91. 疾駆


 城郭都市サティナから公都ウルヴァーンまで、リレイル地方を南北に結ぶ大動脈。


 ――サン=アンジュ街道。


 整備された石畳の道を、荒々しく駆ける騎馬の姿があった。


 その数、三騎。


 先頭は、スズカに跨るアイリーン。

 続いて商会から借り受けた馬を駆るマンデル。

 そして殿しんがりを務めるのが、ケイとお馴染みサスケだ。


「アイリーン! スズカの調子はどうだ!?」


 最後尾から、ケイは声を張り上げる。


「大丈夫だ! でも汗かいてるから、ぼちぼち水飲んだ方がいいかもな!」


 金色のポニーテールを揺らしながら、アイリーンが叫び返した。彼女を乗せたスズカは、黒色の毛並みがてらてらと光って見えるほど汗にまみれている。


 現在、スズカが一行のペースメーカーだ。


 サティナで多少休息を取ったとはいえ、スズカの疲労は完全には抜けていない。体重が極端に軽いアイリーンを乗せているので負担は少ないだろうが、それでも疲労具合を見つつ、走る速度を調節しているのだ。


 スズカからすると、バテないギリギリのラインでずっと走らされるので、堪ったものではないかもしれない。だがもともと草原の民と共に暮らしていた馬だ。この程度で音を上げるほどヤワな育ちではないだろう。


「マンデルの方は、変わりないか?」

「ああ。……いい馬だ、こっちは問題ない」


 マンデルが振り返って、生真面目な顔で答える。


 コーンウェル商会から借り受けた馬は、灰色の毛並みの大人しいメスだった。ホランド曰く、最高速はそれほどでもないが、体力があり忍耐強い性格だという。今回のような強行軍にはぴったりだ。


「ぶるるっ!」


 そしてケイを乗せるサスケはといえば――絶好調だった。クソマズ体力回復薬が効いたのか、それとも元から大して疲れていなかったのか、ほぼ完全に回復していた。体力・速力ともに普通の馬とは隔絶している、バウザーホースの真骨頂。


 ケイが都度、手綱を引いて制御しなければ、徐々に加速して前方のマンデルを抜き去りかねないほどだ。戦いの機運を感じ取り、逸っているのだろうか。はたまた獰猛な魔物としての本能が表に出てきたのか。あるいは、新たに加入した商会のメス馬にいいところを見せようとしているだけか――


 "竜鱗通し"を片手に周囲を警戒しつつ、思わず苦笑いしてしまうケイであった。


「町が見えてきた!」


 と、先頭のアイリーンが知らせる。


「少し休憩にしよう!」


 日の傾き具合を確認して、ケイは答えた。


 できるなら今日中にサティナ-ウルヴァーンの中間にある、湖畔の町ユーリアまで行きたいところだ。到着時にベストな体調コンディションを望むなら、野宿は極力避けて、きちんとしたベッドで体を休めなければならない。現在のペースなら日が沈む前にユーリアに着くだろうが、休憩に時間を割きすぎるとギリギリ間に合わなくなる。


 一口に『強行軍』と言っても、細かい調節がなかなか難しいことを、ケイはここに来て改めて感じていた。




          †††




 小さな宿場町にて。


 水差しピッチャーに直接口をつけて、グビグビと冷たい水をあおったアイリーンが「……ぷはぁ! 生き返るぜ」と声を上げる。


 井戸から汲み上げた冷たい水が、乗馬に火照った体に心地よい。自分の足で走るよりマシだが、ただ馬上で揺られているだけでも、人体はそれなりに消耗するのだ。


「サスケ、よく走ってくれた。休憩後も頼んだぞ」


 馬具を外して楽にしてやり、白く泡立った汗の跡を拭き取ってあげながら、ケイはサスケに礼を言った。「まかせて!」と言わんばかりに目を瞬いたサスケは、そのまま「ヘイ、彼女! いい走りだったね!」と、隣で水を飲む商会の灰毛馬へ絡みに行く。


