第20話 風花
窓の外では雪がチラチラと舞っている。
初雪だ……。
「今日、寒いな」
「そうだね……」
渡り廊下を移動すると、外の寒さに耳が冷たくなる。
……発表やだな。
彼女がそう思うのも無理はない。
始業式に部活動の発表がされるのだが、彼女は一人壇上に立ち、校長より賞状を受け取っている。
そんなに大きな声で読み上げないでほしい……。
「……おめでとう」
「ありがとうございます」
拍手が響く中、彼女は緊張した面持ちでクラスの列に戻っていく。
やっと終わった……。
蓮も…発表されてるんだろうな……。
こういうのがないと、もっと嬉しいんだけど……。
クラスの列に戻ると、小百合と知佳が祝福していた。
「遥、おめでとう!」
「おめでとう!」
「ありがとう……小百合ちゃん、知佳ちゃん」
「私も頑張る!」
「二人は来週末、新人戦だっけ?」
「そうだよー。目指せ優勝だからね」
「そう! ウィンターカップは準決で負けちゃったからね」
小百合も知佳も、大会に向けて気合が十分なようだ。小声で話をしながら始業式を終えると、それぞれ部活へ参加するべく別れるのだった。
「遥、昼食べてから行くだろ?」
「うん。食堂で食べるんでしょ?」
「あぁー」
翔と遥は並んで教室を出て行くと、雅人とすれ違った。
「二人ともお疲れー」
「お疲れさま。ユキ先輩たちは、後から来るから先に食べててだって……」
遥が携帯電話のメッセージを見ながら伝えると、彼らは席取りをする為、先に食堂へと向かった。
自販機付近では陵が上級生に話しかけられていた。
「陵は相変わらずモテるなー」
「そうだね。でも美樹がいるから、ちゃんと断ってるよ?」
「そうだな。一途な奴だよ」
何やら誘われてるようだが、陵は今も断っているようだ。
遥が飲み物を買いに席を立つと、男二人になったからか声をかけられていた。
「……白河くん」
「何?」
「えーっと、話いい?」
「俺、これから部活だから」
「そっか…ごめんね……」
彼女はそう言うと名残惜しそうに、その場を後にした。
「はぁー、翔は意外とドライ」
「何が?」
「今の可愛い子だったじゃん」
「そうか? あんま見てなかった」
翔に気にする様子はなく、お弁当を食べている。
「どうかしたの?」
「何でもない。遥、何買ったんだ?」
「寒いから、ホットミルクティーにした」
「今日、雪ちらついてたもんな」
「うん」
三人が食べていると残りの一年生が集まり、八人が男女バラバラになる事なく座っている。
「遥、表彰のとき緊張してたでしょ?」
「マユ……。そんなに顔に出てた?」
「出てたー」
「奈美まで……。ああいうのは苦手なの」
「遥は昔から人前に立つの苦手だよねー。学芸会の時も主役やりたくなくて、人数多い白猫の役に代わって貰ってたし」
「美樹、よく覚えてるね」
「一緒の役やったから、覚えてるよー」
「二人は小学校が一緒だったのか?」
「うん。私が引っ越す小四までだけどね」
「幼馴染ってやつかー」
「そうだねー」
八人がそれぞれの思い出話に花を咲かせていると、隆とユキが食堂へ顔を出した。
「みんな、元気だなー」
「部長! ユキ先輩!」
部員が十人揃うと食堂では大所帯に見えるが、部活動に関しては小規模である。例えば小百合や知佳が所属する女子バスケ部のように、強豪校なら一年生だけで十人以上いる部活もあるのだ。
「遥、携帯鳴ってるよ?」
「ん? はーい、もしもし?」
彼女は席を立ち、食堂の隅で電話に出ている。
「みっちゃん、どうしたの?」
『ハル、今日部活か?』
「う、うん……。何かあったの?」
『カズじいちゃんが、久々に矢渡しやるって!』
「えっ?! いつ?!」
『今週の土曜日。ハルは部活あるのか?』
「ないから行きたい!」
『じゃあ、参加な。カズじいちゃんには言っとく。また帰ってから詳しく言うな』
「うん!!」
カズじいちゃんの射が見れる!
