第27話 初花

いつもの弓道場の桜に、遥はあれから一年経ったのだと感じていた。

ーー去年の今頃は、まだ弓を続けようか迷ってたんだっけ……。

もっと…ずっと前のことのような気がする……。

彼女がいつものように弓を引くと、心地よい音が響く。的を見据えた遥は微かに笑みを浮かべ、晴れ渡る空の下、綺麗に咲き誇る桜に視線を移していた。


「陵、美樹、呼び込み頼んだぞ?」

「はーい、部長」

「いってきます」

ジャンケンで負けた為、二人が新入生の呼び込み係になっていた。

「弓道部で、これから模範演技しまーす」

「見てってー」

勧誘のチラシを配っていく中、二人は去年の入学式を思い出していた。陵が彼女に惹かれた日でもあるのだ。


藤澤と一吹の発案により、遥と隆に翔が、着物姿で道場へ現れた。矢渡しの演武だ。

彼女が着物の袖にタスキをかけ、矢を射る。

弦音が響き、矢が的に中ると、周囲からは声が上がっていた。

「すごい…かっこいい……」

「何? 今の……」

「……綺麗」

彼女の美しい矢渡しが終わったのだ。


「この後は男女別に弓を引くので、見学してって下さいね」

由紀子の言葉に場内に入る者もいる中、役目を終えた遥は、ほっと息を吐き出していた。

ーー終わった……。

大会よりも緊張した……。

「ハル、お疲れ」

「部長、お疲れさまです」

「着替えてくるだろ?」

「翔もお疲れさま。うん」

三人とも着物から袴姿に着替えると、新入生が集まっていた。矢渡しの客寄せは成功したようだ。

「緊張するね……」

「遥でも緊張するの?」

「するよー! さっきのは大会よりも緊張した……」

「お疲れさま」

男子五人がいつものように並ぶと、弓を引いていく。周囲からは黄色い声援が送られていた。

「陵は、美樹のものだから大丈夫」

「もう、マユ! そう言うのじゃないから」

「顔が切なげだったよ?」

「ユキ先輩までー。やっぱりモテるんだなーって、ちょっと思っただけ……」

「ご馳走さま。あの顔に、人当たりのいい性格してるからねー」

「そうだね。二人仲良いもんね」

「遥も仲良いじゃない!」

自分の話から美樹は逸らしたいようだ。頬がピンク色になっている。彼女の可愛らしい様子に、リラックスする彼女たちがいた。おかげで、周囲の目を気にせずに矢を射る事ができたようだ。

