86. 要請


 "森大蜥蜴グリーンサラマンデル"


 名前の通り、バカでかいトカゲだ。深みがかった青緑色の表皮が特徴で、地球の『コモドドラゴン』という爬虫類に似ており、その体長は優に10メートルを超す。熊型の巨大モンスター"大熊グランドゥルス"と並び称される、森の王者だ。


 巨体ゆえ鈍重そうなイメージがあるが、見かけに反してその動きは素早い。具体的にはあぜ道を走る軽トラくらいの速度で森を駆ける。十トントラック並の体躯でありながら、だ。ケイの足ではまず振り切れない。


 強靭な表皮は生半可な攻撃を通さず、分厚い肉は衝撃にも強い。太い腕も、鋭い爪も、長い尻尾もギザギザに尖った歯も、全てが脅威ではあるが、特にその巨体による突進が恐ろしい。まともに食らえば轢死は免れないだろう。


 そんな化け物が、ヴァーク村の外れに出現した――


 過去に一度、"大熊グランドゥルス"に襲われ、大きな被害を受けたあの村に。


「ホランド……手紙これには、目を通したか?」


 読み終わって小さくため息をついたケイは、折り畳んだ手紙をひらひらさせながら問いかけた。


「いや、私は開封してないよ。マナーとしてね」


 首を横に振ったホランドは、「ただ、」と言葉を続ける。


「――事態は把握している。ヴァーク村の使者メッセンジャーが話してくれた」

「使者? サティナに来てるのか?」

「ああ、手紙と一緒にね。今は商会本部にいる」

「詳しく話を聞きたい。会えるだろうか」


 手紙には一応、大まかな事情が書かれていたが、現地の住民から話を聞けるならそれに越したことはない。何か違ったものが見えてくるかもしれないから。


「もちろん。彼もそのために来たのだろう」


 ホランドに連れられて、ケイとアイリーンは、急ぎコーンウェル商会の本部へと向かう。


「……どうするつもりだい」


 道中、ホランドが真面目な顔で尋ねてきた。


「……力にはなりたいと思う」


 ケイは、言葉少なに答えた。


 傍らに、アイリーンの存在を、強く感じながら。




          †††




 商会の控室で、落ち着きなくソファに腰掛けていたのは、まだ子どもと言ってもいい幼い少年だった。


「!! ケイさん! お願いです、村を助けてください!」


 しかしそのあどけない顔は緊張と焦りで引きつっており、ケイを見るなり土下座しかねない勢いで頼み込んできた。少年の名を『テオ』という、らしい。ヴァーク村の村長・エリドアの親戚で、従兄弟の子にあたるそうだ。


「協力はしたいと思っている。詳しい話を聞かせてもらえないか」


 ケイは、テオを落ち着かせるように微笑んでから、「何が起きたのか、慌てず、最初から順序立てて教えてくれ」と頼んだ。



 ソファに座り直したテオは、早口で事の次第を語り始めた。



 ――ケイとアイリーンの活躍によって【深部アビス】の領域拡大が確認されたのち、ヴァーク村には、命知らずの探索者たちが噂を聞きつけて集まってきたらしい。


 お目当てはもちろん、高等魔法薬ハイポーションの原料となる霊花『アビスの先駆け』をはじめとした、貴重な【深部アビス】の素材だ。探索者のほとんどが食い詰めたごろつきもどきだったが、中には手練の狩人や野伏レンジャーもいたようで、彼らはそこそこ成果を上げていたらしい。


 商会の買取所が村内に常駐するようになり、大きなトラブルもなく、ヴァーク村はにわかに活気づいていたそうだ。


 ところが今日から二週間ほど前、とある探索者の一行が【深部アビス】の領域付近で奇妙な痕跡を見つけた。草木が広範囲に渡ってなぎ倒されており、地面には深々と巨大な足跡が残されていたそうだ。


