君と歩いた季節

第5話 発覚

「遥、送っていくか？」

「うん！ でも少し待ってて、すぐ戻るから」

彼女は父の言葉に元気よく応えると、急いで彼の待つ弓道場前の道へと向かった。

「蓮、おはよう」

「おはよう、遥……。その袋は？」

袴姿の彼女の手には、紙袋が握られている。

「おにぎりと……昔よく飲んでた蜂蜜レモンティー、時間空いた時に充電してね」

「すっげー嬉しい！ ありがとう！」

蓮は紙袋ごと彼女を抱き寄せていた。

「遥は……今日は、親父さんに送ってもらうのか？」

「そうだよー。蓮はみっちゃんと一緒に学校まで行くんでしょ？」

「……じゃあ、挨拶していいか？」

「へ？ 挨拶って……付き合ってる事？」

「そうだよ」

「今日、試合がこれからあるのに？！」

「何事も決めたら早い方がいいだろ？」

このように一直線な所は、二人の似ているところかもしれない。

二人は手を繋いだまま、神山家玄関口までやって来ると、ちょうど父が遥を待っているところだった。

「おはようございます。おじさん……お久しぶりです」

突然の蓮の登場にも関わらず、袴姿だったからか、幼馴染だからかは分からないが、父はいつもの調子で応えていた。

「久しぶりだね、蓮くん」

「おじさん！ 今、遥さんとお付き合いさせて頂いてます」

二人は手を繋いだまま父に報告をしていると、リビングから満と母が顔を出した。

「きゃー、嬉しい！」

父の反応よりも、母の方がテンションの高い反応をしている。

「遥のこと……よろしく頼むよ」

「こちらこそ、これからも宜しくお願いします」

日頃の弓道の成果かな？

蓮のお辞儀はいつも綺麗……。

周囲の反応についていけず、そんな事を彼女が考えていると、満も微笑んでいた。

「遥、蓮……。良かったな」

「うん」

二人は同時に応えていた。

満と蓮は学校からバスで向かう為、神山家で別れると、遥は父に会場である県武道館へ送ってもらうのだった。

向かう道中、車内で色々聞かれたのは言うまでもない。

「お父さん、ありがとう」

「気をつけていってきなさい。満に負けないように！」

「はーい」

父なりの遥の緊張のほぐし方だ。

遥は美樹に連絡を取り、部員が集まる場所へと歩みを進めるのだった。

「皆さん、予選で味わったと思いますが試合の空気は独特です。呑まれそうになったら、深呼吸をして思い出してみて下さい。今まで練習してきたことを」

「はい」

「いい返事ですね。それでは私はあちらの席で見させて貰いますので、開会式には参加して下さいね」

「はい」

制服組を連れて、藤澤は場外の椅子に腰を掛けている。

「何か遥、楽しそうじゃない？」

「だって、これから広い会場で弓が引けるって思ったらワクワクしちゃって」

遥の言葉にその場にいた部員は笑いそうになったが、開会式の真っ只中だった為、笑いを堪えるのに必死になっていた。

そのおかげか、開会式前よりもリラックス出来ている事に部員は気づいたのだった。

「村田も北川も頑張れよ」

「うん」

先輩たちの仲の良さに、いつも通りだと感じる彼女がいた。

「私、二巡目の一番なので次です」

「ハルちゃんと同じ組かぁー」

北川はこれから始まる試合を前に、不安感が押し寄せて来ていた。

「……北川先輩、もし迷ったら私の射を見てください。いつもの練習と一緒です」

そう言って微笑む彼女に、北川はいつもの笑顔を取り戻して応えていた。

「いってきます」

その場にいた八人と軽くハイタッチを交わすと、遥は瞳を閉じ、いつもと同じ美しい所作で会場内から向かって一番右端の的の前に立っていた。

心地よい弦音が響き、一射目が中ると、遥の左隣にいる人が弓を引いていく。

「凄い……」

「次々と矢の音がするのは圧巻ですよね」

藤澤の言葉に初心者四人は頷いているのだった。

県大会団体個人兼全国総体東海総体予選では、四射二中以上で準決勝進出。

準決勝も四射引き、予選からの合計が六中以上のものが午後の決勝へと進出することが出来るのだ。

予選は全員勝ち進んだが、決勝まで清澄から残ったのは、遥、翔、陵の一年生三人と飯田副部長の総勢四人だった。

「皆さん、お疲れさまでした。決勝に出る方は、これからまた動くので食べ過ぎないように気をつけて下さいね。特に松下くん」

「ちょっ、先生？！」

いきなり名指しされた陵は驚いて声を上げると、部員はクスクスと笑っている。いい雰囲気で午後の試合を迎えられそうである。

