80. 交流


 たおやかに微笑むイリスが、ケイたちを屋敷へと誘う。


 正面の扉を抜けると広々としたホール。貴族の館にしては飾りすぎず、それでいて上品な、格式高い空間だった。


 どこかエキゾチックな雰囲気を漂わせる床には、白と青のタイルが散りばめられ、幾何学的なモザイク模様を描いている。しっかりと磨き上げられたタイルはまるで宝石のように光り輝き、無粋なケイのブーツでは、踏み入るのがためらわれるほどだった。


 モザイク模様の、放射線状に広がるデザイン――その図柄を目で追ったケイは、自然、導かれるようにして壁面を見やる。ホールの両面の壁と、正面の階段の踊り場には、それぞれ一枚ずつ巨大な絵画が飾られていた。


 向かって左手側の絵は、どうやら海辺の街を描いたものらしい。


 青い海、晴れ渡った空、賑わう埠頭、所狭しと香辛料や衣料品が並ぶフリーマーケットに、大小様々な帆船。ウミネコの鳴き声や市場の喧騒が潮風に乗って運ばれてきそうな、ダイナミックで臨場感に満ち溢れた作品だ。


 翻って右手側の絵には、岩山に囲まれた鉱山都市が描かれていた。


 色鮮やかで開放的だった港町とは対照的に、植物の緑もほとんどない赤褐色の山肌が、荒れ地じみた寂寥感を投げかけている。だが、そんな厳しい環境をものともせず、家屋から伸びる煙突はもうもうと黒煙を吐き出し、そこに根付く人々の営みが熱気とともに伝わってくるかのようだ。


 最後に正面。


 風景画だ。ゆるやかに蛇行する大河と、はるか地平にうっすら浮かぶ山脈。街道を行き交う馬車、まるで要塞のよう巨大な城、そしてそれを取り囲む都市――どこか見覚えのある景色。


「ウルヴァーン……」


 アイリーンが呟く。それはまさしく、かつて自分たちが滞在していた公都『要塞都市ウルヴァーン』そのものだった。


「……なるほど」


 続いて、ケイも気づく。両側の風景画も公国の『四大都市』を描いたものであることに。おそらく左手が『港湾都市キテネ』、右手は『鉱山都市ガロン』だろう。要塞都市ウルヴァーン、城郭都市サティナとあわせて、国内で最大規模を誇る都市だ。


 そしてサティナは、他三つの都市を結ぶちょうど中間地点に位置している。


 北にはウルヴァーンが、西にはキテネが、東にはガロンが――おそらくホールに飾られているこれらの風景画も、それぞれの方角に対応しているのだろう。絵そのものの芸術性もさることながら、なかなか粋なディスプレイじゃないか、とケイは感心した。


 と同時に、この屋敷がサティナ領主の別邸、あるいはその係累のものである可能性が非常に高くなった。貴族は多分ここまでしないだろう。


「それではまた、後ほど……」


 馬車からずっと付き従っていた側仕えのヒルダを連れて、楚々とイリスが去っていく。「え」とその場に取り残されたケイたちだったが、すぐに別のメイドが現れ、「こちらへ」と案内してくれた。


 ホールを抜け、中庭に面した回廊を行く。この屋敷は、上から見るとロの字型をしているようだ。中庭にはダリアやジニアに似た季節の花々が咲き乱れている。「きれいだな」と口元をほころばせるアイリーンをよそに、ケイは一部の植物に目を留めて(あれは低級ポーションの材料では?)などと考えていた。どうやら薬草園も兼ねているらしい。


 そのまま小さな談話室に通される。窓から中庭が見える日当たりの良い部屋だ。すでに別の使用人が控えており、ソファに腰掛けたケイたちに茶を淹れたり焼き菓子を供したりと、甲斐甲斐しく給仕サーブしてくれる。


 本当に、かつてないほど快適だ。


 イリスがいなくなって使用人たちの態度が豹変する――などということもなく、完璧な愛想の良さを維持。ほどよい距離感で接し、ローテーブルに食器を置く際にはほとんど音も立てず、ティーカップの取っ手は持ちやすいようにこちらに向けられていて、紅茶は少し熱めの適温だ。


 そして給仕が済めば部屋の隅で待機。何かあったら声をかけてもらえるよう視界内に留まりつつ、全くプレッシャーを感じさせない自然体。


 プロだなぁ……とケイは感心した。どのような職業であれ、極限まで洗練された所作とプロ意識は尊敬の念を生む。


「うまいなコレ」

「うまい」


 とはいえ、今のケイたちにできるのは、焼き菓子をモシャモシャと頬張って舌鼓を打つくらいのことだったが。


「ごきげんよう。お待たせいたしましたわね」


 中庭の噴水を眺めつつのんびりしていると、イリスがやってきた。どうやら着替えていたらしい、先ほどの白いドレス姿ではなく少しラフな格好をしていた。――といっても、紫がかった色合いの仕立ての良いワンピースで、ケイたちの服装とは比べ物にならないほど上等なものだ。


