109. 機嫌


 改良したフカフカの寝床で、ケイは爽やかな朝を迎えた。


 ……正確には、ちょっと寝過ごした。寝心地の良さに加えて、昨日は夜ふかしまでしていたからだ。


「おーい、ケイ。起きろー」

「……んが」


 コーンウェル商会の馬車の護衛、ダグマルが起こしに来るまでいびきをかいていたくらいだ。


 初冬にもかかわらず、テントの外が明るい。つまり朝日はかなり昇っているということだ。


「このまま寝てたら置いていかれるぜ?」

「うおっ、まずい!」


 テントを片付けたり身支度したりで、何気に準備に時間がかかるのだ。ケイは慌てて飛び起きた。


「よく眠れたみたいじゃないか。それにしても、こいつはまたずいぶん色々と買い込んだもんだな」


 テントの中の、クッションや毛布を覗き見て、ひげモジャのダグマルはクックックと忍び笑いを漏らす。


「まあな、せっかくの臨時収入だったから。起こしてくれてありがとう」

「なぁに。まあ今すぐ出発ってわけでもねえし、ぼちぼち朝飯だからよ。ケイの分も取っといてやるから、慌てず安心して支度しな!」


 ガハハと笑いながら、ダグマルは去っていった。夜番の明け方担当は朝食係も兼ねていたらしく、焚き火には鍋がかけられていて、ポリッジ的なものがぐつぐつと湯気を立てていた。


「おお、ありがたい!」


 待望の温かな朝ごはんだ。ケイは手早く、革鎧を身に着けてテントや毛布を片付け始めた。




 ――粥はお世辞にも美味とは言い難かったが、初冬の冷える朝には、温かいものを口にできるだけで涙が出るほどありがたかった。


 義勇隊の皆には悪いが、これだけでも商隊側に来た甲斐があるというもの……


「お礼といっちゃなんだけど、昼頃には兎を獲ってくるよ」


 余分な荷物の運送代としていくらか支払ってはいるものの、毎度タダ飯にありついていては世間体が悪かろうと、ケイはそう申し出た。


「おっ、そいつぁいいねえ! せっかくなら、食料には余裕があるし、しばらく馬車に吊るして熟成させようぜ。すぐに食うより美味えぞー」


 ケイの弓の腕をよく理解しているダグマルとコーンウェル商会の関係者は、兎肉が確定したことで大喜びしていた。


 やはり馬車があると大違いだな、とケイはしみじみする。肉は熟成させた方がより美味い。それは常識だが、徒歩で余計な荷物を極力減らしたい義勇隊では、熟成させるひと手間なんてかけてられないのだ……しかも、わびしい食事に耐えながら、皆が皆、肉を我慢できるかと問われると……。


(しかし、義勇隊にも兎を持っていかないといけないしな)


 そして本部に上納する猛禽類も狩らなきゃいけない。


「うーむ、今日は忙しくなるな!」


 言葉とは裏腹に、ケイはルンルン気分だった。昨日、一昨日のケイとは同一人物と思えない。


 クッションのおかげで快適に眠れたし、アイリーン成分も補給できたし、さらには温かな飯まで!こりゃ周囲にも貢献せねばバチが当たる、とばかりに。


「ハイヨー!」


 "竜鱗通し"を握りしめて、颯爽とサスケに跨った。「えっ、普段そんなかけ声なくない?」とびっくりした様子のサスケに二度見で振り返られながら、ケイは草原へと繰り出すのであった。




          †††




 サティナ周辺からウルヴァーンにかけては、ゲーム内だとリレイル地方と呼ばれていた。


 草原や丘陵など、緑豊かな風景が広がる地域だ。


 ただ、鉱山都市ガロンのある東部の辺境へ――つまり海側から陸側へどんどん進んでいくごとに、地形が起伏を増していく。


 あと数日も進めば、草原はまばらになっていって、今ほどは兎の肉にありつけなくなるだろう。その代わり、森の動物を狩れるかもしれないが――草原ほど見晴らしはよくないので、狩りに専念でもしない限りは、やはり運が絡む。


