88. 助勢


 言葉を飾らず、ケイは率直に説明した。


「今日、とある開拓村から手紙が届いた――」


 "森大蜥蜴グリーンサラマンデル"の出現。ヴァーク村の知己からの救援要請。ケイとアイリーンが討伐に向かうこと。こちらの装備、陣容、想定されるリスク。それらを鑑みた上で、マンデルの助けが欲しいこと。


 ――あっという間に語り終えてしまった。マンデルの娘が茶を淹れようとして、火にかけた鍋の水は、まだ湯気すら立てていない。


 まあ、それもそうか、とケイは思った。


・助けを求められた

・怪物を殺しに行く

・力を貸してほしい


 要はこれだけなのだ。思っていたより自分は言葉を飾っていたらしい、と気づいたケイは、思わず苦笑しそうになったが、この場面で笑うとあらぬ誤解を与えかねないので、真剣シリアスな表情の維持に努めた。


 巫山戯ふざけているわけではない、決して。


 だが、苦境に陥ると、人は時として笑いたくなる。不思議なことに。


「…………」


 マンデルは、腕組みしたまま黙って考え込んでいた。


「お父さん……」

「どうするの……?」


 背後から、娘たちがおずおずと声をかけてくる。動揺、困惑、そして恐れ。父親が危険極まりないに連れ出されようとしている。心配するのも当然だ――娘たちがケイを見る目にも、怯えの色が浮かんでいた。


 自分が平和な家庭を乱す疫病神に思えてきて、ケイは罪悪感に苛まれると同時に、断られたらスパッと諦めよう、と改めて決意した。


「正直なところ」


 やがて、マンデルが口を開く。


「力になりたいのは、やまやまだ。……しかしおれが、【深部アビス】の怪物相手に、何かできるとは思わない」


 見てくれ、と手に取ったのは、使い込まれた短弓ショートボウだ。


「おれの相棒だ。……取り回しはいいが大した威力はない。普通の野獣、それこそ猪でも、当たりどころが悪ければ矢が刺さらないような代物しろものだ」


 ことん、と机の上に置かれる短弓。優美な曲線を描くリムは艷やかな光沢を帯びており、日頃からマンデルが丁寧に、そして愛着をもって手入れしていることが窺い知れた。いい弓だ、とケイは思う。


 しかしこのマンデルの口ぶり。「自分では力になれない」――つまりはオブラートに包んだ不承諾おことわりだと解釈したケイは、「そうか……」と諦めようとした。


「だが」


 マンデルは言葉を続ける。


「そんなこと、ケイは百も承知のはずだ。……おれの短弓では威力が不足していることくらい、わかっているだろう? 、頼んできた」


 ずい、とマンデルは身を乗り出す。


「おれに、何をさせたいんだ? ……教えてくれ、ケイ」


 その目にあるのは――面白がるような光。



 マンデルは、知っている。



 自分は決して英雄の器ではないと。



 だが、眼前の青年、ケイは違う。凶悪極まりないイグナーツ盗賊団の一味を単身で撃破し、【深部】の怪物・森の王者"大熊グランドゥルス"を一矢で仕留め、武闘大会の射的部門でも文句なしの優勝を果たした英雄だ。さらには風の精霊と契約しており、魔術にも造詣が深い。


 そんな傑物が――自分に助太刀を頼みに来た。


 それだけでも身に余る光栄だが、「なぜ」という疑問が先立つ。今しがた語った「自分では力になれない」という言葉は、悔しいが、偽らざる思いだ。地を駆ける竜、暴威の化身、【深部】の怪物――もはや天災とさえ呼ばれる"森大蜥蜴グリーンサラマンデル"を相手に、自分がいったい何をできるというのか?



 ――いや、もしかすると。


 ――『何か』が、できるのか?


 ――こんな自分にも?



 マンデルは、胸の内に、めらっと小さな炎が灯るのを感じた。


 ケイの人間性はよくわかっている。自分に声をかけてきたのは、決して囮や肉壁をさせるためではないはずだ。『狩人のマンデル』に、『何か』を求めているのだ。【深部】の怪物と、戦うために――



 忘れてはならない。


 このマンデルという男。


 一見、冷静沈着で落ち着き払っているが。


 武闘大会でケイと弓の腕前を競う程度には――



 ほまれを求めている。



 果たしてケイは、マンデルの期待に応えた。



「……"森大蜥蜴"は恐るべき怪物だが、弱点がある」


 机の上で手を組み、ケイはおもむろに切り出した。


「"森大蜥蜴"の成体は、小さくても10メートルを超える。村長の屋敷がそのまま這いずり回るようなものだ。それでいて動きは素早く、突進を食らえば人間なんてひとたまりもない。さらには鼻先に、生物の熱を感じ取る器官まで備えている。そのお陰で、たとえ暗がりの中でも、獲物の位置を正確に察知できるんだ」