遥は改めて、ここに在れる事に感謝していた。

「遥、お昼にするから行くよー」

「うん」

美樹の呼びかけに応えると、周囲が騒ついているのが分かった。清澄の近くを今日、一番の優勝候補である風颯学園高等部弓道部員が大人数で歩いているからだ。

「あの濃紺のジャージだろ？ 優勝候補の風颯」

「部員数多いなー」

「強そー」

ーー確かに強そう……。

それを…みっちゃんが率いているとは思えない。

そんな事を思っていると、ちょうど隣を蓮がすれ違っていく。二人は視線を通わせると、何も言わずに軽く手を触れ合わせ、別々の方向へ歩いていった。

「あれ？ あそこにいるのってハル？」

満は少し距離のある位置にいる遥に気づいた。

清澄も風颯も次の試合まで、しばしの休息をとっている。

「満部長は相変わらず、気づくの遅いよ」

蓮の声にそんな事はないと反論しそうになったが、楽しそうにする遥の横顔に、思わず違う言葉が溢れていた。

「良かった……」

「満、何見てんだ？ 袴姿の似合う可愛い子でもいたか？」

チームメイトに聞かれ、視線を手元に戻すが、時はすでに遅かった。

「清澄高等学校？ ってあれ！ ハルじゃん！！」

中高一貫で、部長の妹と言うこともあって、外部から高校に入学した者以外には、遥が満の妹だと言うことは周知の事実だった。

「満のバカ……」

蓮の呟いた言葉は、周囲の騒ぐ声にかき消され、彼に聞こえてはいなかったが、その表情で見ているんじゃなかったと、感じているのは明らかだった。

「はーい、騒がない！」

部長がそう告げると、静かになる所は統率力がとれていると言えるだろう。

「何か向こう騒がしいなー」

「あれって、優勝候補の風颯だろ？」

「先輩たちも知ってるんですね」

大石と飯田の会話に陵が加わっている。

「県内Ｎｏ１の高校だからなー」

「特に今年の部長は、俺ら三年と同い年なのに、あの上手さだろ？ 一年の時から凄かったから印象に残ってるんだよ」

遥は美樹や真由子、先輩たちと女子トークを繰り広げている為、陵達の会話は耳に入ってはいなかった。

彼女がチームメイトと笑い合っていると、聞き慣れた声が背後から聞こえてくる。

「ハル…遥……」

少し気まずそうな声を出す兄と元チームメイトに、遥は驚いていた。

……そのジャージ着たまま話しかけないでほしい。

目立つよ……。

満の左隣にいる蓮に視線を移すと、すまなそうな顔をしている為、彼女は諦めて話しかけた。

「みっちゃ…満、どうしたの？」

「いや、こいつが…うるさくて」

満の右隣にいた土屋（つちや）がテンション高めの状態で遥の両手を握り、話しかけている。

「ハルー、久しぶりー！ 相変わらず袴姿が似合うねー」

「お久しぶりです…土屋先輩……」

挨拶すると同時に何もなかったかのように、土屋の手から逃れる遥を、満は少なからず懐かしいと感じていた。

「……それで、どうしたんですか？」

「いやー…懐かしくて、構いたくなっただけだよー」

遥の後ろには、座ったままの状態の清澄高等学校の面々が呆気に取られていた。

「お騒がせして、すみません……ほら、満部長！」

蓮が挨拶するように促している。

「すみません、風颯の神山満です。妹がいつもお世話になってます」

「いえ…こちらこそ……」

これに応えたのは、部長の村田だった。

彼女が応えると、満のことを知っていたであろう陵と翔が、食いつくように彼に話しかけている。

「休憩中にすみません…」

遥が謝ると、チームメイトは納得したような表情を浮かべていた。

「遥、ちょっといいか？」

「う、うん。私ちょっと向こうに行ってくるね」

「うん」

美樹の返事を待たずに、蓮は彼女の手を引いて、二人で会話できる所まで歩いていく。

「蓮…どうしたの？」

「……悪かったな。土屋先輩止められなくて…」

彼が申し訳なさそうな表情を浮かべている為、遥は明るい口調で応えていた。

「大丈夫だよ。みっちゃんに話しかけてる二人は、私が風颯から来たこと、知ってるみたいだったし」

「でも……」

「それに会いたいと思ってたら…本当に蓮に会えた……」

蓮に会えたことは、何よりも嬉しい。

つい数時間前まで一緒にいたはずなのに……。

「……午後は決勝だな」

「うん、蓮は来週の団体決勝も大前で出るんでしょ？」

「うん…でも、まずは今日の個人戦で勝負だな」

