幕間. Monster


 霧がかった、深い深い森の奥。


深部アビス】と呼ばれ、只人の踏み入れることのない領域に、その古城はあった。


「フフフン フ~ン フン フフフン~♪」


 古城のそばの丘。肌寒く、お世辞にも過ごしやすい陽気とは言えなかったが、のんびりと草っぱらに寝転がり、鼻歌を歌う者が一人。


 異形だった。


 毛皮を荒く縫い合わせただけの、原始人のような服装。鋼のような筋肉がゴツゴツと張り出した体躯、全身を覆う鱗、鋭い手足の鉤爪――そして獰猛な爬虫類そのものの頭部と、たてがみのようにふさふさした金髪。


 ――怪物の名を、『バーナード』といった。草地に寝転がり、傍らでパチパチと燃える焚き火を木の枝でつつきながら、何やら上機嫌だ。


「フフフン オー ダ ピーポー♪」


 盛り上がってきたのか、鼻歌ではなく歌詞を口ずさみ始めるバーナード。それにしても酷いだみ声だ。かつて、とある世界で流行った曲を熱唱している――想像してみよう、今日という日のために生きる全ての人々を。天国もなく、地獄もなく、国も国境もない。何かのために殺し合ったり、死んだりすることもない――


 バーナードは焚き火から木の枝を引き抜いた。


 枝の先端に突き刺さっていたのは――スイートポテトに似た感じの芋。


 想像してみよう、全ての人々が、平和に暮らしている――


「ユッウ~ウウゥ~♪」


 俗に言う石焼き芋だった。焼き立てのそれを無謀にも手で掴み、「アチチッ」とお手玉しながらも、二つに割る。美味しそうな黄色、スイートポテト特有の甘い香りとともに、ホカホカと湯気が上がった。


「ハッハァ~よく焼けてやがる! ユ~ メイセイ~♪ アイマ――」

「ご機嫌だな」


 歌いながらノリノリでかぶりつこうとしたところで、背後から声がかかる。


 振り返れば、見上げるような大男が立っていた。


 野性的な顔つき。筋骨隆々で、純粋に生物としての強さを感じさせる巨躯。圧倒的な存在感を放っており、ともすれば近寄りがたく感じてしまいそうだったが、その瞳には理知的な光があり、獣性と理性が同居しているような不思議な魅力を放っていた。また、肩には大人しい鴉を止まらせており、どこかユーモラスな雰囲気も漂わせている。


「よォ、デンナー。オメーも食うか?」


 気さくに挨拶したバーナードは、芋の片割れを大男――デンナーに差し出す。


「それが居候の態度か? まあいい、もらおう」


 苦笑したデンナーは芋を受け取り、豪快にかぶりつく。


 しばし、金髪の蜥蜴怪人と、肩に鴉を乗せた大男が無言で焼き芋を頬張るという奇妙な光景が繰り広げられた。


「ところで、さっきの歌」


 ぺろりと芋を平らげたデンナーが、尋ねてくる。


「初めて聴くメロディだった。故郷の歌か?」

「そうさ、流行ってたんだ。だいぶん昔にな」


 バーナードは素直に首肯した。デンナーは度々、こういった会話でこちらの素性を探ってこようとする。


「俺の故郷だけじゃねェ、それこそ国を超えて大流行した。何十億もの人々がこの歌を聞き、口ずさんでいた時代があったのさ」


 なのでバーナードは、いつも、ただひたすら答えることにしていた。『元は人間だったが気づけば竜人ドラゴニアになっていた』『故郷はおそらく遠く離れている』『故郷の人口は十億を超える』『音の速さで空を飛ぶ乗り物がある』『誰もが肉体から精神を切り離し精霊のように振る舞える社会だった』――などなど。


 それはありのままの事実だったのだが、あえて簡潔に、具体性に欠く語り口にしたことで、デンナーにとっては荒唐無稽な話に聞こえていたらしい。そのせいか、『元人間である』という一点以外は、バーナードが大ボラ吹きなのか、あるいははぐらかそうとしているとでも解釈しているようだった。


(――高度に発達した科学は魔法と区別がつかねェ、ってか)


 VR技術など、この世界の住人からすれば想像の埒外だろう。高度なインフラに支えられた億単位の人口も、眉唾ものに違いない。ただ事実を語っているだけなのに、デンナーが疑ったり、呆れたりしている様子を、バーナードは密かに楽しんでいるのだった。


