95. 伝説


「ホアキン! なんでこんなところに――って聞くまでもないか」


 伝説の目撃者とやらになるためだろう。


「ケイさん! 本当に間に合ってよかったです!」


 荷馬車から飛び降りて駆け寄ってきたホアキンは、聖地へ巡礼に訪れた信者のような、感動した面持ちで村を見つめた。


「素晴らしい……ここが伝説の舞台になるわけですね……! おお――」

「ホアキン、悪いが話はあとだ」


 そのまま一曲吟じかねないテンションのホアキンを、ケイは押し止める。


「今日ぐらいからぼちぼちヤバいんだ、"森大蜥蜴"が出てくるかもしれん。仕上げに色々と準備することがあるから、話は作業しながら聞かせてくれ」

「わ、わかりました」


 流石に邪魔する気はないらしく、ホアキンは素直に頷いた。




 荷馬車の護衛・オルランドと話し、商会からの物資を受け取る。


 健康な山羊が五頭、医薬品や食料、そしてショベルやツルハシといった道具類。


 人手はあっても道具が不足していた現状、少しでも土木作業を進めておきたいケイたちにとって、物資の到着は福音だった。


「エリドア! 道具の分配と落とし穴は任せるぞ!」

「わかった!」


 新品のショベルを片手に、緊張気味のエリドアが頷く。


「他の者は、作業でわからんところがあったら村長のエリドアに聞け!」

「了解ー!」


 村人や人足たちが各々の持ち場に散っていく。みな、日が昇って気温が上がると"森大蜥蜴"襲来の可能性が高まるとのことで、早めに作業を終わらせてしまおうと必死だった。


 襲来の可能性があるのにそれでも逃げ出さないのは、森のすぐ近くに哀れな山羊たちが繋がれていて、「あいつらが先に喰われるから大丈夫だ」という安心感があるからだろう。


「メェ~~~」


 雲行きが怪しいことを察しているのか、不安げに鳴く山羊たちを尻目に、ケイは落とし穴に目印の小さな旗を立てていた。


「おい、サスケ。よく見ておけ」


 サスケの手綱を引いて、旗を見せておく。「なにこれ?」とばかりにしげしげと覗き込むサスケ。


「これは落とし穴だ」

「ぶるるっ」

「……その、サスケは言葉がわかるんですか?」


 黙って作業を見守っていたホアキンだが、思わずといった様子で尋ねてくる。


「いや、流石に全部わからないと思うが、コイツは賢いからな」

「ぶるるっ!」

「サスケ、この木の枝の部分をちょっと踏んでみろ」


 くいくい、とケイは再び手綱を引き、地面の落とし穴のフタを指し示す。サスケが前脚を伸ばし、ズボッ! と勢いよく踏み込んで転びそうになった。


「ぶるふぉォ!」

「おっとと! ちょっとって言っただろ!」


 なんじゃこりゃぁと目を剥くサスケ、慌てて体を支えるケイ、「賢い……?」と疑惑の目を向けるホアキン。


「まあ、これでお前もわかっただろう。これが落とし穴だ。この旗と木の枝っぽいフタが目印だからな、踏まないよう気をつけろよ」


 ケイがそう言うと、キョロキョロと周囲を見回したサスケは、「え、これぜんぶ落とし穴なの……? こわ……近寄らんどこ……」とばかりに落ち着きなく足踏みし、ケイに寄り添ってきた。


「これでよし」


 戦闘中は"森大蜥蜴"に集中することになるので、ケイがいちいちサスケに指示を出す暇がない。サスケには自発的に落とし穴を避けてもらう必要があるのだ。今の一幕で落とし穴のヤバさは体感できただろうし、サスケも迂闊に踏み込まないはず。


「警戒に戻るかな」


 とりあえず作業らしい作業は終わった。ケイがやるべきことは、いつ"森大蜥蜴"が出てきてもいいように警戒するだけだ。


 穴掘りに従事する村人たちに囲まれながら、自分は何もしないのは少し居心地が悪いが、昨日と違って今日は無駄に体力を消耗するわけにはいかなかった。もっとも、周囲の人間は誰もそんなことを気にしていなかったが……


「急げー!」

「さっさと終わらせるぞー!」


 とっとと持ち場の作業を終わらせて退避することしか頭にないようだ。


「しかしケイさん、こんな落とし穴が"森大蜥蜴"に通用するものなんですか?」

「ああ、これはな――」


 休憩タイムに移ったと判断したのか、ホアキンが話しかけてくる。ケイは昨日したように、この罠の有効性を説明した。


「はは~~~なるほど、参考になりますねえ!」


 感心して頷いたホアキンは、目をぱちぱちと瞬かせながら、空を見上げて何やら呟いていた。ケイが話した内容を復唱して完璧に記憶しようとしているらしい。吟遊詩人は見聞きした物語を咀嚼し、アレンジして歌い上げる。当然、記憶力も良くなければ務まらないのだろう。


