96. 死線


 ――無理だ。



 地響きを立てて迫る二頭の巨竜に、ゴーダンはすくみ上がった。



 常人が心折れるには、充分すぎる光景だった。



「グルロロロロォォ――――ォ!!」



 雷鳴のごとき咆哮に打ちのめされ、身体が強張って動かない。



 はるか格上の捕食者を前に本能が告げる。



 ――なりふり構わず逃げ出せ、と。



「う、ぁ……」



 息が詰まる。腰が引ける。後ずさる。



「【Aubine】!」



 だがそこで、凛とした声が響いた。



 思わず振り返る。



 ケイだ。



 馬上であかい複合弓を構え、ぎりぎりと弦を引き絞っている。"氷の矢"に込められた精霊の力が目覚め、青い光が溢れ出していた。


 ――解き放つ。


 カァン! と唐竹を割るような快音。かつて武闘大会で、ゴーダンを魅了したあの音が高らかに響き渡った。


 青き燐光を散らす、一条の流星と化した魔法の矢――それは吸い込まれるように"森大蜥蜴"の鼻先へと突き立った。


「グルロロロロォ――ッ!?」


 予期せぬ痛みにたじろぐ"森大蜥蜴"。矢を中心に、青緑の皮膚にパキパキと霜が降りていく。凍傷の激痛もさることながら、冷気がピット器官を麻痺させる。これで熱探知の能力も使い物にならない。


「【Aubine】!」


 すかさず二の矢をつがえるケイ。狙うはもう一頭の"森大蜥蜴"。最初の個体より小柄だ、おそらくこちらが雌か。


 快音再び。


 青き流星が空を穿つ。


 雌竜の前脚に氷の矢が突き立ち、凍傷で動きを鈍らせた。


「効くぞ! 魔法の矢は!」


 ケイが叫ぶ。


 たったの二射で巨大な怪物の突進を止めた、稀代の英雄が。


「臆するな! 確かに手間は増えたが――」


 少し強張った顔で、それでもニヤリと笑ってみせる。


「――その分、名誉も報酬も二倍だ! 狩るぞッ!!」


 つがえる魔法の矢。


「【 Aubine 】ッ!」


 まるで流星群のように、青く煌めく矢の雨が降り注ぐ。


「グルロロロロロロォ――ッ!!」


 顔が、脚が、穿たれ凍てつく痛みに、"森大蜥蜴"たちがじりじりと後退る。


「……行けるぞ!」

「うおおおおッ!」


 マンデルとロドルフォも"氷の矢"をつがえ、「【オービーヌ!】」と合言葉キーワードを叫び、次々に放った。


 青い光を灯した矢が"森大蜥蜴"の横腹に突き刺さり、凍りつかせていく。


 さらにキリアンもクロスボウを構え、毒の矢弾ボルトを打ち込んでいた。


(そうか……俺も……)


 ゴーダンは、気づく。


 己もまた、英雄譚の一員であることに。


(このまま……何もせずに……)



 ――終われるものか。



 背中に担いだ槍を引き抜く。


 震える手で投槍器アトラトルを構える。


「おお――」


 臆するな。


「おおおおッ!!」


 狙え、そして穿て。


「おおおおおおお――ッッ!」


 雄叫びを上げたゴーダンは、投槍器アトラトルを握る手に力を込める。


 踏み込む。


 全身をバネにして、持てる力を注ぎ込む。


 ぶぉん、と投槍器アトラトルが唸りを上げた。


 美しい放物線を描いた投槍は、無防備な"森大蜥蜴"の横腹に食らいつく。


 そしてキリアン特製の毒をたっぷりと塗り込んだ穂先は、青緑の皮膚に深々と突き刺さるのだった。




          †††




「グルロロロロロロォ――ッ!?」


 横腹に槍がぶっ刺さり、絶叫する"森大蜥蜴"。大柄な体格から、おそらくこちらが雄の個体だろう。


「いいぞ、ゴーダン!」


 横合いから痛撃をお見舞いしたゴーダンに、ケイは快哉を叫ぶ。


 "氷の矢"の大盤振る舞いで"森大蜥蜴"たちがたじろぎ、突進を止められたのは幸いだった。お陰で戦線が――そう呼べるかは、人数が少なすぎて疑問だが――かろうじて維持されている。ここでゴーダンたちに逃げられたら、勝ち目がさらに薄くなるところだった。


(――しかし、まずいな)


