103. 親睦


 やはりというべきか、飛竜討伐軍の歩みはあくびが出るほどのろかった。


 ケイも最初から覚悟していたし、隊商護衛の経験からこんなもんだろうとは思っていたので、それほど苦痛には感じない。


 ただ、大人数の行軍ゆえ、もうもうと舞い上がる砂埃には参った。


 冬場で空気が乾燥していることもあって、視界が常に霞んでいるようだ。サスケも「ねー、ちょっと空気わるくなーい?」と言わんばかりに、不満げに鼻をスピスピさせている。


「視力が落ちやしないか心配だ……」


 少しでも埃が入らないように目を細めて、苦々しげに言うケイ。


「大丈夫だ。……そのうち慣れる」


 対して、マンデルは達観した様子で肩をすくめる。


 彼は従軍経験者だ。適度に諦めることを知っていた。



 緩やかな起伏の丘陵の間を縫うようにして、ゆったりと蛇行しながら伸びる石畳の道――"サン=レックス街道"。



 寒風が吹き荒む中、兵士たちはぞろぞろと歩いていく。都市近郊ではまだ『軍隊の行進』の体をなしていたが、見物客がまばらになると気も緩み、その歩みはのんびりとしたものに変わっていった。


 とても飛竜狩りに赴いているようには見えないが、目的地は遠いし、飛竜と出くわすのはまだまだ先のことだ。今の段階で怯えたり不安がったりする必要はない――気を張り続けていたら参ってしまうので、実際、兵士としては彼らは正しい。


 ダラダラと歩き続けること数時間。昼食の休憩となった。出てきたのは堅焼きビスケットに薄いワイン、それに干し肉の欠片。


 わびしい……としょんぼりするケイをよそに、マンデルは、


「おっ、干し肉がついてるとは豪勢だな。……さすがは飛竜討伐軍」


 などと感心していて、色々と察するほかなかった。


 長く続いた街暮らし(使用人つき)のせいで、自分はすっかり贅沢になってしまったらしい、とケイは忸怩たる思いになる。


 このぶんだと夕食も期待できない、何か彩りを確保せねば……と草原に目を向けると、夏場ほどではないがウサギの姿がチラホラあった。


 "竜鱗通し"と銘打たれたこの弓も、一番血を吸っているのはウサギかもしれない。


 それから特筆すべきことはなく、夕暮れ前に行軍は止まり、野営の準備が始まる。夕食はそれぞれの部隊ごとに食材が配られ、自分たちでシチュー的なものを作る形式だった。


 案の定、配給されたのは穀類や干し肉など非常にわびしい内容だったので――マンデルいわく、これは量的にも質的にもびっくりするほど豪勢――ケイは快く部隊の皆にもウサギ肉を提供した。これから数週間、下手すれば数ヶ月、同道する仲間たちなのだ。仲良くなるに越したことはない。


「よっ、太っ腹!」

「さすがは公国一の狩人!」


 無論、義勇隊の面々も大喜びだった。


 近隣の部隊より具だくさんになったシチューを味わいながら、焚き火を囲んで親睦を深める。


 義勇隊に集まったのは、マンデルのように武闘大会で入賞した者や、弓や弩の扱いに秀でる退役軍人、高名な狩人、森歩き、流れの魔術師などで、出自は様々だがそれなりの人物が多かった。


 一部、名声や実績のためだけに参加した者たちもいたが、彼らは実力がない代わりに相応の身分(といっても田舎の名士とか豪農の子とか)の出で、こちらもまともに話が通じる手合だ。


 総じて、付き合いやすい者たちばかりだった。夕飯に彩りを添えてくれるケイに絡んでくるような無作法者ももちろんおらず、良好な関係を構築しつつあると言えるだろう。


 ちなみに、ほぼ強制参加だったのはケイとマンデル、その他武闘大会入賞者くらいで、あとは志願者が主だった。


「それで、」


 シチューをかき込んだ大柄な傭兵が、目を輝かせながら尋ねてくる。


「あんたは、森大蜥蜴を2頭も狩ったんだろう? 吟遊詩人の歌は飽きるくらい聞いたけどさぁ、実際のところどうだったんだ? 教えてくれよ!」


 野性味あふれる笑顔が素敵な彼は、その名をフーベルトという。もともと東の辺境の傭兵で、竜人ドラゴニアから商隊を守るため剣を振るっていたらしいが、わざわざサティナまでやってきてから義勇隊に参加したらしい。