「ホアキンも物好きだな、今回は流石に危険だぞ」

「それでも見たかったんですよ、だって"森大蜥蜴"ですよ? しかも"大熊殺し"がその討伐に赴いた――これで血が騒がなかったら吟遊詩人失格ですよ」

「その割には、他に吟遊詩人の姿はないようだが?」


 わざわざ現場まで出向くのはホアキンくらいのものではないか。


「いや、僕はたまたま、コーンウェル商会で今回の一件を小耳に挟んだんですよ。幸運でした……ケイさんたちは既に旅立ったとのことで、同業者に教える暇もなくそのまま追いかけてきたわけです」


 ひょいと肩を竦めるホアキン。


 どうやらロクに準備も整えず、街道をひたすら北に走ってきたらしい。その道中でオルランド率いる商会の馬車に追いつき、頼み込んで同乗させてもらったそうだ。


「よく追いついたな……」


 この男、武芸の心得はないが、身一つで各地を渡り歩いているだけあってかなりの健脚だ。騎馬よりは遥かに低速とはいえ、先行した馬車に追いつくとはどれほどの速さで駆けたのか。


「まあでも、今頃はサティナの街でも話が広まってるでしょうし。吟遊詩人たちがこぞってヴァーク村を目指してきているかもしれませんよ?」


 ――ドドドドドと土煙を巻き上げながら、竪琴を手にした吟遊詩人たちが大挙して押し寄せる光景を想像し、思わずケイは笑ってしまった。


「彼らが間に合えばいいんだがな」

「おや。見世物になるのはあまりお好きじゃないかと思ってましたが」


 ケイの一言に、ホアキンが意外そうな顔をする。


「彼らが間に合うということは、まだしばらく"森大蜥蜴"が出てこないってことだからな。俺だって戦いたくてたまらないわけじゃないんだ」


 これだけ迎撃準備を整えておいてなんだが、何かの間違いで"森大蜥蜴"が【深部アビス】に引き返すなら、それはそれでアリだと思っているほどだ。


 まあ、おそらく今回の個体は、【深部】の境界線の変動により本来の縄張りを失って移動を余儀なくされたのだろうから、引き返す目算は低かったが……。


「なるほど、そういうものですか……"森大蜥蜴"を狩るためではなく、あくまで村を守るために義によって立ち上がった、と。そういうわけですね……」


 うんうんと頷くホアキン。着々とストーリーが練り上げられているようだ。


「噂によると、魔法の矢も用意されているとか」

「ああ。"流浪の魔術師"殿にお願いしたよ」

「流石の人脈ですね……! まさか"呪われし姫君"に加え、"流浪の魔術師"とまでお知り合いだったとは思いませんでしたが。こうしてみると最近この辺りで流行っている歌、全てケイさんたちが関わってますね?」

「言われてみれば、確かにそうだな……」


 サティナの正義の魔女。大熊殺し。流浪の魔術師と呪われし姫君の物語。


「まさに英雄の星の下に生まれた、と……そんなケイさんと巡り会えたのが、僕の人生の最高の幸運かもしれません……」


 ポロロン……と竪琴を鳴らしながら、ホアキンは感じ入っている。必死に穴を掘る村人たちが「なんでコイツこんなに暢気なんだ……」と別種族を見るような目を向けていた。ケイやアイリーンでさえある程度緊張しているというのに、肝が据わりすぎている……


「ところで今回、ケイさんとアイリーンさんの御二方で戦うつもりなのですか? 荷馬車の護衛の方たちは――」


 ホアキンは村の方をチラッと見やった。


「――あくまで"荷馬車の護衛"で、参加されないそうですけど」


 護衛のオルランドたちは、今も任務に忠実に、村の入り口の探索者キャンプで荷馬車を"護衛"している。"森大蜥蜴"が出現すれば、荷馬車を守るために速やかに退避するだろう。元からそういう契約なのでケイとしては特に言うこともない。


「いや、流石にアイリーンと俺だけじゃあな。何人か協力者もいるぞ」


 ケイは、各所で武器を手に警戒する四人を示した。


「あの羽飾りのついた帽子をかぶっているのが、マンデル。タアフ村から来た狩人だ。あっちのクロスボウ使いはキリアン。かなり腕利きで森歩きを生業にしているらしい。んで、あの大男がゴーダン。投槍の名手だ。そしてあの美丈夫はロドルフォ、流れの用心棒だ。四人とも、"森大蜥蜴"狩りで戦闘要員として雇った」

「タアフ村……マンデル……ひょっとすると"十人長"のマンデルですか? 確か武闘大会の射的部門でも活躍されてましたよね」

「詳しいな。そのマンデルだ」

「ほほう!! 皆さん、お話を伺っても?」

「本人がいいと言うなら、もちろん構わないぞ」

「それではちょっと聞いてきます!」


 マントを翻して、ホアキンがダッと駆け出した。とりあえず一番手近なゴーダンに話を聞きに行ったようだ。


「初めまして! あの、僕、吟遊詩人のホアキンっていうんですが――!」

「あ、ああ……」

「よろしければ、今回の大物狩りへの意気込みなど――!」

「そ、それは……その……」

「なぜ参加されようと思ったんですか!? 危険極まりない大物狩りに!」

「やはりケイの存在が大きい俺がケイを初めて知ったのは酒場で"大熊殺し"の噂を小耳に挟んだときだ最初は半信半疑だったがウルヴァーンで開催された武闘大会の射的部門を観戦していた俺は――」


