着物と絵師∽欠片犯罪/終
その後、
入院はしなかったが、しばしの安静を余儀なくされた。
喫茶店に戻ると、待っていたのは誠次のお説教。ただ、その時の伯父はめずらしく涙で顔を濡らしていて、「おまえになにかあったら、先に逝っちまったおまえの父ちゃんと母ちゃんに顔向けできねえだろうが!」と叱られてしまった。――たぶん、その時はオジキじゃなくて、おれが
あれから一週間――。
喫茶店『まごころ』は、いつもと変わらない日常が繰り返されている。
好輝も頭に包帯をしていること以外、いつもと変わらない。
時計を見れば、午後三時。
しかし、七星がやってくることはない。あれから彼女の姿を好輝は見ていないのだ。
正直、あの日の出来事は「夢なんじゃないか」と思うぐらい現実味がなかった。しかし、それが現実であるというのは頭に巻かれた包帯が証明している。それでも「夢であってほしい」と好輝は心のどこかで思っていた。そうでも思わなきゃ七星と自分は――。
カランカラン、ドアベルが客の来訪を告げる。
「いらっしゃい――」
ませ、と好輝は最後まで言い切れなかった。
「ひさしぶり、好輝くん」
七星がやってきたからだ。しかも彼女は着物ではなく洋服を着ていた。白いワンピースに濃緑のサッシュベルト、デニム柄のパンプス。オレンジのジャケットを羽織っている。
好輝は激しく動揺した。洋服姿にもだが、なにより七星の出現に動揺していた。対し、七星は軽やかな足取りで死角席ではなく、カウンターのスツールに座る。
ぽかん、と呆ける好輝だったが、すぐさま我に返り、七星に尋ねる。
「き、着物は……!?」
「リィさんに『浴衣の季節まで禁止』って言われちゃった」
「……そ、そうっすか」
当然だ。あんなことがあったのだから。それに、あの洋服屋の店長のことだ。七星に洋服を着せる口実ができた、と浮かれたことだろう(実際そうである)。
「こっちもごめんなさい。あれ以来、なかなか顔出さなくて」
「い、いえっ……! そ、そんな……!」
そこで会話が途切れてしまった。ほんとうはいろいろ話したいことがあったはずなのに、七星の姿を見たら安心してしまって全部飛んでしまった。
「――びっくりしたよね」
七星が言う。
あの後、色々なこと聞いた。
それを聞いた好輝は察した。――七星と自分は住む世界がちがうのだと。
あの時、七星は自分が持つ能力を使いたくなかったはずだ。それでも使ったのは、好輝にわからせるためだったのではないのか。偶発的にしろ、いつかは知らなければならないことだったのではないか。……考え過ぎかもしれないけど。
「――でもね。あなたのおかげで、わたしはここにいる」
はっとする好輝。七星はにっこり笑って言う。
「わたしを助けてくれて、ありがとう」
その笑みは、
その笑顔を見た瞬間、なにかが報われた気持ちであるのと同時に、悲しみのような、寂しさのような――なんとも言いがたい感情が好輝に去来する。
「それを言いにきたの。だからね――好輝くん!?」
ぎょっとする七星。ぽろぽろと好輝の目から涙が溢れ、頬を濡らす。
「す、すみません……!」
好輝は必死に拭うが止まらない。拭えば拭うほど、とめどなく涙が溢れる。彼は悟った。自分は失恋したのだと。べつに七星にふられたわけでも、好輝がふったわけでもない。だが、好輝の恋はたしかに終わりを告げたのだ。あの時――七星が放った炎で焼かれた『地獄変』とともに。
「あっ!」
突然と声を上げる七星。
「まだ注文してなかった!」
すっと好輝の涙が引いた。
「そういえば……そうっすね」
次に自然と笑みが浮ぶ。――それでも、やっぱり七星が好きだ。彼女をもっと知りたいと思う気持ちを抑えることはできない。たとえ超能力者であっても彼女に関わり続けたい。
(――さあ、仕切り直しだ!)
すんっ、と赤くなった鼻を鳴らし、目に涙を溜めたまま彼女に訊く。
「ご注文は?」
「サンドウィッチとカフェラテを」
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