97. 果敢


 アイリーンは、しゃらりとサーベルを抜き放つ。


 そしてキリアンから受け取った毒壺を傾け、どろどろとした黒い毒を全て鞘の中に流し込んだ。


「コイツを、」


 ぱちん、とサーベルを鞘に戻し、しゃかしゃかと振り回すアイリーン。毒液を刃によく馴染ませる。


「――アイツの目ン玉にブチ込んでやる」


 アイリーンの得物はサーベルと投げナイフだ。こんなちっぽけな武器で"森大蜥蜴"に致命傷を与えるには、それこそ眼球のような弱点を狙うしかない。無論、暴れる"森大蜥蜴"に接近戦を挑むなど、無謀以外の何物でもないが――


「目を狙う、か……俺もやる、やってやるぜ」


 唸るようにしてロドルフォも言う。


 ちらっと横目で見やるのは、村の方だ。自分たちが必死で戦っているというのに、物陰からこちらを覗き見る野次馬の姿がちらほらあった。なまじケイたちが善戦していたために、好奇心が恐怖を上回ってしまったらしい。


 それは固唾を呑んで見守る村人たちであったり、探索者たちであったり、伝説を見逃すまいと目を血走らせたホアキンであったり。正直、村の未来がかかっている住民たちは仕方ないとしても、物見遊山な探索者たちの目は煩わしく感じられた。


 ――なぜ煩わしく感じられるのか?


 決まっている。大して何もできていないからだ。


 衆目にさらされる無力な自分が、我慢ならないのだ。


「このまま引き下がれるかってんだ……!」


 ロドルフォは歯噛みする。自他ともに認める自信家ロドルフォは今、その自尊心を著しく傷つけられていた。


 本当に何もできていない。


 栄誉を求め意気揚々と参加した"森大蜥蜴"討伐だが、蓋を開けてみればペチペチと遠巻きに矢を射掛けただけ。魔法の矢はケイからの貰い物、自らの矢は"森大蜥蜴"の強靭な皮膚に歯が立たず弾き返された。


 無力感に苛まれているのはマンデルも同じだが、彼はまだ、ケイに頼られている。ケイから魔法の矢のキラーパスを受けて、それでも慌てることなく命中させしっかりと仕事をこなしている。


 だがロドルフォには何もなかった――弓の腕前が信用ならないからだ。ケイはロドルフォを頼らなかった。弓の命中率の低さは自覚しているものの、それでも、やはり屈辱ではあった。


 加えて、ゴーダンの蛮勇だ。突進する"森大蜥蜴"の前に立ちふさがり、見事、額の弱点に槍でぶち抜いた――まるで英雄譚の一節ではないか。


 それにひきかえ、自分は……。


 この大物狩りの舞台で、主役を張ろうなどとは思っていない。だがせめて名のある脇役にはなりたい。そのためには、多少の無茶もしよう。ここで退いては男がすたるというものだ。


 ロドルフォはまだ、己の可能性を信じていた。


 それに命を賭す価値があるとも。


「……おれもやろう」


 と、重々しく、マンデルも頷いた。


 それは一種の義務感から出た言葉だった。ケイを助けねば――タアフ村まで助力を請いに来た、彼の期待に応えねばという思い。マンデルはロドルフォほど楽天的ではなく、死の香りを感じ取っていた。家で帰りを待つ娘たちの顔が脳裏をよぎる。


