第30話 終局
東海高校総体が、今年は県武道館で行われていた。団体は十六校参加の中から、個人は二十人の中から順位が決まるのだ。
「去年はどこだったの?」
「岐阜だったよね?」
「あぁー、藤澤先生と四人だけで行ったんだよな?」
「そうそう。遥は優勝してたけど、俺らは予選通過できなかったな。話してなかったっけ?」
「合宿の話があって流れたんじゃないか?」
「そうだったかな……」
彼女にとって順位は結果であり、兄や蓮を見てきた為、優勝すると嬉しくはあるが、それ以上のものではないのだ。
開始式が終わると、十三時二十分より男女団体予選一回戦が始まった。
一人四射を今日行う一回戦、明日の二回戦ともに弓を引き、上位八校が決勝トーナメント出場となる。その為、明日にならないと結果が出ないのだ。
補欠を二人含む七名が団体にエントリーされていた。
冊子を見ていた彼女たちは、男子メンバーの射に視線を移していた。彼らは羽分け以上を出し、二十射十二中している。
「ーー緊張するね……」
「うん……」
美樹は遥の手を握っていた。彼の緊張感を敏感に感じていたのだろう。
ーー大丈夫……。
今まで、頑張ってきたんだから……。
彼女たちも同じように場内に五人並ぶと、次々と弓を引いていく。時折、心地のよい弦音を響かせながら、的に中っていた。
「女子は十四か……」
「あぁー」
冊子に的中数を記入する翔は、自分たちよりも中っていた彼女たちの集中力に感心していたようだ。
十五時二十分より始まる個人予選一回戦を前に、それぞれ学校でまとまり昼食を取っている。今日は雨という事もあり、観覧席で休息をとっている学校が殆どだ。
「これ、俺から差し入れな」
一吹から差し出された箱には、チョコレートが入っていた。
「わーい! ありがとうございます」
「一吹さん、ありがとうございます」
「遥、陵、翔は二度目になるみたいだけど、団体はどうだ?」
「個人とは違いますね」
「はい……。緊張しました」
「遥でも緊張するんだな」
「するよ。何だと思ってるの?」
「鉄の心臓?」
「陵、酷くない?」
周囲からは笑みが溢れる中、彼女は変わらない雰囲気に、ほっと胸をなでおろしてた。
ーーうん……。
この雰囲気なら、個人も引けそう……。
鉄の心臓ではないけど…それくらい強い心があれば……。
迷ったり…立ち止まったり……しなくて済むのかな……。
「美味しいです」
「一年も応援お疲れさま。見るのも疲れるだろ?」
緊張感のある中、見るのも体力が削られるのだ。
「来月は合同練習とかも考えてるから、上手い人の射形を見て学ぶといいぞ?」
「はい!」
彼らの素直な反応に、一吹は笑みを浮かべているのだった。
「部長。個人予選も今日と明日にありますけど、合わせた結果で順位が決まるんですか?」
「あぁー。的中数の多かった上位五人が、明日の射詰競射に決勝進出だからなー」
「今回は自分たちの県であるから、有利っすね」
「そうだな。でも、毎回開催場所は変わるから条件は変わらないよ」
「翔が出てくるよ?」
由紀子の声かけに視線を場内に戻すと、翔は二番目の立ち位置で整えていた。
矢を放つ音が響く中、心地よい音がしている。八番目に立つ彼の音だ。
「八番の人って、風颯の大前だった人ですよね?」
「あぁー、そうだな」
「強豪校って凄いんですね……」
「松風くんは、昨年のインターハイ覇者ですからね」
「そうなんですか?! 藤澤先生!」
「えぇー」
「この大会も連覇がかかってるんですか?」
「いえ、個人は二位でしたね」
「えっ?! 他県に上手い人がいたんですか?」
次々と一年より出てくる疑問に、藤澤は微笑みながら応えていく。
「いえ……。チームメイトにライバルがいたようですよ」
「へぇー、そうなんですか。一吹さんの時もみんな強かったんですか?」
「俺の時は、県大会は優勝常連だったけど……。インターハイは、入賞ギリギリだったな」
「凄いじゃないですか!」
一吹は、彼らの熱い眼差しを眩しく感じながら、視線を場内に戻すと、陵が弓を構えていた。
