第31話 射手

二度目の部長……。

隆部長やユキ先輩みたく、ちゃんとできるか不安はあるけど……。

蓮も応援してくれてるから、頑張ろう。

遥は彼からのメッセージを読み返していた。

『無理しすぎない程度にな!』

彼女は携帯電話を鞄にしまうと、朝練へ向かうのだった。


「……部長! ハル部長!」

「ごめん……カモちゃん、どうしたの?」

「藤澤先生が、部長と副部長を呼んでましたよ?」

「ありがとう。ちょっと職員室に行ってくるね」

「はい」

袴姿のまま、遥と翔は職員室へ歩いていく。

「遥、具合悪いのか?」

「ううん、部長呼びに慣れないだけで……」

二人が職員室に入ると、藤澤より合宿が言い渡された。

「えっ? 藤澤先生、本当ですか?」

「えぇー、昨年と同じ一泊二日です。今日の練習後に部員には伝えて下さいね」

「はい!」

翔と顔を見合わせた遥は、彼の射を間近で見れる合宿を楽しみにしているようだ。

「やったね!」

「あぁー!」

職員室を出た二人は喜び合っていた。

風颯学園は弓道の名門校だけあって、道場の設備が整っている。そんな学校とまた合宿が出来る機会は貴重だからだ。


「えーっ?!」

「やったー!!」

思ったとおりの反応……。

二年生は喜んでる。

一年生も喜んでるけど、緊張してるみたい……。

「練習試合も行う予定なので、当日も練習と同じような射が出来るようにしていきましょう」

「遥の言ったとおりだ。風颯と……他校と練習できる機会はプラスになるからな。土曜日、楽しみだな」

「はい!」

一吹の声に応えた彼らは、週末に、一年生にとっては初めての合宿に、期待を寄せているようだった。



「明日から一泊二日で清澄高等学校と合同練習を行うからなー。練習試合も行うから、そのつもりでな」

「はい!」

「部長が言った通りだ。今年の清澄は東海高校総体にも、男女共に団体三位入賞してたからな。八時集合だから遅れないように!」

「はい!」

良知りょうじコーチの声に応える部員は、覇気のある声を上げていた。


「蓮、お疲れー」

「佐野、お疲れ。何か話しか?」

「さすが察しがいいな。清澄の部長って、もしかして遥ちゃん?」

「そうだよ。副部長が白河くんだってさ」

「へぇー。結局、あの子も面倒見がいいんだな」

「そうだな」

話をしている間も手早く制服に着替えると、彼女の待つ弓道場へと急ぐ蓮がいるのだった。


彼が道場へ着くと、彼女は姿見の前で髪を整えていた。

「遥、お疲れさま」

「蓮! お疲れさま」

彼に駆け寄る彼女は、可愛らしいと言えるだろう。

「明日、楽しみだね」

「あぁー、楽しみだな。俺も着替えてくるから、射詰しないか?」

「うん!」

彼女が的の用意を終えると、袴姿に着替えた蓮が彼女の隣に並んでいる。二人は視線を通わせると、遥から順に弓を引いていく。

心地よい音が響くが、勝負はつく事なく十二射皆中を決めている。

「遥、明日も朝……来るか?」

「うん……」

「じゃあ、明日も勝負だな?」

「うん! 楽しみにしてるね」

袴姿のまま二人とも帰る為、場内を片付けると並んで座り、束の間の休息だ。

「遥……」

「んー……。どうしたの?」

蓮は彼女の肩に額を寄せていた。

「いや……部長は、どう?」

「慣れないけど…やり甲斐はあるかな……」

「そうか……。無理するなよ?」

「うん…ありがとう……。蓮もね」

そう応えた彼女は蓮の肩に頭を寄せ、微笑んでいる。

「大会終わったら、夏休みか……。また出かけような?」

「うん、嬉し…」

彼女の声は、彼の唇によって飲み込まれていくのだった。




「おはよう」

「おはよう…蓮……」

昨夜の約束通り、二人は早朝にいつもの道場を訪れていた。昨日のキスを思い出したのか、遥の頬は赤いようだ。

ーーなんで今、思い出すかな……。

蓮に触れられると、あったかくなる。

ずっと触れていたくなる……。

「遥、顔赤い。大丈夫?」

「う、うん! 大丈夫。私から引いていい?」

「あぁー」

気持ちを落ち着かせると、遥から順に弓を引いていく。十二射皆中すると、すぐに矢取りを行なっていた。この後、遥は駅前に、蓮は学校へ向かうのだ。

「蓮、ネクタイ曲がってるよ?」

「ん?」

首元を寄せてくる彼のネクタイを、彼女が整えている。

「はい」

「ありがとう」

「わっ……」

彼女はぎゅっと、抱きしめられていた。

「蓮……そろそろ行かないと……」

「少しだけ充電……」

「うん……」

ーー変かな……。

キスしたい……。

私からしたら、驚くかな?

「ーー蓮……」

「んー?」

彼女を覗き込むように見つめる彼の唇に、そっと唇を重ねる遥がいた。

蓮が照れてる……。

彼女がそう思うのも束の間、彼の手が唇に触れると、そのまま舌を絡めとられていく。

「ーーっ!」

「……煽った遥が悪い」

煽った?

