第4話 想い

……両想いなんて夢みたい。

ずっと、すきだった人に…すきだと言ってもらえるなんて……。

遥は少し浮かれ気味になりながらも、いつも通り弓道場へ歩いていく。


きっと彼は学校に顔を出す時間が増えるから、今日はいないだろうと思っていると、優しい声がした。

「……遥」

蓮は学校の濃いネイビー色のジャージ姿に矢筒、弓巻、学校指定の鞄を持って弓道場へ向かう分岐点で待っていた。

彼があまりに自然に両手を広げるので、彼女はその腕の中へ飛び込んでいた。

「次に会うのは、総体だな」

「うん、蓮も体調に気をつけてね」

「遥もな」

二人は抱き合うと、それぞれが自分の場所へと歩いていく。そんな中、蓮の後ろ姿と矢筒にある水色の御守りを見つめながら、彼の射が見れるようにと願っている遥がいた。


いつも二人で使っていた道場の鍵を一人で開け、個人戦に向けて気合いを入れ直す。

電車に間に合う時間までに弓を引き終えると、七時半から始まる弓道部のここ数日で、自主練ではなくなった朝練へ向かうのだった。




清澄高等学校では、テスト期間前の三日間とテスト期間中を合わせ、約一週間ほど部活が休みとなる。大会前で練習をしたい所だが、部活は休みとなっていた。

「今日から部活も休みかー」

「ねぇー、テストで赤点取らないようにしないと」

「んじゃ、今日テスト勉強して帰らないか?」

「する!」

和馬の提案に陵が乗り、弓道部一年の八人で勉強会をする事になった。

普段行かない図書室は、静か過ぎるという理由から陵と雅人に却下された為、部活内にクラスメイトが三人いる三組の教室で机を並べ、テスト勉強する事にしたようだ。

「苦手な科目から克服するかー」

「そうだね」

「遥、ここの訳分かる?」

「うん」

各自、今日持っている教科の中から、中間テストの範囲を勉強していく。

理解するまで反復するのは、弓道も勉強も同じと言えるだろう。

「……テストが終わったら、久々の個人戦だなー」

「そういえば、陵と翔は同じ中学だったんだろ? なんで、ここに進学したんだ?」

和馬がノートに英語の単語を書いて覚えながらも、尋ねると、他の部員も気になっていたようだ。

「それ、私も知りたい」

「美樹もか……」

彼女だけではなかった。遥も部員の大半はあれだけ弓が引ける経験者なのに何故二人は、清澄へ進学したのだろう? と、感じていたのだ。

「俺と翔は元々、東部地区の強豪校に推薦が決まってたんだけどさ。そこの先輩に俺らと同じ中学から進んだ人がいて、弓道を一時辞めたんだよ」

「あぁー。中学までは割と寛大な先生の元で、今みたいに団体戦ギリで揃うような所で弓道学んでたから……。強豪校らしい上下関係の厳しさとか、進学してみたら自分より上手い奴なんて沢山いて……って、打ちのめされたんだろうな……」

二人は、半年程前のことを思い出しながら話しているようだ。

「その先輩の射は、少し癖があるけどさ。かっこよかったんだよ」

「そう……。でも入学したら、癖を正せって言われて……結局、早気はやけになっちゃったんだよな」

「早気って?」

疑問に思ったのは真由子に雅人、和馬だけではなかったようで、奈美がそう口にしていた。

「早気っていうのは、一種の病気だな。精神的なものが強いらしいけど、脳が弓を引くと手を離すってインプットしちゃうから、自分ではもっと溜めてから引きたいと思っていても、手が条件反射で動いてしまうんだよ」