 目的は金。そしてひとかけらの名声。蜥蜴人とやり合うのにはもう飽き飽きだよ、とはフーベルトの談だ。


 これからまた東へ行くのにサティナまで来るのは無駄足ではなかったのか、と尋ねると、「実はサティナに妹夫婦がいてな、ついでに会いに来たんだ! 新しくガキが生まれててさぁ、可愛いんだなぁこれが!」とニカッと笑っていた。


「森大蜥蜴か……そうだな……」


 問われて、ケイはマンデルと顔を見合わせた。


 ヴァーク村を守るため、【深部アビス】の化け物と演じた死闘はまだ記憶に新しい。


「マンデル、せっかくだから頼めないか? 俺は説明がヘタだからさ……」

「……おれだって口下手なんだが」

「マンデル? マンデルというと、あの大物狩りにも同行したという"十人長"のマンデルですかな?」


 少しぽっちゃりとした青年が口を挟んでくる。彼はとある田舎の名士の次男坊で、名前はクリステンというらしい。


 丸顔で、くりくりとした瞳が印象的。いかにも人が良さそうだ。少し気弱なきらいがあるものの、健脚らしく、行軍には問題なくついてこれる程度の体力はある。彼の体型は自堕落によるものではなく、単に裕福さを示すもののようだ。


 今回、義勇軍に参加したのは、意中の女性に告白するためらしい。無事に帰ったらプロポーズするつもりなのだとか……


「ああ、そのマンデルであってるよ。彼には随分と助けられたもんだ」


 ケイはしたり顔で頷く。そのまま「さあ皆に語ってあげてくれ!」とマンデルに促すが、「その手に乗るか」とばかりにジロッとした目で返される。


 しばし、英語力の問題で語りたくないケイと、口下手だから遠慮したいマンデルで押し付け合ったが、皆に急かされたこともあってマンデルが折れた。


「そう、だな。……あれは秋も終わりに近づいた頃。おれが、いつものように森から戻ると、突然、ケイが村を訪ねてきた。そして、告げられたんだ。『ヴァーク村から救援要請が届いた。手を貸してほしい』と――」


 ぽつぽつと、マンデルは語りだす。


 確かにマンデルは、彼自身が言う通り、舌が回るタイプではなかった。しかしその実直な語り口には、当事者ゆえの真に迫った凄みがあり、かえって聞き手たちの心を捉えて離さなかった。皆、大仰な吟遊詩人たちの歌はもう聞き飽きていたということもある。


「――そしてとうとう、やつが姿を現した。……途轍もなくデカい、化け物だった。そこの馬車くらいは優に超える背丈で、おれたちは皆、そいつを見上げながら覚悟を決めた。ここでやらねばならないと。……だが、武器を構えたそのとき、再び大地が揺れた。そして背後からもう一頭、同じくらいデカい化け物が出てきたんだ――」


 ごくり……と誰かが生唾を飲み込む。


 当事者どころか主役なのに、ケイもハラハラして聞いていたところ、不意に髪の毛を引っ張られた。


「イテッ、イテテッ、なんだ? ……サスケェ!」


 振り返ると、サスケが少し不機嫌そうに尻尾を振っている。


「あ、すまん。サスケも腹減ったよな」


 道草と、さっきちょっと分け与えたウサギのローストくらいでは食べ足りないか。コーンウェル商会の馬車から糧秣を受け取らなければならない。


「悪い、ちょっと席を外すぞ」


 と、ケイは中座したが、皆マンデルの話に聞き入っていたので特に残念がることもなく、そのまま抜け出すことができた。


(なんだ、口下手とかいって、語り部にもなれそうじゃないか……)


 熱のこもった口調で、森大蜥蜴との死闘を語るマンデルを尻目に、軍隊の後方を目指す。



 ――討伐軍のあとには、長い車列ができていた。



 大量の人員の胃袋を満たす補給部隊に加え、商会の馬車も出張ってきているのだ。兵士相手に商売をする者、士官を相手に高級嗜好品をさばく者、流れの医者もいれば大道芸人や吟遊詩人、はたまた娼婦たちのテントなんてものまで。