 その実、状況は芳しくなかった。


『矢継ぎ早』とはまさにこのこと。"森大蜥蜴"の目を狙って次々に矢を放ちながらも、ケイは冷めた思考で戦局を俯瞰している。


 まず、想定よりも多く"氷の矢"をしてしまった。ケイは正面から、"森大蜥蜴"の顔面や脚部に命中させたが、あれは本来、アイリーンが注意を引いている間に横合いから胴体に打ち込むべきものだった。


 そうすることでより効率的に体温を下げ、機動力を奪う狙いがあったのだ。


 翻って顔面は効果が薄い。"森大蜥蜴"の頭蓋骨は分厚く、皮膚の下にもウロコ状の『骨状組織の鎧』があるため非常に堅牢で、ほとんどダメージが通らないのだ。それこそ目や、額に一箇所だけ存在する光感細胞が密集した部分――通称『第三の目』――を狙わない限りは。


 そして今こそ、未知の痛みで"森大蜥蜴"たちも怯んでくれているが、まもなくそれは狂気的な怒りで塗り潰され、多少の痛みは歯牙にかけなくなるだろう。ゲーム時代から身にしみている"森大蜥蜴"の習性、一度ひとたび怒りに火が付けば、文字通り死ぬまで止まらない。


 そう、ケイたちは"森大蜥蜴"を『して』いるように見えるが、実際は、ただ"森大蜥蜴"が「こんな痛み知らない!」とビビっているだけなのだ。生命に関わるような打撃は与えられていない。それこそゴーダンが腹にぶっ刺した槍くらいのものか。


 あの大型トラックのような巨体が『暴走』すれば――いったい、何人が犠牲になることか。


 ちら、と果敢に攻撃を続けるゴーダンたちを見やる。


 マンデルとロドルフォは"氷の矢"を使い果たし、今は普通の矢で顔に集中砲火を浴びせている。キリアンはクロスボウでの狙撃。同じく目を狙っているようだ。だが、上下左右に動き回る頭部で、さらに小さな目を射抜くのは容易ではなく、よしんば目の付近に命中しても、強靭な皮膚と頭蓋骨で弾かれる矢がほとんどだった。


 ゴーダンはキリアンから毒壺の一つを借り受け、追加で穂先に塗布しているようだ。毒でてらてらと輝く槍を構え、慎重に投げるタイミングを見計らっている。矢と違って槍は残りの本数が少ない。


 皆、必死だ。


 犠牲は、抑えなければ。


 ――そのために最善を尽くす。


「アイリーン!」


 矢を放ちながら、ケイはその名を呼んだ。


「――小さい方の気を引いてくれ! デカいのは俺が引き受ける!」

「オーライ! 任せろ!」


 威勢よく答え、アイリーンが地を蹴った。


 右手にサーベルを。左手に鞘を。それぞれ握って風のように駆ける。


「オラッ、こっちだクソトカゲ!」


 そして、左手の鞘には大きなスカーフがくくりつけられていた。雌竜の前で派手に飛び跳ねながら、鞘を振り回すアイリーン。その姿はさながら闘牛士、ひらひらとたなびくスカーフが、否が応でも注意を引きつける。