そんな事してないよ……。

反論したいところだが、それぞれ集合時間が迫っている為、いつもの坂道を手を繋いで下っていく。

「また……後でね」

「あぁー」

遥が手を振り駅へ向かう後ろ姿を、彼はその姿が見えなくなる曲がり角まで、見守っているのだった。


ーー蓮にキスされると分からなくなる……。

ずっと触れていたくなる。

彼女が駅前に着くと、一吹が集合場所で待っていた。

「一吹さん、おはようございます」

「おはよう、遥。やっぱり一番乗りだったか」

「はい。藤澤先生は、一年生と一緒にここまで来るんでしたっけ?」

「あぁー」

二人が話をしていると、副部長である翔が陵たちより一足先に駅前に来ていた。

朝の挨拶をする中、遥は名簿に丸をつけていく。出欠確認をしているのだ。

「今日はいい天気だなー」

「朝から暑いですけどね」

「そうだな。一吹さんは、風颯に行くの久しぶりですか?」

「俺は…そうだなー……。OBの皆で行ったことあるから、三年ぶりになるかなー」

「そうなんですか?」

五分程で他のメンバーも揃い、一吹と遥、翔を先頭に部員は歩いていく。藤澤は一番後ろを歩きながら、二十人になった部員を眺めていた。

再生した清澄高等学校弓道部に、これから先の未来も期待していたのだ。


「おはようございます。顧問の一ノ瀬です」

「おはようございます」

張りのある声で応える彼らに、一ノ瀬は微笑んでいる。彼は部長と副部長を呼ぶと、彼らに男女別に更衣室や寝泊まりする場所を案内させていく。

遥は副部長である鈴木すずきのすぐ後ろを歩いていた。

「ハルちゃん、久しぶりだね」

「お久しぶりです。スズ先輩」

彼女にとっては、中等部の頃の先輩のようだ。

「えっ? 部長のお知り合いですか?」

「うん……。言ってなかったっけ? 中等部まで通ってたの」

「聞いてないです!」

「そうだったんですか?!」

後輩の驚きの声が続く中、鈴木は清澄の仲の良い様子に笑みが溢れていた。

「ハルちゃん、部員増えて良かったね」

「はい! ありがとうございます」

鈴木の案内が終わると、遥たちは再び弓道場へと戻って来ていた。

袴姿に手早く着替えると、各校の顧問やコーチ、部長と副部長の自己紹介を行なっていく。

神山の名に反応する者もいるようだが、満の妹や中等部まで風颯にいたからだけではない。彼女が先月の東海高校大会の個人優勝者だからだ。

ーー中等部の頃の後輩もいる……。

ここに来ると去年の…みっちゃんと三人で競った事を想い出す……。

彼女は部員たちの前に立ち挨拶をしながら、そんな事を考えていたのだ。

「未経験者の三人は、こっちに集まってくれー」

風颯の未経験者と共に、良知コーチと一吹コーチ指導の元、練習を行うのだ。

「他のメンバーは、こっちに集合」

蓮の声かけで部員が集まると、これから実践練習をする事になった。

「改めて部長の松風です。今日から二日間、よろしくお願いします。これから、実践練習を行います。一人四射ずつ引いて、試合同様順位をつけるので、そのつもりでお願いします」

「はい!」

