100. 平穏


「やっぱり家は落ち着くな……」


 自宅のリビングでどさりと荷物を下ろし、ケイはホッと一息ついた。


「違いねえ。愛しの我が家!」


 その隣ではアイリーンが猫のように、「うーん」と背伸びをしている。


(……そうか、俺も『落ち着く』ようになったか、この家で)


 ケイはそんな感慨を抱く。見慣れた家具。古びた木の香り。思い出深い窓ガラス。しばらく暮らすうちに、この家にもすっかり愛着が湧いていたらしい。留守中も商会で雇った使用人たちは、きちんと手入れをしていてくれたようで、埃もなく綺麗に片付いている。



 そう、ケイたちは、サティナへと帰還していた。



 嵐のような日々だった。"森大蜥蜴"の討伐。素材の監視を兼ねた宴。コーンウェル商会の人員の到着、商人との交渉、解体、報酬の分配、etc, etc... 休めたのは討伐直後くらいのもので、それからは目の回るような忙しさだった。


 どうにかやるべきことを済ませて、村人たちに惜しまれながらヴァーク村を発ったのが四日前。マンデルを除く、討伐のメンバーたちと別れたのもそのときだ。


『本当に……夢のようだった。ありがとう』

『これで胸を張って結婚を申し込める! さらばだ!』


 ゴーダンとロドルフォは、それぞれの故郷に帰っていった。ゴーダンは東の辺境の村へ、ロドルフォは西の沿岸部へ。ケイがボーナスを弾んだこともあり、銀貨ではち切れそうな革袋と、『記念品』の色鮮やかな"森大蜥蜴"の皮の切れ端を携えて。


『今回のことは……家族に話しても、信じてもらえないかもしれないな』


 そう言って笑うゴーダンはちょっとした豪農の次男坊らしく、家族に金を預けたら今度はサティナまで遊びに来るつもりとのこと。ちなみに、ケイを追う雄竜に投げつけた5本目の槍は、商会の護衛『オルランド』から借り受けたものだったそうだ。


『いやーもうこれ家宝にするっス! ありがてえ』


 "森大蜥蜴"の血がついた短槍を回収して、オルランドは童心に帰ったように顔を輝かせていた。討伐には参加せず馬車の『護衛』に専念していたオルランドたちだが、そのあとの素材の監視や商会の人員の誘導などでは、よく働いてくれた。


『この鮮やかな青緑! サンドラのブルネットの髪によく似合うに違いない!』


 ロドルフォは恋人に結婚を申し込むそうだ――"森大蜥蜴"の皮を髪飾りにして贈るのだとはしゃいでいた。実はケイは別れ際まで結婚の件を全く知らなかったのだが、もし事前に話を聞いていたら討伐のメンバーに選ばなかったかもしれないな、とは思った。


 ちなみにキリアンだが、報酬を受け取ったあと、人知れず姿を消していた。討伐の日を境に、めっきりと老け込んでしまったように見えたキリアン――彼の助力がなければ、森の様子もわからず、ゴーダンとロドルフォも仲間にならず、アイリーンが毒で雌竜を仕留めることもできなかった。今回の狩りの成功も、彼に依るところが大きい。


 何度も礼は言ったが、それでも別れの挨拶くらいはしたかった。なぜ何も言わずに去ってしまったのか――正直なところ、少し悲しく思う。ただ、ヴァーク村に残ったホアキンによれば、キリアンは"森大蜥蜴"との戦いで、心に傷を負ってしまったらしいとのこと。


 忘れたかったのかもしれない。


 忘れられたかったのかもしれない――




          †††




 荷物を置いたケイたちは、大通りを挟んで斜向いの商業区を訪れた。コーンウェル商会傘下の高級宿――いつもサスケとスズカを預かってもらっている宿だが、今日はマンデルがここで一泊する。ヴァーク村からサティナまで、四日間の旅の疲れを癒やしてから、タアフ村に凱旋しようというわけだ。


「マンデル、いるかー?」


 レセプションで教えてもらった二階の部屋。ドアをノックすると「いるぞー」と間延びした声が返ってきた。


 中に入ると、そこは広々とした上品な部屋。


 ベッドだけではなく、頑丈そうな物入れのチェストに、小さな丸テーブルと椅子が何脚か。テーブルの下には小洒落た模様のカーペットも敷いてある。弓形に張り出した出窓――俗に言う『ボウウィンドウ』というやつだ――には、なんとガラスがはめられており、冷たい外気を遮断しつつも柔らかな日差しが差し込んでいた。窓際には花まで飾られている。


