第25話 弦月

遥は軽くジョギングをしてから、いつもの道場を訪れていた。準備万端のようだ。

いつものように着替え、髪を一つに結ぶと、満と共に射詰を行なっていた。満の心地よい弦音と弓返りの音に続いて、彼女の音が響く。次々と的に中るさまは、美しいと言えるだろう。

「ーー…みっちゃん、ありがとう……」

「あぁー。俺の練習にもなるからな」

二人の的には、十二射ずつ矢が中っている。

「次は、五つの的に四射ずつ引いていくか?」

「うん! みっちゃんは午後も道場?」

「いや、今日は蓮と出かけてくる。ハルも来るか?」

「ううん。私は今日、藤澤先生と一吹さんに弓具店へ連れて行って貰えることになってるから……」

「弓、見にいくのか?」

「うん。高校から始めた子が見たいって言ったら、先生たちが案内してくれる事になったから……行ってみたくて」

「よかったな」

「うん!」

矢取りが終わり、遥は息を大きく吐き出すと的を見据え弓を構えた。

彼女の放った矢は的に中っていく。彼の言っていた通り、五つの的には四射ずつ矢が中っているのだった。


「皆さん、揃いましたね。では、行きましょうか?」

「はい!」

一年が八人揃うと、藤澤と一吹が彼らを連れて学校から歩いていく。

「歩いて行くんですか?」

「えぇー。私も一吹くんもよく行く弓具店ですから」

「駅前にあるの見た事ないか?」

「見たことありますけど、入った事ないですね」

「陵たちは? 中学もこの辺りだったんだろ?」

「初めて弓を買った店ですね」

「はい。丁寧なおじいさんに選んで貰いました」

「へぇー。皆も色々、店主からも聞くといいぞ? 弓道家でもあるからな」

「はい!」

弓具店へ向かう道中も、彼らは心を躍らせていた。


藤澤や一吹も常連と言う千賀せんが弓具店へ着くと、十三代目店主が彼らを出迎えていた。

「藤澤先生、一吹くん、ご無沙汰してます。清澄高等学校の皆だね。今日は来てくれてありがとう。ゆっくり見ていってね」

「はい!」

元気な口調で応える彼らに、浩司は微笑んでいた。

「……浩司さん、お久しぶりです。矢をお願いしてもいいですか?」

「ハルちゃん! 別に来るかと思ってたから、驚いたな。預かるね」

「はい」

浩司が彼女の矢を受け取ると、彼女は他の生徒と同じように藤澤や一吹の話を聞いている。その姿に彼女がまだ高校生だった事を、改めて実感する浩司がいたのだ。

「浩司さん、見てもらってもいいですか?」

「一吹くん、勿論だよ」

浩司は、部員たち四人の弓を藤澤と一吹と共に選んでいる。

「遥も常連?」

「うん……。小さい頃からお世話になってる所かな」

「なぁー、遥。おじいさんは居ないのか?」

「おじいさん? 勝敏さんの事かな? 先代もいるよ。浩司さんが今の店主だけど」

「そうだったのか」

「聞いてみる?」

「あぁー」

翔の言葉に、彼女は微笑むと浩司へ話しかけていた。

「じいさんに? 藤澤先生が来るって言ってあるから、もうすぐ帰ってくると思うよ?」

「ありがとうございます」


雅人、和馬、奈美、マユの四人は自分の弓が欲しいのだろう。先生たちと共に真剣に選んでいる。

「藤澤先生、学校で使ってるのだとグラスファイバーって事ですか?」

「そうですよ」

「グラスファイバーより軽くて、的中に優れているのがカーボン弓の特徴だよ。値段は四万くらいからあるから、グラスファイバーよりは高めになるけどね。弓力も基本的に落ちないから、この二つが皆には合うと思うよ」

