰よりも多く弓を引ける人になる事……。

それが彼女の目標であり、射形を乱すことのない支えの一つとなっていたのだ。

「ハルたちが来るの待ってるな?」

「……うん!!」

彼女には、彼が先にいってしまう事が分かっていたが、明るいいつもの口調で応えるのだった。


「満、行ったんだよな?」

「うん……」

蓮は午前中の練習が終わると、遥といつもの道場で待ち合わせをしていた。二人は私服姿のまま、場内の壁にもたれ掛かりながら話をしていく。

「みっちゃんが待ってるって……」

「あぁー…次は俺の番だな……」

「うん……」

「満と同じ大学に行けるかは、分からないけどな」

「みっちゃんは、意外と頭がいいからね」

「だよな」

幼馴染でもある為、散々な言い方をしているが、二人とも楽しそうに笑っている。

「全国でも……蓮の射が見れるの、楽しみにしてるね」

「あぁー。俺も……楽しみにしてるよ」

「宮城……初めて行くかも」

「そうだな……」

二人の間に距離はなく、ぴったりと寄り添うように座っていた。

「遥……向こうでも会えるといいな……」

「うん……」

他校生の為、約束はしないが、二人とも会いたいとはいつも思っているのだ。

「蓮、ありがとう……」

「何だよ急に……」

「んー……ちゃんと言っておきたいと思って……。また同じ場所で矢を射れるように……」

「あぁー」

遥の頭は彼の肩へと引き寄せられていた。彼女の言葉に、嬉しそうに頬を緩ませる蓮がいた。

二人は同じ気持ちだったようだ。同じ場所で矢を射る事ができる自分でありたいと……。

その為には全国優勝。

そして、段位の昇格を目指し、改めて日々の自分と向き合っていく事になる二人がいるのだった。




「明後日から遥と翔の二人は、全国大会で宮城に行ってくるから、次の練習は一週間後だな」

「はい!」

清澄高等学校の弓道場には、夏休み期間中も平日のみ練習が行われていた。東海高校総体で団体三位と結果を残せた自信が、弓の所作へ繋がっているようだ。彼らが自信をもって矢を射る姿に、藤澤も一吹も部員の成長を喜んでいた。

「部長と副部長に!」

「えっ! ありがとう!」

「ありがとな」

一年生から二人には、必勝祈願の御守りが手渡されていた。遥は昨年と同じ赤色の、翔は紺色の御守りを嬉しそうに受け取っている。皆、二人の事を応援しているのだ。遥は御守りを握りしめると、さっそく矢筒に付けていた。

笑顔でまた此処に戻って、矢を射る事ができるように……。

「遥、翔、頑張ってね!」

「ハル部長、副部長ー、頑張って下さい!」

「応援してるからな!」

「お二人とも頑張って下さい!!」

チームメイトの様々なエールに、遥も翔も笑顔で応えていた。それぞれ御守りを片手に、インターハイへと気持ちを切り替えていくのだった。







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