 灰毛馬は困惑気味――というか、ちょっと引き気味だ。そのさらに隣では、スズカが「フン!」と不機嫌そうに鼻を鳴らしていた。


「ケイも飲むか?」

「おう」


 アイリーンから水差しを受け取り、グビッと水分補給するケイ。


 その横で、井戸脇のベンチに腰掛けたマンデルが、伸脚するような動きで足を伸ばしていた。少しばかり険しい表情で、太腿をさすっている。


「マンデル、どうかしたのか?」

「いや……」


 心配するケイに、マンデルは渋面を作った。


「これだけの距離を駆けるのは初めてなんだ。……股が痛くなってきた」


 顔を見合わせたケイとアイリーンは、「あー……」と事情を察する。



 乗馬とは、特殊技能だ。



 馬への指示の出し方はもちろん、馬上で揺られ続けるため特殊な筋肉を使う。衝撃を受ける腰や太腿、尻なんかも、慣れがなければ痛みで悲鳴を上げ始める。


 ケイとアイリーンは、ゲーム時代から乗馬に親しんでいた上、『完成された肉体アバター』を引き継いでいるのでその手の苦しみとは無縁だ。だが、こうして実際に苦しんでいる人間を前にすると、ずるチートしているような感覚に襲われてしまう。


「……かなり痛むのか?」

、それほどではない。……だがこのペースで進むとどうなるかわからん」


 マンデルは意地を張るでもなく、正直に申告した。


「少し、不安だ。……今は平気だが、開拓村に着く頃には足腰立たなくなっていました――では笑えないからな。絶対に無理はできない」


 強がることなく話しているのは、そういうわけだ。


 忘れてはならない。ヴァーク村へたどり着くことが目的ではなく、そこで"森大蜥蜴グリーンサラマンデル"と戦える状態にあることが重要なのだ。


 せっかく騎馬で移動できるというのに、足手まといになるようでは本末転倒だ、とマンデルが嘆息する。


「馬まで用意してもらったのに、この体たらく。……自分で自分が情けない」

「……仕方ない、こればかりは慣れの問題だ」


 マンデルを責める気にはとてもなれず、ケイも慰めの言葉をかける。ゲーム由来の肉体で苦労していない自分が言うと、どこか薄っぺらく感じられた。


「最悪の場合、おれを置いて先に行くことも視野に入れてほしい……」


 痛恨の極みの表情で、絞り出すように言うマンデル。確かに、ここでマンデルに合わせてペースを落としては、ここまで急いできた意味がない。


「そっか……じゃあ、これ使ってみてくれよ」


 何やら腰のポシェットをゴソゴソと探ったアイリーンが、金属製の小さなケースを取り出した。


「これは?」

「軟膏だ。――『アビスの先駆け』を使った傷薬」


 声を潜めて、囁くようにアイリーン。


 これもまた、レシピを覚えていたアイリーンが試行錯誤して調合した品だ。体力回復薬とは違い、傷を癒やす治療薬になっている。もちろんその効能は、高等魔法薬ハイポーションとは比べるべくもないささやかなものだが……塗れば効果を発揮するので、少なくともゲロマズフレーバーは味わわずに済む。


「太腿に塗れば、かなり痛みが引くはずだ。痛み止めじゃなくて治療薬だから、乗馬の揺れにも適応できるかも」


 アイリーンに押し付けられるようにして軟膏を受け取ったマンデルは、おっかなびっくりといった様子でケースを撫でた。


「これは貴重なものでは? ……戦いに取っておくべきだろう」

「いや、正直あまり意味がない」


 首を振って否定したのはケイだ。


「"森大蜥蜴"相手に戦うなら、その程度の傷薬が活躍できる場面がないのさ。無傷で生き残るか、即死するかの二択だ」


 淡々と、『事実』として語るケイに、マンデルがごくりと唾を飲み込んだ。


「そうか。……わかった、使わせてもらおう」


 頷いたマンデルがその場でいそいそとズボンを脱ぎ始めたので、アイリーンが慌ててそっぽを向く。困ったような顔で「ワイルドだぜ……」と口を動かすアイリーンを見て、ケイは思わず笑ってしまった。




「……しかし、マンデルはどうして馬に乗れるんだ?」


 太腿に軟膏を塗り込む姿を見ていて、ケイはふと疑問に思う。


 マンデルは、狩人だ。それも森のそばの田舎村の住人だ。主に森の中で活動する彼は、本来馬に乗る必要があまりない。そんな彼がなぜ、そしていかに乗馬の技術を身に着けたのか、不思議だった。