 何らかの巨大な化け物が、そこにいたことは明らかだった。


 しかし村から【深部】の領域までは森歩きで一時間ほど離れており、その時点では、『化け物がたまたま通りがかっただけ』、という希望的観測が立てられた。


 それが打ち砕かれたのが、先週。『アビスの先駆け』を採取しに行った探索者たちが、とうとう鉢合わせしてしまったのだ。


 巨大な、青緑色のトカゲの化け物と。


 尻尾まで含めれば十数メートルにもなる、森の王者、森大蜥蜴グリーンサラマンデルと――


「村にいた探索者の中でも、比較的、腕利きの四人組だったんですが、二人だけが這々の体で逃げ帰ってきました。残りの二人は喰われたそうです。どっちも、ぱくりと一口で。遺品どころか布切れ一枚残らなかった……」


 ぶるっ、とまるで見てきたかのように身震いするテオ。


「喰われた、か……」


 ケイはアイリーンと顔を見合わせる。黙って話を聞いていたアイリーンだがその表情は険しい。きっと自分も似たような顔をしているだろうな、とケイは思った。


(――人の味を覚えたか)


 非常にまずい状況だ。


「その探索者たちが帰ってきたのは、何日前だ?」

「二日前です。おれは村長エリドアに言われて、商会の買取所の人と一緒に馬に乗ってきました。おれはチビであんまり重くないから、馬の負担にもならないだろ、って……」

「なるほど」


 ケイたちが旅したときは、ヴァーク村からサティナまで四日かかった。同行した隊商の荷馬車にあわせて、ゆっくりと進んだからだ。逆に、テオたちはかなり飛ばして来たのだろう。


「おれが出発したときは、まだ村は無事でした。でも村長が『おそらく時間の問題だ』、って。『ケイの助けが必要だ』、って言って……。今は、女子供を近くの村に避難させて、男だけで守りを固めているはずです」


 ――こうしてテオが使いに出されたのも、おそらくは避難の一環なのだろう。


 一応、エリドアは領主にも報告したらしいが、なまじ村そのものが無事で、かつ村のすぐ近くで目撃情報がないため、軍も出動しづらい状況なのだという。


 しかし、それも二日前までの話。


 今この瞬間は、どうなっているかわからない――


「お願いです、ケイさん! 村を助けてください!」

「……わかった、話してくれてありがとう。俺は協力するよ。可能な限り急いでヴァーク村に向かおうと思う」


 ケイの力強い返事に、テオがパァッと顔を輝かせた。


「ありがとうございます!!」

「最善は尽くす。だからきみは待っていてくれ」


 ぽん、とテオの肩を叩いて励ましてから、ケイはアイリーン・ホランドとともに部屋を後にした。




「……で、実際のとこ、どうなんだケイ」


 部屋から十分離れてから、アイリーンが口を開く。


「……正直なところ、間に合うかどうかはわからん」


 テオの前では言わなかったが、ケイの見立てはシビアだ。


 犠牲者が出たのが二日前――思ったより早く報せが届いたが、それでももう二日が過ぎてしまったのだ。森大蜥蜴グリーンサラマンデルの行動範囲がどう変化したか、全く予想がつかない。最悪の場合、村はもう消滅しているだろう。開拓村の木の防壁なぞ時間稼ぎにもならないはずだ。


「いずれにせよ、今すぐ出発というわけにはいかない。色々と準備をする必要がある、相手が相手だからな」

「ケイくん……間に合う間に合わないはこの際置いておくとして、"森大蜥蜴"は倒せるものなのかい? 単騎で"大熊グランドゥルス"を屠ったきみに聞くのも野暮だけど」


 ホランドは心配そうにしている。


「私の知る限りでは――といっても大昔の話だが、"森大蜥蜴"を仕留めるには訓練された兵士が最低百人と、バリスタのような攻城兵器が必要だと聞いたことがある。公国の黎明期に、森を切り開くたびに"森大蜥蜴"の死闘があったそうだ。毎回とてつもない被害が出たらしい――"森大蜥蜴"は、そう簡単に仕留めきれる相手とは思えないんだ。もしきみに万が一のことがあったらと思うと、私は不安で堪らない」


 ホランド――というより、この世界の住人にとって、"森大蜥蜴"とはもはや天災のようなものだ。森の王者として"大熊"と双璧を成すといっても、そもそも"大熊"は賢いため森の外には滅多に出てこない。反対に、"森大蜥蜴"は猪突猛進で恐れを知らないため、割とフットワーク軽めに動き回り、現地住民との衝突も多い。


