93. 準備


 ――最初は誰も、そいつのことなんて気にも留めなかった。


 森からフラフラと一人で彷徨い出てきた探索者。見るからにみすぼらしい格好で、ろくな装備もない。


 大方、一攫千金を夢見てやってきた食い詰め者が、ロクな成果も上げられずに帰ってきただけ――


 誰もがそう思った。


 そいつが、探索者たちのキャンプにたどり着くなり、わんわんと子供のように泣き出すまでは。


「お、おい、どうしたんだよ」


 見かねた他の探索者が声をかける。


 近寄ってみれば、酷い匂いだった。その探索者の下半身は汚物まみれだった。よほど恐ろしい目にあったのか、失禁してもそれを気にする余裕もなく、必死で逃げてきたらしい。


「……死んじまった。死んじまったんだよぅ」


 この世の終わりを見てきたような顔で、そいつは言った。


「でけえトカゲに、みんな喰われちまった」




          †††




「――で、こうなったと」


 翌日、すっかり人気のなくなったキャンプを眺めて、ケイは呟いた。


 "森大蜥蜴グリーンサラマンデル"が近場に出た、という噂はあっという間に広まった。まず、怖気づいた探索者が去り、そこそこ稼いでいて未練のない者がそれに続き、彼らの商品を買い取っていた商人たちも引き上げた。


 残ったのは、それでも『森の恵み』を諦めきれない強欲者か、危機感に乏しい命知らずか、それ以外の理由で残った奇人・変人か。


 さて、自分はどれだろう、などとケイは思う。


「むしろまだ何人か残ってることに驚きだぜ」


 サーベルの鞘でトントンと肩を叩きながら、アイリーンが言った。


「――へへっ。アッシのような物好きもおりやすからね」


 天幕の陰から声。傷だらけの禿頭をぺたりと撫でながら、キリアンがひょっこりと顔を出した。


「あんた、残ってたのか」


 意外だった。


 キリアンは、慎重に慎重を重ねた結果、"森大蜥蜴"の狩場キルゾーンに踏み込むことなく生き延びた、腕利きの探索者だ。リスク管理に優れているからこそ、真っ先に姿を消しているだろう、とケイは思っていたのだが。


「歩く災害とも謳われる"森大蜥蜴"――その姿、一度は拝んでみたいと思っておりやして。アッシも、森歩きなぞを生業としている者でやすからねえ」


 昨日、"森大蜥蜴"の生態を事細かに解説され、自分も危ういところだったと知らされたときは青い顔をしていたのに、剛毅なことだ。


「それに……旦那は、"森大蜥蜴あれ"を狩るつもりなのでしょう? アッシもお供させていただきたく」

「……ただの酔狂かもしれんぞ?」

「そりゃあ、他の連中なら鼻で笑うところですがね。旦那は話が別でさぁ」


 キリアンはニヤリと笑う。"大熊殺し"ならではの説得力といったところか。


「それは光栄だな。実際、人手は欲しいと思ってたんだ」


 流石にケイも、アイリーンとマンデルだけを仲間に"森大蜥蜴"を狩り切れるとは思っていない。基本的には森から出てくる"森大蜥蜴"を迎撃する形を取るつもりだが、簡単な落とし穴――"森大蜥蜴"が蹴躓く程度の深さでいい――などを準備するために、人手を集めなければならなかった。


 村の男たちには、もちろん手伝ってもらう予定だ。しかし、探索者――特にキリアンのような腕も度胸もある人材は、いくらでも欲しい。


「声をかけたら、もう少し集まると思うか?」

「報酬次第かと思いやすね」


 身も蓋もない答えに、「そりゃそうだ」とケイは苦笑する。


「キリアンだったら何が欲しい?」

「アッシはもちろん、金子きんすをいただけるならそれに越したことはありやせんが。手持ちが少ないならば、討伐成功の暁に獲物の素材を分け前に――という手もアリだと思いやす」

「なるほど」


 確かに、こういった大物狩りでは成功報酬が一般的かもしれない。大物狩りそのものが一般的かどうかはさておき。


 ただしケイの場合は、そこそこ懐に余裕がある。


「仕留めた"森大蜥蜴"は、コーンウェル商会に売り払う手はずになってるんだ。俺の一存じゃ素材の扱いは決められない」

「ほほう」

「だが幸い、金はある。できればキリアンのような、クソ度胸のヤツを雇いたいんだが……心当たりはないか?」

「わかりやした。何人か、声をかけてみやしょう」


 頷いたキリアンは、そう言ってまた天幕の陰に姿を消した。




「よし、落とし穴でも掘るか」


 人材探しはキリアンに任せ、ケイは村の外で作業に取り掛かった。


 念のため"竜鱗通し"と"氷の矢"を携え、手近にサスケも控えさせているが、ケイは少なくとも明日の朝まで"森大蜥蜴"は動かない、と見ている。


 昨日犠牲になった探索者は最低でも四名。"森大蜥蜴"も腹が膨れて、そこそこ満足しているはずだ。ここしばらく、狩場では獲物に不自由していなかったので、今日も巣穴周辺で待ち構えていることだろう。


 そして"森大蜥蜴"は昼行性なので、日が暮れて気温が下がってしまえば、明日の昼前までは動けない――


(――と、説明したんだがな……)


 自らもシャベルを振るいながら、ケイは辺りを見回して肩を竦めた。


 周囲には、村長のエリドアをはじめとした村の男たちの姿もある。みな、農具を手に作業に従事しているが、いつ森から怪物が飛び出してくるか気が気でないようだ。背水の陣を敷く軍隊の兵士でも、もうちょっとマシな顔をしているだろう。


