98. 始末
ズ、ズン、と地響きを立てて倒れ伏す"森大蜥蜴"。
「――やったか!?」
矢筒に手を伸ばした格好のまま、ロドルフォが叫んだ。
ケイは速やかに距離を取り、伏して動かぬ雄竜を睨む。
「……死んだ、のか?」
半信半疑。すぐさま駆け寄ってきたマンデルが、追加で何本か矢を手渡してきた。油断なく"竜鱗通し"を構え、いつでも矢を放てるよう待機する。
それでも、動かない。
どうやら仕留めたらしい――そんな実感が、じわじわと染み込んできた。
「終わった……?」
傍らのマンデルが茫然と呟く。
「……ああ」
ふぅ、と溜息をついて、ケイは"竜鱗通し"を下ろした。
「俺たちの、勝ちだ……!」
ケイの宣言に、マンデルが声もなく脱力して、その場に座り込んだ。
「やった……やったのか! ――やったんだぁ!!」
ロドルフォが喜色満面で跳び上がる。
その叫び声に、うおおおお――ッ! と村の方からも歓声が上がった。
固唾を飲んで見守っていた村の住民たちが互いに抱き合って喜んでいる。野次馬の探索者たちも大興奮で、一部の
片膝をつき、苦しげに肩で息をしていたゴーダンは、そのまま力尽きたように大の字になって地べたに寝転がった。キリアンはどこか皮肉げな笑みを浮かべ、首を振りながら何事か呟いている。元気にはしゃいでいるのはロドルフォくらいのもので、他はケイも含め疲労困憊といった様子だ。
「やったぞォ――!」
「うおおおおお!」
「英雄だああ!」
ひとしきり喜んだ村人たちが、今度はズドドドと大挙して押し寄せてきた。ケイはサスケから飛び降りて彼らを迎え入れ――ることなく、木立へと急ぐ。
「アイリーン!!」
吹っ飛ばされたまま、姿を見せないアイリーンが心配でならなかったのだ。
「アイリーン! どこだー! アイリーン!!!」
「……こっちだよ~」
頭上から声。
振り仰げば、木の枝にアイリーンがブラーンと引っかかっていた。
「アイリーン!! 大丈夫か!? 降りられないのか!?」
「いや、だいじょうぶ……でもちょっと痛くてさ」
「なんだって!? 怪我したのか!? アイリーン!!」
「そんなに叫ばなくても。よっ、と」
勢いをつけて飛び降りたアイリーンは、しかし着地すると同時に「イテテ」と呻いて尻もちをついた。
「アイリーン! 大丈夫かっっ!?」
「へへっ……体の節々が痛えや」
苦笑いするアイリーン。ケイのマントに包まれていたおかげで、擦り傷などはないようだが、服の下は痣だらけだろう。
「これを」
ケイはすぐさま腰のポーチから
「――ヴぉェッ、まっっっっず! ……うぇっ、まっず……。トイレの消臭剤を炭酸で割っても、もうちょいマシな味がするぜ……」
「気持ちはわかるぞ」
うんうん、と頷くケイ。ついでに、アイリーンの髪の毛に芋けんぴのような木の枝がくっついていたので、取り払っておく。
「あ~……けど、やっぱ効くなぁ~」
痛みが引いてきたらしく、表情を緩めたアイリーンは、三分の一ほど飲んでから瓶を返してきた。
「サンキュ。これくらいでいいや」
「いいのか?」
「だいぶ良くなった。致命傷でもなし、ここは節約しとこう」
ひょいと立ち上がるアイリーンだが、「おっとと」と早速フラついている。
「……本当に大丈夫か?」
咄嗟にその体を支えながら、ケイは心配げに尋ねた。ハイポーションが貴重なのは確かだが、それを惜しんで後遺症が残ったりするようでは本末転倒だ。気を遣わずに一気飲みしてほしかった――いや、今からでも口に突っ込むべきか?
