92. 状況


 ヴァーク村の男たちから、ケイは熱烈な歓迎を受けた。


「英雄が来たぞ!」

「"大熊殺し"だーッ!」

「公国一の狩人ーッ!」

「"疲れ知らずタイアレス"ーッ!」

「公国一の木こりーッ!」


 何か変な二つ名も混じっていたが。


「ケイ!! 来てくれたのか!!」


 村長のエリドアが、ホッとした顔で飛び出てきた。チャームポイントのハの字の眉は相変わらずだが、前回会ったときに比べ、かなりやつれている。


「エリドア! 無事だったか」

「ああ、何とか。テオは立派に仕事をやり遂げたんだな。想像以上に早い到着だよ、ありがとう」


 テオ――コーンウェル商会に遣いとしてやってきた少年のことだ。


「テオは今、商会で世話になってるはずだ。俺たちも全力で駆けて来たが、間に合わないんじゃないかと気が気でなかったよ……」


 村の中で下馬しながら、ケイは周囲を見回す。


 ヴァーク村――ぐるりと丸太の壁で囲まれた開拓村。この防壁は、人間や普通の獣を防ぐには充分だろうが、"森大蜥蜴グリーンサラマンデル"相手では紙細工ほども役には立たない。襲われればひとたまりもないだろう。女子供は避難させた、と聞いていた通り、村内には男たちしか残っていなかった。


 だが。


 それでも村は、


 興味深いことに、村の出入口の付近、門の周辺にはテントや天幕が張られており、よそ者連たちが大勢そこで過ごしているのだ。野心に燃える駆け出しと思しき行商人、いかにもガラの悪い食い詰めた傭兵、身一つで乗り込んできた素人、森に溶け込みやすい格好をした狩人や野伏、などなど。


 "森大蜥蜴"の脅威が迫る中、てっきり村の男たちしかいないと思っていたケイは、まだこの場に留まる命知らずがいたことに驚いた。


「意外と人がいるんだな」


 率直な感想を漏らすと、エリドアはなんとも言えない顔で頷く。


「ああ。頼もしい奴らさ。いつでも逃げ出せるよう、準備に余念がない」


 皮肉げな言葉だが、責めるような色はなかった。


 まあ、両者とも気持ちはわかる。


 この壁に囲まれた村には、出入口の門が一つしかない。村内で過ごしているところを襲われれば、みなが門に押し寄せて大パニックになるだろう。少なくない数が逃げ遅れるはず――村人たちは各々の家があるので仕方なく村内で過ごしているが、よそ者がそれに付き合う義理はない。村の外で過ごすのは当たり前の選択だ。


 村人側としても、その気持ちはわかるが、いざというときは見捨てると宣言されているようなものなので、複雑な心境だろう。


 ……正直、ケイも好き好んで壁の内側にいたいとは思わない。いざというときに動きが制限されるのは困る。


「彼らはなぜここに?」


 サスケの汗を拭いてやりながら、ケイは尋ねた。


「『森の恵み』を求めてるのさ」

「というと?」

「【深部アビス】の動物が迷い出てきたり、普段は生えないような珍しい薬草が群生したりしてるんだ、今のあの森は」


 壁の向こうに広がる森を見やるようにして、エリドアは言った。


「アイツら、この状況下で森に入ってんのか?」


 アイリーンが驚愕の顔でよそ者たちを見る。何人かの荒くれ者たちが、アイリーンの美貌を目にして囃し立てるような声を上げた。


「……命知らずだな」


 マンデルがぼそりと呟く。ケイも全く同感だった。討伐に来ておいて何だが、森の中で"森大蜥蜴"とやり合うのは御免だ。ケイの足では絶対逃げ切れない。


 当然、森に入り込む探索者――そのほとんどが素人の食い詰め者――が、怪物に出くわして生きて帰れるとは思えなかった。


「それだけ、カネになるんだ……噂が噂を呼んで、むしろ"森大蜥蜴"が出る前より、人の出入りが増えたぐらいだ」


 エリドアが苦笑する。『アビスの先駆け』とまでは言わないが、高値で取引される薬草やキノコ、美しい毛皮の珍獣、そんな存在が森には溢れているらしい。"森大蜥蜴"の出現直後は逃げ出す者が多かったが、その隙に珍しい獣を生け捕りにして大儲けした剛の者が現れ、結局それを羨んだ多くの探索者たちが戻ってきたそうだ。


