第29話 写真

『もしもし? 遥?』

「蓮、お疲れさま」

『どうした? 明日から修学旅行だろ?』

「うん……。行く前に声が聞きたくて……」

彼女はベッドに寝転びながら、電話をかけていた。修学旅行が楽しみなのか、眠れないのだ。

『ーー来週末の東海総体…楽しみだな……』

「うん……。蓮の射…すごかったね……」

『ーー遥……今から少し出れるか?』

「えっ?」

『会いたい』

「う、うん……」

電話を切ると、遥はショートパンツにTシャツを着ていた上から、手早くロングカーディガンを羽織り、いつもの待ち合わせ場所に静かに向かった。

彼女が家から出ると、彼がその場所に立っている事が直ぐに分かった。

「遥……」

彼女は彼の腕の中に飛び込んでいた。二人は抱き合ったまま、小さな声で話をしている。夜の十一時を回ったところだ。

「ーー蓮……」

「明日から三泊四日だよな?」

「うん……」

「遥、気をつけてな」

「うん、お土産買ってくるね」

「あぁー。写メ、待ってるな」

「うん!」

強く抱きついてきた彼女の柔らかな感触に、彼から小さな溜め息が溢れている。

「ーー遥……ブラしてないだろ?」

「あっ……」

寝る時つけないから、そのまま出てきちゃった!

恥ずかしい!

彼女は頬を赤らめながら、カーディガンで胸を隠す仕草をしている。

「……ったく、送ってく」

彼女の手を引いて歩く、彼の頬もまた赤くなっているようだ。

「じゃあ、おやすみ……」

「うん…おやすみなさい……」

「またな」

「うん……」

軽く触れるだけの口づけを交わすと、蓮は足早に帰っていく。その後ろ姿を彼女はしばらくの間、見守っているのだった。




「着いたー!」

「久々に来たなー」

「清水寺かー。翔、大丈夫か?」

「あぁー」

そう応えた彼の顔色は悪いようだ。

「どうかしたの?」

「翔、高いところ苦手なんだよ」

翔の意外な一面に、集合写真を撮り終わえた五人は微笑んでいた。彼らは、清水の舞台から景色を眺めていたのだ。

「白河の意外な弱点だよね」

「五條に言われたくないなー」

「そしたら、下を散策する?」

「あぁー」

修学旅行は班行動が主な為、六人とも楽しそうにしているが、美樹と陵のラブラブっぷりにあてられそうになっていた。お揃いの御守りを買ったり、買い食い時に食べさせあったりしているからだ。

