79. 豹耳


 城塞都市サティナ、貴族街のど真ん中。


「あたしよ! 『イリス』よ!」


 馬車の窓枠から身を乗り出した黒髪の女が、こちらに手を伸ばして必死に叫ぶ。ケイとアイリーンは顔を見合わせた。


「誰だよ」


 懸命な訴えも虚しく、異口同音に聞き返すケイたち。『イリス』と名乗った女は、馬車の窓枠からズルッと滑り落ちそうになっていた。


「……お嬢様、いかがなさいましたか?」


 と、背後の騒動を聞きつけた御者が、馬車を停止させて怪訝そうに尋ねてくる。「やっべ」という顔をした黒髪の女イリスは、すぐに楚々とした表情を取り繕った。


「いえ……もうお会いすることは叶わないとばかり思っていた、古い顔馴染みの方がいらっしゃったものですから。少々取り乱してしまいました」


 つば広の帽子の角度を直しながら、口元に手をやって上品に笑う。その立ち居振る舞いは先刻とまるで別人だ。カメレオンのごとき鮮やかな変わり身にケイとアイリーンは唖然とした。


「さあ、ケイさん……それに、お連れの方も。ぜひ一緒においでになって。積もる話もありますし、旧交を温めましょう?」


 うふふふふふと笑いながら、手招きするイリス。ケイとアイリーンは胡散臭そうに顔を見合わせた。アイリーンが(マジで誰だよ)と目で尋ねてきたので、「わからん」と口を動かし答えるケイ。


「……それでは、先約がありますので、僕はこのあたりで……」


 愉快そうに状況の推移を見守っていた吟遊詩人のホアキンが、さも残念そうに口を開く。


(お話、期待してますよ)


 これから何が起きるのか――あとで聞かせてくださいよ? とばかりにニッコリと笑い、ケイに耳打ちしてから去っていくホアキン。


 あとに残されたのは、困惑気味のケイと、訝しげなアイリーンと、微笑みながら手招きするイリスと。


「……ケイさ~ん? いらっしゃらないの~?」


 相変わらず貼り付けたような笑顔のイリスだが、いつまで経っても動かないケイたちに焦れたような気配を滲ませる。


「ああ……いや、お招きにあずかろう」


 気を取り直し、ケイは答えた。


 イリスが何者かはわからないが、"死神日本人"というケイのニックネームを知っていることから、間違いなく【DEMONDAL】の関係者だ。そして他の転移者を探していたのはケイたちも同じ。まさかこのような、貴族の令嬢じみた人物だったとは予想外だが……


「よかった。わたくしのことを覚えていらっしゃらなかったら、あるいは人違いだったらどうしたものかと……」


 ケイが応じたことで、イリスもホッとしたような表情を浮かべる。馬車からメイド服を着た側仕えと思しき女が出てきて、ケイたちに一礼しつつ乗車するよう促した。


(覚えてないというか、マジで誰なのかわからんのだが……)


 胸の内でひとりごちつつ、肩をすくめたケイは、アイリーンともども馬車にお邪魔することにした。


 御者が鞭を入れる。カタカタと車輪の音を響かせ、滑るようにして馬車は動き出した。イリスと同乗していたメイドは気を遣って御者台に移動したようだ。主人イリスの知己と並んで座るわけにはいかない、という配慮だろう。そんなに気を遣われるとケイは少々申し訳なく思ってしまうが、アイリーンは気後れなど一切ない様子で、しげしげと興味深げに車内の装飾などを眺めていた。


 豪勢な馬車だ。俗に『キャリッジ』と呼ばれるタイプの箱馬車。貴族の家で使われるような立派なもので、窓には上質な透き通ったガラスがはめられ、座席にはビロード張りのふわふわなクッションが敷かれている。窓際で揺れる臙脂色のカーテンには、金糸で細やかな刺繍が施されていた。おそらくはサスペンション付きなのだろう、舗装された道を走っていることもあり乗り心地もすこぶる良い。


 思えば、こちらの世界に来て以来、これほどきちんとした馬車に乗るのは初めてではなかろうか。隊商護衛で同乗したのは行商人御用達の荷馬車ばかりだった。馬車の格が違うと、こうも変わってくるものなのか。


「ええと……」


 感心するケイたちをよそに、イリスはつややかな黒髪の毛先をいじりながら、何やら思案顔だ。その視線はケイとアイリーンを往復している。


「……お久しぶりね? 今さらですけれども、お邪魔だったかしら。こんな綺麗な方といっしょのところを、無理に誘ってしまったみたいで」


 そして、少しためらいがちに愛想よく話しかけてきた。ちらちらと横目でアイリーンの様子を窺いながら――


「……ああ、そういうこと」


 察しのいいアイリーンはすぐにピンときた。勢いでケイを馬車に招き入れたはいいものの、見知らぬ同行者がいるせいでゲームの話を切り出しづらい。遠回しにアイリーンが何者なのか探りを入れようとしている――そんなところだろう。


「気ぃ遣わなくてもいいぜ。オレも【DEMONDAL】のプレイヤーだし」

「えっ」


 目を見開いたイリスはまじまじとアイリーンの顔を見つめていたが、不意に気が抜けたようにへにゃりと脱力した。お嬢様然とした仮面も剥がれ落ちる。


「はぁ~~助かったぁ~~……勢いで招いたけど、『内密な話があるからあなたは帰ってくださる?』なんて言えないし、ホントどうしようって思ってたのよね」

「顔に書いてあったぜ」

「ふふ、ご明察よ。ケイ、この人もゲーム内のフレンド? 誰?」

「それよりまず、お前が誰なのか、教えてもらいたいところだ」


 やたら馴れ馴れしいイリスに、腕組みしたケイは苦笑を返す。


「あらごめんなさい。えーと、覚えてない? 何度も戦ったことがあるんだけど。ウルヴァーン周辺で追い剥ぎやってたプレイヤーキラー……豹人パンサニア投石器スリングを使うヤツがいたでしょ」