十個の的を使い、風颯の一年から順に弓を引いていく。清澄の一年は経験者が九人の為、一人分的が空いていた。

「私、引いてきていい?」

「あぁー」

翔が頷いて応えると、彼女は右端で弓を構えている。十人の中で、一番最初に弓を引いていく。遥と一緒に弓を引く機会は多くない為、彼らは耳を澄ませるように弦音を聴いていたのだ。

「次、二年なー」

蓮のかけ声で人と的が入れ替わり、次々と矢を射る。清澄の二年は遥が先程弓を引いた為、七人となっていた。彼らと一緒に部長の蓮や副部長の鈴木が混ざって弓を引いていく。これを二回繰り返していた。

全部で八射引き、六中以上を出した者が三立目も弓を引けるのだ。

清澄から残ったのは、遥、美樹、真由子、翔、陵、雅人、青木の七人だった。

「次も四射引いた後、上位十人で射詰を行います。残った者は、見学と矢取りを頼むな」

「はい」

いつもより広い道場に、次々と放たれる矢は、清澄の一年生にとっては圧巻だった事だろう。

上位十人に残ったのは、その殆どが風颯の男子弓道部員だった。清澄からは遥と翔、陵の三人だけが残っている。

「さすが全国クラスだな……」

「あぁー」

陵と翔がそう呟くのも無理はない。男子団体メンバーは、五人中四人が残っていたからだ。他は副部長の鈴木に、二年の足立と村松。

用意されていたくじを引くと立ち順が決まり、最後まで残った者が勝者となる。

「見てるのも緊張するな」

「うん……」

彼らから見て右端から順に弓を引いていく。一射目で外す者はいないようだ。

ーーずっと…引いてられそう……。

楽しい……。

見ているだけで緊張している者もいる中、遥に特に気にする様子はなく、矢を射っていく。

四射目まで残ったのは、右端から順に、佐野、遥、翔、下村、陵、蓮の六人だった。五射目から八寸的に切り替わると、更に弓を引いていく。

弓を引く度に、人が減っていく中、八射目まで残ったのは、蓮と遥の二人だけだった。

二人は視線を通わせると、微かに笑みを浮かべ、的を見据え矢を射る。十二射皆中を決めた所で、一ノ瀬に声をかけられていた。

「そこまで。部長二人は、良知コーチ達の方に行ってくれ。他の者は、副部長の白河くん、鈴木の指示に従って、時間まで弓を引くように」

「はい!」

今までの的中はノートに記録していた為、それを元にまた練習を繰り返すのだ。


遥と蓮は自分達の矢取りを行い、未経験者が集まる良知と一吹の元へ行くと、既に彼ら用の的が用意されていた。

「残ったのは、松風と遥さんか」

「はい」

「じゃあ、とりあえず十二射な。順番はどちらが先でも構わない」

良知の指示通り、二人はジャンケンで手早く順番を決めると、勝った遥から弓を引く事になった。

ーー久しぶりに背中から感じる視線……。

緊張はするけど、このまま……蓮と、弓を引いていたい。

一本でも多く……。

心地よい弦音と弓返りが響く。一年生が憧れるような射形と言えるだろう。二人とも立ち姿が美しいのだ。次々と放たれる矢に瞳を輝かせる一年生がいる事に、良知も一吹も笑みを浮かべているのだった。