「綺麗な音……」

「うん……。すごいね」

明らかに違う彼女の音に、惹かれた者もいるようだった。


「みんな、お疲れー」

「お疲れさまです」

「無事に終わってよかったー」

「部員集まるといいですね」

「そうだねー」

弓道部員はそれぞれ役割を終え、ペットボトルの飲み物で乾杯をしている。皆、多少なりとも緊張していたのだ。

「みんなは、クラス替えどうだった?」

「半分ずつに別れた感じですね」

「俺と翔と美樹と遥が一組で、雅人と和馬、マユと奈美が四組ですね」

「隣の組だったら、体育一緒だったのになー」

「そうだね。先輩たちは何組ですか?」

「俺が二組で、ユキが一組だな」

「うん」

制服に着替え、学年関係なく話をしていると、藤澤が道場を閉めるよう声をかけた。今日は部活が休みなのだ。

「じゃあ、またなー」

「うん、またね」

電車で帰るいつもの四人はチームメイトと別れると、始まったばかりの新学期が楽しみなのだろう。駅までの道のりも、話は尽きないようだ。

「まさか四人とも同じクラスになるとはなー」

「修学旅行もあるから楽しみだね」

陵と美樹のカップルは、嬉しそうに並んで歩いている。

「そうだね」

「元同じクラスの奴、他にいないのか?」

「三組で仲よかった奴は別れたなー。二組になってた」

「そうなんだ」

「翔も遥も仲いい奴と同じっぽかったよな?」

「うん。お弁当一緒に食べてた五條ごじょう小百合さゆりちゃんが、一緒だったよ」

「俺も昼よく一緒にいた竹山たけやまと同じだったな。二人ともバスケ部だよな?」

「うん」

「そうなんだぁー。今日は話せなかったから、明日は話しかけよう」

「俺もー。そういえば、委員会で一緒だったひがしは同じクラスだったな」

美樹も陵も人見知りしない為、友人はすぐに出来そうだ。


遥は一度家に帰り、昼食を食べ終えると、袴姿に着替えていた。部屋の姿見の前で、道着と髪を整えると、いつもの道場へ歩いていく。外は心地よい春の陽気だ。

ーー緊張したけど…楽しかった……。

おじいちゃん達には、ほど遠いけど……。

彼女はかつて、滋と一夫が行なっていた矢渡しを想い浮かべていたのだ。

遥が美しい所作で矢を射ると、心地よい音が響いていくのだった。


「……遥」

「蓮!」

彼女が片付けをしていると、道場に彼がやって来た。彼は部活の帰りなのだろう。制服姿に弓具を持っている。

「お疲れさま。矢渡し、どうだった?」

「無事に終わったよ。入部してくれる人がいるかは、まだ分からないけど……」

「頑張ったな」

「……ありがとう」

ーー蓮は…ほしい言葉をくれる。

いつだって……。

「蓮はクラス替えどうだった?」

「あー、佐野とはまた同じクラスだったな。遥は?」

「私は小百合ちゃんと同じクラスだったよ。あと、美樹と陵と翔も」

「よかったな」

「うん」

彼女が嬉しそうにする様子に、彼も笑顔になっている。

「また大会が始まるな?」

「そうだね。早いね……」

「県武道館で、また会おうな?」

「うん!」

二人は並んで話をしている。その手は繋いだままだ。

「新入生は、これから入部してくるの?」

「あぁー。まぁー、中等部で一緒だった子は、そのまま入部するらしいけどな」

「そうなんだ……。蓮、今日は寄ってくれてありがとう」

「いや……。遥の顔見れて安心した……」

「うん…私も……」

彼女の頭を彼が引き寄せると、そのまま彼の肩に頭を委ねているのだった。




「遥、お弁当食べよう?」

「うん、小百合ちゃんはバスケ部の子いた?」

「いたよー。向こうで話してる寛子ひろこ

長身の女の子が、元クラスメイトと仲良く話をしている様子が遥の目にも入った。

「遥より背が高いかもねー」

「嬉しいかも。大体一番後ろだったから」

「確かめてみる? 寛子ー!」

「小百合、どうしたの?」

寛子も小百合もバスケ部で背が高いというだけでなく、気さくな為、男女共に友人が多いようだ。

「前に話してた弓道部の遥だよ。ちょっと、そのまま立ってて?」

「遥ちゃん、よろしくね」

「こちらこそ、よろしくね」

小百合の発案により二人が背を比べると、寛子の方が若干高いようだ。

「やったー!」

二人同時に応えていた。

「あっ、ごめん……。久々に自分より高い人がいて嬉しくて……」

「私は小百合から、遥ちゃんの方が高いかもって、一年の時に聞いてたから嬉しくて……」

顔を見合わせ笑い合う二人は、さっそく打ち解けたようだ。

「遥ー!」

「あっ、紹介するね。同じ弓道部の篠原美樹ちゃん」

「美樹です。よろしくね」

「美樹ちゃんって、松下とつき合ってるって噂の……」

「そうだよー」

「もう! 遥!」

顔を赤らめる可愛らしい美樹の様子に、納得する二人がいた。

「私もお昼一緒していい?」

「勿論! 美樹ちゃん、よろしくね」

小百合ちゃんも気さくだから、すぐに仲良くなりそう……。

遥の感じた通り、親しげに話す彼女たちがいるのだった。



「何かあそこ盛り上がってるなー」

「遥は目立つからなー。陵は美樹と弁当食べるのかと思った」

「そういう時もあるけど、遥と一緒で嬉しいみたいだし」

「そっか……」

彼女たちが楽しそうに話す様子を静かに見つめている彼らがいた。



「部員、集まるかなー?」

「矢渡し効果があるよー」

「美樹ちゃん、矢渡しって?」

「うーん、今では演武みたいな感じかな? 動画あるよー。見る?」

「見たーい!」

「えっ? 動画撮ってたの??」

「うん。遥に言ったら、消してーって、言われそうだから内緒にしてたけどー」

「うっ……」

頬を赤らめる彼女に、二人は微笑むと美樹の携帯電話に視線を移した。

「わぁー! 綺麗……」

「でしょ! 音がいいんだけど、イヤホン持ってないから残念。小百合ちゃんにも聞いてほしかったなー」