「美樹と松下は仲いいねー」

「だろー?」

「ご馳走さま」

「二組は意外とカップル多いよなー」

「そうなんだ」

「遥もリア充じゃん」

「リア充?」

「リアルの生活が充実してるってこと!」

「うん。部活は充実してるよね?」

「遥、そういう意味じゃないと思うけど……」

「弓道は生活の一部だよ?」

「ハルって、たまに天然だよなー」

「天然? 竹山に言われたくない」

六人は班を組んだだけあって、気が合うようだ。話しながら清水坂や二年坂を巡っていく。

「次、あれ食べたい!」

「竹山、食べすぎじゃない?」

「いいじゃん、サユ! こんな時しか食えないんだから」

「いいけど、夕飯入らなくなっても知らないよ?」

「大丈夫。大丈夫」

先程までコロッケを食べ歩きしていたのだが、八つ橋シュークリームも竹山が率先して買っている。辛いものの次は、甘いものが食べたくなるようだ。

「遥ー、気になるのあった?」

「うん。八つ橋って、こんなに種類があるんだね」

「本当だね。かのこ入りだってー」

「美味しそう」

おばあちゃんがすきそう……。

久しぶりの京都。

昔はよく、おじいちゃん達と来てたけど……。

ーー懐かしい……。

遥は懐かしく感じながらも、六人で過ごす班行動の時間を楽しんでいるのだった。


「明日は奈良だよなー」

「うん、楽しみだね」

「竹山、あんだけ食べ歩きしたのにまだ食べれるの?」

「サユ、あれは間食じゃん! 全然食えるし。米、おかわりしていい?」

「いいけど、凄いね」

「おひつ、こっちにあるからよそうよ?」

遥が手を差し出すと、竹山は茶碗を手渡していた。

「陵と翔もおかわりする?」

「いるー」

「俺も」

「小百合ちゃんと美樹は?」

「ううん、大丈夫」

「うん、お腹いっぱい」

「そうだよね。残り三等分しちゃうね」

遥は残りのご飯を三等分にわけてよそっていた。

「はい、竹山」

「ハル、ありがとう」

「いいえー」

寝る部屋はさすがに男女別々だが、旅館での夕飯は班毎にテーブルについていた。クラスでまとまった席に配置されている為、一日の出来事を話しながら食べている班ばかりだ。

「ハルたちの班は、どこに行ったの?」

遥のちょうど後ろの席にいた寛子が、話しかけていた。もう食べ終わったのだろう。

「私たちは、二条城とか金閣寺、銀閣寺。あと龍安寺とかも回ってきたよ」

「うちらも金閣寺、銀閣寺は今日、行ったー」

「会わなかったね」

「そうだね。明日の奈良も楽しみだねー」

「うん!」

明日は東大寺で各クラスの集合写真を撮った後、また班行動なのだ。




「遥…何してるの?」

「あっ、小百合ちゃん…おはよう……。筋トレ?」

彼女は部屋の誰よりも早く起きると、部屋の片隅でゴムチューブを使い腕を動かしていた。

「弓に触らない代わり…感覚だけ掴めるから……。よく持ち歩いてて……」

「へぇー。そうなんだ」

みんなが起きる前に…やめるつもりだったんだけど……。

習慣なんだよね……。

弓を持ち歩けない時は、代わりにゴムチューブで身体を動かす。

本当はジョギングもしたいくらいだけど……。

さすがに修学旅行中の為、彼女は時間外の外出は控えていたのだ。

「ーー遥……蓮さんと会えなくて淋しい?」

「急にどうしたの?」

ゴムチューブを旅行鞄にしまう彼女に、小百合が尋ねていた。

「昨日、恋バナの途中で寝てたから、聞いてみたくて」

「うーん、淋しいって思う時もあるけど……。頑張ろうって、思えるかな」

ーー蓮には、励まされている気がする。

いつも……。

淋しくないって言ったら、嘘になるけど……。

蓮も頑張ってるって思うと、私も頑張らなきゃって思うから……。

蓮のように強くなりたいって思ってる。

彼女の凛とした横顔に、小百合は布団の中でうつ伏せになりながら、弓道をしていた時と同じ顔だと感じているのだった。


奈良の大仏で有名な東大寺を回った後、彼らは奈良公園を訪れていた。

「ちょっ! こわ!!」

「ねっ! 多くない?!」

「だよねー!?」

続々と鹿せんべいに連れられてやって来る鹿たちに、彼女たちは驚いていた。

「今、写真撮ってー!」

「はーい、撮るぞー!」

鹿の群れから逃れ、二頭だけ近くにいる状態で写る彼女たちがいたのだ。

「蒸してるねー」

「六月だからなー。女子部屋は、夜更かしとかしないのか?」

「昨日してたよ?」

「うん。恋バナしてたね」

「そうそう。遥が途中で寝落ちしてたけど」

「うっ……。眠くなっちゃって、今日は頑張る」

「大丈夫。私も寝てたから」

「小百合が寝た後、みんなも直ぐに寝てたよ」