彼の放った矢は的に中り、部員たちも高揚している事が、手に取るように分かる藤澤と一吹がいた。
「次、ハル先輩が出ますね」
「そうだねー」
「遥なら、大丈夫だよ」
「そうだな」
彼女の射が乱れる所は、誰も想像できないようだ。遥は中央辺りに立っていた。
彼女の放った矢は的に中っていく。外すそぶりはない。
四射皆中を決めたのは、彼女だけだった。
「ハル先輩、凄い!」
「凄いな!」
彼女の的中率の高さを、一年生の彼らは改めて実感していたのだ。
「ふぅー……」
遥は思わず息を吐き出していた。緊張感から解放されたのだろう。
ーー明日も同じように……。
弓を引く事。
彼女が弓と矢を片付け、部員の待つ観覧席へ向かう中、彼とすれ違った。二人は言葉を交わすことなく、視線を通わせると、それぞれの場所へ歩いていく。
ーーうん……。
大丈夫。
何の根拠もないが、彼女はそう思えた。蓮の姿を見て安心したのだろう。明日も上手くいくと感じているのだった。
大会二日目。
九時より、団体予選二回戦が始まった。
「ーーいよいよだね……」
「はい……」
三年の由紀子と隆にとっては、最後の大会となるのだ。昨日と同じメンバーが場内で弓を引いていく。彼女たちは、少しでも長く弓を引けるように願っていたのだ。
大前から順に矢を放つと、昨日より一本多く的に中り十三本。昨日と合わせ二十五本。予選を七位で通過した為、決勝トーナメントに出場できる事になったのだ。
手を取り合い喜ぶ部員を、一吹も藤澤もようやく此処まで来たと、感じているのだった。
男子と入れ替わりで女子が場内に立つと、彼女たちも昨日と同じように弓を引いていく中、女子で四射皆中を二日続けて出したのは、遥だけだった。
「先輩たちは十二……。昨日と合わせて二十六ですね」
「ハルたちも進めるな」
「はい!」
あと二チームを残し、彼女たちは同率二位につけていたのだ。八チームが決勝トーナメント進出の為、残りの試合を待たずして決勝進出を決めたのだ。
個人予選二回戦。
出場者は道場内に集まり、出番を待っている。
「遥、いってくるな」
「うん! 二人とも頑張ってね」
軽くハイタッチを交わすと、先に順番のくる二人が控え室へ移動していく。遥は一人、出番が来るのを待っていた。
ーー張り詰めるような緊張感……。
この感覚だけは、いつになっても慣れない。
彼女は的をまっすぐに見据え、弓と矢を構えていく。団体で四射終えた後も、変わらずに弓を引いていたのだ。
「一吹さん、陵先輩と翔先輩は午後からも出れるんですよね?」
「あぁー。六本で同率者は、そのまま十四時二十分からの射詰競射に出れるからな」
「今年は七人決勝進出か……。女子は遥が一位通過だな」
一吹の言ったとおり、彼女は昨日から一度も外していないのだ。飛び抜けた実力者だと言えるだろう。
彼女の矢を射る姿は、風颯のように他校生も見学している事が多いのだ。
ーーよかった……。
次は団体決勝トーナメント。
このメンバーで出る最初で最後の大会。
最後まで悔いのないように……。
団体は十二時半からの為、各校空いた時間に昼食をとっているようだ。
「お疲れー」
「お疲れさま」
彼女が観覧席へ着くと皆、お弁当を食べていた。男子団体は三番目に試合を行うのだ。
「皆さん、よくここまで残りましたね。最後まで思い切り弓を引いて下さいね」
「はい!」
藤澤の試合前の言葉に、勢いよく応えた彼らを一年生は、三年生にとってだけでなく、二年生にとっても今のチームで最後の大会になると実感していたのだ。
決勝トーナメントも予選と同じく一人四射、一チーム二十射で競われる。
遥はゼリー飲料を飲みながら、彼らの射を見守っていた。
大前の陵から順に放たれていく矢は、午前中と同じく十三射。対戦校は十一射と、清澄は初の東海高校大会で準決勝まで進んだのだ。これで同率三位は確定である。
目の前で勝利を収めた彼らに、続きたいと願う遥たちがいた。
すごい……。
準決勝!
