第18話 飛躍
冬休みに入った翌日の土曜日。
毎年十二月二十四日から二十六日の三日間に渡り、全国高等学校選抜大会が行われる。
東京はイルミネーションに彩られる中、遥はホテルに荷物を置くと、一吹と二人会場を訪れていた。
明治神宮武道場にある第二弓道場だ。午後一時から開会式が行われ、昨年の団体優勝校である風颯学園がトロフィーを返却していた。
彼女の前では、矢渡しが行われている。
……成功と無事故を祈願して、その日の初めに安土へ矢を通す儀式。
おじいちゃんもカズじいちゃんも…よくやってたっけ……。
先日、一夫の射を間近で見たことを想い浮かべながら、矢渡しを見ている遥がいた。
大会一日目は、午後二時より男女ともに個人予選が行われる。四射三中以上で、明日行われる準決勝に進み事ができるのだ。
「明日は藤澤先生も来て下さるって、言ってたぞ?」
「はい……」
彼女が予選落ちするとは、藤澤も一吹も思っていないようだ。
遥は道場内に立つ彼の姿を探していた。
ーー蓮……。
彼の緊張感が伝わっているのだろう。彼女が願かけをするように御守りを握る手は、微かに震えていた。
蓮の射は心地よい音を立てて的に中る。彼の迷いは一射目で払拭されたようだ。
その後も彼は外すことなく四射皆中を決め、明日の準決勝に進出することになるのだった。
ーー大丈夫……。
彼の射を見て、彼女も少し落ち着きを取り戻していた。
独特の緊張感のある試合の雰囲気に飲まれることなく、彼女は弓を引いていく。
伸びあいの効いた会からの弓返りと澄んだ弦音に、思わず彼女の射を見た者もいるようだ。
「ーーさすがだな……」
そう漏らした一吹は、自分がコーチに就任して以来、彼女が的から外した所を見たことがない事を改めて実感していた。
部活においては的中率で競い合うが、本来の弓道は武道である。
『……それは単なる事象であって、結果を気にせず自分が行ってきた動作を信じることが大事なんだぞ?』
一吹は彼女の射を見る度に、祖父の言葉を思い出していたのだ。かつて厳しく教えを受け、反発さえした祖父の言葉を……。
彼が考えを巡らせている中、彼女は四射目も的に中り、四射皆中を決めていたのだ。
結果的に藤澤と一吹の予想通り、安定感を保ったまま明日の準決勝への進出を果たした。
県内からは四人中三人が、明日も同じ道場へ立てる事になったのだ。
「一吹さん、明日の午前中の団体予選……見に行ってもいいですか?」
「あぁー、俺も行くよ。準決勝は十四時くらいからだからな」
「はい」
遥は夕飯を食べ終え一吹と別れると、部屋に着くなりベッドに寝転んでいた。
ーー明日も弓が引ける……。
彼女は横になったまま携帯電話を手に取ると、チームメイトから応援のメッセージが続く中、彼からも届いていた。
『明日は二人で勝負だな』
「うん……」
遥は思わず声を漏らしていた。地方から大会への参加者が殆ど宿泊しているホテルの為、彼もどこかにはいるのだが、会いたい気持ちは抑えていたのだ。
同じ高校に行ってたら、また違ったのかな……。
でも……あのまま進学してたら、辞めてたかもしれない。
彼女の胸中は複雑なようだ。首を横に振る仕草をすると、彼へ返信していた。
『うん! 楽しみにしてるね』
彼の射が見れる事は、本当に楽しみなのだろう。遥は笑みを浮かべ、明日を待ち遠しく感じているのだった。
「藤澤先生!」
「皆、来ましたね。今日は私の友人が運転して下さるので……」
「おはようございます。
「はい!」
清澄弓道部員は、藤澤と共に東京へ車で向かう為、制服姿で校門に集まっていたのだった。
「風颯学園が出てくるな」
「はい……」
午前九時より団体予選男子から順に始まっている。
風颯は蓮、下村、佐野の順に弓を引いていく。団体は一人四射。一チーム十二射中、的中率上位十六チームが、明日の決勝トーナメントに残れるのだ。県内からは基本一チームだが、昨年の優勝校は別枠で出場可能な為、彼女の県からは二チームが出場していた。
正しい行射でより高い的中継続が求められる中、彼はそれを体現していると、言っても過言ではないだろう。
大前の蓮の射に続くように、矢が流れるように放たれていく。予選という事もあって、三人とも皆中を決めていたのだ。
すごかった……。
団体は隣の……仲間の射に、勇気づけられる事もある。