 それでも。


 それでもなお、ケイの力にならねば――と。


 そんな気持ちに駆られていた。


「助かるぜ」


 ニヤッとアイリーンは笑みを浮かべる。しかし、二頭の"森大蜥蜴"を翻弄しながらも、疲労の色が濃いケイとサスケを見やり、すぐに顔を引き締めた。


「アッシも、お力になれりゃよかったんですが……」


 胸のあたりを押さえながら、苦しげに呻くキリアン。"森大蜥蜴"の尻尾の薙ぎ払いで石か何かが飛んできたようで、重傷ではないが思うようには動けないらしい。


「せいぜい、クロスボウで射掛けることぐらいしか」

「無理はしなくていいさ、オレたちのために祈っといてくれ。……じゃあ二人とも、覚悟はいいか? 行くぞ!」


 アイリーンは、マンデルとロドルフォを連れて駆け出した。


 死地へと、恐れを見せることもなく。


「はぁ~……」


 その後ろ姿を見送って、キリアンは細く長く息を吐いた。



 ――もともとは、ただ"森大蜥蜴"をひと目見たい、それだけだった。



 伝説の怪物の姿を拝んでみたい。そう思って討伐に参加した。


 故郷を捨て、身寄りもなく、そこそこ歳を食っている。


 特にやりたいこともないし、悲しむ人もいない。


 ここが人生の終着点になってもいいか。


 最期に一花咲かせてみよう。


 そんな風に考えて。


 だが、"森大蜥蜴"の薙ぎ払いが眼前をかすめたとき、心の底から思った。


『死にたくない』と。


 自分で考えていたより、生に執着があることに気づいた。


 気づいてしまった。


 そこで心がぽっきりと折れた。


 それでも、尻尾を巻いて今すぐに逃げ出さないのは、討伐組の中でおそらく一番の年長で、あまりにもみっともないからだ。キリアンをこの場に押し留めているのは、なけなしの意地だけだった。


 だが、それもいつまでもつか……


「勝ってくれ……」


 胸の痛みをこらえつつ、震える手でノロノロとクロスボウの弦を巻き上げながら、キリアンは呟く。


「頼む……」


 早く終わってくれ。


 それが誰のための祈りなのか――


 もはやキリアン自身にもわからなかった。




          †††




 アイリーンは駆ける。


 背後からは、ともに走るマンデルとロドルフォの荒い息遣い。たとえ自分一人でも突貫するつもりだったが、二人の存在が思いのほか心強い。


 できれば無事に帰したいが――


(……なんとかするしかない)


 不吉な思いを振り払い、暴れ回る二頭の巨竜を観察する。


 大柄な個体、雄竜は満身創痍だ。爆裂矢や長矢を受け、胴体からの出血がおびただしい。顔面にも矢が突き立ち、左目は潰されている。おそらくもう長くはない――放っておいても明日には息絶えるだろう。


 だが、今この瞬間、脅威たるには充分すぎる生命力。流石に動きは鈍っているようだが、執拗にサスケとケイを追い回しており、止まる気配はない。


 もう一頭、小柄な雌竜は比較的軽傷だ。顔面はケイの集中砲火でハリネズミのようになっているものの、未だ致命傷は負っていない。先ほど、ゴーダンの投槍が脳天を直撃したのが一番の傷か。


 雌竜は、ケイの射線から重傷の雄竜を庇うように立ち回っているようだ。ケイも魔法の矢や長矢はあらかた使い果たしたらしく、何本も矢を撃ち込んでいるが、雌竜は怯むどころか怒りでむしろ動きが速くなっているようにも見える。


 どちらを狙うか。


 重傷の雄竜か、まだピンピンしている雌竜か。


 ……やはり雌竜だろう、とアイリーンは結論づけた。


 ここで弱っている雄竜にトドメを刺してしまい、雌竜討伐に本腰を入れるという手もあるが――


(ただでさえ荒ぶってんのに、相方が殺されたらどれだけ怒り狂うか)


 それが恐ろしい。見境なく暴れ回り、トチ狂って村の方にでも突撃し始めたら今度こそ止めるすべがない。


 ケイの――自分たちの身の安全を第一に考えるなら、それもアリではある。ケイもアイリーンも、その気になれば振り切れるのだ。一通り暴れて体力を使い果たしたところで、再び攻撃を仕掛けてもいい。


(――けど、それはお望みじゃないだろう?)


 ケイは"森大蜥蜴"を狩りに来たのではない。


 村を守りに来たのだ。


 ならば。


「雌竜を引きつける。ヤツの動きが止まったら、二人とも頼むぜ」

「……わかった」

「おうとも!」


 緊張気味のマンデル、向こう見ずなロドルフォ。走りながらいつでも放てるよう、それぞれ矢をつがえる。


 アイリーンは、すぅぅっ、と息を吸い込んだ。



Урааааааааウラァァァァァァァァ!! 」



 吠える。裂帛の気合で。


 小柄なアイリーンが放ったとは思えない、びりびりと耳朶を震わせる咆哮。驚いて思わず速度を緩めるマンデルたちとは対照的に、さらに加速する。


 雌竜は相変わらずケイを追うのに夢中で、アイリーンなど気にも留めない。圧倒的な体格差――いくらアイリーンが殺気を放とうとも、人間でいうなら、足元から仔猫が「シャーッ!」と威嚇してきているようなものだ。殺し合いの最中に道端の仔猫を気にする者がいるだろうか。


 だが、その仔猫が、威嚇するだけでなく爪で引っ掻いてきたとしたら。


 そしてその爪に猛毒が仕込まれていたとしたら――?