嬉しい!!
ーー何年ぶりだろう……。
一夫の射が待ち遠しい遥は、的に的確に中ていた。
来月の大会に向けて日々、練習の繰り返しである。
「次は、久しぶりに射詰を行う。まず男子からな」
「はい」
五人は横一列に並ぶと、試合のように右から順に弓を引いていく。並び順は先程、一吹手製のくじで決めた為、和馬、翔、雅人、隆、陵の順に並んでいた。
記録は順番で行なっている為、遥がつけている。
一吹さんが優劣をつけるって言ったから……。
みんな…緊張してるみたい……。
微かに震えた和馬が二射目で外している。三射、四射と続く中、残ったのは翔と陵の二人だった。
「二人とも調子いいみたいだね」
「うん」
小声で奈美に話しかけられ、遥は頷いて応えると、視線を二人の射へ戻した。
ーー力が入りすぎてる……。
彼女の感じた通り二人とも外した為、引き分けとなった。
矢取りを行うと、女子も同じようにくじを引き、美樹、マユ、遥、ユキ、奈美の順に並んでいく。二射目で奈美が外すと、四射目まで残ったのは美樹と遥の二人だけだった。
心地よい音がすると、矢は一つの的にしか中っていない。遥の的にだけ、四射中っていたのだ。
「はい。じゃあ矢取りしたら翔、陵、遥の順に並んでまた射詰な。皆は、三人の射形をよく見ておくようにな」
「はい」
久しぶり…射詰の実践練習……。
ずっと……引いていたい。
彼女は先程と変わらずに弓を引いていく。集中力が高まっているのだろう。的の中心を的確に捉えていた。三射目で陵が外れ、四射目で翔が外した為、彼女だけが残ったようだ。
「はぁー、気力使った」
「集中したね」
「そうだな」
そう応えた翔は、彼女の的に視線を移していた。遥が外すところは、想像出来ないのだろう。それほど高い的中率を保っていたのだ。彼女の的には、中心付近に四射とも中っていたからだ。
「みっちゃん! ただいま!」
「ハル早いなー」
「カズじいちゃんの気になって!」
彼女はいつもの弓道場へ寄ることなく、帰宅していたのだ。
「新年の
「そうなんだ……。楽しみだね」
「そう、楽しみだったんだけど、
「すごいね、みっちゃん! 動画は任せて!」
「ハルもやるんだからな?」
「えっ?!」
あれから三日間……。
カズじいちゃんと介添の練習をしたけど……。
緊張する。
介添は今までにもやった事はあるけど、カズじいちゃんが演武するような場所で……自分が実際にする事になるとは思ってなかった。
遥も満も上下黒の和服に着替え、一夫の補佐に徹している。
「介添は、お孫さん?」
「いや、今回は神山先生のお孫さんと伺ったぞ?」
「へぇー、まだ高校生くらいなのに凄いわね」
小声で話をしていた者も、一夫が
射手、第一介添、第二介添が一体となって、演武が進行していく。歩き、座りのタイミングだけでなく、座る位置、手の位置、すべての動作が決められている為、遥は耳だけで一夫の音を見ていた。
カズじいちゃんの所作が頭に浮かんでくる。
心地よい音が聞こえる……。
蓮も交流試合がなければ、参加したかったよね。
彼女の耳に拍手が届いていた。無事に勤めを果たしたのだ。
道場内では、一夫の前で神山兄妹は正座をし、姿勢を正していた。
「二人ともありがとう……」
「……カズ…一夫先生、ありがとうございました」
「……ありがとうございました」
一夫は先程までとは違い、いつも通りの孫を見るような笑みを彼らに向けていた。
「ありがとう…次は蓮にもやらせようかな……」
「うん!」
「ぜひ!」
こちらも今度は、いつもの口調で応えているのだった。