 今では、一攫千金を夢見て森に入る命知らずたちと、それらの"商品"を高値で買い取る行商人で、村は大賑わいなのだという。


 ただし、経済活動のほとんどが村外で行われる上、村内の施設も休業状態であり、村にはあまり利益が還元されていないとか何とか。


 話を聞いたケイは、「随分と悠長に構えているんだな」という感想を抱いた。と同時に、それほどまでに森の生態系が変わっているということは――あまり良い傾向とは言えない、と危惧した。


「……この近辺には、まだ"森大蜥蜴"が姿を現してないのか?」


 何より気になるのは"森大蜥蜴"の動向だ。流石に近くにヤツが『出た』となれば、探索者はともかく、商人たちが真っ先に逃げ出すはず。


「いや……それが、はっきりとは言えないんだ。ヤツの行動範囲が、少しずつ広くなってるのは間違いないんだ……」


 エリドアは何とも困ったような顔。


「……詳しい事情を説明しよう。こっちに来てくれ」




 村に入るときも思ったが、門の周辺は混沌としていた。


 まるでバザールのようだ。色とりどりの天幕、熱心に探索者たちと交渉する商人、飲食物を売る簡易屋台、酒瓶片手に英気を養うごろつきたち――


「おーい、キリアンはいるか」


 エリドアが声をかけると、探索者たちが顔を見合わせた。


「キリアン、見たか?」

「さあな、おれは見てねぇ」

「ってかキリアンって誰だ?」

「そんなこと言い出したらよォ、まずお前が誰だよ!」

「違いねぇな! ガハハ! 知らねえ顔ばっかりだぜ」

「それよりエリドア、その別嬪さんを紹介してくれよ!」


 誰かが叫び、「そうだそうだ!」と野太い声が重なる。


 やいのやいの。ケイの傍らのアイリーンに、口笛を吹く者、見惚れる者、下品な野次を飛ばす者――いくらこの場が賑わっているといっても、女っ気はゼロだ。流石にこんな危険な開拓村にまで出向いてくる商売女はいなかったのだろう。お陰で女に飢えた男たちが、砂糖菓子に吸い寄せられるアリのようにわらわらと――


「あー。ダメだ、オレがいちゃ話にならねぇなコレ」


 ぼりぼりと頭をかいたアイリーンが、小さくため息をつく。


「オレぁ一旦村に戻るぜ、ケイ。話は聞いといてくれ」

「わかった」


 こりゃ仕方ない、とばかりに頷くケイ。


「おうおう、そんなこと言わずに、ちょっとくらい付き合ってくれてもいいじゃないかよぉ~、お嬢ちゃん」


 などと言いながら、酒焼けした赤ら顔の男が絡んでこようとしたが――アイリーンが、トンッと地を蹴る。


「へ?」


 赤ら顔の男からすると、アイリーンが消えたように見えただろう。


 軽々と宙を舞うアイリーン。真正面から男の頭を飛び越えたのだ。


 そのまま、群がる男たちを避けるようにして、トンットンッと飛び跳ねていき、三メートルはあろうかという丸太の壁に取り付いて、そのまま向こう側へと消えた。門があるのに、わざわざ壁を越えてみせたのだ。


「…………」


 ごろつきたちが、呆気に取られている。


「エリドア……何者なにもんだありゃぁ……」

「強力な助っ人だよ」


 苦笑交じりに答えるエリドア。


 と、ごろつきたちの間をすり抜けるようにして、一人の男が前に出てきた。


「……アッシを呼んでると聞きやしたが」


 ぴったりとした皮の服に身を包んだ男だ。三十代後半といったところか。ツルツルに剃り上げたスキンヘッドで、頭部には爪で引っかかれたような傷があり、前歯が何本か欠けている。少し間抜けな顔立ちにも見えるが、その立ち居振る舞いには隙がなく、特に足運びにただならぬものを感じさせた。腰の後ろには山刀を差し、小型のクロスボウを背負っている。


