81. 共有


『どうやって帰るか、ですか』

『……おかしいかい?』


 苦虫を噛み潰したようなケイに、コウは怪訝な顔をする。


『正直、今現在、いい暮らしをさせてもらっているけどね、あくまでこちらの世界基準なわけだ。イリスも僕も、地球に帰るのを第一目標にしている――』


 そこでふと、コウは口をつぐむ。何かに気づいたように。気遣うように。


『――寝たきりの病人だった、って言ってたっけ。きみは、帰りたくないのか』

『俺ひとりだったら、そうだったんでしょうけど』


 ケイはちらりと、隣のアイリーンを見る。


『彼女がいましたから。元の世界に帰れるかどうか、それも調べていました。その過程で北の大地――雪原の民の国まで出向いて、件の上位存在に会ったんですよ』

『なるほど。それで、帰還方法については』

『……結論から言うと、』



 心苦しく思いながらも、ケイは告げた。



『……地球の俺たちの体は、もう死んでる可能性が高いそうです』




          †††




 屋敷を出る頃には、すでに日が傾いていた。


 ケイがことのあらましを語り終えるには、それだけの時間を要したのだ。


 そしてコウが話の内容を噛み砕き、理解するのにも。


 ――それを受け止めるのにも。


「……やっぱ、ショックだよな」


 こつん、と小石を蹴飛ばしながら、アイリーンが言った。ケイと並んで、二人の影法師が長く伸びている。ふらふら、ぶらぶらと。どこか力ない足取りで。


「……」


 ケイは無言で頷く。地球への帰還は絶望的――そう告げられたコウは、当初の紳士的な振る舞いからは想像もつかない狼狽っぷりを見せた。


 無論、すぐにケイの話を信じたわけではない。詳しい事情――ケイたちの冒険譚に黙って耳を傾けたあと、ただ短く、『それを信ずるに値する証拠は』と問うた。


 困ったのはケイだ。証拠を出せと言われても、そんなものはない。


 ――胸ポケットにしまってある、指輪を除けば。


 "魔の森"で特典としてもらった、『一度だけオズを呼び出して願いを叶えてもらえる』魔法の品だ。


 当然、コウに話を信じてもらうためだけに、この貴重な力を使えるはずもない。そこでケイが利用したのは精霊だった。この世界の精霊は嘘を見抜く。他でもないコウの契約精霊、妖精の『ダルラン』に、ケイの言葉に嘘偽りがないことを確認してもらったのだ。


 それでも、『ケイが嘘を言っていない』ことがわかるだけで、『"魔の森"でオズから聞いた情報が全て正しい』証明にはならない。ケイにできたのは、オズから伝え聞いた推測――『地球の肉体はおそらく死亡している』『世界を渡るには膨大な魔力が必要』『ケイたちを呼び出したのは、おそらく時の大精霊カムイ』――を、そのまま伝えることだけだった。


 それで納得できないなら、仕方ない。


 自ら"魔の森"に直接確認しに行けばいい。ケイは同行するつもりはないが、北の大地へ旅立つというならば、地形やルートなど情報面での最大限の支援を約束した。もちろん、現地であった馬賊の襲撃と、草原の民を想起させる対アジア系感情の悪化まで話した上で。



 ――コウは、しばらく頭を抱えて動かなかった。



「気持ちはわかる」


 腕組みして、嘆息するケイ。


「逆の立場だったら、俺だって『はいそうですか』と信用する気にはなれない。プレイヤー同士でといっても、通りすがりに殺し合う間柄だったからな」


 信用以前の問題だ、と思わず苦笑い。


「だが、俺が嘘をついている可能性は精霊によって否定されている。精霊まで信用できないとなると、それはもう世界の仕組みそのものが疑わしいということ。かといって、自分で真偽を確かめに行こうにも、北の大地は遠く、道のりは険しい。……八方塞がりだな」

「コウの旦那は、オレたちみたいにフットワーク軽くねえからなぁ」


 アイリーンが肩をすくめる。


 今現在、コウは難しい立場に置かれていた。


 かいつまんで事情を聞いたが、当初、タアフ村でケイと思しき人物の情報を手に入れたコウとイリスは、サティナで装備を整え、ケイを追いウルヴァーンに向かう予定だったらしい。


 が、資金調達のためコウが氷の魔術を解禁し、大きめの商会に目星をつけて売り込みをかけたところ、それがたまたま領主御用達の系列で、あっという間に唾を付けられ、気がつけば恩の押し売りで身動きが取れなくなっていたそうだ。