浩司の丁寧な説明に彼らが耳を傾けていると、勝敏が帰ってきた。

「先生に、一吹くん……。清澄高等学校の皆かな? いらっしゃい。ゆっくり選んでいってね?」

「はい!!」

白髪の年配の男性は、若い子たちの様子に微笑んでいる。

「ハル、久しぶりだね」

「ご無沙汰してます。二人が、トシじいちゃんに弓を選んで貰ったんだって……」

「本当かい? 続けてくれてるなんて嬉しいねー」

「今も使えるものを選んでいただいたので……」

「こちらこそ、ありがとうございました」

陵と翔の様子に勝敏は、懐かしむような笑みを浮かべていた。

「雅人くんは、カーボンにするかい?」

「はい!」

「そしたら弦も張ってみようか?」

「いいんですか?」

「勿論! 手の感覚とか、今まで使っていたものと違うと思うからね。試射ししゃするといい」

「ありがとうございます」

雅人が器用に弦を張ると、店内奥の広いスペースで構えてみた。そこには巻藁まきわらが置いてあるのだ。

「雅人、さまになってるな」

「一吹さん! これにします!」

「合うのが見つかってよかったな。勝敏さん、浩司さん、ありがとうございます」

「それはよかった」

「何か不具合があったら、店に持っておいでね?」

「はい!」

雅人だけでなく、他の三人も選んだ弓に満足そうにしている。明日から弓を引くのが楽しみなようだ。


さすが浩司さん……。

弓具の選び方が的確。

十三代目は伊達ではないのだ。彼も弓道家なだけあって専門的な事だけでなく、いかに使いやすい自分に合ったものを選ぶか心得ているのだ。

会計も終わり話をしていると、店内に客が入ってきた。

「浩司さーん。持ってきました……」

「みっちゃん!」

「ハル!」

兄が来るとは思っていなかった為、彼女は驚いていた。話を聞くのに夢中で、彼女は時間が経っていた事に気づいていなかったようだ。素引きや試射をしながら彼らが弓を選んでいた事もあり、もう夕方である。