「ほれほれ! どうしたどうした!」


 それだけでは飽き足らず、無謀にも眼前で立ち止まりさらに挑発するアイリーン。右手のサーベルを日差しにかざし、太陽光を反射させる。


 目の辺りにチカチカと、眩い光――


 グロロロ……と喉を鳴らした雌竜が突如、グワッと大口を開けて喰らいついた。


「なっ……」


 思わず、マンデルたちの攻撃の手も止まる。これまでのゆったりとした動きからは想像もつかないほど、俊敏な、目にも留まらぬ一撃。


「よっ、と」


 しかし、アイリーンはそれを上回る機敏さで回避。どころか、ビシュッ、と右手のサーベルを閃かせ、チロチロと空気の匂いを嗅ぐ舌先を斬り飛ばした。


 どちゃっ、と地に落ちたピンク色の舌が、蛇のようにのたうち回る。


「グルロロォォォ――ッ!!」


 鋭い痛みに仰け反る雌竜。その目に、明らかに、狂気の光が宿った。頭から尻尾の先にまで、力がみなぎる。巨体が何倍にも膨れ上がるかのような錯覚。


「――ロロロロガアアァァァァァッッ!!」


 咆哮。絶叫。空気がびりびりと震える。


 そして猛進。土を蹴散らしながら、狂える竜がアイリーンに肉薄する。


「――ッ!」


 ここに来て余裕はなく、アイリーンが全力で走り出す。追いつかれれば轢殺必至、命がけの鬼ごっこが始まった。


「グロロ……」


 暴走し始めた雌竜につられ、雄竜もまた頭を巡らせる。


 が、その右目の真下に、ズビシッと矢が突き立った。


「おおっと、お前の相手は俺だ!」


 ケイは手綱を引く。サスケが後ろ足で立ち、いななきを上げた。


「お互いカップル同士、仲良くやろうじゃないか! なあ!」


 デカいとはいえ所詮トカゲの脳みそ、ケイの言葉など理解できないだろう。


 ただし――それが挑発であることだけは、伝わったに違いない。


「グルロロロロ……」


 ケイを、そしてサスケを睨み、口の端から涎を垂れ流して、雄竜が唸る。すかさず目を狙ってケイが矢を放つも、即座に首を傾けた雄竜は側頭部で


 ああ――こいつも確かに【深部アビス】の怪物だ、と。


 思わず舌打ちするケイ。ただでさえ上下左右に動いて狙いづらいのに、回避までされては――


「――ロロログァアアアァァァァッッ!」


 そしてこちらもとうとう、怒りに火がついた。全身の筋肉を隆起させた雄竜が、狂ったように吼えたけりながら、猛烈な勢いで突進してくる。


「サスケ!」


 ケイの叫びに応え、サスケが駆け始めた。振り向きざまに矢を放つ。ほとんど牽制にしかならないが、今は注意を引きつけることが重要だ。


 雄竜のはるか後方では、アイリーンが円を描くようにして立ち回りながら、雌竜の攻撃を躱し続けているのが見える。噛みつきだけでなく、尻尾の薙ぎ払いや爪の一撃まで、当たれば即死の攻撃を紙一重で避けている。


 ケイは、ぎゅっと胸の奥が締め付けられるような感覚を覚えた。


 だが――今――この状況で――こんな感情をどうしろというのだ。


 せめて援護を。ケイは、残数が心許なくなってきた"氷の矢"を、ためらいなく引き抜く。


 揺れる馬上、それでも風を読み、慎重に狙いをつけ、


「【Aubine】!」


 一条の青き閃光が、雄竜を飛び越えて空を切り裂いた。アイリーンを追う雌竜の横腹、前脚の付け根部分に見事着弾する。


 アイリーンがちらりとこちらを見た。「ナイス」とその口が動く。痛みからではなく、筋肉の収縮が阻害され、動きの鈍った雌竜を前に小休止。アイリーンはぜえぜえと肩で息をしていた。化け物を相手に鬼ごっこ。彼女の体力も無限ではない。



 ――一刻も早く、こちらを仕留める。



「そらそら、どうしたァ!」


 続けざまに雄竜の顔面に矢の雨を見舞う。ぶおんぶおんと頭を振る雄竜、頭蓋骨と皮膚に阻まれ弾かれる矢。


 雄竜に追いすがるようにして、マンデルたちが後方から矢を射掛けているが、効果抜群とは言えなさそうだ。ただでさえ強靭な皮膚を持つのに、遠ざかっているようでは相対的に矢の威力も減衰してしまう。


 どうするか。一瞬、考えを巡らせたケイは、


「――マンデル!」


 緩やかに、弧を描くようにサスケを走らせながら、"竜鱗通し"を構える。


「【お前にこれを譲る】! 受け取れ!」


 軽く弦を引き、カヒュカヒュッと続けざまに矢を放った。


 突然、射掛けられたマンデルがギョッとして立ち止まる。その足元にトストスッと突き立つ矢。ハッとして引き抜けば、鏃部分に青い宝石が輝く。


 "氷の矢"だ。


「【確かに受け取った! ……これはおれの矢だ!】」


 マンデルは即座に意図を汲んだ。宣言するなり、"氷の矢"をつがえる。


「【オービーヌ】!」


 ケイを追って側面を見せる"森大蜥蜴"へ、二連射。精確な射撃で見事、"氷の矢"を命中させる。その隣で、自分には何もなかったことにロドルフォが一瞬悔しげな表情を見せたが、気を取り直して援護射撃を続けた。