 "森大蜥蜴"の方が、より現実的な脅威として恐れられているのだ。


「……まあ、俺一人では絶対に無理だな」


 ホランドに対し、ケイは率直に答えた。「え」とホランドが目を丸くする。


「だから、人手がいる。……アイリーン」


 足を止め、隣のアイリーンに向き直った。


 透き通った、真っ直ぐな青い瞳を覗き込む。


「……これは、とても危険なことだ」

「わかってるよ」


 ニッ、と口の端を釣り上げたアイリーンが、ケイの胸板をコツンと叩いた。


「――オレも行く。囮役なら任せろ。サティナに残れとか言ったらぶん殴るぜ」


 アイリーンの機動力なら、"森大蜥蜴"を引きつけて翻弄することができる。そこを、ケイが遠距離から叩く。ゲーム内で幾度となく使った手だ。


 だが――これはゲームではない。一歩間違えば即死。危険極まりない鬼ごっこ。そんな役割をアイリーンに丸投げしようとしている。死地に送ろうとしている。彼女の能力なら大丈夫だとは思いつつも、危険であることには変わりないのに。


 男として、恋人として、忸怩たる思いがあった。そもそも『怪物狩り』になんか手を出さなければ、サティナでのんびり平和に暮らしていけるのだ。『命をかけてでも誰かの役に立ってみたい』という、子どもじみたケイの我儘に、同じく命をかけて付き合ってくれるだけ――



 とはいえ。



 アイリーンの性格はわかっている。ここで申し訳無さそうにしたり、今さらグダグダ言ったり迷ったりするのは、彼女に対して失礼なだけだ。



 だから――感謝の気持ちを。



「ありがとう。頼んだ」



 あとは後悔しないよう、万全に対策し、挑むのみ。



「というわけで、俺一人では無理だが――」


「――オレたち二人なら可能ってワケよ! ホランドの旦那」



 不敵に笑うケイとアイリーンを、ホランドは複雑な心境で見つめていた。


 コーンウェル商会お抱えの魔術師。家だのガラスだのと投資を続け、近ごろようやく利益が出始めて軌道に乗ってきたところ、わざわざ天災じみた怪物との戦いに首を突っ込もうとしている。


 もし二人揃って万が一のことが起きた場合、どうなるか? ――考えたくもないことだ。そして嘆かわしいことに、二人を無理やり止める権利は、ホランドにも商会にもないのだった。再び魔術師を囲う機会が訪れたならば、契約書の文面には再考の余地があるだろう。『【深部】の化け物との戦いに直接身を投じるべからず』とでも書くか――?


 まあ、今考えても詮無きことだ。


 ――ならば。


「我々に、何かできることは?」


 少しでも『分がある賭け』にもっていかねば。


「そうだな……現時点での、ヴァーク村の様子を知る方法はないか? 伝書鴉ホーミングクロウとか」

「うちの商会にはない。ヴァシリー殿との契約はまだ完了してないし、肝心の伝書鴉も届いてないからね。その手の通信はラングニック商会が独占してるから、いずれにせよ少し時間がかかる」

「ラングニック……コウのとこのか」


 アイリーンが呟いた。『冷蔵庫製造マシーン』としてコウを押さえている、領主の御用商人だ。アイリーンが影の魔術を通信手段として売り出さず自重しているのは、彼の商会に所属する魔術師たちの利権を脅かし、『敵』と認定されるのを避けるためでもある――目をつけられるだけでも厄介なので、影のリアルタイム文字会話チャットに関しては秘匿しているのが現状だ。


『――どうする? 日暮れ後にでも使うか?』


 それでもアイリーンが小声で尋ねてきたが、ケイはかぶりを振る。


『やめておこう。どちらにせよ現地に出向く必要はあるんだ』


 一考の価値はあったが、政治的に余計なリスクは取らないことにした。ヴァーク村の方から話が漏れる可能性もある。以前ヴァシリーとの連絡に影の魔術を使ったのは、本人が伝書鴉の使い手でありながら信用のおける人物だったからだ。


「通信手段は諦めるか。ホランド、よければ馬車と、生きた山羊を何頭か、そしてヴァーク村の男たちに使わせるつるはしやショベルの類を用意してもらえないか」

「わかった。一応用途を聞いても?」

「山羊は囮として使うかもしれない。ショベルとかは、地面を掘って罠を作るためだ。最悪、ちょっとした溝を彫るだけでも、突進の勢いを削げる。可能な限り地形を利用したい。馬車はそれらの運搬用だ」