 そして肝心のマンデルはというと、ゆったりとしたダブルベッドに寝転がり、存分にくつろいでいるようだった。


「いやぁ、快適だな。……いいのか、こんなに上等な部屋に泊まっても」


 と言いつつ、全く遠慮する様子は見せないマンデル。言葉の割にふてぶてしい態度に、ケイは声を上げて笑った。


「もちろんだとも。コーンウェル商会は太っ腹だからな」


 今回の宿代はコーンウェル商会持ちだ。先ほど本部で顔を合わせたホランドがマンデルのために手配してくれた。ケイとしても、存分に楽しんで元を取ってもらいたいと思う。


「そいつはありがたい。せっかくだし、風呂にでも入ってみるかな。飲み物も好きに頼んでいいんだったか」

「好き放題にやっていいんだぜ、マンデルの旦那。そのうち『あの地竜殺しの英傑が一人、マンデルの泊まった部屋!』って名物になるだろうからな」


 壁に名前でも刻んだらどうだ、とからかうアイリーンに、マンデルは「うへぇ」と渋面になった。髭もじゃで表情が分かりづらいが、どうやら照れているらしい。



 このあと、マンデルは風呂に入ってのんびりするとのことだったので、ケイたちは夕食の約束を取り付けてから、今度は木工職人モンタンの家を訪ねた。



「ケイさん! よくぞご無事で!!」

「おねえちゃん!!」


 五体満足なケイに、ホッと胸を撫で下ろすモンタン。その横から勢いよくリリーが飛び出してきて、アイリーンに抱きついた。


「お二人とも……うまくいったんですね?」


 さらに家の奥から、モンタンの妻キスカも顔を出す。


「ああ、お陰様で。モンタンの矢も大活躍だったぞ」


 ケイたちが"森大蜥蜴"を撃破したのは一週間ほど前のこと。まだサティナにまでは詳細が伝わっていないらしい。立ち話も何だということで、中でお茶をいただく。


「正直、もうヴァーク村はダメかもしれないと思ってたんだが、驚くべきことに到着するとまだ無事だった」

「どころか、探索者やら商人やらで大賑わいでさ――」

「キリアンという熟練の森歩きの話によると、実は――」

「っつーわけで、人を集めて落とし穴を掘ったり、迎撃準備を――」


 交互にことのあらましを語るケイとアイリーン。モンタンたちは目を輝かせて聞き入っていた。何せ、『伝説』の当事者たちから直に話を聞けるのだ。現代地球に比べ娯楽の少ない世界で、これ以上のエンターテイメントはなかった。


「それでこれが、活躍してくれた矢たちだ」


 ケイは矢筒から矢を取り出した。"森大蜥蜴"の死骸から回収したものだ。モンタン特製の出血矢や宝石の消滅した魔法矢、最後に額を撃ち抜いた長矢などなど。黒ずんだ血の跡がこびりついており、見方によっては汚かったが、モンタンには最高の手土産になるだろうと思ったのだ。


「おお……! これが……!!」


 モンタンは震える手で受け取り、惚れ惚れと眺める。自ら手掛けた矢が伝説の怪物を打ち倒した――職人として、その感慨はいかほどか。


「で、こっちが"森大蜥蜴"の皮だ」


 今度はアイリーンが10cm四方の切れ端を差し出す。リリーとキスカが、色鮮やかな青緑色に目を見張った。


「……触っていい?」

「もちろん」


 リリーはおっかなびっくりといった様子で皮を受け取り、恐る恐る、指先で表面をつついた。


「……こんな色、はじめて見た」


 確かに、こちらの世界では珍しい色合いかもしれない。ケイが持ち込んだ革鎧も"森大蜥蜴"製ではあるが、硬化処理などをした関係で、これほど鮮やかな色は残っていない。


「……ありがと」


 しばらくキスカとともに、しげしげと観察していたリリーだが、やがて満足したのか皮を返してきた。


「ん? それはお土産だからリリーのだぞ」

「「えっ!?」」


 アイリーンが告げると、リリーとキスカが「マジで!?」と言わんばかりに皮を二度見する。目と口がまん丸くなった表情があまりにもそっくりで、「ああ、やっぱり親子だなぁ」と納得しつつもアイリーンは笑ってしまった。