「グロロロロォォ――ッッ!」


 胴体を二箇所、さらに凍てつかされ雄竜が咆哮する。本来ならば冷気で動きが鈍るところ、むしろ怒りを燃やしてさらに突進の勢いを増す雄竜。


 だが、今はそれでもいい。


 激しく揺れる馬上で、ケイは獰猛に笑う。


 今やオリンピックの馬術競技のように、サスケは複雑な動きで蛇行している。



 ――周囲が『旗』だらけだからだ。



 狙い通り、このエリアに誘い込むことができた。


 果たして、怒り狂う"森大蜥蜴"は、不自然な木の枝や旗に一切頓着することなく、そのまま最高速で突っ込んでくる。


「――グロロガァッ!?」


 太い前脚で落とし穴を踏み抜き、素っ頓狂な声を上げる雄竜。


 四脚ゆえに転びはしないが、顔からつんのめるようにして地面に腹を擦り、盛大に土砂を撒き散らして速度を失う。


「――今だ! サスケ!」


 サスケの腹を蹴り、全力で駆けさせる。慌てる雄竜が体勢を立て直す前に、側面へ回り込む。矢筒から引き抜いたのは、かつて"大熊"を一撃で絶命させた必殺の一矢、青い矢羽の『長矢』――


 ケイの肩の筋肉が盛り上がる。"竜鱗通し"の弦を、耳元まで引き絞る。


 一点、"森大蜥蜴"の胸元を睨んだ。肺と心臓と大動脈、重要な器官が全て一直線に並ぶ、その箇所を――



「――喰らえ」



 カァンッ! と一際大きく響き渡る快音。



 銀色の閃光が、雄竜の胸に突き刺さる。深く、深く――



 が、突然、バキャッという音とともに矢が砕け散った。雄竜の胸部の肉がようにも見える。


「――肋骨か!」


 分厚い皮膚と筋肉の下、肋骨にぶち当たったらしい。心臓は撃ち抜けなかったが、音からして骨はへし折れたはず。破片が肺に刺されば、いかに"森大蜥蜴"といえどもただでは済まされない。


「……援護を!」


 さらに、マンデルたちも追撃する。ロドルフォが連射し、キリアンが狙撃し、ゴーダンが毒を塗りたくった投槍を見舞う。


「【 Siv 】!」


 ケイも自前の魔法の矢を取り出した。エメラルドがはめ込まれた"爆裂矢"――爆発の威力はそれなりで名前負けもいいとこだが、体内に食い込んだ鏃が破裂すれば相応の出血を強いられる。


 それを、連続して打ち込む。


 風をまとった矢が胴体に潜り込み、バンッバァンッ! と炸裂する。大きく開いた傷口から血肉が飛び散り、雄竜が絶叫した。


「いいぞ! 畳みかけろ!」


 続いて、サスケの鞍にくくりつけた大型の矢筒から、筒状に穴が空いた太矢を取り出す。木工職人のモンタンが趣味で開発した、対大型獣用の出血矢だ。


 コヒュンッ! と独特の音を立てて飛んだ出血矢が、青緑の肌を食い破って突き刺さる。矢尻の穴から、まるで蛇口のように、どぽっどぽっと鮮血が溢れ出した。"森大蜥蜴"の図体に比べればささやかな量、しかし確実に命を削り取る出血――


「うおおおおお――ッッ!」


 ゴーダンが再び槍を投じる。三本目だ。首付近に突き立ち、肉を溶かす毒が筋肉を痙攣させる。


「グルロロロアァァァ……ッ」


 流石に堪えたか、これまでより情けない声で鳴く雄竜。先ほどマンデルに打ち込まれた"氷の矢"もボディーブローのように効いてきたらしく、動きにキレがない。



 このまま仕留められる――



 ケイたちはさらに攻勢を強める。



 が。



「――――――ッッ!!」



 その瞬間、筆舌に尽くしがたい爆音が耳朶を打った。


 くらっ、と目眩に襲われて、少ししてから、その正体に気づく。



 咆哮だ。



 見れば、アイリーンが引きつけていたはずの雌竜が、凄まじい勢いでこちらに向かってきている。伴侶が危機に陥っていることに気づき、血相を変えて駆けつけようとしているのだ。


(アイリーンはどうした……!?)