 ケイたちの対面のソファに、ふわりと優雅に腰掛けるイリス。いつの間にか傍らに控えていたメイドがスッとカップを差し出し、イリスもごく自然に受け取って口に運ぶ。実に様になっていた。


「すぐに『コウ』も来るでしょう。彼も驚いていらしてよ」


 くすりと笑うイリス。おそらくツレの"流浪の魔術師"のことだろう。ケイは曖昧に頷くにとどめた。


 しばし、紅茶を飲みながら他愛ない雑談にふける。主に場を取り持つのはイリスだ。「今までどうしていたのか」「いつ頃から『こちら』に来ていたのか」といった、当たり障りのないことを迂遠な言い回しで尋ねてくる。メイドたちの前では踏み込んだ話を避けようとしているのは明白で、ケイとアイリーンも無難に受け答えに終始した。


 ――そして五分も経たないうちに、部屋のドアがノックされる。


「イリス様、『知り合い』がこっちに来たとのことですが……おおっ!」


 ひょっこりと顔を覗かせたのは、これといった特徴に乏しいアジア系の顔つきの男だ。サスペンダーつきのスラックスに白いシャツ、青色のベストという服装で、小綺麗にまとまった感じからは「なんとなく家庭教師っぽいな」という印象を受けた。


「びっくりしたでしょう? コウ」


 イリスがいたずらっぽく笑う。男は、ケイを見て目を丸くしていたが、すぐに気を取り直し、愛想のいい笑顔でこちらに手を差し出してくる。


「これはこれは、いやはや何たることだ! ――『久しぶりだね。それとも初めましてと言うべきかな? 日本語は通じてるよね?』」

「Ah... yeah, 『あー、えっと、はい』」


 覚悟はしていたが、突然の日本語に脳が混乱する。ケイはどもりつつも、どうにかソファから立ち上がってコウと握手を交わした。


『……大丈夫です。その、日本語もなんですけど、ちょっと敬語が久々で』

『はっはっは、気持ちはわかるよ。僕も錆びついてないか心配でね』


 苦笑する男――『コウ』の顔を、ケイは思わずまじまじと見つめてしまう。なぜなら『典型的な東アジアの顔』を本当に久しぶりに目にしたからだ。こちらの世界のアジア系といえば草原の民だが、彼らの肌は浅黒く、濃い顔立ちで、いわゆる醤油フェイスの日本人とは趣が異なる。


 さらに言うなら現在のケイ自身の顔も、【DEMONDAL】の草原の民のアバターに手を加えたものだ。多少、というか、かなり日本人のそれとはかけ離れている。コウの顔立ちに懐かしさを覚えてしまったのだ。


『さて、申し訳ないけれども、感動の再会を果たした旧知の仲って雰囲気で頼む。怪しまれたくないからねぇ……』


 ぽんぽん、とケイの肩を叩いて、コウがイリスの隣に座る。まるで遠い昔を懐かしむような表情と語り口。日本語がわからない者には、思い出話をしているようにしか見えないだろう。


『わかりました。といっても、あまり演技には期待しないでください……大根役者なんで自分……』


 ケイも神妙な面持ちで返す。一瞬、黙って顔を見合わせたが、あまりの白々しさに耐えきれず二人して吹き出してしまった。


 からからと笑うケイとコウを、アイリーンとイリスは愉快そうに見守っている。一方で、控えていたメイドたちは、未知の言語で話し始めたケイたちに面食らったような雰囲気を漂わせていた。


『……僕たちの会話は四六時中、彼女らに聞かれているからね。イリスとも滅多なことが話せなくて苦労してたんだ。その点、我々の言語は最強の暗号として機能する。非常に助かるよ』