「いいんですか?! こんな貴重なものを……」

「まあ、貴重といえば貴重なんだけど……」


 あまり使いみちがない。傷跡を避けて皮を剥ぐと、どうしてもこのような切れ端も出てきてしまった。もちろん、普通の動物の皮に比べると市場価値は非常に高いが、使うとしてもサイズ的にはせいぜい小物を作るぐらいだろうか。ケイたちは記念品として、こういった端材を商会からいくらか譲り受けていた。


 もちろん、ケイは革鎧を新調し、アイリーンもちょっとした防具を別途作るつもりではあるが。


「ほんとうにいいの、お姉ちゃん?」

「ああ。なにせ二頭も倒したからな」


 配って回る余裕は充分にある――ヴァーク村に到着した商会職員も、二頭の巨大な死骸を見て卒倒しそうになっていたほどだ。一応、使者を送って事前に伝えてはいたが、『つがいを倒した』という情報だけは半信半疑だったらしい。しかし落ち着いてからは、いったいどれほどの儲けを生み出せるか、文字通り皮算用で大興奮していた。


「ありがとう、おねえちゃん!」

「いいってことさ。どうだろう、リリーも髪飾りでも作ってみるかな?」

「えへへ……にあうかな?」


 青緑の皮を頭に当ててみるリリー。ケイはそんな幼女の姿を微笑ましげに見守りながら、


「いずれにせよ、モンタンの矢は本当に役に立ったよ。ありがとう」


 改めてモンタンに礼を言う。


「魔法の矢も出血矢もそうだが、特に長矢だ。今まで何度窮地を救われたか」

「いえいえ、お礼を言いたいのはこちらの方です。職人としてこれにまさる名誉はありませんよ」

「良かった。それで、今晩あたり打ち上げをやろうと思うんだが……あ、そういえばマンデルは知り合いだったよな?」

「ええ、以前矢を買っていただいたこともありますし」

「彼も誘ってるんだ。コーンウェル商会の飯屋を貸し切るから、肩肘張らなくて済むパーティーになると思う。モンタンたちもどうだろう?」

「いいんですか! それじゃあ、お呼ばれして……」


 伝説の狩りの打ち上げともなれば相当期待できる。モンタンもホクホク顔だ。



 夕方にまた合流する約束を取り付けて、モンタン宅を辞去する。



「ケイ、コウたちはどうする?」

「ああ、そうだな……」


 今日も今日とて、サティナのメインストリートは大賑わいだ。人々の間を縫うようにして歩きながら、しばし考える。


「誘えるものなら誘いたいが……」

「立場的にすぐ来れるか、謎だよなぁ。コウの旦那はともかく、イリスは……」


 うーむ、とアイリーンもちょっと難しい顔。イリスはお姫様設定が足を引っ張ってフットワーク軽めに動けないのが難点だった。


「まあ、でも、お忍びでなんとかするんじゃね? 最悪コウの旦那は来れるだろ」

「一応連絡だけしておくか」



 そうしてコーンウェル商会本部を訪ね、コウの屋敷に使者を送ったり革鎧の仕様を話し合ったり、諸々の手配をするうちにあっという間に日が暮れた。



「久しぶりだな、キスカ。……元気にしてたか」

「もっちろん。あんたこそ大活躍だったらしいじゃん」


 マンデル、そしてモンタン一家を連れて商会が手配したレストランに向かう。マンデルとキスカはタアフ村出身の顔馴染みだ――キスカの方が年齢的に一回り下のはずだが、かなり馴れ馴れしい。いつもモンタンの妻、リリーの母としての顔しか知らなかったケイは、キスカが途端に若々しい村娘のように見えて少し驚いた。よくよく考えれば二十代、ケイとそれほど年齢は変わらないのだ……


「リリーも、しばらく見ないうちに大きくなったな。……あっという間だ」

「はい。おひさしぶり、です」


 お行儀よく挨拶するリリーを、マンデルは優しい眼差しで見ていた。もしかすると自分の娘たちの幼い頃と重ね合わせているのかもしれない。


「こうしてみると、本当に目元はキスカにそっくりだな。……ベネットが会いたがっていたぞ」

「あー……父さんねえ。たまには里帰りしたいもんだけど、あんまり家を空けられないのよねぇ……」

「この頃、装飾矢やら何やらの注文がけっこう詰まってるんですよ。ありがたいことなんですけどね」


 それに加えて、ケイたちの魔道具の『ガワ』を作ったりもしているので、モンタンは忙しい。


「そうか。……まあせめて、手紙くらいは届けよう」

「ありがとー」


 そんなことを話しているうちに目的地に着いた。二階建てのそこそこ高級なレストラン――上のフロアは、今晩貸し切りだ。


「おお! みんな、主役のご到着だぞ!」


 階段を登ると、商会関係者はすでに集まっているようだった。ホランドがいち早くケイたちの来訪に気づき、皆に知らせる。小綺麗におめかししたエッダと、以前隊商護衛で同道したダグマルの姿もあった。