「同中だな……」

「そうだね」

「そしたら、あと一射。中心に近い方が勝者だな」

「はい!」

良知の提案で、遥から順に同じ的に向けて矢を放つと、彼の方が僅かに中心に近かった。蓮が勝者となったのだ。

「お疲れさま」

「うん…お疲れさま……」

彼から差し伸べられた手を握り、握手を交わすと午前中の実践練習が終わるのだった。


「遥、どうだった?」

「負けちゃったよ。緊張するね」

「遥でも緊張するんだなー」

「ちょっと、陵! 失礼な」

「先に食堂行ってるぞ?」

「うん」

翔たちは制服に着替え、他の部員を連れて食堂へ向かうようだ。

彼女と蓮は着替え終わると、二人揃って食堂へ歩いていく。

「緊張したね」

「そういう所は、遥らしいよな」

「うっ……。お腹空いた……」

「今日は、うどんか蕎麦だったな」

「お蕎麦食べたい」

「あぁー、冷やしたぬきがいいな」

二人が食堂へ着くと、一年生は未経験者で練習していた者同士で食べている為、遥と蓮も並んで昼食をとっていた。

「遥、これさっきの順位表だって」

「ありがとう翔。青木くんが好調だね」

「あぁー」

「松風ー、これがうちの順位表ね。午後は予定通りだって」

「了解」

それぞれ副部長より手渡された用紙を読んでいると、コーチに声をかけられていた。

「午後は予定通りだから、清澄は的中率上位五人が一チームな?」

「はい。一吹さん、青木くんと加茂さんといつもの四人で立ち位置は変えつつでいいですか?」

「あぁー、任せる。しっかり食べるんだぞ?」

「はい」

「一吹さんって、うちのOBなんだろ?」

「うん。みっちゃんから聞いた?」

「あぁー。午後もよろしくな? 遥部長」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

穏やかな雰囲気のまま、午後の練習も始まるのだった。


「これから呼ばれた人は団体戦を行います。呼ばれなかった者は、一吹さん、良知コーチの元で指導を受けて貰います。風颯は団体メンバーの男女五人ずつ残ってな」

「はい!」

「清澄は、美樹、マユ、奈美、カモちゃん。男子は翔、陵、雅人、和馬、青木くんの五人ね。他は一吹さんと良知さんの指示に従ってね」

「はい!」

残った二十人は、男女別に団体戦を行うのだ。

「立ち位置は変えていって大丈夫だから、記録を必ずつけるようにね。今後の参考になるから」

「了解」

「まずは男子からだって、立ち位置はどうする? 青木くんは中学まで、大前やる事が多かったんだっけ?」

「はい」

「じゃあ、大前から順に立ち位置ずらしていく方がいいか?」

「そうだね。青木くんもそれで大丈夫? 希望の場所があれば言ってくれると助かるけど」

「構わないです」

女子部員と男子部員がハイタッチを交わすと、蓮たちと共に矢を射るのだった。


「さすが全国優勝者ですね……。松風さん、一度も外してない……」

「そうだね。見て学ぶとる事もできるからね」

「はい」

彼女はチームメイトを応援していたが、その綺麗な射の持ち主を目で追ってしまうのも事実だった。

ーーさすがに強い……。

二十射十八中。

うちは十五中。

これでも平均四射三中と好成績なのに、届かない……。

彼女がそう感じる程に、彼らの的中率が高いのだ。

女子も同じように弓を引いていく中、彼はチームメイトの射を見ながら、彼女に視線を移していた。

実力の違いは、誰の目から見ても明らかだ。遥だけが四射皆中を決めていく。

五回繰り返し矢を射った所で、今日の練習は終了となった。

順番に記録をとっていたノートには、遥の欄にだけ丸が並んでいるのだった。




ーー楽しかった……。

後半の二回……女子は、清澄が勝ってた。

僅差だけど……。

それだけでも進歩。

大きな一歩。

「遥、おはよう」

「おはよう、蓮」

二人は並んで準備運動を行っていく。まだ朝の七時前だ。

「……強くなったな」

「うん……。蓮には届かないけどね」

「いや、強くなったよ」

「ーーありがとう……」

まだ誰も起きてはいない。八時半からしか場内には入れないのだ。二人は並んで、校庭をジョギングしていた。

ペットボトルの水を飲み干すと、校舎前の水飲み場で顔を洗っている。まもなく食堂が開くのだ。

「遥ー、タオル貸して?」

「はい」

彼の顔を拭くと、それぞれ自分の部屋へと静かに戻っていくのだった。


「今日は昨日の午後と同様、二手に別れて練習を行います」

「はい!」

「昨日、私達の元で練習をした一年生は、実践練習で団体戦を行います。残りは、午前中は自由練習とするので部長たちの指示に従うように」

「はい!」

二手に別れると蓮が手を挙げ、昨日団体戦を行ったメンバー二十人が揃った。他の部員はいつもの通り二人一組になっている。

「佐野が白河くんと組んでな?」

「了解。蓮は?」

「俺は部長と。男子の方が人数多いからな」

「清澄は美樹とカモちゃん、奈美とマユ。陵と青木くん、雅人と和馬で組んでね。相手の射形を正すいい機会だから、気づいたことは伝えてね」

「了解」

佐野と蓮は、清澄に混じって自由練習を行っていく。

「一人八射で、矢取りはまとめて行って効率よくなー」

「はい!」

部長の指示は浸透しているようだ。スムーズに練習を行っていく彼らがいた。

「遥、行くぞ?」

「うん」

部長たちのペアになると、二人の射を見ている者がほとんどだ。蓮も視線には気づいたが、そのまま彼女の射を見ているだけで、口を挟むことはしない。見て学ぶこともあるからだ。