 最初はしどろもどろだったが、突然早口で語り始めるゴーダン。ケイがいかに武勇に優れているか、賞賛の言葉が風に流れて聞こえてきて、ケイはひどくこっ恥ずかしい気持ちになった。


「なるほど……! ケイさんの義勇に感化されたと……!」


 ホアキンは逐一相槌を打ちながら耳を傾け、「英雄への憧れ、実にいい……!」などと呟きながらぱちぱち目を瞬いて空を見上げていた。


 ゴーダンから話を聞き終えたホアキンは、マンデルやキリアンにも積極的に話しかけていく。キリアンはどうやらホアキンが苦手だったらしく、それを察したホアキンが早めに話を切り上げていた。逆に、マンデルとはケイの話題で盛り上がったようだ。


 最後にロドルフォ。


「初めまして! ホアキンです―― ¿Eres del mar?」

「Sí! ¿Tú también?」


 ニカッ! と白い歯を輝かせて笑うロドルフォ。


 どうやら二人とも"海原の民エスパニャ"の末裔のようだ。


「Hola soy Rodolfo!」

「¡Oh, mucho mejor! Entonces, me gustaría saber por qué decidiste participar en esta cacería...」

「De hecho, me voy a casar con una mujer pronto ... por eso necesito un poco de dinero...」


 何やら話が弾んでいる。ケイもスペイン語は少しかじっているのだが、流石にネイティブの速さというべきか、何を言っているかはさっぱりだった。ただ、ホアキンがこの狩りに参加した理由諸々を尋ねていることだけは、なんとなくわかった。


(登場人物たちのバックストーリー掘り下げに余念がないな……)


 これまで色々と付き合いのあったホアキンだが、ケイは彼の本質を完全には理解できていなかったようだ。


 骨の髄まで吟遊詩人。まさか、ここまで徹底していたとは――






「――――ん」







 アイリーンがぴくりと森を見やった。






 ――――静かだ。






 いつの間にか。






 鳥たちのさえずりも、何も聞こえない。






 全てが息を潜めている。






 まるで、なにか巨大な脅威を。






 やり過ごそうとしているかのように――





「メェ~~~!」

「メ~~~~ェ!」

「メェ~~~~!」


 繋がれた山羊たちが狂ったように騒ぎ出した。首に巻かれたロープを引き千切る勢いで、必死に逃げ出そうとしている。つんざくような悲惨な鳴き声に、止まっていた時が再び動き出す。


「退避!」


 ケイが短く叫ぶと、固まっていた村人や人足たちが、一目散に逃げ出した。


「合言葉!」

「! 【オービーヌ】!」

「【オービーヌ】ッ!」


 マンデルとロドルフォが叫び返す。


「ホアキン、お前も戻れ!」


 ケイに命じられ、ホアキンが弾かれたように走り出す。チラチラと背後を振り返りながら。こんなときまで、"森大蜥蜴"の登場を見逃すまいとするかのように。




 だが、もはや吟遊詩人に居場所はない。




 舞台に立つ役者は――




 ケイたちだ。




 ズンッ、と森の奥で何かが動いた。


 木々が、茂みが、ざわめく。


 ――ぬるり、と。


 木々の隙間を縫うように、青緑の巨体が姿を現した。


「でけえ……」


 呆れたようなゴーダンの呟き。



 グルルル……と遠雷のような音が響く。



 それは地を這う竜の唸り声だった。



 チロチロ、と細長い舌を出し入れしながら、"森大蜥蜴"が睨めつける。



 いや、ただ餌の場所を確認しただけだ。



 とりあえず手近なにかじりつく。



「メェ~~~~!」


 最期まで悲惨に、だが呆気なく。


 パキッ、ポキッと捕食されていく。


 ケイはその隙に、サスケに飛び乗った。


 "竜鱗通し"を構える。"氷の矢"を引き抜く。


「来るぞッ! 予定通りありったけ矢をブチ込め!」


 そして弦を引き絞り――




 ズズンッ、と再び森が揺れた。




「――は?」




 誰かの、呆気に取られたような声。




 眼前の"森大蜥蜴"の背後に――揺らめく影。




 ぬるり、と。




 木々の隙間を縫うようにして、巨体が這い出してきた。




 隣り合った2頭の竜は、お互いの頭を擦り付けるようにして。




 ゴロゴロゴロ……と遠雷のような唸り声。




 ――愛情表現の一種。




 ケイの知識が、場違いなまでに冷静に、それが何かを告げてくる。




「つがい……?」




 冗談だろ……というアイリーンのつぶやきが、やけに大きく響いた。




 そして存分に、仲睦まじさを見せつけた2頭の竜は。




「グルルル……」




 だらだらと口の端から涎を垂れ流し。




「――ルルロロロロォァァァ――!!」




 ケイたちに狙いを定め、咆哮する。






 ――ここに、伝説の狩りが幕を開けた。






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