「……治るのか?」

雅人の問いに答えたのは翔だった。

「治るらしいけど、簡単なことじゃないな。そうなった時は、一度弓道から離れてみたりとか、脳が記憶を書き換えるまで、素引きをしたりして……付き合っていくしかない」

「……その先輩は、今も弓道続けてるの?」

遥の緊張感のある声に応えたのは陵だった。

「もちろん! 高校は離れてたけど、今は大学で弓道やってるらしいし」

嬉しそうに応えた声に彼女は安堵していた。

「そんな時にさ……。今の顧問の藤澤先生に会ったんだよ」

「あぁー。先生には感謝してるから、個人戦で結果を残さないとな」

……入学式の日。

なぜ先生と一緒にこの二人は弓道部を訪れたのか分かった気がした……。

彼らはまさに弓道部を再生する為に呼ばれたのだ。

そんな事を感じながらも、手を動かしている遥、真由子と和馬に陵がツッコミを入れたのは、言うまでもない。

ーー藤澤先生は、きっと…おじいちゃんを知ってるかもしれない……。

遥は何となく、そんな気がしていた。



「思いのほか捗ったなー」

「お互い、赤点取らないようにな!」

いつものように駅まで行く四人と徒歩、自転車の二人組みと校門で別れを告げ、勉強会はお開きとなった。

「テストが終わったら、一週間くらいで大会だね」

「俺と翔は、今回の東部地区の台風の目になるつもりだからよろしく!」

翔の肩に腕をのせ、戯けて言っている為、遥は笑って見せたが、その瞳の色で彼が本気だと感じていた。

本当にこの二人なら、大会の台風の目になり得ると。

二人の前を美樹と陵が並んで駅まで向かっていると、遥の右隣を歩く翔が、そっと告げていた。

「さっきは言わなかったけど…藤澤先生からハルが風颯かぜはやてから来るって言うのも聞いて、この学校に決めたんだ」

返答に困っている彼女に、翔は微笑んでいる。

「ハルの射に憧れてるのは、美樹たちだけじゃないって事」

「……ありがとう」

もっとまともな返答が出来ればいいのにと、彼女自身も思ってはいたが、これが今の精一杯だったようだ。

私が蓮やみっちゃんの射に憧れるように…私の射を認めてくれる人がいるなら、それは……。

おじいちゃんの約束へと繋がる気がする。

遥はいつも通り駅で三人と別れると、一度家に戻り、袴に着替えてから、いつもの弓道場へ足を運ぶのだった。




「終わったー!」

「小百合ちゃん、部活解禁だね」

「うん!」

それぞれ弓道場と体育館へと向かう中、昇降口で一年弓道部員は顔を見合わせている。そのままの流れで、道場までの短い距離を駆け足で競争する形になった。

「あっ! 翔、早!!」

「……元気」

「マユ、冷静ね」

どうやら走り出したのは、男子だけだったようだ。真由子が冷静に言ったように、女子はいつものように話ながら、道場まで歩くのだった。


場内に入ると、藤澤がいつもの位置に座っている。

「先生、おはようございます」

「皆さん、おはようございます。今日から大会個人戦に向けての練習になるので、いつでも今の最善の射が中るようにしましょう」

「はい!」

先生は特に強制はしないけど…今できる事をやる教えは、おじいちゃんと似ている気がする……。

遥は思い切って、藤澤にお願いをしていた。どうしても彼女は、確かめたかったのだ。

「……先生、部活の後に少し…お話を伺う事ってできますか?」

「いいですよ。掃除が済んだら、そのまま待っていてもらえますか?」

「はい」

遥は決断するまでは長いが、一度決めたことには一途な為、すっきりとした顔で矢を的に中ていく。

どんな時でも、その射形が乱れることはない。

それは先程、先生が言っていたような理想的な弓引きの姿だった。



掃除も終わり同級生が帰る中、遥は袴姿のまま場内に正座をし、藤澤が来るのを待っていた。

「お待たせしましたね」

「先生! 袴、初めて見ました!」

藤澤の上下黒の袴姿に、いつかの祖父を想い浮かべる遥がいた。

「藤澤先生……。先生は、神山こうやましげる範士をご存知ですか?」

「……存知ていますよ。滋さんは…私の先輩でもありますから」

「ここの…藤澤先生も清澄の卒業生だったんですか?」

「はい」

そう応えると、藤澤は弓を出し、矢を取り、お手本のような所作で的の前に立っている。

遥は瞬きで見逃さないように、矢の皆中する音を見ていた。

私…小さい頃に見たことある。

祖父の隣で、弓を引いていた人だ……。

遥は唐突にそう思った。

彼女の祖父、滋は弓道で範士の腕前の持ち主だったのだ。

「……私は滋さんの孫娘である遥さんと、ここ清澄で会うことが出来て良かったと思っています」

彼女は藤澤の話を一つも逃さないように聞いている。

「遥さんも聞いた事があるかもしれませんが、滋さんの息子さん…つまり、あなたのお父さんもかつては弓引きでした。でも、当時最年少で範士となり、滋さんは厳しくすることが正しい事だと思っていたそうです。時代もあるかもしれませんが、他のやり方を滋さんも私も知らなかったのです」

話が長くなりそうな為、足を崩すよう合図をされた遥は黙ったまま、それに従っている。

藤澤は彼女の足元を確認すると、ゆっくりとした口調でまた話し始めた。

「……やがて滋さんの息子さんは早気になり、しばらく弓道から離れますよね。そこで、ようやく正しい所作が美しいのは真理だけど、まずは弓を引きたいようにやらせてみようと思ったそうです。……その後、滋さんは沢山のお弟子さんに教えを請われる存在となっていきますね。私もその弟子の一人です」

遥は頷きながらも、声を上げることはなく藤澤の貴重な祖父の話に耳を傾けていた。

「滋さんがかつて通っていた時代の清澄は強豪でした。私が通う頃には、今と同じような感じですが……それでも個人戦で決勝まで残れたのは、母校だからと言ってコーチ役を滋さんがやって下さっていたからだと今でも思っています。本当は今もコーチをお願いしたい人もいるのですが、実績がないと難しいですよね。……話が脱線しましたが、滋さんは遥さんの身をいつも案じていましたよ」