「ケーイ、聞いたぞ、とんでもない大活躍だな! かーっ俺もあんときサティナにいればなぁ、一緒に行きたかったぞヴァーク村に!」


 ダグマルがバシバシとケイの背中を叩いてくる。ヴァーク村から救援依頼が届いた当時、ダグマルは別の隊商を護衛していたため不在だったのだ。もしダグマルがいたら、荷馬車の護衛はオルランドではなく、ダグマルとその仲間たちになっていたかもしれない。


(だが、そうすると最後のゴーダンの援護はどうなっていたかな?)


 ダグマルは剣と短弓を使う。それに対しオルランドは短槍使いなので、ゴーダンが槍を借りることができた。もしもオルランドがいなかったら、ゴーダンはどうしたのだろう? ちょっとした違いで、戦闘の流れが大きく変わっていたかもしれない――


「残念だったな。旦那も一緒に来てたら、"大熊"と"森大蜥蜴"、【深部アビス】の双璧の討伐をどっちも見届けられたのに」


 アイリーンがからかうように言うと、「そうそう、そうなんだよー!」とダグマルは悔しげに地団駄を踏んだ。


「本っ当に、惜しいことをした! どんな風だったのか、あとで絶対に話を聞かせてくれよな! な!」

「お兄ちゃん! お帰りー!」


 そんなダグマルをよそに、今度はエッダがトテトテと駆け寄ってきて、ケイに抱きつく。


「ただいま。といっても、あっという間だったかな」

「待ってるこっちは気が気じゃなかったけどねー!」


 すりすりと腹に頬ずりしていたエッダだが、ふと、その背後、モンタンたちに連れられてきたリリーの存在に気づく。


「あ……どうも」

「こんばんは……」


 同じ年頃の女の子ということで、互いに興味を持ったようだ。


(あれ、顔を合わせるのは初めてか?)


 よくよく考えてみれば、ホランドたちがサティナに定住し始めてしばらく経つが、仕事でモンタンと顔を合わせることはあっても、家族ぐるみの付き合いはなかった気がする。


「わたしエッダ。あなたは?」

「リリー、です」


 リリーは塾に通うのもやめて引きこもりがちだった。アイリーンと魔術の修行(というか勉強)を始めて少しは明るくなってきたものの、出会った当初の快活さは見る影もない。


(新しく友達ができたら、何か良い変化があるかもな)


 そんなことを考えつつ、商会関係者たちに挨拶する。ホランドのようによく世話になっている者から、顔見知りではあるが名前までは知らない者まで。皆、等しく今回の一件で奔走してくれた人たちだ――ダグマルを除いて。


(ってかダグマル、今回は何もしてないじゃないか)


