第16話 想起

八位までに入賞した翔と陵は、あと一歩及ばず、東海高校選抜大会の出場を逃す形になった。個人の五位までに入賞した者は、その殆どが二年生だったのだ。

その為、清澄高校からは遥の女子個人のみ、東海高校選抜大会へ出場となった。

彼女は二日後に控える大会を前に、いつもの弓道場で一人、弓を引いていく。射形が乱れることはなく、的に中っている。弓を引く度に、弦音と弓返りの音が響いていた。

部活だけでは足りないのだろう。五つある的には、全て四本の矢が中っている。

「岐阜県か……」

彼女がそう呟いたとおり、今回の大会は岐阜県で行われるのだ。開催地はその年によって異なる為、彼女の県で行う場合もあるが、今年は違うようだ。

岐阜かー……。

新幹線使って、会場まで二時間くらいかな?

久しぶりに地方に行く……。

彼女は矢取りを行いながら、中学の頃を思い出していた。

卒業して一年も経ってないのに、ずっと昔のことみたい……。

昔は遠征とか練習試合とか……学校が休みの日も変わらずに弓に触れてたっけ。

ーー蓮に…会いたい……。

彼女は首を横に振っていた。その仕草は、彼への想いを打ち消しているようだった。




「遥、行くよー?」

「うん!」

美樹の呼びかけに応え、彼女は放課後の練習へ向かっている。試合前の最後の調整時間だ。

一つの的に黙々と中ていく。その所作は美しい。そう言っていいだろう。

弓を引くその射形は、いつも真っ直ぐに、遠くを見つめるように放たれていく。

「…すご……」

彼女は八射皆中を決めていた。

深く呼吸を整えると、更に四射引いていく。

「遥、調子いいな」

「陵…そうかな……」

遥が的に視線を移すと、十二本の矢が中っていた。彼女は的に向かって一瞬笑みを浮かべると、仲間と共に矢取りを行なっていく。その姿はいつもとは違ったのだが、微かな違いに気づくチームメイトはいない。おそらく、彼なら気づいていたかもしれない。彼女が緊張感を滲ませていたことに。


ちゃんと的に中ってたし……。

射形の乱れもないって…一吹さんも言ってくれたし……。

大丈夫。

迷わずに引けば……。

大丈夫。

掃除中も彼女は、今日の射を振り返っていた。静かに緊張感と戦っていたのだ。

「ハル、これ……みんなからな」

道場を出る直前で、隆部長から手渡された御守りは、赤色をした必勝祈願だった。

「あ…ありがとうございます……」

「ハルちゃん、明日の試合頑張ってね!」

「はい!」

彼女はいつもの笑顔で応えていた。

次々とエールをくれる仲間に応えると、彼女は志を持って大会に挑むことになるのだった。




付き添いの一吹と会場へ着くと、彼女は深く息を吐き出していた。

「遥、大丈夫か?」

「はい…久しぶりで……」

「楽しみにしてるよ」

「はい!」

彼女はいつもと変わらない射形で、的の前に立っている。次々と放たれていく矢は圧巻だ。

各県の上位五名が出場しているだけあり、県内の予選よりも高い的中率の者が多いようだ。

個人戦は八射六中以上で予選通過となり、決勝は射詰め競射が行われる。

「さすがだな……」

乱れる事なく弓を引く彼女の姿に、一吹はそう呟いていたが、その表情は硬い。祖父の事を想い浮かべていたようだ。

彼が周囲の音で視線を彼女から的へ移すと、彼女の的には八本の矢が中っているのだった。


「遥ちゃん、すごいな」

「佐野……。呼びに来たのか?」

「副部長に見つかる前にな?」

「あぁー。戻るよ」

彼は名残惜しそうに彼女の横顔を見つめながら、士気を高めていたのだ。

蓮は二組目に出場となっている。

彼もいつもと変わらない射形で弓を引くと、心地よい音が響く。周囲の雑音は、彼の耳には届いていないかのように静かな所作だ。ライバルのいない大会は今までに何度も経験した事はあるが、その度に彼のいない事実を思い知っていた。

