104. 指名


 寒空の下、目が覚めた。


 もぞもぞと簡易テントを抜け出したケイは、空を見上げて溜息をつく。


 体中、バッキバキだった……皮のマントを敷いて寝たが、地面の寝心地は最悪。布を敷き詰めていた自宅のベッドとは比べるまでもない。そして毛布だけでは寒くて、なかなか寝付けなかった。


 その上、起きたら曇天。


 灰色の空が見えた瞬間、思ったのは「おうちかえりたい」。



 それでも軍隊は動き出す。個人の意志など関係ないとばかりに……



 朝食が支給された。堅焼きのビスケット。薄いワイン。干しぶどう。


 以上。


「贅沢は言わないから、温かいものが食べたい」

「贅沢な話だ。……夕食はともかく、朝食は難しいぞ」


 もっしゃもっしゃとビスケットを頬張りながら、無慈悲に告げるマンデル。その横では、サスケが寝転がったままもっしゃもっしゃと草を食んでいた。彼は、どうやら問題ないらしい。「ふふん、鍛え方がちがうんだよ」と言わんばかりの顔だった。


 公国は水源が豊富で、北の大地ほど極寒でもない。水不足で行き倒れしかけた北の大地での旅に比べれば、この行軍なんて天国みたいなもんだ――とケイは自分に言い聞かせた。


 それにしても、隊商護衛をやっていたときは、なんで色々と平気だったのだろう。自分でも不思議に思ったが、冷静に考えれば、割と温かい季節だったので問題なかったのだ。テントでも別に寒くはなかったし、朝食が温かくなくても関係なかったし。


 周囲を見れば、皆、黙々と朝食を詰め込んでいる。


 ここでこれ以上、不平不満をこぼしても、空気が悪くなるだけだ。贅沢を言っちゃいけない……ケイも大人しく諦めることにした。


「まあ、」


 ビスケットを口に放り込んで、ケイは独り言のように言った。


「せめて夕食は、肉でも食べたいところだな」

「期待しているぞ、ケイ」

「任せろ。獲物がいる限りは獲ってくるよ」


 それを耳にした皆も笑みを浮かべている。空気が少しだけ軽くなった気がした。



          †††



 食材を獲ってくるという大義名分を得たことで、ノロすぎる行軍から堂々と離れられるようになったのは良いことだ。


 草原に出れば土煙からも解放されるし、歩く速度を制限されてストレスが溜まることもない。サスケも自由に走り回れて楽しそうだ……まるで街で暮らしていたときのように、思いついてぶらりと狩りに出てきた気分になる。


 背後の街道にはずらずらと行列が続いていて、この場にいるのがケイとサスケだけという点に目を瞑れば。


「アイリーンはどうしてるかな……」


 新たに仕留めたウサギの血抜きをしながら、寒空を見上げる。今頃、彼女もつまらなさそうな顔をして、テーブルに頬杖をついて空を見上げているのではないか――



 ――ケイは知る由もないが、このときアイリーンは、ふて寝していた。



 それにしても、ひとたび曇ってしまうと星が見えず、ケイお得意の天気予報も使えなくなるのは困りものだ。昨日まで観測した分には、しばらく晴れと曇りが続きそうだったが……


 少しでも雨が降れば、草原はかなり――しっとりした状態になる。このあたりの土は特に柔らかく、まるでスポンジみたいだ。たっぷりと水気を吸えばずぶずぶと脚が沈み込んで、サスケ単体ならともかく、ケイを乗せた状態で駆け回るのは、かなり難しくなるだろう。


「土埃が立たなくなるのは利点だろうけどな……」


 デメリットの方が多そうだ。


「……そう思うだろ?」


 話しかける相手がいないので、仕方なくサスケに同意を求めてみる。


 耳をピコピコさせながら、「何が?」と言わんばかりに振り向くサスケ。彼は賢いし、何かと色々通じてる気分にはなるが、話し相手にはならないのだ。


 ケイは苦笑して、サスケの耳の後ろを掻いてやった。


 サスケは嬉しそうに目を細めていた。



 寒風から身を守るように革のマントを羽織り直しながら、深呼吸してみる。



 冷たい空気が肺に流れ込んで、酸素を取り込んだ熱い血潮が、全身を駆け巡っているのを実感する。


 ああ――自分は確かに、この世界に存在して、生きている。


(忘れていたな、この感覚を)


 ゲーム【DEMONDAL】の中では、天気を心配したことなんてなかった。せいぜい雨が降ったら視認性が悪くなるとか、特定のモンスターが見つかりにくくなるとか、その程度で、「寒くて風邪を引くかもしれない」なんて懸念は皆無だった。


 そもそも、『寒さ』が存在しなかった。どれほどリアルに近い感覚を標榜していても、プレイヤーに苦痛を与えかねない感覚はオミットされていたのだ。だから雪山でも、火山の火口でも、ゲーム内はいつも穏やかで、暑くもなく寒くもなく――それが当たり前だった。