 にもかかわらず、ちゃっかり打ち上げに潜り込んでいる要領の良さに、遅れて気づいたケイは、挨拶回りの最中、吹き出してしまわないよう笑いを噛み殺していた。


「おっと、お待たせしてしまったかな? 申し訳ない」


 と、新たに階段を登ってくる人影があった。フードを目深にかぶった二人組。


「コウ! イリスも来れたか」

「やあ。二人とも無事だったようで何より」

「えへへ。あたしも来ちゃった!」


 コウはフードを取っ払ったが、イリスはかぶったままだ。顔よりも、頭の豹耳が見られたらまずいので、こういうときは不便だろう。


「俺たちも今来たところだ。問題ないさ」

「それは良かった」

「揃ったみたいだね。それでは始めよう!」


 ホランドが音頭を取り、皆に酒が振る舞われる。湯気を立てる料理――仔羊の丸焼きやシチューパイ、ローストビーフなどが大皿に盛られて運ばれてきた。


「では――英雄たちから一言!」


 さて食事にありつこうか、と思っていた矢先、ホランドから水を向けられ、ケイとアイリーンは顔を見合わせる。


「あ~……」

「コホン。まずはコーンウェル商会の皆様方に――」


 こういう咄嗟の英語スピーチが苦手なケイのために、アイリーンが口火を切って、少し時間を稼いでくれる。


「――と、まあ、あまり長くなっても悪いのでこのへんで。ケイは?」

「ん、共に戦ってくれた戦友たちに。影から支えてくれた関係者の皆に。そして、俺たちを見守り、導いてくれた偉大なる精霊たちに――」


 隙間風がランプの灯りを揺らし、影が蠢き、コウの吐息が冷気で白くなる。


「――最大限の感謝を。乾杯!」

「「乾杯!!」」


 そうして賑やかな宴が始まった。




          †††




 それから夜遅くまで飲み明かした。ケイは肩の力を抜いてコウと日本語会話を楽しみ、アイリーンは浴びるように高い蒸留酒を呑みながら、武勇伝を語って皆を楽しませていた。一番楽しんでいたのは、アイリーン本人だろうが。


 翌日、珍しく羽目を外して呑みすぎたマンデルがダウンしてしまったため、タアフ村への帰還は延期し、体調の回復を待ってからさらに次の日、サティナを出発した。


 ケイとアイリーンは、マンデルに同行することにした。マンデルは必要ないと固辞したが、現金や貴重品を多数抱えていることから、護衛としてついていくことにしたのだ。マンデルの娘たちに、父親を無事に帰すと約束した義理もある。家に帰るまでが大物狩りだろう。


 当然、タアフ村でも歓迎と祝いの宴が開かれ、ケイたちも招かれることとなった。マンデルの娘二人が、安堵のあまり号泣していたのが印象的だった。


「いやー……今回は色々あったなぁ」


 タアフ村からサティナに戻る道中、アイリーンが感慨深げに呟いた。


「全くだ。盛りだくさんだったな……」


 しみじみと、ケイも頷く。


 少し肌寒い晩秋の草原に、サスケとスズカの蹄の音。


「今更言うのも何だが……けっこう、危ない橋だったな」

「違いない」


 ほんの少しでも運が悪ければ、ケイもアイリーンも死んでいたかもしれない。死者もなく、大した怪我もなく、たった数人で"森大蜥蜴"の番を撃破した――【DEMONDAL】の中でさえ聞いたことがないような偉業だ。


「で、ヴァーク村からまた助けを呼ばれたらどうする? ケイ」


 揺れる馬上、アイリーンが振り返り、いたずらっぽい笑みで尋ねてくる。


「う~~~~~ん……」


 ケイは難しい顔で唸った。人々を助けるために、"大物狩り"専門の狩人として活動したい――それが夢だったが、正直なところ、今回の一件はかなりキツかった。


「…………当分、遠慮したいな」

「あっはっは。オレもー!」


 屈託なく笑うアイリーン。まあ、しばらくはのんびり過ごそうぜ、と気楽な調子で言う。ケイも全く同意見だった。大物狩りはこりごりだ――



 家に帰って、いつもの日々が戻ってくる。



 季節は巡り、サティナにも初雪が降った。



 この世界で初めての冬だ。皆が冬ごもりの準備を始めている。



 ケイたちは、主に魔道具の研究開発をしながら、のんびりと過ごしていた。



「なあ、ケイ――ちょっと、相談があるんだが」


 ある日、アイリーンが神妙な顔で話しかけてきた。ストーブで温めて使うタイプのアイロンを応用したヘアドライヤーの試作品をいじっていたケイは、改まった態度のアイリーンに姿勢を正す。


「どうしたんだ?」

「んー。その、な。……アレが、来ないんだわ」


 ぽんぽん、とアイリーンが自分の腹を軽く叩いた。


「――――」


 ケイの思考は止まった。


「……それは、その……アレか? 月の」

「うん」

「…………つまり」


 アイリーンの顔と、腹部を交互に見比べたケイは、ガタッと立ち上がる。


「子供が……!?」

「……まだわかんないけど、その可能性が……うん……」


 少し頬を赤らめたアイリーンは、ぺし、と自らの額に手を当てた。


「なんかこの頃ちょっと……微熱があるみたいな感じがして、だるいし。風邪かなーって思ってたんだけど、アレも来ないから。キスカとかにも相談してみたんだけど、その、やっぱりそういうことじゃないかって……」