「……おい、待て、待て待て」
瓶を片手ににじり寄るケイを、アイリーンは慌てて押し留めた。
「だいじょーぶだって! まだちょっと痛えけど、死ぬほどじゃない。……別に強がって言ってるわけじゃないぞ? 優先順位の問題だ」
そう言って、ケイが持つ小瓶を指で弾く。キン、と澄んだ音がした。
「オレは今、確かに万全じゃないが、寝とけばそのうち治る。それに対しこれぐらいのポーションを残しておけば、理論上
すっ、と優しく、ケイの手を押し戻す。
「……そうだな」
瞑目したケイは、頷いて、ポーションをしまった。
本音を言えば――やはり飲んで欲しくはある。ケイの無茶に付き合った結果、負傷してしまったのだから。だが、アイリーンの言葉は尤もだったし、本人にそのつもりがない以上、いくら心苦しく思ってもそれはケイの独りよがりにすぎない。
もともと、アイリーンはリスクを全て承知で付いてきてくれたのだ――この期に及んであれこれ言い募るのは、野暮というもの。
「……ありがとう」
ケイにできるのは、心から感謝の念を伝えることだけだった。
「おかげで、助かった」
「なぁに、お安い御用さ」
なんでもないことのように軽く言ってのけて、ニカッと笑うアイリーン。傷だらけで、へとへとで、それでも笑顔が眩しくて――愛おしい。
「ありがとう。本当に……」
無事で良かった――
抱きしめる。こんな華奢な体で"森大蜥蜴"を屠ったとは、にわかには信じ難い。
「いや~、今回は流石に疲れたぜ」
「無理もない、大活躍だったからな」
こつん、とアイリーンがケイの胸板に額をぶつけてくる。
「あの跳躍は見事だったよ」
「へへ、だろ? 人生でも屈指の大ジャンプさ」
「まさか、あれで仕留めてしまうとは思わなかった」
「そのあと吹っ飛ばされて死にかけたけどな」
アイリーンがケイの腰に手を回し、ギュッと抱きしめ返してくる。
「あの魔術はナイスアシストだったぜ、ケイ。おかげで頭から落ちずに済んだ」
「いやあ、実はもうちょっとで
「はははっ、そいつぁ助かったな」
おどけてケイが答えると、アイリーンはからからと笑った。互いが互いに、幼子をあやすように、抱きしめあったままゆらゆらと体を揺らしている。体温と鼓動がじんわり伝わってきて、鉛のようだった疲労感が心地よいものに変わっていく。
するっ、とアイリーンがケイの腰に回していた手をほどいた。代わりに、ケイの頬を撫でる。慈しむように。ぬくもりを確かめるように。
「……ん」
そっと――。
「…………」
これほどまでに、互いの吐息を熱く感じたことはなかった。
「……ふふ」
顔が離れてから、アイリーンがぺろりと唇を舐める。怪我がなければ、ケイはその身体を、強く強く抱きしめていただろう。
「……お~い」
「……どこだ~」
と、木立の外から、皆の声。
「おっと。ほら、英雄様をお呼びだぜ」
パッと体を離したアイリーンが、肘で小突いてくる。
「ああ……そうだな」
微笑んだケイは、不意に、アイリーンを優しく抱き上げた。いわゆるお姫様抱っこというやつだ。
「あっ、おい……」
「もうひとりの英雄様も連れて行かないとな。……万全じゃないんだ、せめてこれぐらいさせてくれ」
「ん……まあ、そういうことなら、くるしゅうないぞ」
腕の中でふんぞり返るアイリーンは、相変わらず羽のように軽い。
「うおおおお! ケイだーッ!!」
「"正義の魔女"も無事だーッ!」
木立から姿を現したケイとアイリーンに、集まっていた村人たちが沸き立つ。ケイは笑顔で、アイリーンはぶんぶんと手を振って声援に応えた。
「"大熊殺し"ーッ! ありがとおおおおう!!」
「馬っ鹿、もう"大熊殺し"じゃなくて"地竜殺し"だろ!」
「それもそうだな! じゃあ"正義の魔女"はどうすんだ?」
「そりゃお前――"地竜殺しの魔女"だよ!」