 ケイもまた、愛する彼女の姿がないことに、心臓を冷たい手で掴まれたような感覚に襲われる。しかしよくよく見れば、雌竜を背後から必死で追いかけるアイリーンの姿があった。


 無事だ。アイリーンは無事だ。


 しかし安心している暇はない。一度、"森大蜥蜴"の注意が別のものに強く向いてしまえば、アイリーンはその敵意ヘイトを奪い返す手段を持たない。


「――逃げろッ!」


 ケイは叫んだ。このままではマンデルたちが背後から襲われる。雌竜の接近に気づいた彼らも、泡を食って距離を取ろうとしているが、間に合わない。自分が前に出て引きつけるしかない。だが雄竜はどうする。深手は負わせたが、まだ絶命するほどではない――


「グロロロ……ルロロロォァアアアアアッッ!」


 ケイたちの動揺を感じ取ったか。あるいは、相方の声に勇気づけられたか。


 雄竜もまた、戦意を取り戻す。満身創痍の身体に、再び怒りと狂気を宿す。


「グロガアァァァアアアアア――ッッ!」


 その巨体を振り回し、尻尾を薙ぎ払った。


 地表がめくれ上がり、土砂が撒き散らされる。


 土や砂だけならいいが、地中の石ころも凄まじい勢いで弾き飛ばされていた。マンデルたちの叫びがかすかに聞こえ、ケイの視界にもズッと黒い影が差す。



「まず――ッ」



 土に紛れて、木の切り株が飛んできていた。



 咄嗟に矢を放つ。ビシィッ、と命中した矢が衝撃のあまり砕け、切り株の軌道も僅かに逸れる。風の唸りを耳元に感じながら、間一髪のところで回避した。


「マンデル――ッ! 無事か――ッ!?」


 ぱらぱらと降り注ぐ土砂を振り払い、サスケを駆けさせながらケイは叫ぶ。


「なんとか……!」


 返事があった。土煙が晴れてみればごっそりと辺り一帯が掘り返されている。苦労して掘った落とし穴も、丸ごとえぐられるか土で埋め戻されるかのどちらかで、最早何の役にも立たない。



 ロロロロ……という唸り声が響いた。



 ぞわっ、と背筋に悪寒が走る。



「サスケ!」


 ぐいっ、と手綱を引く。サスケがまるでカモシカのように跳ねる。


 ガチンッ、という死神の鎌の音が背後から聞こえた。あるいは地獄の門が閉じる音か。生臭い息を感じるほどの至近、いつの間にか距離を詰めていた雄竜が噛みつこうとしていたのだ。



「ロロロ……ッッ!」



 真っ黒な目、視線と視線がぶつかり合う。



「馬鹿め」



 惜しかったな、という称賛と、よくぞここまで近づいたな、という歓喜が混じり合い、ケイはそんな言葉を吐いた。


Dodge this避けてみろ


 この距離。流石に外さない。


 目にも留まらぬ一撃は"森大蜥蜴"の専売特許ではない。素早く"竜鱗通し"を構えたケイは、快音、いとも容易く左目を射抜いた。


「グルガアアアアァァ――ッ!」


 激痛と視覚の喪失に、絶叫した雄竜が闇雲に暴れ回る。これだけ矢を射てようやく抜いたか、という疲労感。折角なら"氷の矢"をブチ込んでやればよかった、と今さらのように思ったが、時既に遅し。


「いい加減、くたばれ……ッッ!」


 首元や胴体に、長矢をブチ込む。ここまで連続して"竜鱗通し"を使ったのは馬賊と戦って以来だ、腕の筋肉が引きつったような感覚がある。早くケリをつけなければ、そろそろ雌竜もこちらに来るはず。


「――は?」


 そう思って、チラッと視線を向けたケイは、唖然とすることになった。



 伴侶の危機に怒り狂い、猛進する雌竜。



 その進行方向に、立ちはだかる者がいたからだ。



 右手に携える投槍器アトラトル――



「何をやっている、ゴーダン!?」



 臨戦態勢で投槍を構えているのは、ゴーダンだった。



「風の精霊よッ! ご照覧あれッ!」



 地響きを立てて迫る巨竜を前に、ゴーダンは叫ぶ。



「俺の槍は――!」



 投槍器アトラトルを握る手に力を込める。



「狙いを違わず――!」



 全身をバネにして、持てる力を全て注ぎ込む。



「突き刺さるんだぁ――ッッ!」」



 投じた。




 真正面から、唸りを上げて槍は飛ぶ。



 激しく首を振り、突き進む竜めがけて。



 それは芸術的なまでに美しい放物線を描き――




 "森大蜥蜴"の額。



『第三の目』と呼ばれる、最も脆い部分を貫いた。




「――――ルロロロロァァァァァァッッ!」


 ビクンッ、と体を震わせ雌竜が絶叫した。


 わずかにたたらを踏み、速度が減じる。


 そして突進の方向も少しだけ逸れた。


「ゴーダンッ!」


 だからケイが間に合った。


 自らがもたらした一撃に茫然自失していたゴーダンを、襲歩ギャロップの勢いもそのままに、馬上から蹴り飛ばす。


「グがっ」


 悲鳴にもならない声を上げ、吹っ飛ばされて地面を転がるゴーダン。その目と鼻の先を雌竜の巨体が過ぎ去っていく。まるで列車が通過したかのような風圧、あのまま突進を食らっていればゴーダンは挽き肉になっていただろう。