「……試合のテンポで残り四射な」

「はい……」

彼女が的に向けて放った矢は一本も外すことなく、八射皆中を決めていた。

「ふぅー……」

「引かないなら、矢取りするからなー」

「蓮! やるって!」

「部長、雑ー!」

「時間は限られてるんだからなー」

彼に急かされるように、弓を引く部員に遥から笑みが溢れていた。

「二巡したら、また射詰行うからなー」

「はい!」

遥と蓮は、鏡の前で動作の確認や素引きを行なっている。

「どうですか?」

「正しいよ。次は俺な?」

「うん」

ーー相変わらず…綺麗な射形……。

まるでーー……。

「どうだった?」

「美しいです。部長さん」

「光栄ですね。罰ゲームもなんなかったし、そろそろ時間だな」

蓮が時計を見上げ時間を確認すると、ちょうど二巡した所で一人四射ずつ実践的に矢を射る事になった。昨日の結果を考慮し、的中率が近い者同士が並んで弓を引いていく。

ーー自由練習による射形の見つめなおし……。

実践練習の緊張感のある中、矢を射る。

的が多いと、色んな事ができる……。

遥はチームメイトの放つ矢を静かに眺め、自分の番がくる事を待っていた。

すべて終え、四射皆中をしたのは佐野、下村、蓮、足立、翔、遥の六人だった。

「次、皆中した六人が八寸的で引くから、他の者は見学なー。これが終わったら、昼だからな」

「はい!」

「蓮、順番は?」

「また、くじだな」

蓮の用意したくじを引くと、遥、下村、蓮、佐野、翔、足立の順になった。

「蓮…部長さん……。また四射ですか?」

「今度は射詰。昨日と同じく残った人の勝ちって事で」

「了解」

遥から順に弓を引くと、的に中っていく。一回り小さな的に変わっても彼女には関係ないようだ。

「遥、凄いな」

「うん……」

「ハル部長。まだ外してないですよね?」

「あぁー」

小声で話す清澄の面々の言ったとおり、彼女は一度も外す事なく、的に中ていく。

最後まで残ったのは、昨日と同じく彼女と蓮の二人だけだった。

「時間だから、同点だな。着替えて昼なー。午後は二時から、また試合するからそのつもりでな」

「はい!」

彼女は十二射皆中を決めた的を眺めていた。

「遥、矢取りするぞ?」

「うん」

気が抜けたのかいつもの口調に戻っている。

「松風ー、遥さん! 矢取りが終わったら、ちょっといい?」

「はい!」

良知と一吹の元へ行くと、先程まで団体戦を行なっていたメンバーが残っている。

「両校の部長に射詰を行なって貰います」

「えっ?!」

「ふっ…すみません……」

思わず声を上げた遥に、笑みを浮かべる蓮がいた。

「四射は通常通りな。五本目からは八寸的。時間的に十二射までとする」

「はい!」

蓮から順に弓を引いていく。すぐに四射を終え、あらかじめ用意していた八寸的に向けて矢を放つ。

「すご……」

部長の凄さを感じずにはいられない射だったようだ。

「二人ともお疲れさん。休憩入っていいぞ?」

「コーチも一吹さんも人使い荒すぎです」

「せっかくアイス奢ってやろうと思ったのになー」

「えっ?!」

「ほら、食券一位の商品な」

「少な……」