「それなら、いいけど。男子は? 夜更かしした?」

「うーん、割とあっさり寝てたよな?」

「あぁー」

「起きてたぞ? 陵と翔が早かったんだよ。寝るのが!」

「そうなのか?」

「二人して爆睡だったから、UNOやってても全然気づかなかったんだよなー」

「そうだったんだ」

六人は公園を出ると、お土産を見つつ、興福寺、春日大社、薬師寺等を巡っていく。近距離に歴史的建物が点在していると言えるだろう。

昼食は学校指定の場所で、決まったものを食べていたが、その後は集合時間まで班行動の為、彼らは法隆寺付近で、柿のソフトクリームを買い食いしていた。

「美味しい」

「だなー」

「これなら、もう一個食えるな」

「さすが竹山ー」

六人ともアイスが美味しいようだ。六月とはいえ、蒸し暑い日が続いているからだろう。今日の天気予報は、傘マークがついていた。

「降りそうだな」

「うん」

空は昨日とは違い、雲が厚くなっている。翔の言ったとおり、今にも雨が降り出しそうだ。

境内の見学を終える頃、ポツポツと雨が降り始めた。折りたたみ傘をさす中、陵と美樹は相合傘をしている。

「松下、傘忘れたの?」

「あぁー。今日は大丈夫だと思って、ホテルに置いてきたんだよ」

「今日は夜からって予報だったからね」

「そうそう」

遥のフォローに同調する陵。蒸し暑い天候の中、しとしとと降る雨も、彼らには関係ないようだ。

傘をさす煩わしさを忘れ、寄り道をしつつ集合場所へ向かう六人がいたのだ。




ーー雨が降ると…想い出す……。

弓が上手く出来なくて、泣きそうになってた事。

追いつきたくても、追いつけない。

たった一つか二つしか変わらないのに、あの頃の私にとって、その差は大きなモノだった。

遥が目覚めると、昨夜遅くまで降り続いた雨は止んでいた。

『遥、おはよう』

短い文面でも、毎日のように連絡を取り合っている二人がいたのだ。彼女は携帯電話の画面に写るメッセージに笑みを浮かべると、すぐに返信していた。

『蓮、おはよう!』

「いってらっしゃい」の可愛らしいスタンプを押すと、すぐに既読になる。彼も携帯画面を見ていたのだろう。

蓮……。

いってらっしゃい。

いつもは私も道場にいる時間か……。

彼女が実際に弓に触れていないのは、帰宅後はいつものように弓を引く為、二日間だけだろう。そのたった二日でさえも、彼女にとっては待ち遠しく感じる時間なのだ。

布団から出て、窓辺にある椅子の上で足を抱えて座ると、彼へ電話をかけていた。

『おはよう……』

「おはよう……これから学校?」

『あぁー、朝練あるからな。遥は? まだ早いだろ?』

「うん…まだみんな寝てる……」

まだ六時半を回ったばかりだ。

『明日、帰ってくるんだよな?』

「うん……」

『待ち遠しいな……』

「ーーうん……」

毎日…会えてるわけじゃない……。

でも、距離感が違う。

彼女も同じ気持ちだったのだ。

『写真、ありがとう』

「うん…また明日ね……」

『あぁー、また明日な』

二分にも満たない短い通話を切ると、彼女は窓の外に視線を移した。雨上がりの澄んだ空を静かに眺め、余韻に浸っていたのだ。


祇園を中心に八坂神社や高台寺等を巡り、下鴨神社を訪れていた。

「干支の神様があるよー」

「本当だー!」

下鴨神社は初めて訪れた者が多い為、広い境内に驚いているようだ。

縁結びとしても有名な絵馬を手に、何を書くか悩んでいる翔と竹山がいた。すべての縁を結んでくれる為、六人とも無言で願い事を書いていく。

美樹と陵はカップルの為、同時に相生社あいおいのやしろの正面に立つと、向かって右回りで美樹が、左回りで陵が二周ずつ回り、三周目の途中で絵馬掛けを行なっていく。正しい作法でお参りをすると、他のメンバーは一人ずつ行なっていた。

ーー蓮とずっと一緒にいられますように……。

遥の願いは昔から変わらないようだ。それぞれが真剣にお参りを終えると、残り少ない京都での時間を楽しむのだった。


修学旅行最後の夜は、夕食後に学年全員で会館を訪れていた。クラス毎に座り、能楽鑑賞をしている。

ーー伝統……。

弓も歴史があるよね。

……去年の東海高校総体は、個人だけの出場だったから嬉しい。

団体で…みんなで弓が引けるんだ……。

遥は鑑賞中も、次の大会の事が頭から離れないようだ。

役者が能舞台で、囃子はやしに合わせ、謡曲をうたい、能面をかぶって演じていく。重要無形文化財に指定され、ユネスコ無形文化遺産に登録されている伝統的な能を、彼女は飽きる事なく堪能していたが、頭の片隅にはいつも弓道の事が浮かんでいたのだ。