(まあ、気持ちはわかるが)


 かく言うケイも、絶対に100%安全だと思っているわけではない。アイリーンにはすぐそばで森を見張ってもらっているし、短弓を手に控えているマンデルにも"氷の矢"を数本渡してある。


 当のケイたちが気を緩めていないのだから、村人たちが気楽に構えていられるはずがないのだ。


「ケイ、ちょっといいか」


 と、鋤を担いだエリドアが、眉をハの字にした困り顔で話しかけてくる。


「どうした?」

「そこそこ掘ったところに、デカい石が出てきた。どうしたものか」


 エリドアに連れて行かれると、確かに、どデカい石――というより岩――が地面に埋まっていた。


「……うーむ、これを動かすのは確かに骨だな。ツルハシかデカいハンマーがあれば砕けそうだが」

「ツルハシはないな。ハンマーも木槌しか……」

「そうか、なら仕方ない……そのまま動かすか」


 できれば道具を使って楽をしたかったのだが。


 ケイは一抱えもあるような巨石を、「どっせい!」と無理やり持ち上げて、豪快に放り捨てた。


「よし、これでいいだろう」

「……相変わらずの怪力だな」


 ぱんぱん、と手の土埃を払うケイに、エリドアが呆れている。周囲の村人たちも、「何を食ったらあんな筋肉つくんだ」「にしてもこの石デカすぎだろ」「デカすぎて税金取られそうだな」などと話している。


「しかし、エリドアたちも頑張ったんだな……」


 切り株だらけの景色を見回しながら、ケイは感慨深げに言う。


 以前来たときよりも、ヴァーク村の周囲はずっと拓けていた。"大熊グランドゥルス"襲撃時は、村から目と鼻の先の距離にあった森が、今は50メートルほども離れている。【深部アビス】の領域変動、その影響を少しでも抑えるために、森そのものを削る――村人たちの涙ぐましい努力の賜物だった。


「お陰で、戦いやすい」


 サスケが駆け回るスペースがあるし、射線も通る。足場の悪さが玉に瑕だが、森の中と違って"弓騎兵"として立ち回れる。もしも村が以前のように森と近いままだったら、村への被害を度外視して、街道の辺りまで"森大蜥蜴"をおびき出す必要があったかもしれない。


「しかし……ケイ、こんな落とし穴が、本当に"森大蜥蜴"に効くのか?」


 穴を掘り進めながら、エリドアが問う。


「"森大蜥蜴"は10メートル近い化け物なんだろう? こんな、子供でも這い出せるような穴、それこそ子供だましにしか思えないんだが……」

「いや、意外と有効なんだコレが」


 土を掻き出しながらケイは答える。


「"森大蜥蜴"、図体の割に脚が短くてな。力が強いお陰で、それでも素早く動き回れるんだが、だからこそ、猛スピードで走ってきて脚が引っかかると――」


 かなりバランスを崩す。腹を地面に擦ってしまい、突進の勢いは大幅に減じる。


「で、そこを狙うというわけだ。"大熊グランドゥルス"と違ってバカだから、何度でも引っかかるしな」

「ふぅむ……なるほど」


 エリドアも納得したようだ。他の村人たちもやる気が出てきたらしく、穴を掘る手に力がこもっている。


「おおい、旦那」


 と、村の方からキリアンがやってきた。背後には探索者たちを引き連れている。


「キリアン! ……なんか、多くないか」


 引き連れている――ぞろぞろと、まるで遠足のように。


「話を耳に挟んで、人足として雇ってくれという連中がいやして」


 親指で背後を指し示しながら、キリアンが肩をすくめる。



 ――ザッと顔ぶれを見てみると、色々と酷い。



 どうやら大半は、「とりあえず少しでも金を稼ぎたい」という者たちのようだ。みすぼらしく覇気もない。「"森大蜥蜴"に挑んでやろう」という気概に満ちた者は、数えるほどもいなかった。


「ええと……じゃあ、人足志望の奴らは、ここにいる村長のエリドアの指示を聞いてくれ」


 ケイがそう言うと、探索者たちがぞろぞろとエリドアの方に行く。「道具が足りないぞケイ!」という悲鳴を聞き流しつつ、キリアンを見やる。


「……で、彼らが?」

「へえ。アッシが声をかけた連中でさ」


 残ったのは、たった二人だ。


 まず、ゴリラのような筋肉隆々の男。装甲をうろこ状に重ねたスケイルアーマーを装備しており、短めの槍を四本も背負っているのが印象的だ。探索者というよりは、傭兵といった趣を呈している。先ほどからぎらぎらした目でケイを睨みつけてくるのだが、理由に心当たりはない。


 次に、浅黒い肌のイケメン。場違いに思えるほどの美丈夫で、革鎧を身につけていなければ吟遊詩人か何かかと勘違いしてしまいそうだ。腰にはショートソードを差し、草原の民の複合弓を握っている。身のこなしはなかなか様になっており、武具も使い込まれた風で、ただのイケメンではなさそうだった。


「おい、あんた……ケイか」


 と、ゴリラのような男が、クワッと歌舞伎役者のような表情でケイに迫る。


「あ、ああ、そうだが」


 警戒心高めで引き気味のケイ。


 ゴリラ男はサッと手を差し出す。何事だ、と身構えるケイに、


「あ……握手……してくれねえか」

「……は?」

「……武闘大会……見ていた。あんたのファンなんだ……」


 ゴリラ男はうつむきがちにそう言った。






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