今日の風颯は、蓮の音に導かれていくようだった。
彼女の前では女子団体が行われている。
同じ県で残ったのは風颯だけ……。
やっぱり…蓮はすごい……。
女子は五十校、男子は五十一校参加の中から、十六校ずつしか残らないのだ。普段通りに弓を引く事は、容易ではない。少しの手元のズレで、的から外れてしまうのだ。
「遥、そろそろ昼食に戻って、着替えて来るか?」
「はい!」
個人準決勝は十三時五十分より行われ、予選と同じく四射三中以上で十五時から行われる決勝に進出できる。個人競技の表彰式まで行われる為、今日ですべてが決まるのだ。
彼女は髪を一つに結び気持ちを整えると、深く息を吐き出し、空を見上げていた。肌寒い空気の中、彼女は自分と向き合っていたのだ。
平常心をもって弓道に挑むこと……。
大丈夫。
みんなからの御守りもあるし……。
先に進んでいく二人に、いつだって追いつきたかった。
ようやく同じ場所に立ってるんだから………。
「一吹!」
「石間! 久しぶりだな」
「あぁー、藤澤先生と部員の子も連れてきたぞ?」
「ありがとな」
二人が話をしていると、女子個人が間もなく始まるようだ。
部員九人に藤澤、一吹に石間と横に並んで座っていると、彼女が出て来た。
いつもと変わらず美しい所作で構えていく。
「わぁ……」
美樹は思わず声を出していた。一糸乱れずとは、今の彼女のことを表すのだろう。
「一吹…凄いな……」
「あぁー、あんなに…出来たらな……」
石間に小声で応える彼は、彼女の射から右隣にいる部員に視線を移していた。彼らは、静かに彼女の射を見守っているようだ。
「いい刺激になりそうですね」
「はい」
藤澤の言葉に応えた一吹は、部員想いの良いコーチであるように、石間の目に写っているのだった。
「ふぅー……」
遥は四射皆中を決め、裏へ下がると決勝を控える蓮の姿を見つけた。彼も彼女に気づき二人は視線を合わせると、微かに笑みを浮かべ、無言で今の自分のいる場所へ控えていく。これから決勝が始まるからだ。
決勝は射詰競射が行われている。彼女は蓮の射を感じたかったようだが、椅子に座り自分の番を待っている為、弓の音が微かに聞こえるだけだ。
ーー見たかった……。
けど…集中しないと……。
周囲の視線は気にならないのだろう。彼女はいつも自分と向き合っていた。
「すごいな……」
「あぁー…決まったな」
射詰競争の五射目以降は、二十四㎝の星的を使用するのだが、四射目で順位が決まった。
四本矢が中っているのは彼だけだったのだ。
「はぁー、やっぱ松風さんすごいな……」
「そうだね。遥みたいに綺麗な射だった」
「あぁー……」
試合の独特の緊張感から一旦解放され、話をしていると、女子決勝が始まった。
「ハルちゃん、出てきたね」
「何かこっちが緊張するよな」
「うん」
ユキと隆も、彼女の射を楽しみにしているようだ。
辺りは静寂になり、弓を引く音や矢が中る音が響いている。
彼女が的を見据え、矢を射ると、いつもと変わらない音が響く。彼女の弦音と弓返りの音に、空気が澄んでいくような感覚が辺りを包んでいたのだ。
「ーー神山さんが残りましたね……」
「藤澤先生、表彰式見てからでもいいですか?」
「えぇー」
彼らは、彼女の姿を見届けてから帰る事になるようだ。
遥は表彰式が終わると、一吹と藤澤の姿を探していた。
「遥!」
「美樹! みんな!!」
チームメイトが来てくれていた事が、嬉しかったのだろう。笑みを浮かべる彼女を藤澤は、懐かしむように見ていた。清澄弓道部員は十人全員揃うと、笑い合っていたからだ。
「遥、おめでとう!!」
「ハルちゃん、おめでとう!」
次々と告げられる祝福の言葉に、彼女は満面の笑みを浮かべ応えている。
「……ありがとうございます」
遥は全国選抜を優勝し、年内最後の大会を終えたのだ。
彼女がチームメイトを見送っていると、風颯が横を通り過ぎていく。一ノ瀬や良知が藤澤や一吹、石間とも顔見知りなのだろう。彼らが話をする中、遥は彼に声をかけていいか迷っていると、何の迷いもなく蓮が駆け寄っていた。
「おめでとう、遥」
「ありがとう……。蓮もおめでとう」
誰もいなければ抱き合って喜んでいる所だが、一目がある為、彼は右手を差し出していた。
「明日の団体楽しみだね」
