94. 助人


「あんたのファンなんだ……」


 ケイの人生において、そうそう言われたことない台詞だった。


「あ……ああ、……それはどうも」


 我に返ったケイは、手を差し出し、ギュッと握手した。


 なんか力いっぱいに握って握力を確かめてくる、などということもなく、ゴリラ男は「ははッ……」と照れたように笑って、ただ嬉しそうにしている。


「……旦那。こいつは『ゴーダン』っていう名前なんですが、見かけによらず純朴なヤツでして」


 妙な空気の中、キリアンがフォローを入れた。


「旦那の大ファンで、キャンプの古参なのに、昨日からモジモジするばかりで全く話しかけもできやせんで。見かねて連れて来たわけでさぁ」

「……そのためだけにか?」

「ああ、もちろん、槍投げの名手でもありやす。おいゴーダン、ボサッとしてねえで旦那に見せてやんな」

「お、おう」


 モジモジしていたゴーダンが、気を取り直して、背中の槍を一本抜き取る。さらに右手には、投槍器アトラトルと呼ばれる補助具を持っていた。


 投槍器アトラトルとは、槍の石突を引っ掛けるための窪みがある棒状の道具だ。腕の力を無駄なく推進力に変換して槍を打ち出すことにより、射程と威力を飛躍的に上昇させられる。


 槍の石突を窪みにセットし、ゴーダンが振りかぶった。


「ふッ!」


 ビュゴッ、と弓矢とは全く異なる重量感のある音とともに、槍が投射される。


 緩やかに放物線を描いた槍は、その実、恐るべき速さで風を切り、遠方の木の幹にドガッと突き立った。着弾点には樹皮が剥げた楕円形の模様があり、適当に投げたのではなく、狙って命中させたのは明らかだった。


「ほう! すごいな」


 大した威力、そして正確性だ。ケイの"大ファン"で、あれほど照れていたにも関わらず、即座に命中させてみせる度胸もポイントが高い。


「旦那、いかがでしょう」

「雇おう。彼が協力してくれるなら心強い」

「おっ、よかったじゃねえかゴーダン、即決してくだすったぞ」

「ははッ……そっか……」


 嬉しそうに笑ったゴーダンは、照れてそれ以上は言葉にならなかったのか、浮かれた足取りで木に刺さった槍を取りに行く。


「それで、次はこっちでやすが――」

「俺の番か!」


 続いて、キリアンがもうひとりの方を見ると、浅黒肌のイケメンが待ってましたとばかりに口を開く。


「俺の名前はロドルフォ! 流れの用心棒だ! 栄えある"大熊殺し"のケイ殿に出会えるとは恐悦至極! ってとこかな!?」


 芝居がかった仕草で一礼するロドルフォ。とても威勢がいい。ゴーダンの影響か、ロドルフォもナチュラルに握手を求めてきた。


「そしてあんたほどじゃないが、弓が得意だ!」


 言うが早いか、右手で矢筒から数本まとめて矢を抜いたロドルフォは、複合弓を構えて速射を披露する。


 シュカカッ、と耳に心地よい音を立てて、木の幹に矢が3本突き立った。


 なかなかの早業だ。しかし……


「……4本、放ってなかったか?」


 一矢、どこかへすっ飛んでいったようだが。


「うむ! これでもマシになった方なんだがな! 百発百中とはいかないから、数で補うことにした!」

「なるほど」


 数撃ちゃ当たる理論。連射の速さそのものはケイにも迫る技量だ。ロドルフォなりの修練の成果なのだろう、と理解した。


 ただ、連射用に調整した結果か、複合弓の"引き"が少し甘いのが気になる。弓の威力を十全に引き出せていない――


(――いかんな、同業者ゆみつかいとなると見る目が厳しくなりそうだ)


 ケイはそんな自分に気づいて苦笑した。


(……まあ、いくら狙いが甘いといっても、"森大蜥蜴"のバカでかい図体を外すことはないだろう。1、2本は魔法の矢を預けても大丈夫か?)