ハイタッチを求められ、勢いよく返事をすると手と手が重なる心地よい音がした。

「もちろん！」

「ーーそろそろ、戻るか」

「は？ ちょっ、春馬（はるま）？！」

どうやら土屋も彼女の事を心配していた一人だったようだ。

「じゃあ、飯田くん、松下くん、白河くん、また決勝で」

そう、さらっと言って去る満の後ろ姿には、強豪校のジャージがよく似合っていた。

二人の所に満と土屋がやってくると、遥は清澄の元へと戻っていった。

「……いいチームだったな」

土屋の言葉に二人は驚きながらも、頷いていた。

遥が弓引きでいられる場所があってよかった。

そう、蓮も満も想っていたのだ。

個人戦決勝が始まる……。

先程、優勝候補と一緒にいた事もあって、清澄高等学校は噂の的になっていた。

あの数分でこの影響力……。

遥は深く息を吐くと、いつもより大きめの声で口にしていた。

「……先程は風颯の兄が失礼しました！」

「いや、ハルのせいじゃないし。俺も神山くんと話が出来て嬉しかったよ」

そう優しく応える飯田副部長に、彼女は微笑んだ。

周囲にも聞こえる声で話した為、個人戦決勝に出る清澄の四人に視線を向けていた者の目が、彼女だけに向けられるようになっている。

「ーーハルは凄いな……」

そう呟いたのは翔だった。

射が上手くなればなるほど、注目を浴びるようになる。確かにさっきまで視線を集めていて、居心地がいいものではなかったが、それを一人で受け止めてくれるなんて……。

「では、いってきます」

遥は深呼吸すると決勝の舞台へ立っていた。

他人の視線は気にならない。

私はここで、出来ることをやるって決めたの。

遥は決勝では右から五番目の位地に立っていた。

右隣の人が弓を引き終わると、遠くにある的を見据え、矢を射る。

「よーし」

拍手の音が遠くで響いている。

決勝で四射。予選からの合計的中数で順位が決まるのだ。

おじいちゃん、私……生まれ変わるよ。

此処で……。

カンという心地よい弦音に、弓返りの音が響く。

予選からの合計的中十二。遥は一つも外すことなく中ったのだ。

十二射皆中は彼女だけだった為、競射をすることなく一位の成績が決まる。

その姿に蓮は、次は俺の番だと気合を入れ直していた。

「ハルは、凄いな……」

「そうですね」

男子決勝を控えた清澄のチームメイトが、感動していたのは言うまでもない。

飯田は先程会った土屋と、満は翔と陵と同じ組の決勝になった。勿論、彼らに相手を気にする余裕はないが、翔は二つ後に満の弦音を聞く度、こんな風に射ることが出来たらと、思う自分がいる事に気づいているのだった。

予選からの合計的中数は、飯田が八射。翔と陵は十一射で、この後遠近競射で順位を決める事になった。

そして今、目の前では十二射同中だった満と蓮が射詰競射をしている。

交互に弓を引き、的に中らなくなった方が負けである。サッカーのPK戦のようなものだ。

お互い、五射連続で皆中していく。

その戦いぶりに、翔と陵は高揚していた。

カンと心地よい弦音が響くと、次の射は的から僅かに外れている。

決着がついたのだ。

「蓮、おめでとう」

「ありがとう、満…部長」

二人が熱い握手を交わすと拍手が響いた。

次は十一射同中の七名が的の前に並ぶ、遠近競射が始まった。

遠近競射は、矢が的の中心に近いものが順位が上になり、一つの的を使用する為、先程の射詰とはまた違った緊張感がある。

翔も陵も皆中を決めるが、完璧とは言えない。中心から外れているからだ。

そんな中、的の中心を捉えたのは風颯の土屋だった。

土屋はふぅーと、息を吐き出すと右隣で先程まで戦っていた翔に握手を求めていた。

「……また戦えるの楽しみにしてる」

「は、はい！」

翔はその言葉に、握った手から土屋の顔へと視線を移すと、彼もまた楽しそうな表情を浮かべているのだった。

個人男子の順位は、

一位 松風（まつかぜ） 蓮（れん）

二位 神山（こうやま） 満（みつる）

三位 土屋（つちや） 春馬（はるま）

四位 白河（しらぎ） 翔（かける）

五位 松下（まつした） 陵（りょう）

結果は優勝候補の風颯が一位から三位までを独占していた。

男女ともに一位から四位までが全国大会、五位までが東海大会の出場権を得られる為、陵の言ったとおり清澄高等学校が、台風の目になった事は明らかだった。

でも、この結果に新たに静かな闘志を燃やす二人がいるのだった。