「…………!」


 検査薬などないので、確定的ではないが。


「そうか……!」


 同様に、現代地球のような避妊具もなかったわけで。それでいて愛は育んでいたのだから、当然――


「……嬉しいよ」


 ケイはアイリーンをギュッと抱き寄せた。実感は湧かないが、それでも、素直に嬉しかった。


「……良かった」


 アイリーンもホッとしたように肩の力を抜いて身を預けてくる。しばらくそうしていたが、顔を見合わせて、なんだか互いに気恥ずかしくなった。


「そうか……俺、父親になるのか……」


 やはり、どう考えても実感が湧かない。


「うーん。オレも、母親か……うーむ……!」


 アイリーンは再び頬を赤らめ、両手で顔を覆う。


「こっちの世界だと普通なんだけど……地球基準だと、年齢的にちょっと早すぎる気がしないでもない……!」

「わかる。その気持ちはめっちゃわかる」

「不安だーーーーー!」

「ううむ、色々準備しないとなぁ」


 とりあえず身近に、子持ちのキスカがいて色々相談できるのは助かる。


「……赤ちゃん、か……」


 ケイは身をかがめて、アイリーンのお腹に耳を当ててみた。


「バーカまだそんな時期じゃないって!」

「はっはっは」


 コツンとアイリーンに頭を小突かれて、ケイは笑う。



 ――地球では、骨と神経の塊になって死ぬしかなかった自分が。



 父親になれるのか、と。



「しかし、そうなるとアイリーンも断酒しないとだな」

「うぐぅッ! やっぱ……そうだよなぁ……そうなるよな……」

「……まあ、俺も一緒に禁酒するから……」

「――ケイはそこまで酒好きじゃないだろぅ、もぉぉぉ!」


 ぬあ~と呻きながら、ふざけてケイの胸をポカポカ殴ってくるアイリーン。


「はっはっはっは」

「オレには笑いごとじゃないんだよぉぉ」


 大して痛くもない打撃を受け止めながら、ケイは、幸せを噛み締めていた――







 が。







 それからさらに数日後のことだった。








 寒い朝だった。




 まだ夜が明けて間もない、ようやく空が白み始めたころ。




 蹄の音。それも複数。




 目を覚ましたケイは、傍らで眠るアイリーンをよそに身を起こす。




 家の前が騒がしい。




 ダン、ダン! と遠慮なくドアが叩かれた。




「……なに?」




 アイリーンも目を覚ます。




 わからない、と答えたケイは、着の身着のまま外へ出た。


 


 ――そしてそんなケイを出迎えたのは。




「ケイチ=ノガワだな!」




 フル装備の騎士が数名。さらに、豪奢な装束に身を包み、竜の紋章が描かれた旗を掲げて馬に跨る壮年の男。




「……そう、だが」




 突然の事態に困惑しつつ、どうにか答えるケイ。




「よし。ケイチ=ノガワ! これより、公王陛下のお言葉を伝える!!」




 懐より書状を取り出し、壮年の男が馬上でふんぞり返る。




 それに合わせて、騎士たちが剣を抜き、儀仗兵のように直立不動の姿勢を取った。




「は?」




 公王? お言葉? ――呆気に取られて立ち尽くすケイ。




「…………」




 しかし壮年の男は、何やら非難がましい目でこちらを見るばかりで一向に話し出す気配がない。




「……ひざまずけ、ひざまずけ」




 見かねた騎士が、兜の下、直立不動のまま小声で伝えてきた。




 ハッと我に返ったケイは、慌てて跪く。そして思い出した。武道大会の表彰式を前に少しだけ教わった礼儀作法。




 王の言葉は、最大の礼をもって拝聴せねばならない――




「――オホン。『余、エイリアル=クラウゼ、大精霊の加護により、アクランド連合公国のウルヴァーン公にしてアクランド大公は――』」




 ようやく正しい姿勢を取ったケイに、咳払いした使者が書状を読み始める。




「『――きたる、ディートリヒ=アウレリウスの成人に際し、大公の位をこれに譲るものとする』」




 ディートリヒ――武闘大会でケイを表彰した、公王のただ一人の孫。




「『そして此度の譲位を祝すため、いにしえの継承の儀を、ここに執り行う』」




 王の言葉――それは絶対のものである。決定事項であり、至上命令である。




「『ケイチ=ノガワよ』」




 そこに民草の意志など介在しない――




「『公国一の狩人として――』」















「『――"飛竜"狩りに馳せ参じよ』」


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