『うっかり安定しちゃったから、ますます動きづらくてね……』


 旅にはリスクが伴う。ときには命の危険さえも――安定した生活を捨て去るにはかなりの勇気が必要だ。


 そして、もともとコウは安定志向の人間だった。


 彼にとって、【DEMONDAL】とそのシビアな世界観はあくまでストレス解消目的の娯楽に過ぎず、『生きていく』場所としては決して魅力的ではなかったのだ。真っ当に社会人として過ごしつつ、鬱憤を晴らすためPKプレイヤーキラー行為に走っていた――ただ、それだけ。重度の寝たきりで元から【DEMONDAL】に暮らしていたケイと、仮想世界に引きこもっていたアイリーンとは事情が違う。


 いくら魔術が使えようと、貴族のような生活が約束されようと。


 コウはファンタジー世界での暮らしなんて、求めちゃいなかった。


 ――そしておそらく、イリスも同様に。


彼女イリスの場合、ケモミミに尻尾まで生えるわ、人前だと猫かぶらなくちゃならんわで、堪ったもんじゃねえだろうな」

「全くだ。お姫様のフリもよくやるよ」


 当初はその場しのぎの方便だった『イリスお姫様』作戦も、なまじイリスが名家のお嬢様育ちだったため、なんだかんだボロを出さないまま上手くいってしまい、継続しているらしい。というか、今更「嘘でーす!」とは口が裂けても言えない雰囲気で、最近は見合い話まで出てきて苦労しているのだとか。それも相手は木っ端貴族の次男・三男や、ケモミミに大興奮の紳士がメインだそうだ……


「しかし、流石にイリスも何かおかしいって気づいたみたいだな。ほとんど演技もせずにコウを心配そうに見てた。目の前に座ってたからよくわかったぜ」

「そう……だな。まあコウがあからさまにショック受けてたし、薄々内容も察しがついたんだろう」


 ケイとコウはずっと日本語で話していたので、その間アイリーンとイリスは放置されていた。だが、申し訳無さそうなケイと、みるみる顔色が悪くなっていくコウに、イリスが何を思ったか――少なくとも不安は覚えただろう。


 今頃はコウからは説明を受けて、一緒に頭を抱えているかもしれない。



 周囲が、賑々しくなってきた。



 話しているうちに貴族街を抜けていたようだ。大通りを横切ったケイたちは商業区へと足を踏み入れた。屋台や酒場のキッチンからは、食欲をそそる香りが漂ってきている。屋敷では最高級の紅茶や焼き菓子を堪能したが、今はガッツリと腹にたまるものを食べたい気分だった。


 現在ケイたちが泊まっている宿屋は、それほど飯が美味いというわけでもないので、何か買って帰ってもいいな、と屋台を物色しつつ歩く。


「あーあ、キンキンに冷えたエールが飲みてえ」


 酒場の酔っぱらいたちを尻目に、アイリーンがぼやいた。


「コウに頼んでみるか、せっかく氷の魔術師なんだし」

「そうしたいのは山々だけどさ……今日のノリだととても頼めないっつーか」

「まあ……そうだな……」


 渋い顔をする二人。「元の世界に帰れないのは残念だけど、まあ元気出せよ!」などと無責任に励ませたらどれほど楽だろう。


「気持ちの整理には……時間がかかるだろうからな……」


 自分もそうだった、とばかりにアイリーン。どこか達観したような、それでいて憐憫の情が滲むような。最初から『第二の人生』に感謝しきりで、その手の葛藤とはほぼ無縁だったケイには、安易に相槌を打つことさえためらわれた。


「……俺には、かける言葉が見つからないよ」


 せめて、ケイたちのように、上位存在オズ相見あいまみえていれば、諦めもついたかもしれないが。コウたちが一念発起して、全てを放り出し北の大地へ旅立つ可能性は限りなくゼロに近い。このまま悶々と日々を過ごすのか……


「あ、おっちゃん。その串焼き肉ウマそうだな!」


 と、アイリーンが屋台のオヤジに声をかける。


「おうおう、えらいべっぴんさんじゃねえか! 味見するかい?」

「ありがとー!」


 そうしてちゃっかり、串焼き半本はありそうなデカい肉をゲットしていた。味見と称して豪快に頬張るアイリーン。


「うっめー! おっちゃん、八本くらい包んでくれ!」

「あいよ!」


 アイリーンのとびきりスマイルに機嫌を良くしながら、オヤジが串焼き肉を大きな葉っぱにくるむ。不器用にウィンクして、一本多めに入れてくれたようだ。ぐぅ、とケイの腹が大きな音を立てる。コウたちが気の毒なのは確かだが、それはそれとして腹が減っていた。