会場には一吹と石間だけでなく、藤澤の姿もあった。それほど一夫が人前で矢を射る機会は、貴重なのだ。
「あの子……一吹の所の生徒だろ?」
「あぁー」
「松風先生と知り合いなのか?」
「松風先生の孫と幼馴染らしいからな……。ちなみに第一介添やってたのが、風颯を連覇に導いた神山満くんだぞ?」
「あの良知さんの言ってた?! ん? 神山って……」
「あぁー。二人は大先生のお孫さんだ」
「場慣れしていても、不思議じゃないって事か……」
「そうだな」
彼らが大先生と呼ぶ程、神山滋の名は通っているようだ。
「一吹くん、石間くん」
「藤澤先生! いらしてたんですね」
「こんにちは」
「こんにちは。矢渡しはどうでしたか?」
「松風先生の射は、教本のようでした」
「そうですね……」
石間の応えに、彼は微笑んでいるのだった。
「お疲れ、ハル」
「お疲れさま…ありがとう……」
満からほうじ茶のペットボトルを受け取ると、遥は冷えた頬にあて温めている。
「帰ったら勝負するか?」
「する! あっ、お母さん、ちゃんと撮ってくれたかな?」
「大丈夫だろ? 蓮のお母さんにも頼んどいたから」
「そうだね」
二人とも母だけでは心配のようだ。
「じゃあ、カズじいちゃん。これで失礼します」
「失礼致します」
「あぁー、またな」
「うん!」
私服に着替えた二人は綺麗に一礼をすると、いつものように手を振り去っていく。
「ーー見せたかったな……」
「松風先生?」
「いや…何でもない……」
一夫はかつての親友の孫であり、弟子でもある二人を温かな目で見守っているのだった。
「撮れてる!」
「やっぱ、カズじいちゃんすごいな……」
「うん……」
母に頼んでおいた動画を遥と満は、携帯画面から見ていた。流れるような所作に、二人とも感動しているようだ。
「蓮にも一応、送っとくな?」
「うん!」
心地よい音だった……。
彼女はベッドに寝転ぶと、今日の矢渡しを振り返っていた。
蓮も介添やりたかったよね……。
カズじいちゃんの介添は大きな大会だと七段、八段とか…段位の高い人だけだから……。
彼女が目を閉じていると、手元で携帯電話のバイブ音が鳴っている。彼女が直ぐに出ると、思っていた通り彼の声がした。
『遥! 介添、お疲れさま!』
「蓮も交流試合、お疲れさま」
『ありがとう……。おかげで勝ったよ』
「おめでとう!」
『あぁー。遥……じいちゃん、喜んでたよ。ありがとう』
「こちらこそ…貴重な体験をありがとう……。今度は蓮にもやらせようかなって言ってたよ」
『あぁー、じいちゃんが言ってたな。いつか…射手をできるようになりたいな……』
「そうだね……」
私たちにとって…おじいちゃんとカズじいちゃんは目標であり、憧れ……。
小さい頃に夢にみた。
……そんな存在。
『遥、次の日曜日、午後から開けといて?』
「うん?」
『今月末、誕生日だろ? 平日は部活で会えないけど、日曜の午後からなら会えるからお祝いしたい』
「ありがとう……。嬉しい…蓮に会えるの楽しみにしてるね」
『あぁー、またな。おやすみ』
「おやすみなさい」
窓から空を見上げると、星が瞬いている。
蓮と会えるの嬉しい……。
次に会えるのは、大会終わりの来月だと思ってたから……。
遥は幸せそうな表情を浮かべながら、眠りにつくのだった。
「翔、英語の辞書持ってないか?」
「今日、持ってないや。遥に聞いてみるか?」
「うん、次の授業で当たるんだよ」
「遥ー!」
教室の出入り口で話をしていた和馬と翔が、彼女を呼ぶと昼食を食べ終え、友人達と話をしていた遥が駆け寄ってきた。
「なに?」
「遥、英語の辞書持ってる? あったら次の時間貸してほしいんだけど」