京都タワーから見える街並みを最後に、想い出が詰まった修学旅行は終わりを告げ、いつもの日常へと帰っていくのだった。



「蓮、何ニヤついてるんだよ?」

「ニヤついてない」

「いーや、ニヤついてた! 最近、携帯見ながらニヤついてるじゃん!」

彼の携帯電話を覗くと、遥が友人たちと修学旅行を楽しんでいる様子が写っていた。

「満先輩の妹で、蓮の彼女かー」

「綺麗な子だなー」

「先輩とあんま似てない?」

「でも、背は高かったよな?」

練習が終わった為、佐野だけでなく蓮の周囲には帰り支度をしたチームメイトが集まっている。

「ほら! 鍵閉めるから、帰るぞ?」

「えーっ! もうちょっと見せてくれてもいいじゃん!」

「佐野うるさい。ほら、閉めるぞー」

「あー! 待て待て!」

弓道をしている時は大人っぽく見える蓮も、普段は年相応の反応をしているようだ。

「満先輩も土屋先輩も東京の大学だろ?」

「あぁー。大学は違うけどな」

「俺らも引退したら、受験生かー」

「その前に、大会連覇だろ?」

「勿論な!」

大会に向けてのモチベーションは十分なようだ。



蓮が弓道場へ立ち寄ると、遥が袴姿で弓を引いていた。彼女の綺麗な立ち姿を静かに見つめていると、四射皆中を決めた遥が彼に気づいた。

「蓮! お疲れさま」

「お疲れさま…遥……」

彼女が弓を置くと、蓮は抱き寄せていた。

ーー蓮だ……。

「京都と奈良どうだった?」

「楽しかったよ。八つ橋とかお土産あるから、おばさん達と食べてね」

「うん、ありがとう」

「あと…蓮にはこれ……」

彼女は学業成就の御守りを彼へ手渡していた。

「ありがとう……」

「うん……」

遥がぎゅっと彼に抱きつくと、蓮は彼女の頬に触れていた。三日ぶりに間近で見る彼女の笑顔に癒されていたのだ。

「遥……」

彼の甘い声に彼女は瞳を閉じると、二人の唇がそっと重なるのだった。




「二年からお土産です」

「みんなで食べて下さい」

放課後の練習終わりに、八人が買ってきた色々な味の八つ橋や宇治抹茶を使ったロールせんべい等を広げている。一吹や藤澤にも手渡すと、皆で食べ始めた。夕飯前のおやつだ。

「美味しいです」

「本当だー。美味しい」

「みんな、ありがとう」

「ありがとうございます」

部員の喜ぶ様子に、彼らも嬉しそうな表情を浮かべ一緒に食べている。

「写真貰ったけど、みんな楽しそうだったな」

「部長たちの時も八つ橋のお土産貰いましたよね」

「そうだったねー」

「懐かしいですね」

ーー時が経つのって早い……。

みっちゃんにもお土産送ったけど、食べてくれたかな?

「先輩たちって仲良いんですねー」

「あー、俺と美樹はつきあってるからな」

「二人は一年の時から同じクラスだからね」

「ちょっ、奈美!」

「班行動中もラブラブだったよ?」

「あぁー」

「もう! 遥だけじゃなく、翔まで!」

笑みの溢れる中、今日は解散となった。


「ハル先輩と翔先輩はつきあってないのかな?」

「それ、俺も思ったー」

「よく一緒に帰ってるよね?」

「それはないな」

「翔先輩!」

後ろを歩いていた一年たちの声が、彼にも聞こえていたのだ。

「遥、彼氏いるし」

「えっ?!」

大声を上げた彼らの方を遥だけでなく、美樹も陵も振り返っていた。

「どうしたの?」

「遥に彼氏がいるって話で驚いてた」

「あー、私も意外って思ってるけど……」

「いえ、そうじゃなくて!」

「同じ学校の人ですか?」

「ううん、他校だよ」

「どんな人ですか?」

「青木、聞きすぎー」

周囲の呆れ気味な様子に、遥は笑って応えていた。

「優しくて…強い人だよ……」

「強い?」

「じゃあ、私はこっちだからまたね」

「ちょっ、ハル先輩!」

「ほら、帰るぞー」

「翔先輩たちは知ってるんですか?」

「……さぁー」

「知ってますよね?! 気になるじゃないですか!」

「まぁー、そのうち分かるよ」

「そうだねー」

三人とも青木に教える気はないようだが、陵の言ったとおり、直ぐに周知の事実になるのだった。



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