業火に付す
中瀬一菜
業火に付す
人 物
雪代慶道(27)僧侶
白河静子(40)事務員
江田正巳(58)静子の上司
寒崎慶海(35)雪代の兄弟子、僧侶
我妻修二郎(62)弁護士
信者A
信者B
信者C
〇●●山・前景
雪を纏う木々。どこまでも山。
T「大正7年某日」
〇景雪寺・外観
古刹。寒椿が咲く。数人の僧侶が除雪中。
喪服(着物)姿の参列者が行き来する。雪代慶道(27)の読経が響く。
〇景雪寺・本堂・中
雪代、上座に座り、木魚を打ちながら読経する。汗が頬に滲む。
雪代の背後に参列者が座っている。信者A~C、最後尾で横並び。
信者A「もう一周忌かァ……」
信者B「結局、何が死因だったんだい?」
信者A「事務局は持病の心臓がどうのってサ」
信者C「……どうせ、いつものことだろうよ」
信者A「金か、女か、嫉妬か、逆恨みか」
信者B「あんな生真面目な坊(ぼん)さんでも、か」
信者C「誰でも裏の顔はあるもんサァ……」
雪代、目を伏せて、手を合わせる。
〇景雪寺・檀家用台所(夕)
白河静子(40)、湯飲みを洗っている。
静子「慶道庵主様、本日の法要は大変でしたでしょうに、よろしいのですよ、全てわたくしにお任せいただければ」
雪代、静子の洗い終えた湯飲みをから拭きしながら、
雪代「いいえ、事務局の仕事とは別にこんな世話まで任せて申し訳ない。これが終わったら、暗くなる前にお帰りなさい」
静子「そんな。過ぎたお心遣いですわ。むしろ、わたくしなんぞよりも」
静子、手を止めて、俯く。
雪代、静子の方を見て、苦笑する。
雪代「私の方が気を遣われてしまっては困る」
静子、雪代の方を見つめる。
静子「海妙寺の慶海様は……本当に心臓のご病気で急逝なさったのでしょうか……」
雪代「ええ、そうです」
雪代、拭き終えた湯飲みを戸棚に戻す。
〇(回想)海妙寺・庭(早朝)
雪が降り積もっている。寒崎慶海(35)うつ伏せで倒れている。
寒崎の周りの雪は鮮血で染まる。
〇元の景雪寺・檀家用台所(夕)
静子、雪代の後ろ姿を見つめる。
雪代「ここは山深く閉鎖された寺町ですから、皆娯楽に飢えているのですよ」
〇(回想)海妙寺・庭(早朝)
雪代、箒を投げ出し、寒崎に駆け寄る。
肩を揺するが無反応。寒崎の身体を起こす。
胸~腹部に多数刺殺痕有り。
雪代、抱き締め、空に向かって慟哭。
〇元の景雪寺・檀家用台所(夕)
雪代、下駄を履きながら、
雪代「我が兄弟子は最後の最後まで己に厳しく修行をお続けになった。その生き様は――慶海殿は、いつまでも私の理想なのです」
静子「なお更わたくしは歯がゆく存じます。庵主様の大切なお方を弄ぶような、根も葉もない噂話を、それも法要の最中に」
雪代「……私は庭を見てきます」
静子、反論しかけるが、押し黙る。
〇景雪寺・庭(夕)
寒椿が雪に埋もれている。
雪代、後ろ手に戸を閉めながら出てくる。地面に落ちた椿を一つ掴む。
ゆっくりと握りつぶす。花弁が落ちていく。
〇●●山総本山・境内
江田正巳(58)、焦り顔で走り抜ける。
事務局と看板が出ている建物へ入る。
〇事務局・執務室
静子含め数人の職員がデスクワーク中。
江田、走り込む。
江田「ちょッ、たいへ……大変ですッ!」
静子、手を止めて、訝しげに、
静子「江田局長、どうかなさりましたか?」
江田「白河君ッ、すまないが、すぐ応接室の用意を頼めるかね、それとお茶も!」
静子「アッ、はいっ、承知いたしました」
江田「全く……ッ! 昨日の今日で忙しいったらありゃしない!」
江田、バタバタと執務室を出て行く。
静子、訝しげに江田の姿を見つめる。
〇●●山総本山・境内
雪が降りしきる。
雪代、買い物袋を提げて、傘を差し歩く。
横を車が走り抜け、事務局の建物前で停車。
雪代、足を止めてその様子を見つめる。
車から我妻修二郎(62)が降りる。