私たちも残りたい。
揃って、準決勝で弓を引きたい。
遥の想いは増すばかりだ。
彼女たちも三番目の試合となった為、出番の時を待っている。
「遥……」
「美樹、どうしたの?」
「私…弓道続けてきてよかった……」
「うん……私も……」
微笑んで応える遥は、楽しみでもあり、ずっと続いてほしいと願ってしまうような複雑な感情だったのだろう。深く息を吐き出した彼女が的を見据えると、その表情は一変していた。
「ーー残るな……」
「蓮、どうかしたのか? 次、準決だろ?」
「あぁー、今いく」
先程まで見ていた彼女の射から、チームメイトに視線を移すと、他県の高校との試合を楽しみにする蓮がいたのだ。彼の呟いたとおり、彼女のいる清澄高等学校は十三射。対戦校は九射だった為、男子と揃って準決勝の舞台へと進んだのだ。
進むに連れて参加校が少なくなる為、すぐに男子の準決勝が行われていく。
場内では県内の強豪校風颯の五人が弓を引いていた。女子は先程のトーナメントで敗れた為、四県中、男女揃って準決勝の舞台へ進んだ学校は、清澄高等学校だけになっていた。
ーー蓮……。
頑張って……。
彼の変わらない美しい射に、遥は彼らが進むと確信していたのだ。何故なら、他校を大きく引き離すほどの的中率で矢を射るからだ。今も十八射と、対戦校に差をつけていた。
「やっぱり、風颯はすごいね」
「うん……」
清澄男子メンバーが場内に構えると、彼女たちはまっすぐに彼らの射を見つめていた。
大前の陵が中ると、続くように和馬、部長、雅人、翔の順に響いていくみたい……。
みんな……。
遥はチームメイトを見守りながら、彼らの進化を近くで感じていたのだ。
「惜しい……」
「そうですね」
由紀子の言葉に応えた遥は、もう一度的に視線を移していた。彼らの中った矢は十三、対戦校は十四と僅か一本の差で同率三位の結果に終わったのだ。
ーーこういう気持ち……。
何度目になるだろう。
……あと一歩が届かない。
「……遥、行くよー」
「うん!」
深く呼吸をし、彼女が放った矢は変わらずに的に中っていく。
精神的にも安定がとれているのだろう。射形を乱す事なく弓を引いていた。
「やっぱ、凄いな……」
「あぁー」
普段の練習を間近で見てきた陵と翔が溢した言葉に、納得する彼らがいるのだった。
他に言葉が出ないほど、彼女は安定して弓を引いていたのだ。
落ちの弦音に導かれるように、弓を引くチームメイトを彼らが見守っていると、すぐに結果が出た。
清澄は十二射、対戦校は十四射。彼女たちも男子と同じく同率三位で幕を閉じた。
悔しさも残るが、初めての大会に、順位の残る結果に、嬉しくないわけがない。観覧席では、五人抱き合う彼女たちがいた。
ーー嬉しい……。
心残りはあるけど…嬉しい……。
此処まで五人で、これた事。
一人では辿り着けない場所。
遥は皆と抱き合う中、個人決勝に向けて気持ちを切り替えているのだった。
「藤澤先生、風颯の大前が二位って言ってましたけど、優勝者は誰だったんですか?」
五本目より一回り小さい八寸的に切り替わるが、それでも外すことなく中り続けたのは、蓮だけだった。七射目で決着がついた所だ。
藤澤は青木の声に微笑んで応えていた。
「松風くんの前に部長だった……神山満くんですよ」
「神山って、ハル先輩のお兄さんですか?!」
「青木くんは知ってたんですね」
「はい! 神山兄妹は中学の頃から有名って、聞いた事があって!」
興奮気味に応える彼に、周囲はあっけにとられているようだ。
「神山さんが出てきますよ?」
「はい!」
チームメイトが場内に視線を移すと、射詰が始まった。矢を射る度に、一人、また一人と減っていく中、最後まで残ったのは遥だった。
女子は六射目で決着がついていた。
弓を引き終えた彼女は、安堵したような表情を浮かべている。
表彰式の際、三位校選手としてチームメイトが並ぶ中、遥は個人優勝者として一番前の左端に並んでいた。
ーー終わった……。
表彰式の度に思う。
あの頃……夢見た高みに、どれだけ近づいているのかな?