 うーむ、と考え込む。


 今のところ、"氷の矢"はマンデルに5本ほど預けてあり、残りの15本はケイが持っている。"森大蜥蜴"の巨体を効率的に冷却するには、できるだけ多方向から複数の矢を打ち込む必要があるのだが、肝心の射手がいなかった。


 その点、ロドルフォは悪くない。射手としては。度胸もありそうだし……


「……。ダメか?!」


 ケイの沈黙をどう受け取ったか、ロドルフォがこてんと首を傾げる。


「ああいや、すまない、少し考え込んでいた。……もしよければ、使っている弓を触らせてもらえないか」

「え? ああ、構わないが。見せるほどのものではないぞ!」


 ロドルフォがヒョイッと弓を渡してくる。他人に触らせることを全く気にしていないようだ。ケイは"竜鱗通し"を他人に扱わせる際、それなりに緊張するのだが。


(草原の民からの流用品、あくまで換えのきく道具ってことか)


 複合弓をグイッと引いて、張りの強さを確かめたケイは、「まあこんなもんか」と納得する。ロドルフォの引き具合から考えると、速射時の威力は本来の8割といったところか。


「威力が不安か?」


 ケイの懸念を、ロドルフォは汲み取ったようだ。


「――なら、ここを狙ったらどうだ!」


 とんとん、と指先で自分の目の下をつつき、ロドルフォは笑う。


 柔らかく、脆い眼球を狙うつもりらしい。


「……それは、おれも考えていた」


 と、いつの間にか近くに来ていたマンデルが話に加わってくる。


「ケイ。……実際のところ、目は弱点になりうるのか? 以前、"森大蜥蜴"は熱を探知する器官を持っていて、視覚に頼らず獲物の位置を特定できる、と言っていたが、目を潰しても意味はあるのだろうか」


 マンデルの質問に、ロドルフォが「え? なにそれ、そんなの知らない」とばかりにスンッと真顔になった。


「もちろん、意味はある。目をやられて平気な生き物はいないさ、痛みで怯むだろうしな。ただし命中すればの話だ」


 ケイは手で、十センチほどの円を作ってみせた。


「"森大蜥蜴"の目の玉はだいたいこれくらいの大きさだ。図体の割に目はそんなにデカくない。そして、ヤツはこうやって」


 ケイはシャドーボクシングをするように、ぐいんぐいんと首を振ってみせた。


「頭を振りながら移動するから、命中させるのも至難の業でな」

「……ケイでも難しいのか?」

「ああ。走ってる最中は、とてもじゃないが狙って当てられん。人間と違って次にどう動くか読めないんだ。だから少しでも動きを鈍らせられるように、落とし穴を準備しているわけさ」

「なるほど、そういうことか」


 マンデルはふんふんと頷いて、表情を曇らせた。


「このサイズか。……おれの腕では、止まっていても必中とはいかないな」


 自分も、手で十センチ大の円を作ってみながら、思案顔のマンデル。


「なぁに、数撃ちゃ当たる!!」


 ロドルフォはなぜか胸を張っているが、それは自分に言い聞かせているようでもあった。


「それで、ケイ殿! 俺は使い物になるかな!?」

「ああ、雇おう」


 なんだかんだで、この威勢の良さは気に入った。ケイ基準だと見劣りがするだけで、弓の腕前も及第点だ。"森大蜥蜴"を相手に目を狙ってやろうという気概も悪くない。


「ありがたい! 全力を尽くさせてもらおう!」


 白い歯をキラッとさせて笑いながら、再び大仰に一礼するロドルフォ。


「……まあ目潰しに関しては、当たったら儲けもの、くらいに思うといいさ。それに眼球から脳までの距離が遠くて、横合いから深く突き刺さらない限り、致命傷にはならないんだ」


 もちろんケイとしても積極的に狙うつもりだが、以前の"大熊"のように即死させるのは難しいだろう。魔法の矢が目にぶっ刺されば話は別かもしれないが――


「旦那、それに関してはアッシに考えがあるんでさ」


 と、ここでキリアンが腰のポーチから黒い小さな壺を取り出す。クッションに包まれ、厳重に封がしてあるが……何やら物騒な気配だ。


「……それは?」

「アッシ特製の毒でさぁ。猛毒のキノコ、毒ガエルと毒虫の汁、それに薬草と香辛料を混ぜてありやす」


 思った以上に物騒な代物だった。キリアンの森の知識の結晶。


「肉を溶かす毒なんで、危なっかしくて普通の狩りには使えやせんが。"森大蜥蜴"が相手なら、と思いやして。流石に、これっぽっちの毒じゃデカブツは殺しきれんでしょうが、動きはかなり鈍くなると思いやすぜ」