 まるで病院の無菌室みたいに。


 今の自分とゲームの自分。どっちが快適か? と問われれば後者だ。


 だが戻りたいか? と問われれば、否。


 今の方がいいに決まっている。明日の天気とか寒さとかを、リアルに悩める贅沢。そのありがたみを――自分は今一度、噛みしめるべきだな、とケイは自戒した。


 贅沢になってしまったと嘆くことができる。それ自体が、すでに贅沢なのだ。


「よし、気持ちを切り替えていこう」


 こうして独りで物思いに耽っていると、転移した直後のことを思い出す。あのときの自分に比べれば、今の自分はかなり――明るくなっていると思う。前向きで、人生を楽しむことを知り始めていると思う。


 常に上り調子の人生なんてない。そうだろう? 今は不満があったり苦しかったりするかもしれないが、これを乗り越えたら幸せな家庭が待っている。


 せいぜい、飛竜狩りをそつなく終えて、辺境の都市ガロンでお土産を買い込んで、サティナまで凱旋しようじゃないか。そして、そのときには、ちょっとお腹が大きくなっているであろうアイリーンに、ただいまのキスをする。


 その日を夢見て頑張ろう。


「もうちょっと狩るか」


 まず目の前のことからコツコツと。血抜きしたウサギを鞍にくくりつけたケイは、少しでも夕食を賑やかなものにするべく、再びサスケにまたがった。



 ――それから狩りを終えて義勇隊に戻ると、隊長の正規軍人フェルテンが待ち構えていた。



「おお、ようやく戻ったか」


 ケイの姿を認め、あからさまにホッとした様子のフェルテン。


「何か用事が?」

「聞いて驚け。なぜか参謀本部からお前に呼び出しがあった」


 その言葉に、ケイはマンデルや義勇隊の面々を顔を見合わせた。


「俺……何かやっちゃいました?」

「知らん」


 恐る恐る尋ねるケイに、にべもなく答えるフェルテン。


「まあ、呼び出しというか、面会というか。アレだ、お前は公国一の狩人だからな。俺たち有象無象とは違って、お偉いさんも何ぞ話を聞きたがっているのかもしれん」


 皮肉げに口をへの字に曲げて、フェルテンは鼻を鳴らした。


「とにかく、これが召喚状だ。昼飯休憩時に出頭しろとのことだ」


 ケイの手に書類を押し付けたフェルテンは、「確かに渡したぞー」とひらひら手を振りながら去っていった。


「……どうしよう?」

「そりゃあ、ケイ。……出頭するしかない」


 マンデルが、羽飾りのついた帽子を目深にかぶり直しながら、肩をすくめて言う。


「お偉いさん相手とか、俺、何を話せばいいのかわかんないんだが」

「安心しろ、ケイ。……おれもわからない」

「マンデル……」

「呼び出しを受けたのはケイだぞ。……おれではない」


 つっと目を逸らすマンデル。ケイは助けを求めて周囲を見回したが、皆、白々しく「今日は冷えるなー」「骨身にしみる寒さですねー」などと雑談していて、こちらを見向きもしない。


「…………」


 孤立無援であることを悟ったケイは、手の中の召喚状に視線を落とし、手負いの獣ような唸り声を上げるしかなかった。



          †††



 そのまま昼休憩になってしまったので、手早くビスケットと干し肉だけを詰め込み、ケイは参謀本部がある天幕へ赴いた。


 長く伸びた軍隊の中間あたりには貴族や軍の高官が多く、馬車や色とりどりの天幕が展開されている。行軍中だというのに、メイド付きでティーセットを広げてお茶を楽しむお偉いさんの姿まで散見された。