 果たしてアイリーンは、"森大蜥蜴"の暴風圏に踏み込んだ。



 巨大な四足が大地を踏み荒らし、大蛇のような尻尾が暴れ回る。常人なら接触しただけで致命傷、巻き込まれれば圧殺必至。死地。ビュゴゥッと空を引き千切る尻尾の薙ぎ払いを紙一重で躱し、肉薄する。


 視界いっぱいに広がる青緑の体躯――最高の革防具素材として名高い"森大蜥蜴"の表皮。強靭な皮膚組織は大抵の武具を弾き返し、分厚い肉が衝撃を無効化する。


 サーベルは量産品に過ぎない。"地竜"を屠るにはあまりにもお粗末な得物。


 が、その使い手の技量は生半可ではなかった。


 雌竜の後脚、サスケに飛びかかろうと、力が込められたその瞬間。張り詰めた関節部分、力学的に脆くなった部位を一瞬にして見切る。


 サーベルが鞘走った。


 黒光りする刃が弧を描く。


 ビッ、と青緑の表皮に、赤い一文字いちもんじが刻み込まれた。


「グルルルルアァァ――ッッ!?」


 猛毒の激痛が神経を焼き、雌竜がビクンッと体を震わせて振り返る。


 アイリーンは視線を感じた。雌竜ではない、その背後、ケイだ。アイリーンが仕掛けたのを見て、汗だくのサスケの首を励ますように叩き、雄竜に矢を射かけて注意を引きつけている。


 ケイと雄竜、アイリーンと雌竜。


 つかの間の分断、各個撃破の構図。


「――うおおおお!」


 と、アイリーンの左右後方から、マンデルとロドルフォが雌竜の顔面めがけて続けざまに矢を放った。


「喰らいやがれ――!」


 ロドルフォがここぞとばかりに怒涛の速射を見舞う。マンデルの狙い澄ました一撃も含め、眼球を射抜く軌道の矢もあったが、雌竜はブルンブルンと頭を振り全て弾き返してしまう。


 だが、その間にアイリーンは次なる一手を打っていた。懐から取り出すは、革袋。中にはぎっしりと、水晶の塊と大粒のラブラドライト。


「大盤振る舞いだ――」


 陽はまだ高く。


 ゆえに影は濃く。


 革袋を開け、ざららぁと中身をぶちまける。


【 Kerstin! 】


 アイリーンの足元の影に、とぷん、とぷんと触媒が沈んでいく。


【 Kage, Matoi, Otsu. 】


 素早く印を切り、叫ぶ。


Vi kovras覆い隠せ!】


 アイリーンの影がたわみ――爆発した。


 影の触手が雌竜の頭部にまとわりつき、完全に覆い隠す。視界が暗闇で閉ざされた雌竜は、一瞬、何が起きたのか理解できずに動きを止めた。


 だがそれも、長くは続かない。


 手持ちの触媒全てと、少なくない魔力を捧げたにもかかわらず、さんさんと照りつける陽光に灼かれ影のヴェールはほどけるようにして消えていく。


「グルァ――?」


 しかし雌竜が視界を取り戻したとき――そこにアイリーンの姿はなかった。



 わかるはずもない。


  

 自らの頭部に――



 ぽつんと影が差していることなど。



「――上等」


 跳躍の頂点。


 サーベルをまっすぐ下に構えたアイリーンは、獰猛に笑う。


 ゴーダンの槍がぶち抜いた雌竜の額、『第三の目』――


「死ね!」


 舞い降りたアイリーンは、そこへ全体重をかけた一撃を叩き込む。


 ガツンと頭蓋骨に刃が食い込む感触――


(浅いッ!!)


 しかし、アイリーンは顔を歪める。狙い違わず、確かに傷口を抉ったが、それでも硬すぎる――貫通には至らない――


「グルルオオァァ――ッ!?」


 再び頭頂部を襲った激痛に、雌竜が思わず仰け反る。振り落とされそうになりながらも、ぐりぐりと刃をねじ込むアイリーン。無尽蔵の生命力を持つ"森大蜥蜴"も脳を破壊されれば流石に倒れる、ここで仕留めるのだ、と――



 が、限界は唐突に訪れた。



「あっ」


 バキン、という鈍い音。


 サーベルが根本から、へし折れた。


【DEMONDAL】から持ち込んだとはいえ量産品、しかも本来は『斬る』ための武器だ。全体重をかけた刺突だの、硬い骨を抉るだの、度重なる酷使に耐えられなかった――


 身を支えるすべを失い、空中へ投げ出されるアイリーン。咄嗟に手を伸ばし、何か固いものを掴んだ。ケイが雌竜の顔面に撃ち込んだ矢――それを支えにして、かろうじてぶら下がる。