「いいよ。和馬、取ってくるから待ってて」
「うん」
「よかったな」
「ありがとう、翔」
彼女が机から辞書を持ってくる間も、二人は仲良さげに話をしている。
「はい、和馬。返すのは部活の時でいいよ」
「ありがとう。今日の部活は視聴覚室集合だろ?」
「うん、大会の射とか見るのかな?」
「だよなー。弓引きたかったから、残念」
「和馬、上手くなったもんな」
「翔に言われると嬉しいな」
三人で放課後の話をしていると、チャイムが鳴った為それぞれ教室へ戻り、午後の授業を受ける事になるのだった。
早く日曜日にならないかな……。
遥は彼と会える日が、待ち遠しくて仕方がないようだ。
「遥、またねー」
「うん、また明日ねー」
彼女はクラスメイトに手を振ると、翔と二人揃って視聴覚室へ歩いていく。
「土曜日、女バスの応援行くんだろ?」
「うん! マユもクラスの子応援するから、二人で見てくるの。翔も行くの?」
「行かないよ。女子だけじゃんか!」
「そうなの? 応援は誰が行ってもいいんでしょ?」
「そうだけどさ。あっ、着いたな」
「うん」
視聴覚室に着くと、マユと和馬に雅人が座っていた。
「遥、辞書ありがとう」
「いいえー」
和馬から辞書を受け取り、鞄にしまっていると残りの部員が続々と教室へ入って来た。
「皆さん、揃いましたね。これから先日の矢渡しを見ていただきます」
「矢渡し?」
「開会式で行う事が多いから、今では演武の意味合いが強いな」
「そうですね。
一吹の言葉に藤澤が付け加えると、彼の用意した動画が流れていく。
これ……。
この間の…カズじいちゃんの……。
暗くした部屋のスクリーンに、一夫と共に満と遥が映っていた。
「遥?!」
「しーっ、射を見てからな?」
「は、はい」
思わず声を上げた陵は口を塞ぐと、静かに映像を見ているのだった。
やっぱり…カズじいちゃんは……教本のように美しい射。
弦音も弓返りも、さすが九段の実力者……。
「学生がやってる所は見た事あるだろうけど、どうだった?」
「お手本みたいですね……」
「あぁー。っていうか、遥が介添だっただろ?!」
「うん……」
「射手を行なっていたのは、松風一夫先生ですからね。神山さんのお知り合いですよね?」
藤澤の言葉に彼女は、素直に応えていた。
「はい……。カ…松風先生は、師でもありますから……」
「えっ? 松風って……」
「あぁー、風颯の…松風蓮くんのおじい様だ」
驚きの事実だが、納得の表情を浮かべている彼らがいた。
「ーー松風先生は範士九段ですからね……」
「九段!!」
「初めて見ました……」
「先生、もう一度見たいです!」
「えぇー、一吹くんお願いします」
「はい」
一吹が動画を再生すると、彼の射を見逃さないように静かに見つめる部員がいるのだった。
「今日は驚いたな……」
「あぁー」
美樹と別れた陵と翔は、いつも通り二人で帰っている。
「九段か……。範士って言ってたから、あと一段で最高位か……」
「すごいよな……。数えるくらいしかいないんだろ?」
「あぁー、初めて見たしな」
「だよなー。俺も…小さい頃に憧れて始めたけど……」
「そうだったな……。中学が陵と同じになった時、驚いたもんな」
「だよな……」
二人は小学生の頃、弓道と出会ってからの親友なのだ。
「来月の大会、上位四チームに残って……トーナメントに出ような?」
「あぁー」
二人は手でグーをつくり、約束をしているのだった。
少しでも多く弓を引けるようにすると……。
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