「遥……」

「蓮……。出かけて来るんじゃなかったの?」

「今、その帰りで……矢をお願いしに来たところ」

「ミツくんと蓮くんの矢も預かるね。一週間、時間貰うから」

「はい、お願いします」

思いがけず彼と会い、遥は嬉しそうにしている。

先程、浩司が言っていたのはこの事だったのだ。彼らと一緒に顔を出すと思っていたのだろう。

「遥、寄っていけるか?」

「うん。後でね」

「あぁー」

すぐに帰ろうとする彼らに、勝敏が声をかけていた。

「ミツ、蓮、たまには付き合ってくれないか?」

「トシじいちゃん、俺ら負けないよ?」

「それは楽しみだな」

二人は顔を見合わせて微笑むと、勝敏と店内奥の畳の部屋に腰掛け、将棋を指しているのだった。


「藤澤先生、一吹さん、今日はありがとうございました」

「自分に合ったものが買えてよかったですね」

「大事に使うんだぞ?」

「はい!」

学校方面に帰る四人と駅前で別れると、遥はいつものチームメイトだけでなく、満と蓮も一緒に駅まで歩いていた。

「先生方に見て貰えてよかったな?」

「うん! 楽しかった。久々に浩司さんの説明も聞けたし」

「満さんと蓮さんは、弓道してたんですか?」

「あぁー。ちょっと知り合いの所で、参加させて貰ってたんだ」

「美樹ちゃん達は、道具見て貰ったのかな?」

「はい! 浩司さんとおじいさんにも見て頂きました」

「よかったね。トシじいさんは引退されてるから、滅多に客のは見ないんだよ」

「そうなんですか?!」

「あぁー。藤澤先生の人望のおかげだね」

「そうなんですか……」

「じゃあ、また明日ね」

「また明日な」

「うん、またね」

遥はいつものように三人と別れると、蓮と満の間を並んで歩いていた。

「……満さんと蓮さんも仲良いんだな」

「そうだね」

彼女が嬉しそうに笑う後ろ姿に視線を移す、彼の姿があるのだった。


「久々に三人で勝負だな?」

「あぁー」

「うん!」

「負けたら何にする?」

「アイス食べたい!」

「この寒いのにアイスか?」

「遥は、雪見だいふくが食べたいんだろ?」

「うっ……そうだけど、当てないでよ蓮……」

三人は道場に着くと、弓を引いていた。

彼らの弦音と弓返りの心地よい音が、次々と響いていく。

「来週の午後は弓具店に三人で行かないか?」

「蓮、二人で行かなくていいのか?」

「いいじゃんたまには……」

「うん! 行きたい!」

「じゃあ、部活終わりの蓮と待ち合わせて、昼食べに行かないか?」

「賛成!」

「終わったら連絡するな」

「うん、待ってるね」




いつものように、遥は朝から道場で弓を引いていた。

今日は日曜日の為、久しぶりに幼馴染三人で遊ぶようだ。

「ハル、矢取りしたら着替えて迎えに行くか?」

「行くー! 面白そう」

二人は私服に着替えると、風颯学園の校門前まで来ていた。

「いつ来ても大きい学校だよね……」

「そうか? ハルも中等部通ってたじゃん」

「そうなんだけど……」

「神山先輩? どうしたんですか?」

満が遥と話をしていると、弓具を持った制服姿の男子が尋ねてきた。

「お疲れさま。ちょっと部長を待ってるんだ」

「蓮部長なら、もうすぐ帰ると思いますよ?」

「さっきミーティング終わってたんで」

「二人ともありがとう」

みっちゃんも蓮も後輩に慕われてるよね……。

後輩と兄の会話に、彼女は嬉しそうにしている。

「ハル、二人は弓道部一年だから同い年だぞ?」

「そうなんだ。兄がお世話になりました」

「おい!」

神山兄妹の様子に、一年生は顔を見合わせ笑っていると、部長がやって来た。

「遥、満、お待たせ」

「蓮、お疲れさま」

「お疲れさま。駅前に行くんじゃないのか?」

「蓮は着替えてから行くだろ? だから、迎えに行こうかってな?」

「うん」

「いいけどさ。遥、一年の足立あだち村松むらまつ。そのうち清澄と……白河しらぎくん達と、会うこともあるかもな」

「あっ、自己紹介してなかった……神山遥です。よろしくね」

「よろしく。合同練習の時から知ってたよ? サキからも聞いてたし」

「神山さんって、女子のインターハイ覇者でしょ?」

「う、うん……」

「この間の地区大、優勝したんだよな?」

「うん……。でも、中部地区ほど激戦じゃないよ?」

「それはそれ。別にいいんだよ」

「そうそう。残ることが大事なんだからな?」

「うん…ありがとう……。また大会で会えるように頑張るね」

「あぁー」

そう応えた蓮は、彼女の頭を優しく撫でている。普段の部長が見せないような表情に、足立と村松の方が、顔が赤くなっていた。

「二人ともお疲れさま。また明日な」

「はい!」

仲の良い三人の後ろ姿を、二人は見送っているのだった。


松風家の玄関で、満と遥は彼が着替えてくるのを待っていた。お昼を食べる場所は決まっているようだ。

「みっちゃんは、何にするの?」

「カルボナーラかな。ハルは?」

「私は、残ってたらラザニアかな。久しぶりに行くよね?」

「そうだな。小さい頃は弓具店の帰りに、じいちゃんに連れて行って貰ってたからな」

「うん……」

三人共通の想い出のパスタ屋のようだ。

二人が注文するパスタを考えていると、蓮が降りてきた。

「お待たせ」

「蓮は何にする?」

「あー、ミートソースかな」

「今の聞き方でよく分かったな?」

「なんとなく?」

「ちょっと! 二人とも!」

弓道がすきというだけでなく、三人とも気が合うのだろう。久しぶりの感じではなく、いつも一緒にいる仲間のような距離感だ。

弓具店のある最寄り駅に着くと、清澄高等学校とは反対側の北口にあるパスタ屋を訪れていた。パスタ屋と言ってもチェーン店ではない為、席数は少なく、生パスタが魅力的な店だ。