 至近。


 "森大蜥蜴"の横顔。


 雌竜と目が合う。


 アイリーンの姿を認めた瞳孔が、ギュンッと収縮する。


 ―― オ マ エ カ ――


 そう言わんばかりに。牙を剥き出しにして。


 次の瞬間、稲妻のように首を巡らせ、半身を食い千切られる。


 そんな確信。


 考えるよりも先に身体が動いた。


 左手に握ったサーベルの鞘。


 それを鞘口から雌竜の目に突き入れた。


「ゴガッ――」


 鞘の中の猛毒が逆流し、眼球が内側から焼かれる。これまでと比にならない激痛、雌竜は悲鳴さえ上げられずに痙攣した。


「こいつァ効くぜ――」


 身体を支えていた矢から手を離し、アイリーンはひらりと宙に舞う。


 ここでケリをつける。


「――NINJA舐めんな!」


 目から突き出た鞘の尻に、回し蹴りを叩き込んだ。


 ぐりゅん、と鞘が柔らかい組織を突き抜けていく。怖気が走るような感触だった。鞘の本体が、完全に、雌竜の頭部に埋没して見えなくなった。


「――――!!」


 形容しがたい断末魔の叫びを上げ、めちゃくちゃに暴れ回る雌竜。この一撃はおそらく脳まで届いた。さらに毒まで流し込まれたとなれば。


 殺った、という確信があった。


 だが喜ぶ暇もなく、アイリーンの視界が青緑色で埋め尽くされる。


 ガツン、と衝撃があり、瞼の裏で星が散った。


「がっ――!?」


 暴れる雌竜の頭部がアイリーンを直撃したのだ。牙が当たらなかったのが不幸中の幸いだが、そのまま吹っ飛ばされてしまう。


「――なっ、に。が――」


 一瞬、気を失ったらしい。前後不覚。ひゅうひゅうと耳元で風が唸る。奇妙な浮遊感を覚えたアイリーンは、パッと目を見開いてから、愕然とした。


「嘘だろ」


 天地が、逆転していた。――違う。ほぼ真上に吹っ飛ばされて、驚くような高度にいた。『身体軽量化』の紋章を刻んでいるアイリーンはとにかく体重が軽い。だから巨体の頭突きを受けて、こんな高さまで――


 いや、今はそんなことはどうでもいい。


 どうやって着地する。このままじゃ頭から落ちる。


 受け身? 取れるか? 数秒の間に何とか――体勢を――



【 Siv ! 】



 落ちていくアイリーンを見上げながら、ケイは叫んだ。


【 Vi helpos ŝin ! 】


 皮のマントを外し、宙に放り投げる。風が渦を巻く。一同は、羽衣をまとった乙女の姿を幻視した。



 ―― Vi estas tiel rapida, huh ? ――



 あどけない、それでいて妖艶な囁きが聴こえたかと思うと、突風がケイのマントをさらっていく。ばたばたとはためいて飛んでいくマント――それは上空のアイリーンにまとわりつき、落下の軌道をわずかに逸らした。


「ぬわーっ!」


 森の方へと落ちていったアイリーンは、そのまま木立に突っ込み、バキバキと枝を折る音を響かせながら姿を消した。多少怪我はするかもしれないが、地面に叩きつけられるよりはマシなはずだ――


「ぐぅッ――」


 馬上で揺られながらケイはうめく。えげつないほど魔力を持っていかれたからだ。咄嗟の術の行使、触媒を取り出す暇も、きちんと呪文を唱える余裕もなかった。精霊シーヴに全て丸投げ、この程度で済んだのはむしろ手心があったと考えるべきか。


「グルルルオアアアァ――ッ!」


 それをよそに、満身創痍の雄竜が悲痛な叫びを上げて、痙攣する雌竜に駆け寄っていく。鼻先を雌竜の顔に押し当てて揺するも、反応はない。


 相方が事切れたことを悟った雄竜は、ぴたりと動きを止める。



 グロロロロ……と地響きのような唸り声。



 振り返る雄竜。残された片目が爛々と光っている。


「ゴガアアァァァ――ッ!!」


 咆哮し、土煙を巻き上げながら突進してくる。激情に駆られ、全身の傷から噴水のように血煙を噴き上げていた。


 これが最後の突進だ。ケイは悟った。


 残り少なくなった矢を放ちながら、サスケを走らせる。追跡してくる敵へ矢を浴びせかける引き撃ち戦法、弓騎兵の真骨頂。


(――速い!)