「うおおおお! "地竜殺し"ーッ!」
「"地竜殺しの正義の魔女"ーッ!」
やんややんや。
「もう何がなんだかわかんねえな」
大興奮の男たちを前に、アイリーンが苦笑している。ヴァーク村の住民がこれほど喜んでいるのは、それこそ"
「ケイーッ! お前はッ! お前という奴はーッ!」
そのヴァーク村の村長、ハの字眉がチャームポイントのエリドアが、号泣しながら駆け寄ってくる。
「お前という奴は……ッ! 本っ当に……大した奴だ……ッ! ありがとう……村を救ってくれて、ありがとう……ッッ!」
ケイの肩をバシバシ叩きながら、泣きに泣いている。"大熊"襲来を乗り越え、村の発展を目指して頑張っていたら、今度は【
これで村は救われた。怪物は討ち取られ、村人に被害はなく、避難していた女子供たちも戻ってこられる。エリドアの男泣きも無理はなかった――たとえ、今回の一件が一時しのぎにすぎないとしても。
「まあ、なんとか被害もなく済んでよかった。落とし穴が役に立ったぞ、手伝ってくれた皆もありがとう!」
ケイがそう言うと、「うおおおお!」と男たちが拳を天に突き上げて応える。奇声を発しながら飛び跳ねる者、その場で小躍りする者、精霊に感謝の祈りを捧げる者、喜びようもそれぞれだ。
おっかなびっくり"森大蜥蜴"の死骸に近づく者たちもおり、恐る恐るつついたり、青緑の皮を撫でたりする人々を、ケイは微笑ましげに見守っていた――
「――ん!?」
が、その中に不審な連中を見つけ、顔色を変える。みすぼらしい格好の、探索者の端くれと思しき男たちが、死骸のそばに屈み込んでコソコソと――
「おい、お前ら! 何をやっている!」
ケイが駆け寄ると、「げっ」という顔をした探索者たちが一目散に逃げ出した。
「あっ! アイツら皮剥ぎ取ってやがる!」
アイリーンも気づいて、ケイの腕からぴょんと飛び降りる。
「逃がすか!」
幸い、マンデルが回収してくれた矢が何本かあった。カヒュンッ! と"竜鱗通し"にしては控えめな音を立て、逃走する探索者――いや、『コソ泥』たちの足元に矢が突き立つ。
「止まれェ――ッ! 次は当てる!」
ケイの怒号に震え上がったコソ泥たちが、両手を上げて立ち止まる。握っているのは青緑の皮の切れ端だった。
「貴様ら……何のつもりだ……」
のしのしと歩み寄り、唸るようにして問うたケイに、顔を見合わせたコソ泥たちは媚びるような笑みを浮かべ、
「そ、その……記念品に、と思って……」
「――記念で他人の獲物の皮を剥ぐ奴がいるか馬鹿野郎!」
反射的に、答えた奴にゲンコツを落としそうになったが、頭がかち割れたら
「……っふぅー。気持ちはわかるが、それを許すわけにはいかん」
「オレたちが命がけで倒したんだ、何もしてねえヤツが『記念品』をご所望とは少々虫が良すぎねえか? それにお前ら、見たところ穴掘りさえ手伝ってねーだろ」
アイリーンの指摘に、ぐうの音も出ずに黙るコソ泥たち。
「よくわかったな、コイツらが人足じゃないって」
「人足なら給料受け取ってから事に及ぶと思ってな」
「なるほど、それもそうだ」
思わず感心してしまったケイだが、気を取り直して、再び憤怒の形相を作る。
「それで……貴様ら」
「ハ、ハイ」
「せっかく犠牲もなく討伐できたんだ……今日という日を『無血』で終わらせたい。そうは思わないか」
「思います」
「というわけで、盗ったものを置いていったら勘弁してやろう。とっとと出せ」
ケイがオラつくと、コソ泥たちは一も二もなく素材を差し出してきた。皮の切れ端――どうやら、戦いでついた傷をナイフでこじ開けるようにして、無理やり引っ剥がしてきたらしい。こんなしょーもない剥ぎ方をしてもほとんど使いみちがないだろうに、本当に記念品くらいにしかならないな、と遣る瀬無い気持ちになるケイ。
「これで全部か?」