「ちょっ、蓮! あ、ありがとうございます」

「午後は、部長らは一年の手本を主にやって貰うからな?」

「はい!」


「部長ー、お昼行きますよー?」

「うん。あっ、お疲れさま」

「お疲れさま。昼、俺たちも一緒していい?」

「うん」

蓮は風颯の一年を、遥は清澄の一年を連れて食堂へ行くと、他のメンバーも学年や男女関係なく昼食をとっている。

「部員たくさん入って良かったな?」

「うん。井上いのうえちゃんと、石田いしだくん、宮崎みやざきくんは、初めての試合はどうだった?」

「めっちゃ緊張しました」

「うん……。でも、弓が引けて楽しかったです」

「それは、よかったな」

「あの…ハル部長。松風さんとはお知り合いなんですか?」

「うん。私、この中等部に通ってたの。だから蓮部長は先輩だね?」

「まぁーな。敬ってくれていいぞ?」

「はいはい」

二人の気兼ねない会話に、周囲の緊張感も解けていくようだ。細長いテーブルに清澄と風颯が向き合って座ると、カツ丼や牛丼を食べ始めた。

遥と蓮は、一年生の的中率を見ながら、大前や落ちを今後どうするか考えているようだ。

「遥、さっきのアイス貰ってくるよ?」

「うん。お願いします」

蓮が席を立つと、彼女を知る一年生もいる為、話しかけられていた。

「ハル先輩、お久しぶりです」

「みんな、久しぶりだね。的中率上がってるね」

「ありがとうこざいます」

「部長は的中率高いですよね? 緊張しない方法ってあるんですか?」

「うーん、緊張しない時はないかな。いつも試合も練習も一射目は緊張するよ? あとは、どれだけ集中できてるかかな?」

「集中ですか?」

「うん……。私の場合はだけど…集中できれば的に中るから。一吹さんや良知さん、先生方にもどう向き合っているか聞いてみるのもいいかもね?」

「一吹さんには、聞いたことあるので、良知さんにも聞いてみます」

「うん」

蓮がアイスを両手に持って戻ってくると、父兄からの差し入れであるスイカが、中央のテーブルで振舞われていた。

「スイカ、差し入れだって。みんな、取ってきたら?」

「はい!」

「スイカ、苦手なやついるかー?」

蓮の声かけに応える者はいなかったが、加茂がスイカを食べていない事に気づいた為、遥はアイスを手渡していた。

「はい。カモちゃんにはアイスね」

「いいんですか?」

「うん」

「遥」

「ふぇっ…」

彼女の口にアイスを入れると、二人でシェアして食べ始めた。

アイスもスイカもすきだけど……。

これ以上食べたら、動けなくなりそう。

「ん…ごちそうさま。はい、蓮」

「ん、午後は個人戦だな」

彼女は人目を機にすることなく、彼の口元へ最後の一口を差し出している。

「うん。割り振り?」

「あぁー、八射六中以上で準決だな」

「翔ー、これでいい?」

「あぁー」

部長たちの周囲には、副部長やチームメイトが数名集まっている。話しながらも、周囲を気にせずにスイカを蓮の口元に遥は差し出していた。彼女は、お腹がいっぱいなのだ。

「ん…鈴木ー。午後は白河くんと個人戦って事で頼むな?」

「了解。松風たちは?」

「俺らは一年と一緒に午後は練習するから。 佐野ー。午後は鈴木と一緒に指示出し頼むなー」