『まさかこっちで日本語が役に立つとは思いませんでした』

『全く同感だ。あ、もし僕の言葉で、わからないところがあったら遠慮なく言ってくれ。本当は英語の方が得意なんだ』

『……もしかして、日系の方ですか?』

『そう、二世でね――』


 メイドから紅茶のカップを受け取ったコウが、おもむろにイリスとアイリーンを見やる。


「失礼しました。御二方を退屈させてしまいまして」

「いいえ。構いませんのよ、本当に久しぶりなんですもの。ゆっくりと旧交を温められてはいかが」

「ありがたくそうさせていただきます。しかしその前に……初めまして。魔術師のコウと申します」


 胸に手を当てて、コウが一礼する。もちろんアイリーンに向けてだ。


、というべきかな。アイリーンだ。"NINJA"と言えばわかってもらえるか」


 アイリーンもニヤリと笑って答える。


 コウは再び目を丸くし、「なるほど……」と呟いた。"死神日本人"と同時期に姿を消した有名プレイヤー、"NINJA"アンドレイ――


「あなたが……そうか。ずいぶんと、その、お変わりに。まあ、僕らも人のことを言えた義理ではありませんがね。そうなると、ケイは本当になぁ……」


 とらえどころのない表情で、コウがぱちぱちと目をしばたかせる。ケイの容姿がアバターと完全一致していることに違和感を覚えたようだ。


「まあ、それは……『追々話すとして。すいません、コウさんって彼女イリスのお仲間ですよね? 具体的にどの人だったんです?』」

『ああ、すまないね、先に言っとくべきだった。一人、ヒゲもじゃの魔術師がいただろう。アレだよ』


 コウが焼き菓子をつまんで、欠片を空中に差し出す。ふわりと燐光が漂ったかと思うと、どこからともなく現れた妖精が美味しそうにぱくつき始めた。


 それを見てケイも思い出す。イリスの仲間の一人、杖術に長けた妖精使いのプレイヤーキラーのことを。たしか妖精の名前は『ダルラン』だったか。馬の知覚狂わせる幻術と、大弓の矢をいなす杖術に手を焼かされた記憶がある。


『思い出しました。幻術で馬がひっくり返って即死したことがありますよ、アレには参りましたね』

『あったねー。僕が直接きみを撃破したのはあれが最初で最後じゃないかな。あの節は誠にご迷惑をおかけして……』

『いやいやいや』


 真面目くさって頭を下げるコウと、それを止めるケイ。もちろん冗談だ。


『しかし、噂では氷の精霊とも契約されていると聞きましたが、ゲーム内じゃ妖精の魔術だけ使ってませんでした?』

『きみがいなくなった直後にね、氷の精霊を見つけて契約したのさ。……おかげで今は、領主のお抱え魔術師兼、冷蔵庫製造マシーンとして活躍しているよ』

『あっ、それは……』


 ケイは察した。ゆえに今のこの待遇があるのだろう、と。食料諸々の長期保存を可能とする氷の魔術師が、この世界においてどれだけ重要視されるか、想像に難くない。


『……えっと、確かあと一人、お仲間がいませんでしたか? 竜人ドラゴニアの』


 何やら遠い目をするコウに、話題を変えようと、ケイは続けて尋ねる。


 イリスたちはならず者のだった。コウとイリスがセットで転移しているということは、残り一人――竜人ドラゴニアのメイス使いもこちらに来ているのではないか、と考えたのだ。


「ああ――」


 コウは、自然に肩をすくめる。


『彼とは、はぐれてしまったんだ。今はどこにいるのか、見当さえつかない』

『あ、そうなんですか』

『こちらに来た直後は一緒だったんだけどね。でも僕たちも混乱していたし、彼もその、情緒不安定だったというか。気がついたら消えてたよ。しばらく探してみたけど、完全に行方不明さ』

『そうでしたか……』


 淡々とした口調で語るコウに、ケイはそれ以上言及するのがはばかられて、口をつぐんだ。


『まあそれよりも、だ。他にも話したいことはある』


 コウが前のめりになるようにして、ソファに座り直す。


『なぜ僕らはこの世界に来てしまったのかとか、どうやらこちらと向こうでは時間の流れが違うらしいとか……それにしてもケイくん、本当に以前のままなんだね。きみだけゲームから飛び出してきたみたいだ』

『ああ、これですね』


 改めて指摘され、ケイはぺたりと自分の顔を撫でた。


『こっちに来たばかりのとき、アイリーンも驚いてましたよ』

『ふむ。僕のこの姿はリアルのままだけど、イリスはなぜか耳と尻尾が残った。彼女アイリーンはどうやらリアル寄りの姿になっているみたいだが、きみは完全にゲームのままだ。……どんな法則があるんだろう』

『あー……』


 今度はケイが肩をすくめる番だった。


『魂の姿、といいますか……自分で自分をどう思っているか、に依るらしいですよ。彼女イリスはけっこうゲームをやり込んでたみたいですし、猫耳の聴覚や尻尾の感触にも馴染みすぎていて、こちらの世界で受肉した際に耳と尻尾も再現されてしまったんでしょう。俺の場合は……寝たきりの病人で、ゲームの世界に半ば住んでたので。魂が完全に、この姿を自分と認識していたようです』


 淀みのないケイの語り口に、コウの眉がぴくりと跳ねた。


『……随分と確信があるみたいだね。伝聞調なのも気になる』

『まあ……実は、別の世界からやってきた上位存在みたいヤツと遭遇しまして』


 色々教えてもらったんですよ、というケイの言葉に、コウが目を輝かせた。


『すばらしい! そんなことが。僕らもこの世界について色々調べを進めていたんだけど、ほとんど手詰まり状態だったんだ。ぜひ聞かせてほしいな、その上位存在とやらの話を。僕らは――』



 不意に、コウが問う。



『――僕らは、どうやったら元の世界に帰れるんだろう?』



 ケイは、返答に窮した。




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