「ああ……」


 入念に局部にも塗っていたマンデルは、その手を止めて、遠い目をする。質問しておいて何だが、ズボンは早く穿いてほしい。


「昔、習ったんだ。……草原の民からな」


 マンデルの答えは意外なものだった。「草原の民から?」とオウム返しにするケイとアイリーン。公国の平原の民と、草原の民は仲が悪かったのでは――


「昔は、普通に交流があったんだよ。……10年前の"戦役"、草原の民の反乱が起きるまでは……」


 その口調は、懐かしむような、寂しがるような。


「タアフの、おれくらいの歳のヤツはみんなそうだ。……昔、村に物々交換にやってくる部族がいた。気さくで、優しい連中だったよ。村にやってくるたび、当時ガキだったおれたちに、手取り足取り乗馬を教えてくれたんだ……」


 じっと自分の手を――弓を引き慣れ、あざになった指先を――見つめながら、ぽつぽつと呟くようにマンデルは言った。


「だが、"戦役"で争うことになった。……仲が良かった部族とも刃を交えた。彼らは今、草原の奥地に引きこもっていて、滅多に姿を現さない。村との交流も完全に途絶えてしまった……」


 ため息交じりに語り、マンデルは再び軟膏を塗り始めた。


「そう、だったのか……」


 転移当初、草原の民と誤認されかけていたケイに、マンデルは公平な態度で接してくれた。そしてケイが草原の民ではないことを見抜き、様々な助言もくれた。


 マンデル自身は、"戦役"で徴兵され、平兵士から十人長に昇格するほど活躍していたらしい。その胸中がどれだけ複雑だったことか――


「ふむ。……なるほど、この軟膏はよく効くな……!」


 ぺちぺち、と太腿を叩いたマンデルが、感心したように言う。


「ありがとう。……かなり楽になった。このままのペースでも大丈夫そうだ」


 礼を言いながら、軟膏のケースをアイリーンに返すマンデル。散々局部に軟膏を塗り込んだ手で、そのまま。


「あ……いいよ、そのケースは持っておいてくれ、まだ使うだろ?」

「む、そうか。……わかった、じゃあそろそろ行こう。おれのせいで休みすぎた」


 マンデルが立ち上がり、荷物袋に軟膏を仕舞ってから、ひょいと灰毛馬に跨る。


 もう痛がる様子はなかった。軟膏の効き目は確からしい。


「そうだな。行こうぜ」

「ちょっと待ってくれ、サスケに馬具を付け直す」


 手早く準備を整え、ケイたちは再び出発した。




 それから、以前のペースで進んでも、マンデルは「少し痛む」程度で平気なようだった。むしろスズカの疲労具合の方が心配だったほどだ。


 休むことなく駆け続け、日が暮れる前には、シュナペイア湖に面するユーリアの町に到着した。


 相変わらず、清らかな湖とは対照的に、猥雑な雰囲気で満ちた町だ。行商人やその護衛、彼らを相手にする物売りや芸人、娼婦などで賑わっている。前回、ここを訪れたときは領主の館に呼び出され、アイリーンが「夫に黙って愛人にならないか?」などと誘われたりしたものだ。ケイの面前で。


「ありゃ傑作だったなぁケイ」

「ああ。二度と御免だが」


 もちろん領主の館などスルー。呼ばれてもいないし、呼ばれる予定もない。実に素晴らしいことだ。


 少しでも疲れを癒やすため、高級な宿に泊まる。マンデルは遠慮しようとしたが、有無を言わさず宿代はケイたちが出した。風呂で汗を流し、ゲロマズ体力回復薬を服用し、口直しするようにたらふく食ってから、その日は早々に就寝。


 その甲斐あってか、翌日は疲れもなく、ベストコンディションで出発できた。マンデルも寝る前に軟膏を塗ったようで、股が痛むことなく強行軍を続ける。




 そして。




「見えた!」


 街道の果て――丸太の防壁で囲まれた開拓村が見えてくる。


 見たところ、壁が壊された様子もない。周囲には人影もあった。


「おぉーい!」


 ケイたちが手を振ると、住民もこちらに気づいたようで、手を振り返してくる。



 サティナを発ってから、およそ一日半。



 ヴァーク村は――まだ無事だったのだ。



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