江田、バタバタと我妻に駆け寄る。
雪代「また、か……」
雪代、再び歩き出す。
〇事務局・応接室
江田と我妻、向かい合って座る。
静子、ふたりにお茶を出す。
我妻「いやいや、江田局長、息災なようでよかった。昨年とお変わりないですね」
江田「変わりなさ過ぎて困るくらいですよ」
我妻「わっはっは! そりゃそうか、さもなければこの我妻が参上するはずもない。まあ安心召されよ。此度も昨年同様の処理を致しますゆえ」
静子、しげしげと二人を見つめる。
江田「君、もう下がってよろしい」
静子「アッ……失礼いたしました……っ」
〇事務局・廊下
誰もいない廊下。静子、応接室から飛び出す。後ろ手に戸を閉める。
静子、歩き去るが、足を止め振り返る。
応接室から江田と我妻の話声が漏れ聞こえる。
静子、生唾を飲み込む。
〇景雪寺・本堂・中(夜)
雪代、本尊の前に座り、見上げる。
背後の襖が開く。
雪代「……どなたかな」
雪代、座り直して後ろを向く。
静子、俯いて立っている。呟くように、
静子「ご存じだったのですね、だから、話を避けるように庭に出て行かれたのですね」
雪代、微笑む。
静子「庵主様、わたくし、もう見過ごせませぬ、このような、このような仏の道どころか、人の道すらもッ――」
静子、本堂に入ろうとする。
雪代、笑みを浮かべたまま告げる。
雪代「お帰りなさい、今すぐに」
静子、入るのを留まる。雪代を見やる。
静子「わたくし、今日聞きましたの。お茶をお出しした後、聞き耳を立てていたのです。しっかりと聞きましたわ。我妻とかいう弁護士が、また揉み消しますと言ったのを! け、慶海様の殺害事件と同じようにって!」
静子、こぶしを握り締め、雪代を睨む。
雪代、口元で人差し指を立てる。
静子、口を噤む。
雪代「早くお帰りなさい」
雪代、祭壇の蝋燭を手で扇ぎ消す。
本堂は真っ暗闇になる。
雪代「真っすぐ家にお帰りなさい。振り返らずに。寄り道もせずに。何も考えずに」
静子「あぁ、あぁぁ、ここは、地獄です……」
静子、瞬きを忘れ、涙を流す。
雪代、立ち上がり、本堂の奥へ消える。
〇景雪寺・渡り廊下(夜)
灯りの無い廊下。雪代、歩く。笑みは無い。鋭い目線を前方に向ける。
〇景雪寺・仏間(夜)
買い物袋が片隅に捨ててある。ガムテープの芯が複数個転がっている。
雪代、本尊の前に立つ。
雪代の足元にガムテープで手足、口元を拘束された江田が転がっている。
江田、身を捩り暴れる。
江田「んんん~ッ! んー!」
雪代「遅くなりました。急な客人がいらしたもので。ああ、もうお帰り頂きました」
江田、涙を零し悶える。
雪代、その場に正座し、懐から念珠を出して手を合わせる。
本尊を見上げる。
雪代「わたくしは何処へ堕ちようと、結構でございます。しかし、我が今生での行い一切、例え御仏と謂えども差配無用……!」
雪代、江田の上に跨り首を絞める。
雪代「ああ……最後の言葉くらいは言わせて差し上げましょう。仏様は悪党の声ですらお聞きになるのだから……」
雪代、片手で首を絞めたまま、江田の口のガムテープを剥ぐ。
江田、口をパクパクさせながら、
江田「ガッ、うっ、俺じゃ、ないッ……! 西園寺、大僧正、がぁッ……、グァァアッ」
江田、身動きが止まる。
〇●●山総本山・境内(朝)
雪が降り積もっている。
静子、鞄を抱え、事務局へ向かう。
静子「ん……? なんでしょう、あれは」
こんもりとした箇所がある。周囲に散華に使う蓮の色紙が撒かれている。
静子、そこに近づき、雪を搔き分ける。
静子「え? あ、ぁ……ッ、ぎ、ギャァアッ」
掻き分けた個所から江田の顔が出る。
業火に付す 中瀬一菜 @ebitenumeeee
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