「了解。一位になったら、何か欲しいよな?」

「コーチに頼めよー? 俺らはアイスだったよ」

「うん、ごちそうさまでした」

「良知コーチ、一位になったら何か欲しいです」

コーチは佐野の言葉に、悪そうな笑みを浮かべている。午後の練習のペナルティーを決めていたようだ。

「八射六中以上を最初の二立目で出さなかったら、外周なー」

「罰ゲームですか……」

「危機感あるだろ? 部長らは朝一でランニングしてたぞ?」

「……良知コーチ、見てたんですか?」

「あぁー、朝早いのに感心したよ」

「部長らって? 蓮の他にもそんな奴いるの?」

「あぁー。とにかく外周な?」

遥は一年生と話をしている為、この会話は聞こえていないようだ。

「遥部長ー、午後の予定伝えるぞ?」

「はい」

カフェテリアの真ん中で、蓮の隣に並ぶと、午後の予定を伝えていくのだった。


蓮に続いて遥は、コーチと一年生たちの前で射法八節をゆっくりと行なっている。

八つの動作は区分されているが、終始関連して一つの流れを作り、動作と動作の間が分離、断絶してはならないのだ。

一射を一本の竹に例えるなら、竹に八つのふしがあるのと同じ事。

つまり、八つの節は相互に関連する一本の竹でありながら、一節ひとふしごとに異なった八つの節である事を意識することが大切なのだ。

二人はこの基本的な動作がしっかりとできているからこそ、美しい射と言われるのだ。

彼女が足踏あしぶみで足を開き、正しい姿勢を作ると、胴造どうづくり。

弓を左膝に置き、右手は右の腰にとる。

弓構ゆがまえ は、右手を弦にかけ左手を整えてから的を見ると、打起うちおこし。

そのまま静かに両拳を同じ高さに持ちあげ、引分ひきわけ。

打起こした弓を、左右均等に引分ける。

かい、引分けが完成し心身が一つになり、発射のタイミングが熟すのを待つ。

呼吸を詰めず、お腹の力が八分九分に満ちるのを待つのだ。

そして、はなれ。

胸廓きょうかくを広く開いて、矢を放つ。

射法の七つ目でようやく矢を放つのだ。

残心ざんしんは射の総決算。

矢が離れた直後の、心身の状態の事を表す。

二人の放った矢は的に中っていた。

「二人ともありがとう。部長たちの射は綺麗だろ? 大会においては的中率が大事だが、中りを求めてはいけない。何故だか分かるか?」

答えられない一年の代わりに応えたのは、蓮と遥だった。

「ーー中りを求めると変な癖がつき、射形が乱れやすいからです……」

「遥さんは?」

「蓮…部長の言ったとおりだと思います。仮に一時的に的中率が上がったとしても、長続きはしませんし……。弓道ではその場の的中よりも……正しい射を求めて向上していく事が、大事にされていると思います」

「そうだな……」

一吹が同意のようで頷いて応えると、良知も納得していた。彼らの答えは正しいのだ。

「あぁー。だから、焦らずにな? 弓道には正射必中という言葉があるくらいだからな」

「はい!」

はっきりとした口調で応えた彼らに、コーチ等は的に中てるために、正しい射法を目指して日々練習する事が大切だと、改めて伝えたかったようだ。慣れは時に射を乱す事にも繋がるのだ。