「毒か……」


 魔法の矢は用意していたが、その発想は抜け落ちていた。


「……旦那、毒はお嫌いで?」


 渋い顔をするケイに、キリアンが顔を曇らせる。こういった『道具』は人によって主義主張信条があり、トラブルの種になりかねないのだ。


「いや、あまりいい思い出がないだけだ。使えるものは使うべきだと思う」


 ひょいと肩を竦めるケイ。


「アッシは矢弾ボルトにこれを塗り込むつもりでやすが、こっちのぼんにも使わせてやろうかと」

「おいおい、ぼんはよしてくれよ!」


 ロドルフォが苦笑している。だが、彼の速射と毒矢はなかなか相性がいいかもしれない。


「旦那は、お使いになりやすか?」

「いや、俺はやめておこう。毒はそっちで使ってくれ」

「毒なんざ使わなくとも、旦那の強弓は威力充分でやすからね」


 ケイの"竜鱗通し"を見やり、眩しげに目を細めるキリアン。


「そういえば、その強弓! "大熊"さえ一矢で射殺したと名高いが、ぜひその威力を見せてはもらえないか!?」


 ロドルフォが鼻息も荒く頼み込んでくる。


「…………」


 その背後では、槍を回収して戻ってきたゴーダンが、目を輝かせていた。


「あー……すまないな、本気で使うと矢がダメになってしまうんだ。今は一本でも温存しておきたい」


 期待に応えられず申し訳なく思いつつも、ケイは断る。"竜鱗通し"は全力で矢を放てば細木を折るほどの威力だが、代償として矢も砕けてしまう。"森大蜥蜴"を射殺すには、矢が何本あっても足りないほどだ。デモンストレーションのために無駄にするわけにはいかない。


「そうか。それは確かに、そうだな!」

「…………」


 納得するロドルフォ、しゅんとするゴーダン。


「代わりと言っちゃなんだが、引いてみるか?」

「おっ!! いいのか!?」

「……!!」


 喜ぶロドルフォ、元気を取り戻すゴーダン。


 ケイは苦笑しながら、"竜鱗通し"を貸してやった。まあ、この二人なら変な扱いはしないだろう。


「思ったより軽いな! ……って、なんて張りだコレは!?」

「……指が千切れそうだ」

「やはり、みな同じような反応をするもんだな。……かくいうおれもそうだった」


 やんややんやと騒ぐ二人に、マンデルが腕組みしたままうんうんと頷いていた。


 ちなみに、キリアンも興味がありそうな顔をしていたが、年甲斐もなくはしゃぐのが恥ずかしかったのか、触らなかった。


「ところでロドルフォ。渡しておきたいものがある」


 "竜鱗通し"体験会が落ち着いたところで、ケイは話を切り出す。


「おお、なんだ?」

「魔法の矢だ」

「!? そんなものがあるのか!」

「ああ。友人の魔術師に作ってもらった。氷の精霊の力で、刺さった部分を凍りつかせるんだ」


 "森大蜥蜴"が寒さに弱く、体温を下げれば劇的に動きが鈍くなる、という旨の説明をしたケイは、腰の矢筒から"氷の矢"を抜き取ってみせた。鏃の留め具にブルートパーズがはめ込まれている、特殊な矢だ。


「これが……!」

「魔法の矢……!」

「初めてお目にかかりやした」


 興味津々なロドルフォ、ゴーダン、キリアンの三人組。


「ロドルフォ、お前にはコイツを持っていてもらいたい」

「いいのか!? 俺が!?」

「ああ。だがその前に使い方を教えよう」


 ケイは"氷の矢"を矢筒に戻し、代わりに普通の矢を抜いた。


「これは普通の矢だが、とりあえず魔法の矢だと思ってくれ。魔法の矢は、放つ前に合言葉キーワードを唱える必要がある」


 ぐっ、と矢をつがえて引いてみせる。


「この状態だ。放つ直前に、【オービーヌ】と唱えろ。そうすることによって、矢に封じられた精霊の力が目覚める。そして矢が刺されば、氷の魔力が解き放たれるんだ」

「なるほど」

「ただし、一度精霊の力を目覚めさせると、もう矢筒には戻せない。絶対に命中させる必要がある。そして合言葉を唱えずに放つと、普通の矢と変わらない。絶対に合言葉を唱えるのを忘れるな。いいか。絶対にだ」