「んぐ、むぐ、美味いなコレ」

「な。間に挟んだアプリコットみたいなヤツがいいアクセントになってるぜ」

「香草も効いてて、思ったより手間がかかってる」

「あのオヤジ、見かけによらず繊細に味付けするじゃねーか……」


 などと食べ歩きしながら品評会。なお、当の屋台のオヤジは、ケイの存在に気づいて「彼氏持ちかよ……!」などと悔しそうにしていた。屋台で買い物する際、それとなくアイリーンから距離を取って、他人のふりをするのが半ば癖と化しているケイだ。アイリーンが単独ソロだとオマケしてもらえる可能性が跳ね上がる。尤も、この街で暮らしていくなら、この技も段々通用しなくなっていくだろう。


 それはそれで――悪くない、と思えた。


「今日さー、ケイたちの話、聞いてて思ったんだけどさー」


 夕焼けを眺めながらアイリーンが言った。


「北の大地にいたとき、ケイもこんな気持ちだったのかなって」

「……どういうことだ?」

「や、全然会話がわかんなくて、こう……疎外感っていうか。オレが雪原の民相手にロシア語ではしゃいでたとき、ケイにも寂しい思いさせてたのかもな、って……そう考えたら、ちょっと悪かったな、みたいな……いや、オレなに言ってんだろ」


 いつもはサバサバしているアイリーンにしては珍しく、しどろもどろで要領を得ない口ぶりだ。一瞬、きょとんとしたケイは、思わず笑ってしまった。


「ちょっとくらい寂しくても平気だったさ」


 空いている手で、アイリーンの肩をぐいっと抱き寄せる。


「アイリーンが楽しそうで俺は嬉しかったよ。それに、そのあと好きなだけ、一緒に話せたしな」


 これまで、言語のせいで、歯痒い思いをしてきたことが幾度もある。雪原の民の言葉はまるで理解できないし、公国語も語彙が限られており、咄嗟の反応に詰まってしまう。冗談や叫び声の類は聞き取れないことも多い。もしも自分がネイティブなら、あるいは全て日本語なら、もっと気の利いた言い回しができたかもしれないのに、表現に困って首をかしげる必要もないのに――などと、思うことがあった。


 そんなケイが、久方ぶりに饒舌に話すことができたのが、先ほどのコウとのやりとりだ。


 何を言っても通じる。何を言われてもわかる。相手の冗談も、ほのかに匂わせるニュアンスも。ひたすら快適で、充実した会話だった。


 その結果、相手に誤解なく情報を伝えられ、絶望を与える結果となってしまったのは、皮肉としか言いようがないが――。


「俺も……今日はちょっと、はしゃいでたかもしれない」


 内容が内容なだけに、楽しさ一辺倒ではなかったにしても。


「そっか……」


 頷いたアイリーンが、「ふふっ」と笑った。


「ケイ」

「ん?」

「これあげる」


 突然、口元に差し出される串焼き肉。


「お、おう……ありがとう」


 一口かじると、そのままアイリーンがもぐもぐと二口目以降を食べ始める。


「……オレ、日本語勉強してみよっかな」


 唐突に、アイリーンはそんなことを言った。


「え? なんでまた」

「だってこの世界で最強の暗号になるじゃん」


 ロシア語は雪原の民が理解できてしまうし、精霊語も魔術師なら聞き取れる。


 だが日本語なら、ケイとコウ以外には理解不能だ。


「『コニチワ』と『アリガト』しか知らねえけど、もともと興味あったしな」

「それならもちろん、レクチャーぐらいお安いご用だが……」

「ホント? じゃあ教えてくれよ、日本語で何て言うのか――」



 顔を寄せて、アイリーンは悪戯っぽく笑う。



「――たとえば、『I love you.』とか」



 夕陽に染められて、その頬はほのかに紅く。



「……そうだな。それは難しい質問だ」



 真面目くさって頷いたケイは、極めてシンプルに応える。



 アイリーンの頬に手を添えて――





 その『言葉』を語るには、唇さえあれば、事足りるのだった。



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