ーー正射必中……。

正しい射法で射られた矢は、必ず中るという意味。

おじいちゃんもよく言ってた……。

弓道は高い指標「真・善・美」を掲げている。

自分と向かい合い、心を養い、常に平常心でいられる心を作ることが、弓道の本来の目的。

正しい射行しゃぎょうは正しい姿勢から……。

心がけてはいても、難しい道。

修練を続け極めたものだけが、おじいちゃんやカズじいちゃんのように高段位や称号を得られる。

私たちの道は、まだ始まったばかり……。

「ーー次は射形を意識して練習するように」

「はい!」

一人四射ずつ弓を引いていく中、コーチ等が学校に関係なく射形を見て回っている。

「一吹さんも良知さんも的確だね」

「そうだな。さすがコーチだよな」

二人の順番も回ってきた為、一年生に混ざって矢を射ると、四射皆中を決めていた。彼らは練習で、滅多に外すことはない。

「松風と遥さんは、そのままで」

「は、はい」

そのまま?

二人は顔を見合わせ矢取りを行うと、良知に指示されたとおり、射詰を行なっていく。一年生が変わるがわる矢を射る中、二人はそれぞれ一つの的にあて続けていた。

十二射皆中を決めた所で、的を八寸的へ変更していく。未経験者もいる為、いつもより小さな的へ中られるか試すようだ。

「一回り違うだけで、難しくなるからな……」

「そうだね……」

的中率はさっきまでより低いけど……。

射形は、今までで一番整ってる。

集中が途切れることなく、矢を射ることが出来ている証拠だろう。遥は部員を見つめながら、微かに笑みを浮かべている。

他校との練習は良い刺激になっているようだ。特に清澄弓道部員にとっては、他校と練習する機会は殆どない為、貴重な時間と言えるだろう。

遥が後輩の的中を記録していると、良知に声をかけられていた。

「最後に部長たちの射を見たら合流だな」

「はい」

用意された八寸的に向け弓を構えると、迷いなく放たれた矢が的に中っていく。先程までの一年生と同じく八本射ると、皆中した所で合流となった。


「遥、これが午後の結果」

「翔、ありがとう。みんな、外周お疲れさま」

「お疲れー」

「久しぶりに走ったー」

「うん……」

清澄の面々の疲労具合から、走った事は明白である。

「遥は、何してたんだ?」

「射形の見直しと……八寸的も使って、矢を射る反復練習かな」

翔の問いに応えながらも、個人の結果を見ている遥がいた。

ーー翔、陵…美樹、マユ、カモちゃんが八射六中以上……。

その日のコンディションに左右されるけど、団体メンバーは四中以上してるから…進化してる……。

最後まで残ったのは翔と陵。

優勝は予想通り、佐野さん……。

風颯は確かに強い。

でも、清澄も……みんなも、強くなってる。

そう彼女が感じている中、良知の提案により決勝まで残った八人に部長たちを含め、十人による射詰を行う事となった。

「五本目からは八寸的にするからなー」

「はい」

くじを引き、立ち順通りに並ぶと、蓮から順に弓を引いていく。次々と放たれる矢は圧巻だろう。的中率が高い者しかいないからだ。

それでも二射目以降、外す者は出てくる。八寸的に切り替わる頃には、六人になっていた。それほど中る事は難しいのだ。

遥は深く息を吐き出すと、切り替わった的に目掛けて矢を射る。

「ーー部長…凄い……」

加茂が漏らした通り清澄で残っているのは、八射を終えて遥だけとなっていた。風颯は佐野と蓮が残っている為、三人だけで弓を引いていく。

「……そこまで」

十二射を終え、最後まで残っていたのは蓮と遥の二人だけとなっていた。

ーー緊張した……。

でも…楽しかった……。

「……ありがとうございました」

「ありがとうございました……」

彼に差し出された手を取ると、二人は握手を交わしていた。それは射手いてとして、あるべき姿だった。







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