「あぁー」
遥も右手を差し出し握手を交わすと、彼はチームメイトの元へ戻っていく。
「遥ちゃん、またねー」
「はい、佐野さんも頑張って下さい」
「ありがとう」
彼女は彼のチームメイトに手を振ると、清澄の皆と楽しげな笑みを浮かべていた。そんな彼女の横顔に、安堵する蓮がいるのだった。
「部長、嬉しそうだな?」
「佐野、からかうなよ」
「蓮はこういう時は顔に出るから、珍しくて」
「それ、俺も思った!」
「下村まで……。別に普通だろ?」
「神山先輩がいたら突っ込まれそうな程、顔にやけてると思うぞ?」
「森まで……別にいいだろ? ほら、ホテルに帰るぞ?」
「はーい」
「明日も残るからな」
「あぁー」
「勿論!」
蓮は団体メンバーの補欠を含め四人と、話をしながら明日の決勝トーナメントに向けて、気持ちを切り替えていくのだった。
大会最終日。
午前九時より団体決勝トーナメントが行われ、終わり次第、団体競技表彰式が行われるのだ。
遥は昨日のうちに県内に戻っていた為、いつもの道場で弓を引いていた。
「ハル、早いなー」
「みっちゃん、おはよう」
「おはよう。昨日、東京から戻ってきたのに疲れてないのか?」
「うん…目が冴えちゃって……」
「蓮が戦ってるところか」
「そうだね」
「俺らも勝負するか?」
「うん!」
満から順に矢を射ると、次々と弦音と弓返りの音が響いていくのだった。
「ハルは冬休みは部活休みか?」
「明日から二日間だけあるよ。風颯は、大晦日とお正月合わせて四日間以外は部活だっけ?」
「そうだったな。今年は久々にのんびり出来るな」
「
「あぁー、ハルは蓮と初詣行くんだろ?」
「うん……。蓮から聞いたの?」
「まぁーな」
蓮と満も相変わらず仲が良いようだ。
二人は矢取りを終え、一度家に戻り昼食を食べていると、彼女の携帯電話に着信があった。
「もしもし?」
『遥、勝ったよ!』
「蓮! おめでとう!!」
「蓮、おめでとう!」
『満?!』
「今、リビングにいたから……」
蓮の声に反応したのか、佐野の声も聞こえている。
「テレビ電話にする? みっちゃんに変わるよ?」
『悪いな。頼む……。三人ともうるさいな』
遥はクスクスと笑っていると、携帯画面を切り替え満へと差し出した。
「おー、佐野も下村も森も頑張ったな。お疲れさま」
『ありがとうございます!』
『先輩! やりましたー!』
『満……。続いたな』
「あぁー。お疲れ、蓮部長」
『ありがとう。じゃあ、また連絡する』
「あぁー、ハルー! 切るぞー?」
彼女が満の隣に姿を映した。
「うん、気をつけて帰ってきてね」
『あぁー、またな』
満の隣で手を振る彼女に手を振り返すと、蓮は手元にもう一度戻ってきたトロフィーを強く握っているのだった。
「連覇だね」
「そうだな…三連覇か……」
「すごいよね…三連覇……。良知コーチがみっちゃんが来てから、風颯は負けなしだって喜んでたらしいよ?」
「それは光栄だな。蓮と組んだ二年近くは、本当いいチームメイトに恵まれたって思うよ。ハルは団体どうだ? 二月に対抗戦あるだろ?」
「明日からはその練習だから、次はもう少しみんなで引けるようになりたいな……」
「そっか……。ハル、いい顔するようになったな」
「本当?」
「あぁー」
兄妹仲も良好のようだ。二人は午後二時を過ぎた頃、再び道場を訪れ弓を引いていくのだった。
「寒い……」
彼女は冬の冷たい空気が流れる中、柔軟体操を念入りに行うと弓を構えていた。今日から二日間、九時から午後四時半まで部活動が出来るのだ。冬休み中の貴重な練習時間を前に、彼女はいつものように的に中ていく。
ーー寒いのは苦手だけど、この空気感はすき……。
澄んだ空気に音が響いていくと、彼がそっと道場を訪れていた。彼もまた冬休み中の部活動を前の息抜きでもある。
八射皆中を決め拍手がする方へ彼女が視線を移すと、袴姿の蓮が待っていた。
「遥、おめでとう。頑張ったな」
「……ありがとう。蓮こそ、おめでとう!」
彼女が駆け寄ると、二人は強く抱き合っていた。
数日ぶりに触れる彼がプレッシャーのある中、連覇を達成した事に、彼女は誰よりも喜んでいたのだ。
「蓮、遅くなったけどメリークリスマス!」
「あっ、俺も!」
お互いにプレゼントを用意していたようだ。彼女が袋を開けると、可愛らしい手袋が入っていた。