「えっ?」



病室のベッドから起き上がっている滋は、窓から空を見ていた。彼の側の椅子に腰掛けた藤澤は、静かに話を聞いている。

それは昨年の夏の出来事ーー。

「……遥は、優しすぎるから勝ち負けの世界には向かないのかもしれない。弓道は生か死かの世界だからな。それでも、弓道がすきだから中学三年間は何とかやってこれたのだと思う。でも、中ニ、中三と個人でも団体でも優勝して、今まで目標としてたものが叶ったあの子は、次に何を目指して行くのだろう……」

「目指すものですか?」

「あぁー。だからって、中高一貫のあの学校が悪いって言ってるわけじゃない。風颯は実力があれば、一年生でも試合に出場できる、いい学校だ。現に遥も満も一年から大会に出てるし…私の教え子のコーチもいるしな……」

「……弓は一人で引くことも出来る武道でもありますよ?」

「そうだったな……。でも…こんな歳になってもまだ迷う。昔…悪友がよく言っていたのを近頃思い出すんだ」



「……悪友ですか? 」

涙目になりながらも、声を出した遥に藤澤は優しい声色で応えている。

「悪友と言う名の親友、松風まつかぜ一夫かずおさんですよ。滋さんは一夫さんの話をする時もいつも楽しそうにしていました」

ーー蓮のおじいちゃんの事だ。

昔、聞いた事がある……。

そもそもあの弓道場は、両家の祖父が弓を引きたいが為に買った土地だって、祖母が飽きれながらも優しく笑って話てくれていたっけ……。

「……滋さんは昨年……。最期まで…遥さんの進路について私に語ってくれていました」



「また三年間苦しみながらも弓道を続けたら、あの子なら続けられるかもしれないが…もしかしたら息子のように早気になってしまうかもしれない……。もう治ってはいても…息子が、どれだけ苦しんだか私は知っている。弓道がすきなら尚更な……」

「清澄は遥さんが入学する頃、部員は五人で女子は経験者が多く入ってこないと団体戦にも出られないような状態ですよ? あれほどの実力の持ち主なのに……」

「あれほど綺麗な所作で射る弓引きは稀だ。でもな…遥の前にはいつも満や蓮がいるから、できて当たり前の目で周囲から見られるんだよ。あいつらの所作も勿論見事だが、女性であそこまで引ける人を私は孫以外に見たことがない」

「……滋さんは…遥さんの射が、すきなんですね」

藤澤の言葉に滋は、笑みを浮かべていた。

「あれは……私に似て良い弦音がするからな」



遥の瞳からは堪えきれず大粒の涙が溢れていた。

藤澤から手渡されたハンカチを受け取ると、目元を拭い、はっきりとした口調で応えている。

「先生…ありがとうございます……。祖父の事、たくさん覚えていて下さって」

「私にとっても遥さん、あなたは滋さんの孫である以上に、この弓道部の再生に欠かせない人ですよ」

おじいちゃんが言っていた意味がやっと分かった。



「遥、進路でもし迷っているなら私の通っていた清澄高等学校を受けてみては…どうだ?」

「清澄……。弓道部あるの?」

「私が通っていた頃は、強豪だったが……ここ数年は、予選止まりが続いている。遥に弓道を続けて行く気があるなら、遥の事を誰も知らない場所で一から再生してみないか?」

おじいちゃんに見透かされた気がした。

中学三年間で弓を辞めようかと迷っていたこと……。

すきな事と、自分に向いている事は必ずしもイコールじゃない。

それでも…ギリギリまで迷ったのは、弓が……蓮が、すきだったから……。

そばにいたかったから……。



「ーー祖父が亡くなった時、私は大会に出ていました。最期に立ち会えなかった…罪滅ぼしじゃないですけど、そんな気持ちもあって清澄に来ました。一から再生というのは、私の事だけでなく、この部の事も掛けて祖父は言っていたんですね……」

「そうですよ。再生に手を貸してくれますか? 」

「はい! これからもご指導、宜しくお願い致します」

泣いていたのは遥だけではなかった。藤澤もまた、滋の孫娘に会うことが出来て良かったと、涙目になっていたのだ。

「では、神山さんも一射的に中てから帰りましょうか?」

「はい」

遥は涙を拭うと、いつものように綺麗な所作で、的の前に立ち、一呼吸置いて弓を引く。

当然というか、さすが範士の孫と言うべきか、一射皆中を決めると藤澤が思わず拍手をしているのだった。



遥はいつもより遅くなった帰り道、蓮とメールのやり取りをしていた。

すると急に携帯電話のバイブ音が鳴った為、慌てて通話ボタンを押すと、安心感のある聞き慣れた声が電話越しに聞こえてくる。

「遥、後ろ」

彼女は携帯電話を耳に当てたまま、後ろを振り返ると、会いたいと想っていた彼がいた。

通話ボタンを切る間もなく、彼の元へ駆け出していた。

「……遥、お疲れさま」

「お疲れさま…蓮……」

優しい笑みを浮かべる彼と抱き合うと、彼女は今日あった出来事を話し始めた。

……祖父達のこと。

清澄に入学したこと。

そして、何より弓が……蓮が、すきだということを……。

二人は手を繋ぎながら、自然と二人きりになれる弓道場へ歩いていくのだった。

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