「もういいよー。ご飯食べよう?」

「えーっ」

態と声を上げる二人に、彼女は無言でお弁当を食べ始めるのだった。


「遥ー、部活行けるか?」

「うん、美樹も行ける?」

「うん」

三人が教室を出ると陵が戻ってきた為、四人で弓道場へ向かう事になった。

「今日、体験入部の日だろ?」

「うん。女子は二人入部希望者いたらしいじゃん」

「そうなの?!」

「遥……。メッセージきてたよ」

「あっ……」

彼女は、携帯電話のメッセージに気づいていなかったようだ。変わらない彼女の様子に、三人からは笑みが溢れていた。


道場に着くと、先に着いていた和馬たち四人が用意を始めている。

「お疲れー。着替えたら、案内頼む」

「うん」

「了解」

袴姿の遥たち四人が、体験入学に来た一年生を案内していく。男女合わせて三十人以上の人が集まっていた。ここ数年で一番の集客のようだ。

「今から顧問の藤澤先生がいらっしゃるので、靴を脱いで道場へ上がって下さい。足は崩して大丈夫ですので……」

遥と美樹が一年生を案内していると、藤澤と三年生が入部した一年生を連れて顔を出した。

加茂かも鈴華すずかさんと、平野ひらの亜弥あやさんです。二人とも弓道経験者ですよ」

「わーい! 嬉しいですね」

「よろしくね」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」

緊張気味の加茂と平野の様子に、遥たちからは笑みが溢れていた。

経験者が入部してくれるなんて嬉しい……。

二人は、微笑んでいる遥へ視線を移していた。矢渡しを見ていたのだろう。


「顧問の藤澤です。今日は不在ですが、外部のコーチと二人で指導しています」

彼は三年生に視線を移すと、隆と由紀子が説明を始めた。打ち合わせ通りなのだろう。二人はスムーズに弓道部の説明を行うと、入学式と同じように男女別に弓を引いていく。

陵と翔の姿に、声を上げそうになっている一年生がいるようだ。変わらずに人気があるのだろう。

「かっこいい……」

「……袴姿いいね」

一年生は小声で話をしている為、弓を引く本人たちに声は届いていない。弓を引き終わり、彼女たちと入れ替わると、由紀子からいつもの順で弓を引いていく。

「すご……」

「音が……」

落ちで矢を射る彼女は、いつもと変わらずに四射皆中を決めていたのだ。


「この後、弓や矢を選ぶところから始めますので、ぜひ触れていって下さい」

「はい!」

遥は昨年の光景を想い出していた。今年も翔と和馬、陵と雅人が教えている的には、女子が数名集まっているからだ。

「相変わらず凄いねー」

「奈美! 私たちも教えよう?」

「そうだねー」

奈美と美樹、遥と真由子、隆と由紀子の二人一組で一年生に指導していく。中には経験者もいるようで、的に中る者もいるが、的に中る射はやはり少ない。

すでに入部している加茂と平野は、部長たちと一緒に体験入部を見学しつつ、弓を引いていた。四射二中している彼女たちの射に、隆と由紀子は嬉しそうしていた。

「神山先輩、弓や矢は一人ずつ違うんですか?」

「うん。その人に合ったものを使ってるよ」

「私も去年はじめたから、一年近く部活の備品を使ってたけど、ようやく自分の弓具で練習できるようになったの」

「そうなんですか……。奥が深いんですね」

真由子の言葉に、初めてでも弓道ができると感じたのだろう。彼女は瞳を輝かせながら、話を聞いているようだった。


簡易なテーブルにペンが用意されているが、まだ始まったばかりの仮入部期間の為、入部届けを出す者は少ないようだ。それでも女子はすでに入部している加茂と平野を含め五人、男子も四人入部となった。今年は中学からの経験者や授業で少し習った人もいる為、部員たちにとっては朗報である。

「白河先輩! 松下先輩!」

青木あおきじゃん!」

「久しぶりだな」

「はい!」

「誰? 二人の後輩?」

「あぁー、中学の時の部活の後輩」

「入部するんだろ?」

「勿論です! さっき提出しました」

二人を慕っているのだろう。話が弾んでいる様子にチームメイトも喜んでると、遥は声をかけられていた。

「神山先輩!」

「は、はい……」

「俺! 中学の時に神山先輩の射を見て、感動しました!」

「あ、ありがとう……」

遥は握られた両手を上下に動かす青木に、終始押され気味になりながら話を聞いていた。

「青木、遥が困ってるだろ?」

「あっ、すみません。嬉しくてつい……」

「いえ……。青木くん、これからよろしくね」

遥は笑顔で応えているが、内心は中学の時の自分を見ていた人がいる事に、驚いているようだった。




「あと男子が一人かー」

「そうだね」

「もっと入部してくれてもいいけどなー」

「うん。体験入部、明日で最後だもんね」

遥たちは的の準備をしながら、あと一人男子が入部してくれれば、一年生だけでも団体に出れる日が来ると、思っていたのだ。

「今日は遥たちが早いんだな」

「一吹さん、おはようございます」

「おはよう。遥たちの矢渡し、よかったぞ」

撮っていた動画を一吹も見たのだ。

「ありがとうございます……」

そう応えた彼女は、ほんのりと頬が赤くなっていた。恥ずかしかったのだろう。

「じゃあ、授業でやった事のある二人は、俺が射形を見るから、こっちに集まってくれー。他は、いつものように実践練習な」

「はい!」

一吹指導のもと練習が始まった。人数が多く、活気のある光景に、藤澤は笑みを溢していた。

「じゃあ、まず男子から団体のように引くからな。五人一組でやるから、一年には順に一人ずつ入るようにな」

「はい」

一年生は立ち位置がまだ定まっていない為、色々な位置で矢を射る事を、ここ数日繰り返し行なっている。男子が的を使う際、女子は素引きを主に行い、必ず一人は一年生とペアになり、記録をとっていた。