 まるで別世界だ――自分がここにいることの違和感がすごい。


 そして、召喚状を持ってきたはいいが、具体的にどの天幕に顔を出せばいいのかがわからない。


「あの、悪いんだが」


 通りすがりの、比較的人が良さそうな軍人に声をかける。


「なんだ」

「呼び出しを受けたんだが――」


 召喚状を見せると、その軍人はケイと書面を二度見して、狐につままれたような顔をした。


「お前が? これを? ……すごいお偉いさんに用があるんだな」

「俺には用がないんだが」

「ああ……なるほど。まあ、そういうこともあるか」


 何やら察したらしい軍人は、同情の色を浮かべる。


「案内してやろう。くれぐれも失礼のないようにしろよ――他ならぬお前自身のためにな」

「『召喚状で呼ばれてきた。俺の名はケイイチ=ノガワだ』……こんな感じか?」


 その場で仰々しく一礼しながら言ってみせると、軍人は、食料庫ですっかりカビに覆われたチーズでも見つけてしまったような、何とも言えない表情を浮かべた。


「もうちょっと、こう、言い方があるだろ。……『本日はお招きに預かり光栄至極、狩人の○○、参上仕りました』くらいは言え」


 ケイは英語の細かいニュアンスがよくわからなかったが、少なくとも自分の脳みそでひねり出した直訳より、よっぽど気の利いた言い方であることはわかった。


「『本日はお招きに預かり光栄至極、狩人のケイイチ=ノガワ、参上仕りました』」

「よし、それでいい。……多分な」

「助かったよ、ありがとう。見ての通り異邦人でな、言葉の違いに苦労してるんだ」

「なぁに、まだよく喋れてる方さ。ほれ、ここがお前の目的地だ」


 数ある中でも、指折りに良質な布地の天幕を顎で示して、軍人が言った。


「あっ! そうだ、お前に礼儀作法を教えたのが俺だってことは言うなよ。万が一、失礼があった場合は責任を取り切れんからな……」


 軍人が真面目くさった口調で釘を刺してくる。


「俺は田舎者だからな」


 ケイも空とぼけた調子で応じた。


作法を教わったかなんて、もうすっかり忘れてしまったよ。俺のマナーの先生は、恩知らずな生徒だと怒るかもしれないな」

「安心しろ。きっとは、そんなことで腹を立てるほど狭量な奴じゃないさ……多分な」


 ケイと軍人は顔を見合わせて、ニヤッと笑ってから別れた。



 さて。



 天幕だ。



 入り口には物々しく、槍を携えた警備兵の姿まである。どうにも気が重い……


 警備兵に召喚状を渡すと、「拝見します」と受け取ったひとりが、天幕の中に引っ込んだ。


「ケイチ=ノガワが出頭したようです」

「よし」


 ガシャンガシャンと金属鎧の音が近づいてきた。


「来たか」


 ヌッ、と天幕の薄暗闇から、ガタイのいいフル装備の騎士が姿を現した。目的地はまだ遠い行軍のさなかだというのに、この重装備……薔薇の花や蔓、駆ける馬などの装飾が施されたかなり高級な鎧であり、身分の高さを窺わせる。


「入れ、ケイチ=ノガワ」


 クイと手招きする騎士。バイザーを下ろしているせいでその顔は見えない。しかしこのつっけどんな、堅苦しい声……どこかで聞いたことがあるような……


「こちらに御座おわすは、飛竜討伐軍の総指揮官アウレリウス公子――」


 ――まさか公子その人がいるのか!? と目を剥きそうになるケイだったが、


「――の、後見人たる公国宰相ヴァルター=べルクマン=シュムデーラー閣下だ」


 なんだ公子じゃないのか……


(いや、公国宰相!?)


 やっぱり大物じゃないか!! と目を剥くケイ。


「くれぐれも失礼のないように。いいか。くれぐれも失礼のないように……!」


 ズイと顔を寄せて、念押しする騎士。ケイとて決して無礼を働きたいわけではないが、それにしてもそんな人物が自分に何の用だというのか。


 あと、兜の下から響いてくる、真面目が服を着ているようなこの声……やはり聞き覚えがあるような……


 モヤモヤした気持ちを抱えつつも、目線を下げて天幕に入ったケイは、中で椅子に腰掛けて待ち受けるお偉いさん――宰相閣下の靴を視界の端っこに収めて、その場に跪いた。


「本日はお招きに預かり光栄至極、狩人のケイイチ=ノガワ、参上仕りました――」


 めっちゃ手の込んだ絨毯敷いてるなー、などと考えながら、棒読み気味に名乗る。


「……面を上げよ」


 厳かな声が響き、ケイは素直に顔を上げた。




 そして今度こそ、目の玉が飛び出そうなくらい驚く羽目になった。




 眼前に腰掛ける、公国の宰相閣下とやら。丸顔に団子鼻、どこか愛嬌のある目元。顔に見覚えがあるとかないとか、そういう次元ではなかった。


 初めて出会ったのは公都の図書館で、銀色のキノコヘアーだった。


 次に出会ったときは、つややかでサラサラな茶色のロングヘアーだった。


 だが今回は。


 もう最初から。


 ツルッとした頭を、丸出しにされておられる。




『ヴァルグレン=クレムラート』――その人物は、そう名乗っていたはずだった。




 公都図書館が誇る"大百科事典エンサイクロペディア"の著名な編集者の一人であり、希少な癒やしの力を持つ"白光の妖精"と契約する魔術師であり、夜中に開閉できないはずの公都の第1城壁の門を出入りできる『お偉いさん』であり――


 いやでも、まさか、公国宰相とは――


「公国宰相、ヴァルター=べルクマン=シュムデーラー伯である」


 威厳に満ちた表情で、ヴァルグレン――いや、ヴァルターは告げる。


「ケイチ=ノガワ。此度の参上、大儀であった」


 そしてその威厳を崩すことなく、パチンとウィンクした。

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