「ありがとう……。似合う?」
「あぁー」
さっそく手にはめてみせる彼女の笑顔に、彼はここ数日の張りつめた緊張感から、ようやく解放された気がしていた。
「俺も、開けていい?」
「うん」
蓮が開けると、彼に似合う手袋が入っていたのだ。
「ありがとう…同じこと考えてたのか……」
「みたいだね……」
二人は額を寄せ合い微笑み合っている。
「次に会うのは初詣か…遠いな……」
そう言った蓮は、彼女の肩に顔をうずめていた。
「今までに比べれば……すぐだよ?」
「そうだけどさ……」
遥は彼の頭を優しく撫でている。
「ーー……蓮が来てくれるの待ってるね?」
「あぁー」
彼が癒されると、二人はいつものように八射ずつ弓を引き、それぞれ部活に参加する為、学校へ向かうのだった。
遥が道場へ着くと翔が袴姿になり、準備運動をしていた。
「おはよう」
「おはよう遥、おめでとう!」
「ありがとう……」
チームメイトにそう言ってもらえると…何だか照れくさい……。
「遥、おめでとう!」
「マユ! ありがとう」
「すごい綺麗な射だったよー」
後ろから彼女に抱きついてきた真由子と奈美にお礼を告げると、更衣室で着替え、気持ちを新たにする遥がいた。
「午前中は男子で、午後は女子が団体練習をメインにやるからな?」
「はい!」
一吹の声に応えるチームメイトは、弓を引きたくて仕方がないようだ。そんな彼らの様子に、一吹も藤澤も笑みを浮かべていたのだ。
男子が団体練習をしている間、女子は一つの的を使い順番に十二射ずつ弓を引いていく。彼らが五人引き終わったタイミングで、一斉に矢取りを行う事を繰り返している。
遥は目の前で弓を引いていくチームメイトの姿に、団体戦で五人揃って弓を引く事を期待しながら見つめていた。
「次、遥の番だよ」
「うん!」
美樹から引き継ぎ、彼女が的の前に立つと、
彼女が矢を射ると心地よい音がし、的に中っていく。十二射皆中を決めたのは、遥だけだったようだ。
「ーー藤澤先生……。彼女の師をご存知ですか?」
「えぇー……。私の師でもありますから…神山滋範士と…松風一夫範士ですね……」
「ーーそう…ですか……」
一吹は彼女の強さに、納得したような表情を浮かべている。彼がすぐに分かる程、弓道を極める者なら一度は耳にした事のある名だったからだ。
「そろそろ休憩ですね」
「はい……」
「一吹くんのペースで構いませんよ」
「藤澤先生には敵いませんね……」
藤澤は優しく微笑むと、部員たちに合図をし、お昼休憩となるのだった。
皆、お弁当やコンビニで買ったおにぎりやサンドイッチを広げている。
「今年も、もうすぐ終わりかー」
「早いよねー」
「そうだなー」
「そういえば、陵と美樹はクリスマスどこか行ったのか?」
「えっ?」
「はっ?」
頬を赤らめる美樹とお茶を咳き込む陵がいた。
「へぇー、陵と美樹はつき合ってるのか」
「隆部長まで!」
「陵が慌てるの新鮮だな」
隣同士で座っていた美樹と陵は、周囲に話を振られ照れくさそうにしている。
「皆、仲良いなー」
「一吹さん!」
「楽しそうだな」
「一吹さんは、彼女いるんですか?」
「陵、話逸らしただろ? 内緒」
「えーっ?!」
「一吹さん、気になります!」
「はいはい、また今度な。あと三十分くらいしたら再開するからな」
「はーい」
部員のまとまりは良いようだ。遥はチームメイトと残りの休憩時間も楽しく過ごし、午後の練習に備えていった。
「女子も的中率がこのまま行けば、上位に食い込めそうですね」
「えぇー、二月が楽しみですね……」
「はい」
一吹の言った通り、学校対抗戦では一チーム五人、一人八射の合計四十射で競うのだ。遥が外さなければ予選を通過し、地区内の上位四チームで戦う決勝トーナメントに残れる希望が出てくるのだ。
午前中と同じように手の空いてる者が、ノートに記録している。今は雅人が書いていた。
「遥は相変わらずだな……」
「あぁー」
素引きをしていた翔が応えた通り、彼女の欄には丸が続いている。
二月中旬にある大会に向けて少しずつではあるが、的中率を上げていく事を目標にする彼らがいるのだった。
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