「おお、キリアン。この人に、森の様子を話してやってくれないか」


 エリドアがケイを示す。


 どうやら、このスキンヘッド男はキリアンというらしい。察するに、今もなお森に踏み込む命知らずの一人といったところか。


「こちらの旦那は?」

「以前話した、"大熊殺し"のケイさ」

「ほう!」


 じろじろとケイを見ていたキリアンは、感心したような声を上げる。


「それはまた。アッシは流れ者のキリアンと申しやす」

「ケイだ。狩人をやっている」


 よろしく、と目礼する二人。


「森の様子、とのことで。何を話しやしょう?」

「できれば"森大蜥蜴"の動向を知りたいんだが……」


 ケイはあまり期待せずに尋ねる。


「ふぅむ。いくらで?」


 目を細めて、キリアンが笑う。


「命がけで拾ってきた情報でやすからね」


 タダでやるわけにはいかない、と。


 もっともなことだ、とケイは納得した。しかしどれほど払ったものか。


「……こういうとき、いくらぐらいが相場なんだ?」

「いや。……おれに聞かれても困る……」


 突然ケイに聞かれ、困惑するマンデル。


「こんな情報の売買は経験がないからな……」

「そうか……」

「……。ただ、山狩りの類で、軍が地元の猟師や狩人を案内人に雇うときは、一日あたり小銀貨2~3枚が相場だと聞いたことがある。……それより安いということはないだろう」


 悩むケイに、マンデルもどうにか記憶をたどり、そんなアドバイスをくれた。


「じゃあ、これくらいでいいか」


 財布代わりの革袋から、銀貨を数枚取ってキリアンに手渡すケイ。小銀貨ではなく銀貨にしたのは、これより細かい硬貨を持っていなかったからだ。命がけの情報なのは間違いないので、多めに払ってもいいだろうという考えもある。


「ほほう。これはこれは……」


 キリアンは手の内の感触だけで金額を察し、サッと懐に銀貨を隠した。


「お話ししやしょう。ただ場所を変えたいところでやすね」


 そのリクエストに応じ、一行は近くの天幕の中へと移る。


「さて。アッシも、"森大蜥蜴"には直接お目にかかったわけじゃないんでやすが」


 キリアンは石ころを拾い、地面に大雑把な地図を描き始めた。


 曰く、キリアンはいつもヴァーク村から三十分ほどの距離を探索しているそうだ。目的は薬草の採取と、狩猟。真っ黒で艷やかな毛皮の狐や、緑色の鹿のような動物など、【深部アビス】から迷い出てきたと思しき、珍しい獲物が目白押しだという。


「で、"森大蜥蜴"は、どうやらこのあたり」


 キリアンは、自分の行動圏の外にザッと線を引く。


「村から歩いて四十分あたりのところを、うろついているようでやして。足跡やら、これ見よがしに派手に倒された木やら、"森大蜥蜴"の通ったあとが目立ってやした。だからアッシも不意に出くわさないよう、ここらで引き返すようにしてるんでやすが」

「……なるほど」


 探索者の二人が喰われたのは、【深部アビス】の領域付近だったはずだ。そのときに比べ、少し行動圏が広がっているように見える。


「このあたりの地形は?」


 キリアンが引いた線を示して、ケイは尋ねた。以前、ケイもこの村から【深部アビス】まで歩いていったので、道中の起伏は薄っすらと覚えている。なので、心当たりがあった。"森大蜥蜴"がさまよっている理由にも。


「ここは……少しばかり、『谷』みたいに地形が凹んでるところでやすね」

「……わかった、ありがとうキリアン。ところでこの話は、皆にもしてるのか?」


 ケイの問いに、キリアンは首を振った。


「正直、あまり。アッシに金まで払って聞こうってヤツぁそういやせん。みんな勝手にやってやすから。酒を奢られて少し話したことはありやすが、これほど詳しくは、まだ……せいぜいエリドアの旦那に話したくらいのもので」