 その並外れた視力で即座にコーンウェル商会の旗を見つけたケイは、サスケを伴って馬車を訪れた。


「よぉ、ケイ! どうだった、義勇隊ってのは?」


 親しげに出迎えてくれたのは、眉毛が濃い、よく日に焼けたヒゲモジャの傭兵――ダグマルだった。コーンウェル商会の専属傭兵で、サティナ-ウルヴァーン間の隊商護衛でも一緒に仕事をしたことがある。ケイの"大熊殺し"の目撃者の一人だ。


「やあ。義勇隊は、気のいい奴らばかりだったよ。しかしなんというか、歩みがのんびりしてるな。それに土埃のひどいこと……普通の隊商護衛が懐かしいよ」

「はははっ、違いない!」


 同感なのか、苦笑いするダグマル。ホランドと幼馴染な関係で、何かとケイとも縁のある男だが、この度は自ら商隊に志願したらしい。


『――いやぁ俺も歳だからよ。ボチボチ腰を落ち着けようと思うんだが、最後に箔をつけたくってなぁ』


 最後の護衛任務が飛竜討伐軍への同道なら、これに勝る名誉はないというわけだ。戻ったら、サティナ本部の用心棒的なポストに就くらしい。


『それにせっかくケイの"大熊殺し"は見てたのに、"森大蜥蜴"の方は見損ねちまったからな。今回、"飛竜"は見逃さないぜ!』


 ――と、そんな思惑もあるとかないとか。


「ほーれ、サスケ。たんとお食べ」

「ぶるふふ」


 サスケは、まぐさに野菜にとたっぷり与えられて大満足の様子だ。


「どうだ、ケイ。あんまり出せないけどよ、ついでに一杯やってくか?」


 サスケを待つ間、ひょっこりと馬車に引っ込んだダグマルが、再び顔を出して小声で言ってきた。その手には、金属製の水筒スキットル


「いや! ……うーん」


 非常に心惹かれるものがあったが、ここはぐっと堪える。


「ありがたいけど、禁酒中なんだ」

「……ああ、嬢ちゃんと一緒にやってるんだっけ」


 嬢ちゃん、とは、言うまでもなくアイリーンのこと。ほぼ妊娠が確定している彼女は、ここしばらく断腸の思いで酒を断っている。ケイもその苦しみを分かち合う覚悟だった。……血涙を流すアイリーンの前で酒を楽しめるほど、無神経ではない。


「でも、別にいいじゃねえか、従軍中くらい」

「いや、まあ、そうなんだが、今も独り待ってるアイリーンを想うとな……」


 溜息をつきながら、日が暮れゆく空を見上げるケイ。


 ――いかん。出立一日目にして、もう帰りたくなってきた。いや、最初から帰りたいのは確かだが。


「……それに、俺だけ呑んで戻って、隊の皆に気取けどられてみろ。総スカン食らうぞ」


 何せ勘の鋭い傭兵から、鼻が利く森歩きまで勢揃いだ。


「はははっ、そりゃあ確かに肩身が狭いな。これはしばらく、お預けにしとこうか。んで、狩りが終わったら祝杯をあげようや」


 それくらいはいいんだろう? とお茶目にウィンクするダグマル。


「もちろん」


 ケイも笑顔で答えた。




 サスケが満足したところで、ダグマルに礼を言い部隊に戻る。


 歩いていると、道の端々で、夕食を終えた兵士たちが寝床の用意を始めていた。


(野宿かー……)


 久々の地べただなぁ、と情けない顔をするケイ。街暮らしで本当にすっかり、贅沢な身体になってしまった。


 今更テントに寝袋なんかで、ちゃんと眠れるんだろうか……吹き荒む木枯らしが、わびしい気持ちに拍車をかける。


 しかも、独り寝だ。人肌が恋しい。より正確に言えば、アイリーンが。


 一応、アイリーン謹製の影の魔道具を持ってきているケイは、夕暮れ以降に魔力を消費すればアイリーンと通信できる。


 が、距離が開くごとに負担が増えていっておいそれとは使えないことと、軍に目をつけられたらヤバそうなことが相まって、一人になれるタイミングを見計らった上で数日に一回程度、ケイ側から連絡を取るように決めていた。


(今日はまだ、やめておくか……)


 野営がどんな感じになるかという様子見と――あと、初日の夜さえ我慢できなかったら、多分、毎日連絡を取ってしまいそうだという恐れから。


(早く帰りたい……早々に飛竜が突っ込んできて勝手に墜落死しないかな)


 などと愚にもつかないことを考えながらセンチメンタルな溜息をつくケイに、サスケが呆れたように、ブルヒヒと鼻を鳴らした。



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