遥と同じく彼も八射皆中を決め、決勝へ進むことになるのだった。


個人戦は今日の午前中で、すべてが決まる。

男子予選が終わると、女子の決勝が始まった。

射詰の為、一射ずつ矢を放ち、失中した者は除かれ、的中した者は次の一射を行う。的中させ続けた者が勝者となるが、二射目で決まった。

彼女以外は失中していたのだ。

遥は的に中った矢を見ていた。

ーー終わった……。

久しぶりに緊張した。

……久しぶりの景色……。

一吹は優勝を果たした彼女の安堵したような表情に、彼女が今まで緊張していた事に、はじめて気づいたようだ。


風颯からは、今回の団体メンバーの三人のうち二人、蓮と佐野が個人戦決勝へ進んでいた。

チームメイトが見守る中、弓を引いていくが、決着は直ぐについた。

彼の的にだけ三本、矢が中っている。

蓮が優勝したのだ。

彼は物足りなさを少し感じながら、会場を後にするのだった。



「一吹さん、団体戦も見ていっていいですか?」

「あぁー、構わないよ。風颯が出てるよな?」

「はい。一吹さんの母校ですよね?」

「そうだな。懐かしいな……」

昼食を終えた二人は、再び会場へ来ていた。

彼女は、場内に現れた三人に視線を向けている。風颯の団体が始まるからだ。

予選は一人八射。二十四射で競われ、上位八校が抽選をし、決勝トーナメントが明日に行われる。風颯からは蓮、下村、佐野の三人が出場していた。

大前の蓮が弓を引くと、それに続くように皆中していく。

矢が一瞬で的に中る美しい軌道を、彼女は静かに見守っていた。

「決まりだな……」

「ふぅ……。あっ、そうですね……」

緊張していたのだろう。彼女は息を吐き出すと、一吹の声に応え会場を後にした。

彼らの的には合計二十本の矢が中っていたのだ。




大会二日目は、団体の決勝トーナメントが行われている。決勝では一人四射。一、二回戦を勝ち残ったチームが決勝の舞台に立てるのだ。

遥は、彼の射を見つめていた。

また…決まった……。

四射皆中。

彼は予選から一度も外していない。風颯は順当に勝ち残り、決勝戦を迎えようとしている。

「松風くんだっけ? 凄いな……」

「そうですね……。一吹さんは、良知りょうじコーチのお知り合いなんですか?」

「あぁー。昔……お世話になったな。兄から聞いたのか?」

「はい」

「満くんだっけ? 彼が来てから、風颯は公式戦負けなしだって、良知さんが喜んでたな」

「そう言われると、嬉しいですね。みっちゃ…満も……松風くんも強いですからね」

「は…」

「あっ! 始まります!」

彼女は会場に姿を現した彼の姿を見つめている。

変わらずに弦音と弓返りの音が響き、会場の観客を惹きつけていた。

美しい射形で的に中ると、かけ声と拍手が起こっている。風颯が十二射十一中を決め、優勝したのだ。

一吹は嬉しそうにする彼女の隣で、言いかけた言葉を飲み込んでいた。

『遥も強いぞ?』

きっと告げたら微笑んでくれそうだが、彼女は納得はしないだろう。彼はそういう感情を知っていたのだ。



閉会式を終えると、彼女はいつもの弓道場へ戻って来ていた。

「負けなし…か……」

彼女は満と蓮の射形を想い浮かべていたのだ。

……美しい射形。

みっちゃんも…蓮も……心を乱すことなく、弓を引く。

誰にも真似できないような所作。

私はいつも迷ってばかりだけど……。

…もっと…見ていたかったな……。

満はあと四ヶ月足らずで、東京の大学へ行ってしまうのだ。

また見送る側……。

それに蓮の射…今回の大会はーー……。

彼女は三人の中で一番年下の為、いつも先に卒業していく彼らを見送る側だったのだ。

彼女がゆっくりと瞳を閉じて弓を引くと、真っ直ぐに矢が飛んでいった。

的には四射中っている。


「遥!!」

珍しく勢いよく道場に入って来た彼の元へ、彼女は駆け寄っていた。

「……蓮!」

二人は抱き合っていた。正確には彼が彼女を抱きしめている。

約一週間ぶりに見る彼女に、彼女の変わらない射に、感極まったのだろう。彼が今回の大会で彼女の射を見れるのは、最初で最後だったのだ。

「おめでとう…遥……」

「うん……。おめでとう…蓮……」

彼は満から引き継いだ連覇を更新したのだ。

自身のこの大会での優勝は初めてである。満が個人でも二連覇を果たした大会だったからだ。

一つしか歳は変わらないが、ライバルでもある彼の背中は、いつだって近いようで遠い。チームをまとめる苦労を改めて知る度に、そう感じる蓮がいたのだ。

「蓮……」

「ん? どうした?」

「……綺麗な射だったよ」

「ん…遥もな……。次に会えるのは、十二月か……」

「部長はどう?」

「満は完璧だからなー。俺らしくやっていくよ」

「うん。蓮の射が見れるの楽しみにしてるね」

「あぁー…俺も……」

彼女の頬に触れる彼の手はいつも優しい。

ーーあと何回……。

蓮の射を見る機会があるんだろう。

みっちゃんと同じように……。

彼女の頭には、彼が此処で弓を引く機会が一年もない事がよぎっていたのだ。

「ーー東京か……」

「うん…久しぶりだね……」

二人は道場入り口で並んで座ると、肩を寄せ合っている。

「……寒いね」

「もう十一月だからな……」

「蓮、来てくれてありがとう……」

「うん……。元気だったか?」

「うん……」

「正月はさすがに休みだから、初詣行こうな?」

「うん!」

彼の提案に彼女は笑顔で応えると、彼を抱きしめていた。

「……遥?」

「少しだけ…このままで……」

「あぁー」

蓮は彼女を抱きしめ返していた。

一週間ぶりに触れる彼に、遥は泣きそうになっていた。心細かったのだろう。

「遥?」

「ん、充電完了!」

彼女はいつも通り明るく振舞って見せているが、彼にはすぐに分かった。久しぶりの大会に、中学の頃を思い返していた事が。

「もうちょっとな?」

「うん……」

離れようとする彼女を、蓮が抱き寄せているのだった。




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