90. 出発


 翌朝。


 うっすらと空が明らむ中、ケイとマンデルはタアフ村を発つ。


「お父さ~ん! 気をつけてーッ!」

「無事に帰ってきてね~ッ!」


 マンデルの二人の娘はもちろん、ベネットやクローネンをはじめとした村人たちも見送りに出ている。シンシアはいなかったが、ケイの鷹並の視力は、村長屋敷の窓から心配そうにこちらを覗き見る彼女の姿を捉えていた。


 ――なぜ堂々と見送らないんだろう? マンデルと確執でもあるのか?


 などと疑問に思いつつも、ポンッと軽くサスケの腹を蹴るケイ。


 常歩なみあしから駈歩かけあしへ。サスケがゆるやかに加速していく。マンデルの駆るスズカも問題なくついてくる。



 そうして二騎は、木立を抜け、草原へと駆け出した。



 草原の緑と、朝焼けに燃える空の対比が美しい。思わず見惚れそうになるが、ぶわっと吹き寄せた風の冷たさにケイは身震いした。


 秋でこれなら、冬になったら相当な寒さだろうな――と革のマントの襟を手繰り寄せながら、顔布を装着する。白地にひらひらと踊る赤い花の刺繍。これで顔面が冷えずに済む。


「それ、相変わらず使ってるんだな」


 隣のマンデルが、刺繍に目を留めて声をかけてきた。


「ああ。重宝してるよ」


 この顔布は、イグナーツ盗賊団との戦闘で破損してしまったものだ。それをシンシアが修繕し、花の刺繍までしてくれた。基本的には、戦闘時に表情を読まれにくくするために使うのだが、そこに可愛らしい花のモチーフをあしらうとは――独特なセンスを感じる。


「しかし……あんまり付けない方がいいかな?」


 以前、マンデルに「草原の民と誤認されるから気をつけろ」と言われたことを思い出し、顔布に手をかけるケイ。


「いや。……どうせおれたちしかいない。大丈夫だろう」

「そうか」

「それと、昨日はありがとう。……娘二人も呼んでくれて」



 昨夜、あのあとケイは村長屋敷で歓待された。



 マンデルが仕留め、熟成させていたとっておきの鹿肉が夕餉に振る舞われた。マンデル本人はもちろん、その娘二人も同席しての食事会だ。娘たちを招くことを提案したのはケイで、突然父親を連れ去ってしまうことへの詫びも兼ねていた。


 食事の席で、ケイは武闘大会以降の旅路を語った。村に着くなり大物狩りの話になって、マンデルにもその後の経緯を伝えていなかったからだ。


 ウルヴァーンで名誉市民権を取得するために奔走したこと。図書館での調査で『魔の森』の伝承を見つけたこと。緩衝都市ディランニレンを抜けて北の大地を放浪したこと。水不足に苦しみ、独力での北の大地横断を諦めてディランニレンへ引き返したこと。ガブリロフ商会の隊商に参加し、馬賊と激突したこと――


 己の武勇伝に関しては、少し誇張した。自分はそれなりに武力があるから、無事に狩りを終わらせてマンデルを無事に帰す――という、娘たちに向けてのメッセージのつもりだったのだ。しかし当の本人たちは、慣れない村長屋敷での食事会に緊張して、それどころではなかったようだ。


 招いたのは余計なお世話だったかもしれないな、と苦笑したケイは、昨夜の席を思い返す――




          †††




『――それで、しこたま矢を食らってハリネズミみたいになってな。そのときの傷がこれだよ』


 食後の葡萄酒を味わいながら、席の後ろに置いてある革鎧を示すケイ。


『ずいぶん多いな。……これ、全部が?』

『ああ』

『……よく生きてるな』


 革鎧に近づいたマンデルが、補修された傷跡を指でなぞりながら言う。同席したクローネンが『化け物かよ』と呟いて、横合いからベネットに頭を叩かれていた。


『"高等魔法薬ハイポーション"のおかげさ』


 ケイは何気なく答える。ハイポーションと聞いて、ランプの明かりの下、ベネットの目がギラッと光った。


『もっとも、この戦いで飲み干してしまったが』


 当然、それに気づいた上で、しれっと付け加えるケイ。


 タアフ村では以前、ハイポーションの存在を明かしている。村を去る際、特に口止めはしていなかったが、今のところ噂が広まる気配もないようだ。しかし、ケイたちがサティナへの定住を決めた以上、「あいつは奇跡の霊薬を持っている」と近隣で噂されるのはまずい。


 なので、もう『使い切った』ことにしてしまおう、というわけだ。


(まさかサティナに定住することになるとは、思ってもみなかったからな……)