的中率の高い子で、四射三中している。昨年は未経験者もいた為、好調な滑り出しと言えるだろう。

「次、ユキ達な?」

「うん」

いつものように由紀子から順に五人並ぶと、順番に一射ずつ弓を引いていく。落ちの遥は、変わる事なく心地よい音を響かせていた。

「次は一年生と大前がハルちゃんの番ね」

「はい」

由紀子の声に応え、遥は続けて矢を射ると、彼女の音に導かれ、中る子もいるように、藤澤は感じていたのだ。


掃除を終えると、明日の体験入部の話になっていく。皆、部員を一人でも多く獲得したいのだ。

「明日で最後かー。一年生にも今日みたいに弓を引いて貰うとして……」

「そうだねー。また呼び込みもやる?」

「ですね!」

「そしたら、また二年でジャンケンするか?」

「賛成ー!」

まとまりのある彼らに一吹も藤澤も、安心して任せられるのだった。




和馬と奈美が呼び込みをする事になり、二人は袴姿で慣れない声かけを道場前で行なっている。

「見ていっても、いいですか?」

「勿論! 見学していってね」

「右手の下駄箱使ってもらっていいから」

「はい」

体験入部最終日の為、見学者が数名集まってきた。

清澄高等学校は、バスケットボールが男女共に一番人気があり、強豪校でもある為、部員はバスケ、テニス、サッカーのように好成績を残している部へ入部する者が多いのだ。そんな中、昨年の弓道部の活躍は目まぐるしいものがあり、ここ数年で最多の入部数を記録していた。

「次、女子一年な」

「はい!」

一吹がコーチをしている事も、見学者が増えた事に一役買っているようだ。彼に向ける一年女子の視線もあるが、一吹自身は純粋に弓道と向き合える者を望んでいる為、体験入部時に愛想を振りまいてはいない。いつもよりも真剣な様子で、彼らが弓を引くさまを見つめていた。


部員が団体のように弓を引き終わると、一吹も指導に加わった。見学者が弓を教わっていく中、先生とコーチから指示のあったとおり、半分の三つの的を使い実践練習を部員たちは繰り返していた。

「遥、翔、ちょっと交代な?」

「はい」

三年生の隆と由紀子が主に一吹と共に指導に回っていたが、遥と翔が呼ばれ、指導役を代わっていく。二人は、中学の時も指導役をした事があるのだろう。スムーズに説明をしていく中、備品の弓を引いて手本を見せるように言われた遥は、自分に合う弓と矢を選んでいた。

備品の弓と矢。

これだって、藤澤先生が選んだものや卒業生の寄付が主だから、けっこういいものだよね……。

彼女が選んでいる間、翔だけが指導にあたっている。

「一吹さん、用意出来ました」

「あぁー。じゃあ、右端の的で八射な?」

「はい」

彼女が弓を引く間、体験入部者は見学中である。遥は背後から視線を感じながら、深く息を吐き出すと、矢を放っていく。

「すごい……」

「……真ん中にあたった」

「うちの部で、一番の的中率だからな。美しい所作だろ?」

「はい……」

彼女が八射皆中を決めると、拍手をしている一年生がいた。

「あ、ありがとう……」

遥は頬を赤らめながらもそう告げると、翔も一年生と共に拍手をしていた。

「お疲れ」

「ありがとう」

「じゃあ次はいつもので、また八射な?」

「は、はい」

彼女が弓と矢を持ち替えると、同じように矢を放っていく。竹弓の特徴でもある心地よい音が響いた。

「一吹さんは、この音の違いを聞かせたかったんですか?」

「あぁー。これなら、誰から見ても音の違いが分かるだろ?」

「そうですね……」

翔は彼女から放たれる矢と、その音を真っ直ぐに見つめているのだった。


「入部届、書いていってもいいですか?」

「勿論!」

結局男子は二人、女子は一人入部となった。目標としていた男女五人ずつをクリアしたのだ。昨年の八人の入部から増え、十二人が入部となり、チームメイトは喜び合っているのだった。

ーーよかった……。

入部してくれる子がいて……。

遥は喜びながら、新しく一年生の加わった部活動を、これからの清澄高等学校での弓道を、楽しみにしているのだった。
















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