「ということは、御者も必要だね」

「そうだな。できれば馬車につける最低限の護衛も頼む。準備が整えば、まず俺が軽装で先行しようと思う。サスケの足なら一日もあれば着くはずだ」

「オレは馬車と一緒に、か?」


 アイリーンは少し不満げだ。


「可能なら二人乗りでもいいが……サスケがヘバったら意味ないからなぁ」


 天井を仰ぎ、頭の中で、自分一人を乗せたサスケを最高効率で走らせた場合、アイリーンと二人乗りした場合、そしてアイリーンがスズカとともに付いてきた場合を比較検討したケイは、


「訂正、俺はサスケに、アイリーンはスズカに乗って、スズカのペースにあわせた全速力でヴァーク村に先行しよう。仮に俺が一人で急いで、まさに村が襲われる直前に間に合ったとしても、サスケが体力的に限界だろうから騎兵としての能力が活かせない。そのままサスケごと喰われるのがオチだ……この可能性に関しては諦めて、最初から切り捨てるべきだな」


 その後も、ホランドと話し合い、細々したことを決める。


「やはり、対"森大蜥蜴"を踏まえて、戦えるヤツは多いに越したことはないんだが……ホランド、誰か心当たりはないか? 弓かクロスボウのそこそこの使い手で、"森大蜥蜴"を前にしてもビビらないヤツは」

「……射撃の腕前はともかく、化け物相手にビビらない人間、となるとウチの商会じゃちょっと厳しいかな……」


 ケイのリクエストに、口の端を引きつらせるホランド。


「というか、どこの商会でも厳しいと思うよ」

「……それもそうか」


 隊商の護衛にせよ用心棒にせよ、野盗や狼と戦う覚悟はあるだろうが、【深部】の怪物までは流石に想定外だろう。以前ホランドの隊商で一緒だった、経験豊富な護衛のダグマルでさえ、"大熊"が出たときはビビり倒していたのを思い出す。


「んじゃ、ホランドの旦那は、物資と人手の調達と。支払いはどうすんだ、ケイ?」

「そう、だな……どうしたものか」

「あ、それなら二人とも、魔道具の売り上げから天引きする形でどうだろう。現金で先払いでもいいけど用意する時間がもったいないだろう?」

「ありがたい、それで頼む。あとアイリーン、モンタンとコウのところにお使いに行ってくれないか?」

「もちろんいいぜ。何を頼むつもりだ? 予想はつくけど」

「モンタンには大至急で矢の注文を。事情を説明して"長矢"をあるだけ買って、"爆裂矢"のベースの追加も依頼しといてくれ。明日の日の出までに用意できるだけでいい。コウには、いくつか注文したい魔道具が――」

「――それをコウの旦那に頼むなら、ついでに――」


 アイリーンのアイディアも交え、コウへの注文内容を決める。


「そういえば、ケイくんたちは、領主様のところの『流浪の魔術師』殿とも知り合いなんだっけ」

「まあな。いろいろあってさ。……で、オレがお使いに行くのは構わないけど、ケイはどうすんだ?」


 アイリーンの疑問はもっともだ。普段なら矢の購入や、コウへの注文を自分でやっていただろう。


 ――いや、そもそも最近だと二人で別行動なのがそもそも珍しいか。


 そう思い当たって、少し可笑しく感じながらもケイは答える。


「――俺は助っ人候補を訪ねてくる。サスケなら日帰りできるはずだ」

「助っ人?」

「候補?」


 揃って首をかしげるアイリーンとホランド。



 ――ケイが今、対"森大蜥蜴"戦で必要としているのは、とにかく怪物を前にしてもビビらず、きちんと行動できる人物だ。



 とはいえ先ほどホランドが言っていたように、怪物と戦う胆力がある人物など、早々存在しない。



 だが、ケイには心当たりがあった。



 弓の使い手で、サティナ近辺に住んでいて、かつ信用のおける人物が。



 彼ならば、協力してくれるはずだ。



「タアフ村に行く。狩人のマンデルなら、あるいは」



 ――ケイに次いで、武闘大会の射的部門で二位に輝いた、あの男ならば。








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