 転移直後ということもあり、脇が甘かった。アイリーンを助けるためだったので致し方ないことだったが。


 ちなみにポーションは、少量だがまだ残っている。これ以上、使う機会に恵まれないことを祈るのみ……。


『まあ、後悔はしていない。全てを出し切らなければ、とてもじゃないがあの戦いを生き残ることはできなかった』

『ううむ……そうでしたか……』


 なぜか口惜しげな表情のベネット。仮にハイポーションが潤沢にあったところで、譲る気はさらさらないので安心してほしい――


 そうして、ポーションが原因のゴタゴタを避けるため隊商を離脱したこと、ついに魔の森へたどり着いたことなどを話す。霧の中に棲む、不気味でおぞましい化け物たち。それをどうにかやり過ごし、赤衣の賢者と邂逅し、『故郷』への帰還が難しいことを教えられ、公国へ戻ってきた――


『あとは、知っての通りだ。そんなわけで、アイリーンと俺は、サティナに移住することにしたのさ』


 ケイが長い長い冒険譚を語り終える頃には、すっかり夜も更けていた。明日は早いのでそこで解散となり、ケイは以前アイリーンが寝かされていた村長屋敷の一室で、柔らかい上等なベッドの感触を楽しみつつ就寝した――




「――しかし、マンデル」


 しばらく無言で駆けていたが、ふと気になることに思い当たり、ケイはマンデルを呼んだ。


「ん、どうした」

「ソフィア嬢は、本当に大丈夫だったのか? さっきの見送りのとき、随分とやつれているようだったが……」


 マンデルを心配げに見送っていた娘二人――そのうち妹のソフィアは、目の下に濃いクマを作って、どこかげっそりとした様子だった。


 心配のあまり、よく眠れなかったのだろうか……。


「ああ、あれか」


 が、マンデルはクックックと喉を鳴らして、笑いを噛み殺す。


「どうやら、昨日のケイの話のせいらしいぞ」

「……え?」

「"魔の森"の化け物の話が、よほど恐ろしかったらしい。そのせいでなかなか寝付けなかったそうだ」

「…………」


 思っていたのと大分違う理由に、思わずケイは閉口した。それを見てマンデルが愉快そうに、声を上げて笑い出す。


 やっぱり、お招きしたのは余計なお世話だったかもしれない――と、ケイは渋い顔をするのであった。




          †††




 それから、ケイとマンデルがサティナに到着したのは、おおよそ二時間後のことだった。


 マンデルを連れていたにもかかわらず、スズカの速度が落ちることもなく、行きよりもスムーズに帰ってこれた。昨日、思い切り走ったことで、二頭ともむしろ調子が上がってきたのかもしれない。


 早朝ということもあり、市壁の門もそれほど混雑していなかった。ケイとマンデルはそれぞれ身分証を提示し、街の西門をくぐり抜けてから、まずアイリーンが待つ自宅へと向かう。


「ケイ! 戻ったか!」


 石畳を打つ蹄の音を聞きつけて、家からアイリーンが飛び出てきた。


「アイリーン!」


 突進してきた、羽根のように軽い体を抱きとめて、二人で踊るようにくるくると回ってからキスする。


「ただいま」

「待ってたぜ」

「……お熱いことだな」


 やれやれ、とばかりに苦笑したマンデルが、ひょいと帽子を脱いで一礼した。


「久しぶりだな、アイリーン。……変わりないようで何よりだ」

「マンデルの旦那こそ、久しぶり。元気にしてたか?」

「ああ。……特に今は、若返ったような気さえしている」


 よほど気合が入っているらしい、マンデルは覇気に満ち溢れていた。


「今回は、ケイに付き合ってもらって悪いな。来てくれてありがとう」

「なに。……礼を言いたいのはこっちの方さ、英雄殿の狩りに同行できるんだ」


 挨拶もそこそこに、今後の打ち合わせに移る。


 サスケとスズカは絶好調のようだが、タアフ-サティナ間を駆け抜けて流石に疲労の色が見られる。いつもの宿の厩に預けて、しばし休憩を取らせることにした。


 その際、忘れずに、自作の体力回復薬を二頭ともに舐めさせておく。以前ヴァーク村の【深部アビス】で採取した『アビスの先駆け』から、薬効成分を抽出したものだ。アイリーンがレシピを覚えていたため、しばらく前に器具を買い揃えて調合してみたのだ。


 ゲーム内ではしばらくの間、スタミナを回復させる効果があった。再出発は昼前を予定しており、それまでには二頭ともかなり疲労が取れるはず。


 ――なお、ケイも舐めて見たが、エグい苦さで死ぬほど不味かった。「ハイポーションのゲロマズ成分はお前か!!」と叫びたくなるほどに。


 舐めさせられたサスケは「ぼくがんばったのに、なんでこんなことするの」と悲しげな顔を見せ、スズカは鼻息も荒く前脚で地面をかいて、すこぶる不機嫌になった。


 体力は回復するかもしれないが、精神的な面ではしばし問題がありそうだ。使わない方がマシだったかもしれない――




「モンタン! 矢はできたか?」

「ケイさん! ばっちりですよ!」


 次に、木工職人のモンタンの家を訪ねる。キスカに、ベネットから預かった手紙を渡しつつ、"氷の矢"を見せてもらう。


「突貫作業でしたが、何とかなりました」


 モンタンの役割は、コウが魔力を込めた宝石を矢にしっかりとはめ込んで固定することだった。これは、鏃が特殊な構造をしており、もともとケイが"爆裂矢"を作るために注文していた矢だ。『鏃に宝石をはめ込む』という点では"氷の矢"も変わらないので、流用が可能だった。