「全部です」
「……これで、全部、か?」
一人、何となく怪しい奴がいたので圧をかける。
「……あっ、忘れてました! こっちのポケットにも」
その業突く張りは、素知らぬ顔でやり過ごそうとしていたが、ケイがそっと矢筒に手を伸ばしたところで音を上げた。
「まったく、最初から素直に出せ」
これでケイの気が変わって、「やっぱ全員ブチ殺しておくか……」とでもなったらどうするつもりだったのか。
「いっ、いえ忘れてただけで……」
「あーもういい、解散!」
ケイが言い放つと、コソ泥たちは脱兎の如く走り去っていった。「バカ野郎!」「気が変わったらどうするつもりだったんだよ!」とコソ泥たちが業突く張りをなじる声を聞き流しながら、アイリーンと顔を見合わせる。
「……勝利の余韻もへったくれもあったもんじゃないなぁ、ケイ?」
「全くだ」
苦笑するアイリーンに、ケイはうんざり顔で頷いた。
死骸のそばに戻ると、一部始終を見ていた村人たちが、それとなく探索者たちを見張っていてくれているようだ。
自然、ケイの周りに関係者が集まる。
「厚かましい奴もいたもんだな」
すっかり泣き顔から村長の顔に切り替わったエリドアが話しかけてきた。
「ああ。油断も隙もない」
「盗人対策もしなきゃならんのか……」
ぺし、と額を叩いて溜息をつくエリドア。
「……今夜は、討伐祝も兼ねて皆で不寝番かな」
『伝説の狩り』とはいっても、舞台裏はこんなもんか、と一同苦笑を隠せない。
「まあ、なにはともあれ」
パン、と手を叩いて、ケイはその場の面々に向き直る。
静かな面持ちのマンデルは、達成感と、危険な仕事を終えたという安堵を噛み締めているようだった。
汗まみれのゴーダンは、疲労の色が濃いながらも晴れ晴れとした顔をしている。
はしゃぎまわっていたロドルフォは、賢者タイムとでも言うべきか、反動が来たらしくどこか虚脱した様子。
負傷した胸を押さえて苦しげなキリアンは、一気に老け込んだようだ。ポーションは流石に分けられないが、あとで『アビスの先駆け』の軟膏を渡しておこう、とケイは思った。
――そして、そんな彼らから一歩下がったところで、ホアキンがツヤッツヤの満面の笑みで立っている。満足そうで何よりだ。
「……みんな、ありがとう。おかげで犠牲もなく倒せた。俺ひとりでは、絶対に不可能だった――改めて本当にありがとう」
ケイが一礼すると、皆、口々に「いやいや」「こちらこそ」と返してくる。
「それで――報酬に関してだが、まさかの想定外が起きたからな」
ちらっ、と二頭の死骸を見やるケイ。
「『名誉も報酬も二倍』、この言葉を違えるつもりはない。コーンウェル商会との交渉次第ではあるが、皆、期待していてくれ!」
ケイの宣言に、やはり現金なもので、笑顔にならない奴はいなかった。
「ぶるるっ」
が、そのときケイの後ろ髪がグイッと引っ張られる。
「イテテっ何だ!? ――サスケェ!」
振り返れば、ふんすふんすと鼻を鳴らす汗だくのサスケ。「ねえぼくは???」と言わんばかりの凄まじい圧を発している。
「もちろん、お前も忘れてないよ。ありがとう」
「大活躍だったもんな!」
ケイの騎兵戦術も、サスケ抜きでは成立しない。
「縁の下の力持ちとはまさにこのことだ」
「偉いぞサスケ!」
「帰ったら美味いものいっぱい食べような」
「ブラシもかけてやるぞ~!」
ケイとアイリーンにわしゃわしゃと撫でられて、口々に褒められて、不満げだったサスケもようやく機嫌を直した。
どこか締まらない様子のケイたちに、周囲の面々も笑い出す。
晩秋の澄んだ青空に笑い声が響き渡り、冬の訪れを予感させる冷たい風が、狩りのあとの血生臭い空気を吹き流していった。
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