 が、徐々に距離が詰められる。足場が悪い。直線勝負でも不整地ではサスケより"森大蜥蜴"に軍配が上がるようだった。この勢い――下手に方向転換すれば、足が緩んだところを飛びかかりや薙ぎ払いで狩られてしまう。


 刺し違えてでも貴様は殺す、とそんな気迫が伝わってくる。


(今を凌げば、奴は力尽きるはず)


 とにかく時間を稼がねば、そう考えながら矢筒に手を伸ばすケイ。


 しかしその手が空を切った。


「クソッ、矢が……!」


 とうとう尽きた。


 腰の矢筒も、鞍に備え付けた矢筒も、いつの間にか空っぽになっていた。


 竜の鱗さえ貫く弓を持っていても、矢がなければ弓使いは無力――



「――うおおおお!!!」



 と、雄叫びが響いた。


 村の方を見れば、逃げたはずのゴーダンが槍を構えていた。投槍ではなく、普通の短槍のようだが、無理やり投槍器アトラトルにセットしている。どこかで新しく調達してきたのか。


「おおおおおおおおッ!」


 遠投。ビュゴォッと重い風切り音を響かせ、弧を描いた短槍が雄竜の足の付け根に突き刺さる。


 わずかに――ほんのわずかに、突進の勢いが鈍った。


 その隙に、ぐいと手綱を引く。


 サスケが急激に方向転換し、雄竜を振り切る。追随しきれず木立に突っ込んだ雄竜は、それでも木々を薙ぎ倒しながら無理やり追いかけてきた。


「喰らいやがれ――!」


 その横っ面にロドルフォが仕掛ける。無事な右目の周囲に、矢の雨が降り注ぐ。


「ゴガァッ!」


 ケイとサスケしか眼中になかった雄竜も、流石に鬱陶しかったのかロドルフォを睨んで吠えかかった。が、その瞬間、開いた口にロドルフォが連射していた矢が一本、ひょいと入り込んでしまう。


「ゴゲッ」


 そのまま喉に刺さったか、素っ頓狂な鳴き声を上げて目を白黒させる雄竜。思わずその足が止まる。


 ケイは、雄竜を中心に弧を描くようにサスケを駆けさせながら、歯噛みする。絶好のチャンスだが、矢がないことには――


「ケ――イ!」


 マンデルの声。


 見れば、雌竜の身体によじ登ったマンデルが、弓を構えている。


 つがえられているのは――血塗れの矢。


 青い矢羽。ケイが雌竜に撃ち込んだ長矢の一本だった。ケイの矢が尽きたことを察したマンデルは、まだ使える矢を探していたらしい。


「これを使え!!」


 曲射。マンデルの弓から放たれた長矢が、風に乗って飛ぶ。時間がやけにゆっくりと流れているように感じた。極限の集中状態。空中でわずかにしなる矢が、はためく矢羽が、その羽毛の一本一本までもが、はっきりと視えた。


 手を伸ばす。


 握り込む。


 ビゥンッ、と伝わる振動。


 ケイの手の中に、青い矢羽の、必殺の一矢があった。


 "竜鱗通し"を構える。矢をつがえる。



 ――引き絞る。



 駆けるサスケの揺れも、風の流れも、全てが計算され尽くしているように感じた。


 世界が止まっているようだった――マンデルの声援も、ゴーダンの雄叫びも、サスケの息遣いも、あらゆる音を置き去りにしてケイは静寂の中にいた。


 標的を睨む。頭を巡らせてこちらを見やる、満身創痍の"森大蜥蜴"を。


 視線が交錯する。『奴』が次にどう動くか――


 なぜか、手に取るようにわかった。



 放つ。



 カァンッ! と快音。



 周囲の音が押し寄せるようにして、世界があるべき速度に戻った。矢が突き進む。ただならぬ気配を察して、本能的に避けようと頭を動かす雄竜。


 その額に、吸い込まれるように、矢が着弾した。


 カツーンと硬質な音が響き渡る。数少ない弱点――『第三の目』。矢は砕けずに、深く深く突き刺さった。



「――――」



 雄竜が仰け反る。ほとんど後ろ脚で立ち上がるようにして。



 天を睨んだ右目の端から、涙のように赤い血が溢れ出した。



 巨体が傾く。



 地響きを上げて、倒れ伏す。



 そしてそのまま、二度と再び、動くことはなかった。



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