「お前の故郷には、吟遊詩人の精霊とやらもいるんだったか。それは国を超えて流行りもするだろうよ」


 そう言って肩を竦めるデンナー。バーナードは何も答えず、ただフフンと鼻を鳴らすに留めた。


「しかし、俺の耳が正しければ、平和だの何だのと言っていた気がするが」

「おゥよ。ラブ&ピース、人類愛と世界平和を祈る歌だぜ。名曲だ」

「……お前みたいなやつは、そういうのを毛嫌いしてそうなもんだが」


 違うのか? と首を傾げるデンナー。


「いや? そんなことはない。俺はむしろ平和を愛してるぜェ」

「お前が……?」

「あァそうさ。平和とは、不断の努力と幸運なくして成立しない、脆く、儚く、愛おしいものだ――」


 蜥蜴怪人の口の端が釣り上がり、鋭い歯が剥き出しになった。


「――だからこそブチ壊したくなる」


 黄色い瞳を爛々と輝かせて。


「ハハハッ、この人でなしめ」

「見たらわかるだろ?」


 思わず吹き出すデンナーに、悪びれる風もなくおどけるバーナード。


、そうは思わねェか? 何にでもメリハリが必要なンだよ」

「その気持ちはわからんでもないが、だからといって弱い者を無意味に殺して回って楽しいか?」


 おそらく、バーナードが壊滅させたラネザ村のことを言っているのだろう。しかし純粋に興味本位の質問らしく、そこに非難するような色はなかった。


「楽しいさ。強い奴と戦うのとは、また別の楽しみがある。俺は、平和を、幸せを、かけがえのないものを、尊いものを、台無しにするのが好きなんだよォ」


 ラネザ村での自らの凶行を思い出したか、バーナードは興奮に背筋を震わせる。


「もちろん、弱っちいヤツのもスパイスの一つだぜェ。ただ、同じことを延々繰り返すだけじゃあつまんねェ、そのうち飽きちまう。だからメリハリが必要ってわけだ――それと一つ訂正しておきてェんだが、俺は別に殺しが好きってわけじゃねェ。最大限にブチ壊したら結果的に死んじまうってだけで」

「なるほど。熱しやすく冷めやすい破壊の美学というわけか」


 デンナーはゴワゴワとした顎髭を撫で、得心がいったという風に頷いた。その、さもわかったかのような態度が癪に障ったバーナードは、逆に聞き返す。


「……そういうオメーはどうなんだよ、デンナー。オメーは強いやつと戦うの、好きそうだよなァ」

「ぬぅ、まあ否定はせんな。強敵と対峙すれば血が滾るのは事実だ……ただ戦いそのものが好きかと問われると、違うな」

「ほう?」

「その戦いから何が得られるか――強敵との戦いは、何らかの教訓をもたらすことが多い。相手そのものが興味深く、面白いこともある。お前みたいにな」


 ニッ、と不敵に笑うデンナー。打ち負かされた側であるバーナードは、ますます不機嫌になってフンと鼻を鳴らした。


「そして俺は欲張りでもあるからな。そういう面白い奴がいると、つい手勢に加えたくなっちまうわけだ」

「ああそうかい。お陰でこうして食っちゃ寝していられるんだ、ありがたいこった」


 焚き火に枝を突っ込んだバーナードは、また新たに焼き芋を取り出した。今度は爪先で器用に皮を剥ぎ取り、デンナーに差し出すでもなく一人で食べ始める。


「ハッハッハッハ! そう不貞腐れるなよ」


 デンナーは大笑いしながら、バーナードの背中をバシンと叩いた。焼き芋を咀嚼しながら、ギロリと剣呑な目を向けるバーナード。普通の人間ならひと睨みされただけで震え上がってしまいそうな眼光だったが、デンナーは動じない。



「――残念ながら、食っちゃ寝の生活もそろそろ終わりだ」



 その言葉は、バーナードの興味を引いた。



「……というと?」

「でかい仕事がある。お前にも当然働いてもらうからな」

「ほーん。まあ構わねェけどよ、細かいのは苦手だぜ? 誰彼を守れとか、逆に誰彼だけを殺せ、とかはなァ。それに自分でも言うのもなんだが、俺のこの容姿で参加できンのか?」

「できるとも。好き勝手に暴れて、殺し回って、呑気に過ごしている奴らを大混乱に叩き落とす。そんな怪物を探していたんだ、おあつらえ向きじゃないか?」

「――ハッ。なんだそりゃあ」


 蜥蜴面でもそれとわかる、満面の笑み。


「俺様にぴったりじゃねえか」

「だろう? 、そうは思わないか?」


 デンナーの問いに、バーナードは牙を剥き出しにした。


「はハァ♪」



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