「……弱点に聞こえないのだが?」

「裏を返せば、それを潰せばヤツは大幅に弱体化する」


 ケイは組んでいた手を解いて、とんとん、と指で机を叩いた。


「本質的に、ヤツは『でかいトカゲ』だ。ゆえに寒さに弱い」


 "森大蜥蜴"は昼行性の変温動物だ。【深部アビス】の怪物だけあって、多少の気温の変動ではビクともしないが、それでも体温を急激に下げられれば劇的に動きが鈍くなる。


「そして俺は、サティナに氷の魔術師の友人がいる。彼に魔法の矢――対象を凍てつかせる"氷の矢"を、可能な限り注文しておいた」


 魔法の矢、と聞いて、マンデルが目を見開く。


 今頃、アイリーンの依頼を受けたコウが、大急ぎで水色の宝石ブルートパーズに魔力を込めているだろう。魔力が尽きるギリギリまで可能な限り作ってくれ、と無茶な注文を出したが、あのコウのことだ。十数本は確保してくれるはず、とケイは踏んでいる。


「ヤツが姿を現したら、しこたま氷の矢を撃ち込んで体温を下げる。動きが鈍くなれば、弱点を射抜きやすい。ここで重要なのは、短時間でできるだけ多くの氷の矢を、体の各所に打ち込むことだ。しかし俺が一人で射るには限界がある――」


 ここまで語れば、わかるだろう。


「多人数で、多方面からの射撃。必要なのは矢を命中させる確かな腕前と、化け物の前でもビビらないクソ度胸。そして俺が知る限り、それをできるのは――あんたしかいない、マンデル」


 ――だから、手伝ってほしい。


 ケイにまっすぐ見つめられ、マンデルの身体に力がみなぎった。目を見開き、知らず識らずのうちに拳を握りしめ、口元には獰猛な笑みが浮かぶ。


「――俺でよければ」

「! ありがとう!」

「……と、言いたいところだが」


 ふにゃっと体から力を抜いて、マンデルが椅子の背に身を預ける。思わぬ肩透かしを食らったケイは、ズルッと滑り転けそうになった。


「だ、だめなのか?」

「おれとしては俄然、加勢したい。……だがおれは、この村の狩人だ。おれの一存で村を留守にするわけにはいかない」


 許可が必要だ――とマンデルは言う。


 誰の許可か?


 言うまでもない。村長だ。


「わかった。つまり了解が取れればいいわけだな?」

「そういうことだ。……早速、行くか」


 そそくさと席を立つ二人だったが、「待って!」と悲鳴のような声。


「いやだよ! やめてよ、お父さん!」


 声を上げたのは、マンデルの娘の一人――意外にも、そのうち年下の、気の弱そうな方だった。上の娘が「ちょっと、ソフィア――」と慌てて押し留めようとするも、それを振り払い涙目で叫ぶ。


「ぜったい危ないよ! 行かないで!!」

「ソフィア。……案ずることはない、ケイは公国一の狩人だ。"大熊"と不意に遭遇しても、たったの一矢で仕留めた男だぞ? ましてや今回は、魔法の矢まで用意して狩りに赴くんだ。滅多なことは起きないよ」

「でも――」

「いや、娘さんの言う通りだ」


 マンデルの了解が得られたことでテンションが上がり、家族の説得をないがしろにするところだった。恥じ入ったケイは、身をかがめ、下の娘ソフィアと目線の高さをあわせてから改めて話し出す。


「俺は万全を期すつもりだが、戦いに『絶対』はない。もしかしたら俺は死ぬかもしれない。だがそれでも、あなたたちのお父さんは無事に帰すことを誓おう」


 ケイは真摯に語りかけるも、娘たちは微妙な表情だ。そんな『誓い』に何の意味がある、とでも言わんばかりの態度。ケイも気持ちはよくわかる。必要なのは有耶無耶な言葉ではなく、具体案だ。


「――マンデルのために、馬を一頭用意する。何が起きてもすぐに逃げられるように。マンデルの役目は、横合いから氷の矢を射掛けることだ。"森大蜥蜴"を引きつけるのは俺の相方が担当して、メインの攻撃は俺が受け持つ。『絶対に』とは言い切れないが、"森大蜥蜴"の敵意がマンデルに向くことは少ないと思う。仮に俺が殺られても、逃げる時間くらいは稼げるはずだ」


 たった一人の父親の命を預けろというのだ。


 ならばケイが担保にできるのは、己の命くらいのものだろう。


 もちろん死ぬつもりは微塵もないが――万が一への備えを怠るほど、不義理もしないつもりだ。


「だから、頼む」


 ケイが頭を下げると――


 ソフィアは、不承不承、といった感じに、それでも頷いた。


「……ありがとう」


 もう一度頭を下げ、マンデルとともに足早に家を出る。村長と交渉するために。



 残された二人の娘は、不安げに顔を見合わせ、ひしと抱き合った。



 今さらのように沸いた鍋のお湯が、かまどでぐつぐつと揺れていた。




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