 用意された"氷の矢"は、20本。さらに、エメラルドをはめ込んだだけの"爆裂矢"の素体ベースも何本か。ケイが宣之言スクリプトと魔力を込めれば"爆裂矢"の一丁上がり、というわけだ。


 一本一本、重心などを確かめたが、どれも申し分ない出来だった。


「見事な仕上がりだ。ありがとう」

「"森大蜥蜴グリーンサラマンデル"狩りと聞いて、気合が入ってしまいましたよ」


 一仕事終えた感を出しつつ、爽やかな笑みを浮かべるモンタン。


「お兄ちゃん……がんばってね! 気をつけてね!」


 心配げなリリーに見送られつつ、ケイはその足でコーンウェル商会へ向かう。




「ケイくん。待ってたよ」


 商会本部の前では、ホランドが既に必要な物資の準備を終えていた。


 荷馬車が一台。健康な山羊が五頭。マンデル用の乗用馬が一頭。食料や医薬品、野営用品、etc, etc...


「うっス。自分は護衛を担当する、オルランドっス」


 そして、荷馬車を護衛する戦士たちとも顔合わせした。オルランドという強面の男がリーダーの四人組で、それぞれ交代で馬車の御者も担当するらしい。ケイが見たところ、できる。オルランドは槍使いらしく、かなり手強そうな雰囲気を漂わせていた。他の三人も槍や斧を扱うようで、粒ぞろいな戦士たちだ。コーンウェル商会の護衛の中でも腕利きだろう。


 が。


「それで……自分たちはあくまで馬車の護衛で、"森大蜥蜴"狩りには参加しなくてもいい、ってことっスよね?」


 強面をわずかに緊張させて、オルランドが念押ししてきた。


「ああ。無理強いはしないよ、手助けしてくれるならそりゃ助かるが……」


 今回、オルランドたちの役目は、荷馬車を護衛して物資をつつがなくヴァーク村へ届けること。また、討伐成功の暁には、"森大蜥蜴"の素材を持ち帰ることだ。


 対人をメインとする彼らに怪物狩りの経験などあるはずもなく、またケイが彼らに指揮権を持っているわけでもないので、彼らは彼らの裁量で動くことになっていた。


 ケイとしても、土壇場でビビって逃げそうな者に背中を任せるつもりはない。それなら最初からアテにしない方がマシだ。だからこそ、信頼できる仲間を求めて、タアフ村までマンデルの協力を仰ぎにいったわけだが――


「ところでホランドの旦那、気が早い話かもしれないが――」


 と、荷馬車を点検していたアイリーンが、ホランドに話しかける。


「このサイズだと、"森大蜥蜴"の素材は載せきれないかもしれないぜ?」


 コンコン、と荷馬車を叩きながらアイリーン。取らぬ狸の皮算用もいいとこだが、すでに討伐後の心配をしているようだ。だがこれにはケイも同感で、商会が用意した馬車は質こそいいものの、サイズはかなり控えめであるように思われた。


「ああ。ウルヴァーン支部と"伝書鴉ホーミングクロウ"でやりとりがあってね。協議の結果、素材の大部分はウルヴァーン側に運ぶことになったんだよ。サティナはちょっと遠いから」


 ホランドの答えに、ケイたちも納得する。ヴァーク村からウルヴァーンまでは馬車で一日足らずだ、素材を運ぶならたしかに向こうの方が好都合だろう。


「……それと、ウルヴァーン支部からの知らせによると、昨日の段階ではまだヴァーク村は無事だったらしい」


 通りを行き交う人々に聞かれないよう、声をひそめてホランドが告げる。


「なるほど……それは重畳だが」

「これから間に合うか、だな」


 アイリーンが腕組みして、ため息をついた。


「……そろそろ出発するかい?」

「ああ。あまり余裕はなさそうだ」


 ケイ、アイリーン、マンデルの三人は、うなずきあった。軽くサンドイッチで昼食を摂り、トイレを済ませ、必要物資をチェックしてから一同はサティナを発った。



「お気をつけて!」

「ご武運を!」

「精霊様の御加護があらんことを!」



 荷馬車の護衛、オルランドたちの声援を背に、ケイたちは進む。



 足の速い三騎で先行するのだ。



 "竜鱗通し"を片手に、身軽さ重視で革鎧のみを身に着けたケイ。



 サーベルを背負い、動きやすい黒装束に身を包むアイリーン。



 四肢に革製のプロテクターをつけ、腰に剣を佩いた旅装のマンデル。



「よし、行くぞ!」



 ダガガッ、ダガガッと硬質な蹄の音を響かせ。



 一行はヴァーク村を目指し、街道を北上し始めた。




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