「予約してた神山です」

「あら、滋さんとこのミツくんに、ハルちゃん。二人とも大きくなってー」

「ご無沙汰してます」

「あら、一夫さんとこの蓮くん? まぁー、二人とも男前になったわねー」

「ありがとうございます……」

とても気さくな奥さんの為、三人とも笑顔で応えている。

「グリーンサラダとカルボナーラと、ミートソースとラザニア。あと、食後にオレンジジュース三つ下さい」

「はーい。用意するから、待っててね」

「はい」

「オレンジジュース懐かしい……」

「遥、すきだったよな?」

「うん! ラザニアもあってよかったー」

「数量限定だから、おばさんに頼んでおいたんだよ」

「そうなの? みっちゃん、ありがとう」

「いいえ。この後、弓具店行くだろ? 他に行きたいところあるか?」

「この辺は浩司さんの所と、ここしか知らないから分かんないな。遥、分かるか?」

「うーん、最近南口にカフェができて、ケーキが美味しいらしいよ?」

「ハルがいるから行けるな?」

「そうだな」

「なんで私がいるから?」

「男二人だと入りづらいだろ?」

「そっか……」

蓮とみっちゃんが二人って……。

ちょっと目立つかも。

「他にはあるか? 三人でやりたいこと」

「そういう満は?」

「俺? 俺はーー……弓道しか思いつかなかったんだよ」

彼の応えに二人とも笑っている。三人でする事といえば弓道しか思いつかなかったのだ。

程なくすると料理が運ばれてきた為、想い出の味に懐かしさを滲ませながら、話をしているのだった。


「こんにちはー」

「三人ともよく来たね。矢は出来てるよ」

「ありがとうございます」

千賀弓具店では、いつものように浩司が三人を出迎えていた。

「この間言いそびれちゃったけど、二人とも全国選抜優勝おめでとう」

「ありがとうございます」

「……ありがとうございます」

「浩司さん、よく知ってますね」

「皆は、お得意様だからね」

彼の言葉に三人は顔を見合わせ、笑い合っていた。

祖父の代からお世話になっている弓具店は、元はゆがけを作っていた事が、千賀弓具店の始まりだったようだ。

レジの近くにある写真立てには、先代の勝敏と共に滋や一夫が若い頃の写真や孫たちと一緒に写る写真が飾られている。

「……懐かしいかい?」

「はい……」

遥は祖父たちの写真に想いを馳せていたのだ。

「遥、小さいな」

「みんなもでしょ?」

祖父や父、彼女たちも一緒に写る写真は、三人が小学生の頃のものだ。

先に弓を引けるようになった二人が…羨ましかった……。

縮まらない年の差。

蓮も、みっちゃんも…一歩先を進んでいくから……。

「可愛いよ?」

「蓮……」

「はい。イチャイチャしない」

「してない!」

二人同時に応える様子に、満だけでなく浩司からも笑みが溢れているのだった。


「どれも美味しそう!」

「迷うなー」

「三種類頼んでシェアするか?」

「する!」

テーブルには、ショートケーキにチョコレートケーキ、モンブラン。紅茶の入ったカップが三つ並んでいる。

「美味しい」

「本当だ……。美味しいな」

「遥がいてよかったな?」

「あぁー」

三人は美味しそうにデザートを食べていた。

「道場に行く前にプリクラ撮りたいな」

「プリクラ?」

「ダメ?」

「そういえば三人で撮ったことないか……」

「うん」

「じゃあ、食べたらゲーセン寄ってから帰るか?」

「うん!」

幼馴染三人は、共通の話題も多いようだ。主に弓道の話ではあるが、弓道漬けの毎日を送る彼らにとっては、段位や大会がある事が日常なのだ。


いつもの弓道場に着くと、三人とも袴姿に着替え、弓を構えていく。遥、蓮、満の順に弓を引くと、心地よい音がした。

「同点だな……」

「あぁー」

「うん……」

三つの的には、それぞれ十二射ずつ中っている。

「ハルも蓮も……連覇目指せよ?」

「うん……」

「あぁー…忘れてない……」

小さい頃の約束を胸に、彼らはそれぞれの場所に立っているのだった。





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