「すまん、許せ!」


 しかし騎馬の突撃の勢いで蹴り飛ばされれば、無傷では済まされない。衝撃と痛みでゴーダンは悶え苦しんでいる。ケイも、ゴーダンがせめてもう少し小柄なら、馬上に引き上げるなり引きずって走るなり、もっとやりようもあったのだが。


 流石に大柄すぎて、このような手段を取るしかなかった。


「立てるか!?」

「ど、どうにか……」

「村の方に逃げろ! もう槍は使い切っただろ!」


 まさしく奇跡的な一撃だったが、あれが最後の槍のはずだ。


「わ、わかった……」


 よろよろと立ち上がったゴーダンが、頼りない足取りで村の方へ逃げていく。


「ゴーダン! 見事な一撃だった! あとは俺に任せろ!!」


 その背中に声をかけると、チラッと振り返ったゴーダンは、この上なく誇らしげな顔をしていた。


 微笑み返してから、ケイは改めて、二頭の巨竜に向き直る。


 ちょうど、頭を振って額の槍を振り落とそうとする雌竜に、満身創痍の雄竜が寄り添うところだった。


 舌を伸ばし、額に突き刺さった槍をどうにか抜き取る雄竜。


 毒の痛みが酷いのか、雄竜に頭を擦り付けながらぶるぶると体を震わせる雌竜。


 二頭の、憎悪のこもった視線が、ケイに突き刺さった。


 ぶるるっ、とサスケが鼻を鳴らす。


 ケイも、背中にじっとりと嫌な汗が滲んでいた。


 それほどまでに、凄まじいプレッシャーを感じる。


 もはやケイとサスケ以外、眼中にないといった雰囲気だ。


「槍はゴーダンの仕業なんだがな……」


 そう呟くも、通じるはずもなく。


 横目で見れば、ゴーダンは無事に村の方へと逃げおおせたようだ。ゴーダンが目をつけられるよりかは、まだ自分に敵意ヘイトが向いている方がいい。ずっとマシだ。


「さて……ケリをつけようか」


 腰から長矢を引き抜く。


 つがえる。引き絞る。放つ。


 何千、何万回と繰り返した動作。


 カァンッ! という高らかな快音が均衡を打ち破り、再び、死力を尽くす闘いが始まった。



          †††




「みんな! 無事か!」


 汗だくになったアイリーンは、マンデルたちの元へ駆けつけた。


 尻尾の薙ぎ払いにやられ、全員、土まみれのひどい格好だ。


「無事だ、……おれは、どうにか」

「俺もだ! しかし、クソッ、ほとんど何もできていない!」


 言葉少なにマンデル、歯噛みするロドルフォ。


「アッシは、情けねえ話、ですが、ちと骨をやっちまいまして……」


 キリアンが胸を押さえながら、苦しげに呻く。どうやら薙ぎ払いで飛ばされた石塊か何かが直撃してしまったらしい。


「しかし……これ以上、おれたちは何をすればいいんだ」


 マンデルは無力感に苛まれているようだった。


 その視線の先では、サスケを駆るケイが二頭の竜に追いかけ回されている。ケイは"氷の矢"や長矢で脚部に集中砲火を浴びせ、"森大蜥蜴"たちの機動力を削り取りながら、挟み撃ちにされないよう巧みに立ち回っているようだ。


「雄の方は、たぶん時間の問題だ。そのうち力尽きると思う。問題は雌の方だな、額に槍がぶっ刺さったのはかなりだろうが、致命傷にはほど遠い」


 アイリーンは、ケイの危機にジリジリとした焦燥感を覚えながらも、冷静に言葉を紡ぐ。


「で、だ。オレに考えがある」


 すぐに援護に向かわず、こちらに戻ってきたのは、そのためだ。


「キリアンの旦那、例の毒はまだあるか?」

「へ? そりゃ、ありやすが……」


 痛みで顔をしかめながら、キリアンが腰のポーチから小さな壺を取り出す。厳重に布でくるんでいたお陰か、衝撃で割れずに済んだようだ。


「よし。ありったけくれ」


 これが目当てだった。率直に求める。


「あの雌トカゲをブッ殺す」


 アイリーンの目は、完全に据わっていた。




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