 エリドアは数少ない『客』なのだとか。


「ふむ。キリアンぐらい森に詳しいヤツは、他にいるか?」

「アッシが見たところ、アッシほど森歩きに慣れてるヤツも少ないかと」


 普通、確かな技術を持つ森の専門家なら、こんな場所に出稼ぎに来たりしない。森の恐ろしさを知っていれば、【深部】の化け物がいるかもしれないような場所に近づこうとは思わないからだ。


 必然的に今、森に入っているのは、楽観的な素人ばかりだった。


「ふーむ。エリドア、一つ質問なんだが、森に入ったきり帰ってこない探索者はどれほどいる?」

「えっ?」


 突然、水を向けられたエリドアが困惑の声を返す。


「いや、……俺は把握できていない。なにせこの数だ。出入りも激しい」


 エリドアが外を示す。賑やかな探索者たちのテント村を。


 こうしてケイたちが話している間にも、何組かの探索者たちが帰還し、それと入れ違うようにして森に入っていく者たちもいる。取引を終えて去っていく行商人もいれば、新しく村にやってくる商人もいる。今日、噂を聞きつけてやってきたごろつきが何人になるのか、把握している者は一人もいない。冒険者ギルドのような監督する組織があるわけでもなく、皆が好き勝手にやっているのだ。


 ましてや誰が森に入り、誰が帰ってきたか、など――


「なるほどな……」


 おおよそ、事態が把握できたケイは、顎を撫でながら唸った。


「……何か、まずいのか? ケイ」


 エリドアは不安げに。


「まずい、というか……。なあエリドア、俺は『"森大蜥蜴"が出た』って知らせを受けたときは、正直もう間に合わないかもしれない、って思ったんだ」

「……えっ?」

「いつ襲われてもおかしくはなかった。こんな魔力が薄い土地で、"森大蜥蜴"が体を維持するには、そこそこ魔力を持つ生物を食べなきゃいけない。その筆頭が人間だ」


 野生動物に比べると、人間は魔力を豊富に持つ。特に中年以降の個体ともなれば、下手な【深部アビス】の獣より魔力は高い。


 だが、それでもヴァーク村は無事だ。


 人の味を覚えた怪物が、いつ匂いをたどって襲いにきてもおかしくなかったというのに。


「命知らずの『冒険者』たちに感謝した方がいいな。彼らの犠牲でこの村は保ってるようなもんだ」


 おそらく――日に何組かが喰われている。


 キリアンの言っていた『谷』の周辺が、狩場キルゾーンなのだ。


「俺の予測では、その『谷』に"森大蜥蜴"は巣を作ったんだろう。あいつらは山や谷の斜面を掘って、ヨダレで壁を固めて巣穴にするんだ。派手に倒された木は、通った跡じゃなく、縄張りの主張。そして"森大蜥蜴"の得意技は――待ち伏せだ。巣穴の近くに身を潜めて、通りがかった獲物を確実に仕留めてるんだろう」


 この森は、人の手が入っていない原生林だ。草木が鬱蒼と生い茂り、視界も悪い。体長十メートルを超える化け物でも、じっと身じろぎしなければ姿を紛れさせられる茂みや地形の起伏は、いくらでもある。


 また、先入観。獰猛な"森大蜥蜴"は、地響きを立てて獲物を追いかけ回す――そんな風に勘違いしている者も多いだろう。実際は気配を殺して身を潜め、ギリギリまで獲物が近づいたところで、初めてその俊敏さを発揮するのだ。


 キリアンは、"森大蜥蜴"の『通った跡』を警戒し、近づきすらしなかった。だからおそらく、"森大蜥蜴"の確殺圏に入らずに済んだのだろう。


 だが、これが素人だったら? ただのごろつきだったら? この期に及んで、怪物はもっと森の奥地にいると勘違いしている愚か者だったら――?


 その末路は、言うまでもない。


「今はまだ、巣の近くに『餌』が豊富にあるからいいが」


 問題は、この話が知れ渡った場合。


「もしも探索者たちが森に入らなくなったら――餌が不足する」


 そうすれば"森大蜥蜴"は、どうするか。


「匂いをたどって、まっすぐ来るぞ。この村に」


 ケイに告げられ、エリドアの顔が引きつった。




 ――"森大蜥蜴"に仲間たちが喰われた、という探索者が戻ってきたのは、それからしばらくしてのことだった。



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