「な、なるほど……」


 ロドルフォはケイの気迫に圧されて引き気味だ。


「とりあえず、2本渡しておく。【ロドルフォ、お前にこの2本を譲る】」

「あ、ああ……わかった」

「その2本が自分のものであることを宣言してくれ」

「え? ……【この魔法の矢は、俺のものだ】」

「よし。それで所有権がお前に移った。お前がその矢をつがえて、合言葉を唱えると魔法の矢として機能する」

「ほほー……!」


 しげしげと鏃に埋め込まれた青い宝石を眺めていたロドルフォだったが、やがて大事そうに腰の矢筒にしまった。


「合言葉は覚えてるな?」

「【オービーヌ】だな?」

「そうだ。これから俺が、『合言葉!』と叫んだら即座に【オービーヌ】と言い返せよ。いざというときに忘れてちゃ話にならんからな」


 覚えているような気がしていても、"森大蜥蜴"を前にして緊張したら合言葉が出てこないかもしれない。来襲までどれほど時間があるかは謎だが、できる限り訓練しておこうというわけだ。


 ちなみに、マンデルにも同じことをやっている。


「はっはっは、任せてくれ。女の名前を覚えるのは得意なんだ!」

「ちなみに、【オービーヌ】は氷の精霊の名前だ」

「そ、それは畏れ多いな……!」


 ロドルフォはぎょっとして仰け反った。


「旦那。その魔法の矢、アッシには使えないもんですかい?」

「キリアンの得物はクロスボウだからな……」


 クロスボウは太く短い矢弾ボルトを射出する。弓で放つ矢とは形が全く違うのだ。無理やりセットすれば発射はできるだろうが、まっすぐ飛ばないだろう。キリアンもプロなので「ああ、確かに」とすぐに理解し、諦める。


「……ケイ、……その……」


 と、ここでゴーダンがもじもじと。


「……魔法の槍とかは、ないか……」


 羨ましかったらしい。


「……。すまない、流石に持ってないな……」

「そうか…………」

「……ま、まあ、なんだゴーダン。お前さんにもアッシの毒を分けてやるよ、魔法の槍たぁいかないが、毒の槍にしようぜ」

「お、おう……」


 キリアンが慰めなのか何なのかよくわからない言葉をかけたが、ゴーダンは依然として残念そうな顔をしていた。


 なんとなく不憫に思ったケイは、


「……お前の槍に、風の精霊への祈りを込めておこう。狙いを違わず突き刺さるように」

「…………!」


 ゴーダンがパッと明るい表情になった。




          †††




 ケイが祈りを捧げると、シーヴが気を利かせて(ケイの魔力を消費し)風を吹かせてくれたので、ゴーダンは大喜びだった。


 めちゃくちゃはしゃいでいた。


 また、アイリーンとマンデル以外の面々も、『風の精霊が顕現した』ことに驚きつつも、好意的に受け止めていた。ケイは自らが魔術師であることを特に喧伝していなかったからだ。


 もっとも、皆の士気が上がるのは良いことなので、ケイも無粋な解説などはせず口をつぐんでおいたが。


 それから森を警戒しつつ土木作業を進め、多数の落とし穴を掘った。子供がすっぽりと埋まる程度の深さの穴に、木の枝で軽くフタをしただけの稚拙極まる罠だが、"森大蜥蜴"の頭脳ではおそらく見破れまい。賢い"大熊"だったら引っかからなかっただろう。


 日が暮れてからは、村で英気を養う。アイリーンが"警報アラーム"の魔術で万が一の備えをしたが、"森大蜥蜴"は昼行性なので夜には襲撃がないはず、ということでゆっくりと体を休める。


 そして翌朝――


 ケイは借り受けた民家の寝室で、ガヤガヤと騒がしい外の気配に目を覚ます。


「まさか、出たのか……!?」

「朝飯食う暇もねえなケイ!」


 アイリーンともども、最低限の装備を身に着けて家を飛び出す。



 しかし外に出てみれば、"森大蜥蜴"の来襲ではないようだった。


 

 見れば村の入口のキャンプに、一台の荷馬車が停まっている。



「あれはコーンウェル商会の……!」


 御者台には、数日前に知り合った護衛・オルランドの姿があった。


「想像以上に早い到着だな!」


 ピウッと口笛を吹くアイリーン。


「囮の山羊も積んでるはずだ。これは助かる――」


 ケイも満足げに頷いたが、


「ケイさーん!!!」


 荷台に見覚えのある顔があって、目が点になった。



「やった!! どうやら間に合ったようですね!! 世紀の大物狩りに!!」



 竪琴を片手に大感動している吟遊詩人。



「――これで僕も伝説の目撃者になれるッッ!」



 なぜかコーンウェル商会の馬車に、ホアキンが同乗してきていた。




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