108. 交信


 従軍商人の馬車を巡り、色々と買い物をしたケイはご機嫌だった。


(やはり買い物はストレス解消になるな……!)


 商品はどれも割高であり、今日の報酬はほぼほぼ使い切ってしまったが、全く後悔していない。


 こんな行軍で、銀貨を後生大事に貯め込んでいても仕方がないのだ。紙幣と違って重いし、嵩張るし、行軍で疲れ果てた兵士たちに妙な気を起こさせるかも知れない。


 第一、どうせ明日になればまた手に入る。


 なら使っちゃえ、そして行軍ライフをより豊かに便利にするのだ……とケイは開き直ることにした。


 まず買い求めたのは、クッションや毛布の類だ。


 いくらサスケを連れているとはいえ、旅にあまり嵩張るものは持ってこられなかったので、ケイの寝具や野営具は最低限に抑えられていた。


 が、実際に野宿してみた思ったが、けっこう寒い。


 諸々の道具を揃えるのに、色々アドバイスしてくれたアイリーンがロシア人であることを失念していた。「ロシア人は寒さに強いんじゃねえ、寒さに負けないようガッツリ着込んでるんだ!」と日頃から豪語していたアイリーンだが、ケイからすれば、やっぱりそこらの日本人より寒さに強い。


 秋口にケイが長袖を着始めても、アイリーンはしばらく半袖のままだったし……。ほぼ100%ゲーム由来の筋肉質ボディで、体脂肪率が低いケイは、そもそも寒さに弱かった。


 持ってきた毛布や皮のマントだけでは足りない。地面の最悪な寝心地も何とかするため、邪魔になるのを承知で、予備の毛布をしっかりと買い込んだ。


 これらを全てサスケに載せたら負担になってしまうので、あとで残りの銀貨を引っさげて、コーンウェル商会の馬車と交渉するつもりだ。クッションみたいな軽いものなら、多分載せてくれるだろう。


 次に、食料。


 特に嗜好品の類だ。昨日は義勇隊の皆と侘しい食事を共にしたが、従軍商人の中には濃い目の味付けの料理をご奉仕価格ボッタクリで提供している者もいた。


 香辛料をたっぷりと使ったソーセージの香ばしい匂いに、ケイは抗うことができなかった。


 立ったままかぶりついた、串焼きソーセージのこれまた美味いこと! 


「おっ、見事な食いっぷりだねえ。もう一本いくかい?」

「頼もう」

「毎度!!」


 と、店主に勧められるがまま、ぺろりと何本も食べてしまった。


(こりゃ、匂いを落としてからじゃないと義勇隊には近寄れないな……)


 鼻のいい森歩きや狩人たちが多数いるのだ。自分だけ濃厚なスパイス臭を漂わせていたら、一発でバレてひんしゅくを買ってしまう!


 いや、ケイに表立っては文句を言ってこないだろうが、絶対裏で羨ましがられる。……少しでも誤魔化せるように、ケイは義勇隊の皆への差し入れとして、香辛料の類も買い足すことにした。これで彼らの食事も少しは彩りが出るだろう。


 そうして、デザートの新鮮な果物――みかんとオレンジの合いの子のような柑橘類――も平らげて、今日狩ったウサギ肉を、義勇隊へお裾分けしにいった。


 また侘しい食事に逆戻りかと恐れていた義勇隊の面々は、ケイが約束通りウサギとともに姿を現したことで安心したようだ。


「おれたちも、自力で確保しようとしたんだが」


 マンデルが、いち狩人として忸怩たる思いを滲ませていた。


「……残念ながら、ケイほどには狩れなくてな」


 マンデルがかろうじて2羽仕留めただけで、他の狩人たちは1羽か、矢を無駄にしたかのどちらかのようだった。


「近づいたら逃げられるし……」

「逃げられない距離からだと必中ってわけにもいかないし」

「そもそも見つけられねえよ……」


 と、狩人の面々は口惜しげにしている。普段、彼らは畑を荒らすイノシシや鹿なんかを相手にしていて、草原のウサギのように、すばしこくて小柄な獲物にはあまり慣れていないとのことだった。


 ケイは、弓の腕もさることながら、抜群の視力で、かつサスケに乗って視点を高くして狩りに挑んでいるので、徒歩で慣れない獲物を狩ろうとしていた彼らと比べるのはあまりフェアとは言えなかった。