遠く果てしない……。
そしてーー……。
「……清澄高等学校」
三位で男女共に学校名を呼ばれ、遥は拍手をすると美樹たちと視線が合い、小さくピースサインをしてみせた。
いつも髪を一つに結び、ピンと背筋の伸びた彼女の横顔は、大人びて見える。
観覧席で見ていた一年生は、先輩たちの表彰を喜ぶと同時に、大会に出たいと、弓を引きたいと、思っていた。一吹は、そんな彼らを羨ましく感じながらも、コーチをやって良かったと、心から感じているのだった。
「藤澤先生」
「一ノ瀬先生、おめでとうございます」
「いえ、こちらこそ。男女共に表彰されるのは、凄いですね。昨年とは別人のようで驚きました」
「皆さんのおかけですね。また宜しくお願いしますね」
「こちらこそ、宜しくお願い致します」
監督として並んでいた藤澤と一ノ瀬は先生同士話をしている。
閉会式が終わった為、清澄高等学校の面々は写真を撮っていた。
「遥ー、もっと寄ってー!」
「入ったー?」
「オッケー! タイマーにするよー!」
笑顔で二十二人揃って写る彼らがいた。特に遥たち二年生は、部長たち三年生との別れを惜しんでいるようだった。
「部長、ユキ先輩! 一緒に写真いいですか?」
「勿論!」
「後でメッセに送っといてー」
「はい!」
楽しそうに微笑む彼女を横目に、彼は部員たちと共に県武道館を去っていく中、呼び止められていた。
「松風くん! 握手して貰っていいですか?」
「へっ?」
「蓮、モテモテだなー」
「佐野! そんなんじゃないだろ?」
蓮に手を差し出したのは、他県の彼と同学年の男子だったのだ。
「また全国で……」
「ーーはい……」
モテモテと言うより、宣戦布告と言った方が正しいだろう。握られた右手に、彼は八月にまた戦うことになる事を予感していたのだ。
写真を取るのに夢中になっていた遥は、後ろにいた人にぶつかっていた。
やば!
「す、すみません……」
「……遥?」
彼女が顔を上げると知った顔があった。
「ーー……蓮!」
「大丈夫か?」
「う、うん」
「お疲れさま」
遥の頭を撫でると、彼は優しい笑みを浮かべている。
「蓮もお疲れさま」
「あぁー、またな」
「うん」
手を振り別れる二人は、いつもと変わらないようだ。
「ハル、またなー」
「森先輩、お疲れさまです」
中等部からの見知った顔があると、彼女は挨拶に応え、チームメイトの元へ戻っていくのだった。
彼女が私服で道場に着くと、蓮が袴姿のまま現れた。
「お疲れさま」
「お疲れさま…蓮……」
県武道場とは違い、二人は抱き合っていた。
「優勝おめでとう!」
ほぼ同時に言い合っていた為、思わず笑みが溢れている。
「すごかったな……」
「うん…楽しかった……」
「……そうだな」
彼の手が遥の腰を引き寄せていた。
「ひゃっ……」
「遥…ちょっと充電……」
「ーーうん……」
彼のさらさらの髪を優しく撫でた遥もまた、彼の腕の中でほっと、一息ついているのだった。
昨年よりも引退がのびた三年生の二人は、最後に東海高校総体に出場でき、充実した三年間だった事だろう。
「今の二年生が入部してから、弓道部は変わったと思います。ハルちゃんと翔には、全国でも頑張ってほしいです」
「俺も同じですね。二人には全国で……。そして、この後にある大会でも新しいチームで残れるように、頑張っていってほしいです。藤澤先生、一吹さん、ありがとうございました!」
「ありがとうございました」
隆と由紀子が一礼する姿に、遥は昨年のことを想い返していた。
「……では隆部長、最後の仕事です」
「はい! 部長をハルに!」
「は、はい!」
指名は、この場で初めて聞かされる為、彼女の声は微かに震えていた。
「副部長を翔に!」
「はい」
「二人とも頼んだぞ?」
遥と翔は顔を見合わせると、元気よく声を揃えて応えていた。
「はい!!」
「神山部長、白河副部長、これからよろしくお願いしますね」
「はい」
藤澤に呼称され、改めて部長に、副部長になったと実感する二人がいた。
花束と小さな色紙を手にした隆と由紀子と共に写る写真には、うっすらと涙目になっている遥がいるのだった。
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