「公国は豊かだな」


 街道の周りを駆け巡り、獲物を探しながら、ケイは呟いた。その視線の先には、街道沿いに流れる河川がある。


 北の大地では、ルート選択を失敗して、水不足で行き倒れそうになったものだ。


 それに対し公国は、そこら中に水源がある。おかげで大軍でも水の調達には困っていないようだ。


 サスケに澄んだ川の水を飲ませる。……すぐ近くを軍隊が通っているというのに、驚くほどの水質の良さ。


 それもそのはず、みだりに水を汚すと精霊が怒り狂って何が起こるかわからないので、公国は水源の管理にかなり神経を尖らせているのだ。


 なので、飛竜討伐軍においても、休憩のたびに工兵が穴を掘り、割としっかりしたトイレや食器の洗い場などが敷設されている。従軍魔術師だか錬金術師だかが、薬品などで汚物処理しているところも見かけた。


(あれは、ゲーム内にはなかったなぁ)


 ポーション作成をはじめとした"錬金術"は存在したが、汚物処理の薬品なんてものは実装されていなかった。いくら現実に限りなく近いVRMMOを標榜していても、流石にそういった要素は。


 だがこの世界にはのだろう。


 サティナやウルヴァーンといった大都市には必ず下水施設があって、街から離れた処理場では、犯罪奴隷なんかが浄化作業に従事していると聞く。具体的にどうやって処理しているのかはわからないが、おそらく、あの手の薬品のノウハウが蓄積されているのだろう……


 そんなことを考えながら、兎や猛禽を仕留めていく。


 昼前には、兎が十数羽、猛禽数羽がサスケの鞍にぶら下がっていた。


 ケイにしては、割と控えめな成果だった。……兎はともかく、猛禽類は単純に見つからなかったのだ。


 ひょっとすると昨日殺しすぎたせいで、付近一帯の猛禽類が恐れて逃げ出したのかもしれない――


(いや、まさかな)


 言葉が喋れるわけでもあるまいし、と苦笑するケイ。兎も思ったより少ないが、代わりに、木立に狐や野生の猫といった生物を見かけた。


 この辺りは小型の捕食者が多いので、競合する猛禽類が少ないのだろう。


(今日は、昨日ほどは稼げなさそうだな)


 しかしケイは、あまり気にしていなかった。寝床など、この行軍中にずっと使うであろうものには初期投資を終えたし、買い食いで散財するにも限度がある。


 ――せめて、酒でも呑んでいたら話は別だったのだろうが、よりによって断酒中。


「いやー、アイリーンはキツいだろうなぁ……」


 馬上で、曇り時々晴れなそれを見上げながら、ケイは嘆息した。


 大して酒好きでもない自分が、これだけ飲みたい気分になるのだ。大の酒好きで、毎日晩酌するのを楽しみにしていたアイリーンが、どれだけ我慢に我慢を重ねていることか――


「アイリーン、頑張れー!」


 周囲にサスケ以外誰もいないので、ケイは空に向かって叫んだ。


 ……いくら風の乙女シーヴの加護があろうとも、サティナにまで声は届かないだろうが。「まったく何やってるの」と言わんばかりに、クスクスクス、というかすかな笑い声が聞こえた気がした。




「兎を持ってきたぞー」


 昼時の休憩時に、ケイは義勇隊を訪ねた。


「よっ! 待ってました!」

「でかした!!」

「近衛狩人ばんざーい!」


 やんややんやと出迎える皆に混じって、しかし、何やらムスッとした顔の男。


「おお、隊長殿」


 ご機嫌斜めな人物にわざわざ話しかけたくはなかったが、あまりにこちらをガン見してくるので、ケイは仕方なく声をかけた。


「……狩りの成果は上々のようだな。流石は英雄殿、いや近衛狩人様だ」


 ふん、と鼻を鳴らしながら皮肉げに言うのは、他でもない。


 顔は悪くないが、どこか不貞腐れたような雰囲気のせいで小物臭く見える男こと、義勇隊の隊長フェルテンだった。

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