 ともあれ、ケイが供給したウサギ肉と、お裾分けの香辛料に皆は大喜びだ。


 ちゃっかりケイも夕食のスープのご相伴に預かってから、「また明日」と別れを告げて、今度はコーンウェル商会の馬車へ向かった。


 交渉するまでもなく諸々に二つ返事でOKをもらい、馬車の直ぐ側のスペースを借りてテントを設営することになったのだった――




「――よし」


 すっかり日も暮れて、夜番の兵士や護衛の戦士以外は、早々に眠りにつこうとしている。


 ケイもまたテントの中、新たに購入した毛皮やクッションでパワーアップした寝床にいそいそと潜り込んだ。


 かなりいい感じだ。今夜はよく眠れるだろう。


 泥棒避けの篝火の明かりが外で揺れている。夜番を担当する兵士や護衛の戦士たちの、かすかな話し声だけが響いていた。


 テントの中はほぼ真っ暗闇だが、ケイの視力なら、入り口の隙間からかすかに差し込む光だけでも充分だった。


 胸元から、アイリーン謹製・お守り型の通信用魔道具"小鳥プティツァ"を取り出す。


「【目覚めろ小鳥プティツァ】」


 ケイがキーワードを囁くと、ズズッと手元の影が蠢き、かすかに魔力が抜き取られていく感覚があった。


 これはサティナの自宅の魔道具"黒い雄鶏チョンリピトゥフ"と対になっており、今頃は"警報機"を応用した機構で、着信を知らせる呼び鈴が鳴っているだろう。


 待つこと数十秒。手元で再び影が蠢き、ズズ……と文字を形作った。


『元気?』


 アイリーンからの通信。彼女の手癖が再現された筆致に、思わず笑みがこぼれた。


「元気だよ」


 外の夜番たちに気取られないよう、最小限の声量で答える。


『……良かった』


 数秒後、返事があった。


「そっちこそ、元気か?」

『……ケイの目がなくなって、酒を堪えるのが大変』


 アイリーンが断酒に苦しんでいるのは、このところいつものことなので――つまり元気というわけだ。


「俺も、アイリーンと一緒に断酒続けてるから、頑張ろう」

『……(大きな溜息)』


 この通信機は出発前にテスト済みだったが、実際に使ってみると、字幕機能みたいで妙に可笑しかった。


「そっちは、何か変わったことは?」

『……特にない。飛竜討伐軍が何日で帰ってくるか、賭けが流行ってるくらい』

「アイリーンは賭けた?」

『……毎日明日に賭け続ける羽目になる。やめておく』


 ……一日でも早く会いたいのは、お互い様だ。


 こうしてリアルタイムに連絡が取れるだけでも、この世界ではありえないほど恵まれているが。


「……それがいいな」

『……そっちは何か、ニュースは?』

「ああ、そうだ。ビッグニュースがある」


 こっちには話題が山盛りだ。ケイは寝転がったまま、ぐいと通信機に向けて身を乗り出した。まるで目の前にアイリーンがいるかのように。


「なんと近衛狩人に任命されたぞ」

『……Чтоシュト?』


 ロシア語での表示。英語で言うなら「What?」だ。


 思わず母国語で「はァ?」と漏らしてしまったであろうアイリーンの困惑顔が目に浮かぶようで、ケイは周りに気取られぬよう、笑い声を噛み殺すのに必死だった。


 それから、ぽつぽつと説明した。


 ヴァルグレン氏が実は宰相だったこと。いきなり呼び出しを食らったこと。通信保全を建前にボーナスタイムに突入したこと。それからコウとヒルダについても。


 アイリーンも、『……マジかよ!』『……やったじゃねえか!』『……おう、コウの旦那がそんなことに!?』『……イリスが泣くなぁ!』などと大盛り上がりで。


 お互い、相手の言葉は文字で表示されているので、ちょっとした通信のラグを挟みつつ、久々の(二日ぶりだが、二人にとってはもっともっと長く感じられた)会話であることを鑑みても、話題は尽きる様子を見せなかった。


 ケイはいつの間にか、傍らにアイリーンが寝転がっていて、戯れに至近距離で手紙のやり取りでもしているような、そんな錯覚に陥りつつあった。


 きっとアイリーンも、ふたりの部屋のベッドに寝転んで、ランプに揺れる影文字を眺めながら、似たような気持ちを抱いているに違いない――


 このまま夜が更けるどころか、朝まで語り尽くせそうな気分だったが。


 残念ながら、1回あたりごくわずかとはいえ、自前の魔力を消費する魔道具なので徐々に限界が近づきつつあった。


 肉体的な疲労に、魔力の消耗まで加わって、まぶたがどんどん重くなってくる。


『……眠いんだろ? 今日はこれくらいにしとこうぜ』


 ケイの状態を察したのか、アイリーンが気遣いを見せた。


 あるいは、気を利かした影の精霊ケルスティンが、『(眠たそうな目)』とでも表示したのかもしれない。


「ホントは、もっと話したいけど……そうしようか」


 目をこすりながら、ケイは言った。


「…………」


 名残惜しげに、手の中の魔道具に視線を落とす。木の板に水晶や宝石が組み込んである作りで、どことなく地球のスマホを彷彿とさせるデザインだった。


 画面なんてないけれど――アイリーンと見つめ合っているような気がした。


「ヤ ティビャー リュブリュー、アイリーン」


 ちょっとだけはっきりした声で、ケイは告げた。


 アイリーンと一緒に暮らすうちに、ちょっとずつロシア語もかじり始めたケイが、一番言い慣れている言葉だ。


『……けい、すき。あいしてる』


 アイリーンの返信が日本語で、ひらがなで表示されていたのは――つまりそういうことだ。彼女もまた、ケイに暇を見ては日本語を教わっていたから。


 愛おしくてたまらなくて、思わずケイが「チュッ」と唇で音を立てると、ほぼ同時に『(キスの音)』と表示された。


 笑い声を堪えるのに苦労した。


「……おやすみ、アイリーン。明日もまた、連絡するよ」

『……楽しみにしてる。おやすみ、ケイ。いい夢を』


 名残惜しいが、そこで通信を切り上げた。


 大事に胸元に魔道具をしまい込んだケイは、仰向けに寝転がり直す。


「……ふふ」


 テントの中、独り、ガラでもなく幸せそうな微笑みを浮かべたケイは、毛布にくるまって、ほどなく寝息を立て始めるのだった。

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