 ケイの脳裏に、黒い毛並みの豹人パンサニアの姿がよみがえった。今となっては懐かしい、ゲーム時代の思い出――


「いたな、そんな奴が。まさかとは思うが」

「はーい、あたしでーす!」


 にぱーっと笑いながら、イリスが帽子を取り払う。露わになった頭頂部には――ぴょこぴょこと動く黒毛の獣耳。ケイの目が点になった。


「うおっ、何それ!」


 即座に食いついたのはアイリーンだ。


「すげえ! 本物?」

「本物よ~、誠に不本意ながら」

「へぇー、ゲームのアバターに精神が引っ張られて、耳だけ残った感じか」

「え? た、たぶん? そうかも……?」

「人間の耳はどうなってんだ?」

「そっちはついてないわ。ゲーム時代に慣れてるから平気だけど」

「そうなんだ……めっちゃピコピコするじゃん。触ってみていい?」

「えっ。いいけど……くすぐったいから優しくね? おうっ」


 早速、耳の穴に指を突っ込まれたイリスが悶絶している。ケイはアイリーンが楽しげに猫耳娘を弄り倒すさまを、穏やかな気持ちで眺めていた。


(いや……イリスは豹人パンサニアか。ということはアレは猫耳ではなく豹耳と解釈すべきだ……)


 ひとり納得しつつ、うんうんと頷くケイ。


「ちょっと! 優しくって言ったでしょ! っていうかそもそもアンタは誰なのよ、アンタは!?」


 アイリーンを引き剥がして、我に返ったようにイリスが問う。


「あ、オレ?」

「そうよ! 顔には見覚えないけど……」

「オレは、その、"NINJA"アンドレイだよ。名前くらい聞いたことあるだろ……」


 少し気恥ずかしそうに、ぽりぽりと頬をかきながら答えるアイリーン。イリスはきょとんとしていたが、金髪碧眼、その顔立ち、そしてケイと同時に消息不明になった有名プレイヤー"NINJA"アンドレイ、それら全てが一本の線でつながり、徐々に驚愕の表情へと変わっていく。


「――あえええええッ!? NINJA!? NINJAなんで!?」


 それ以上は言葉にならず、口をパクパクと動かしたイリスは、ビシッとアイリーンを指差す。


「――女じゃん!」

「実はそうなんだよ。人族の女キャラって筋力低いからさ……男キャラでやってて……リアルの性別ひけらかす必要もないし……」

「あ……そっかぁ。なるほどね。まああたしも、だから豹人パンサニア使ってたんだけど」


 豹人パンサニアは、♀の方が♂よりも身体能力に優れる種族だ。単純な身体能力ならば人族の男を超えるムキムキな脳筋キャラが作成できる代わりに、ゲーム内では人族のNPC全てと敵対してしまい、商店や鍛冶屋など街の施設が利用できないという欠点があった。


 加えて、豹人は【DEMONDAL】のパッケージ版の特典であり、わざわざそれを購入してまで使う酔狂なプレイヤーは数えるほどしかいなかった。『豹人のプレイヤーキラー』と言われて、「ああ、あいつか」とすぐにわかったのはそういう理由だ。


「……ええっと、じゃあ、あなたのことはどう呼べばいいのかしら? アンドレイは変だし……」

「本名はアイリーンだよ。ロシア人さ」

「アイリーンね、了解……そういえばあたしも自己紹介がまだだったわね。イリスよ。出身はスペイン」


 何とはなしに、二人の視線がケイに向けられる。


「どうも、ケイだ。出身は日本」


 流れに合わせ真面目くさって挨拶すると、アイリーンとイリスがくすくす笑う。本当に、今更な話だった。


「はぁ。とりあえずケイが見つかってよかったわ……」


 ホッとした様子のイリス。しばし、車内に弛緩した空気が流れる。


「改めてよろしく。それにしても『あたしよ! イリスよ!』なんて、いきなり言われてもわかるわけないだろ……ゲーム内ですら名前知らなかったのに」

「そうなんだけど、いきなり見かけたもんだからちょっと動転しちゃって……いやホントにそのとおりなんだけど……」


 今になって恥ずかしくなってきたのか、赤くなった顔を帽子で隠すイリス。頭頂部の豹耳もへにゃりと倒れている。ゲーム内では殺し合いばかり、でじっくり観察する機会もなかったが、こうしてみるとなかなか可愛げのある耳だ。


 しかし、【DEMONDAL】の世界において、こんな獣耳を生やした人間は一般的ではないはずだ。この耳を『可愛い』と好意的に解釈できるのは、サブカルに馴染みのあったケイやアイリーンのような異世界人だけではなかろうか? この世界の住人は、どのように受け止めるのか。ひょっとすると耳のせいで白眼視されるのではないか? それにしてはお嬢様のように扱われているのはどういうことだ――と、そこまで考えて、ふと思い浮かんだのは先日酒場で耳にした吟遊詩人の歌。


 流浪の魔術師と、獣化の呪いをかけられたお姫様の物語――


「なあ、酒場で聴いたんだが……」


 ケイが尋ねると、「あ~」とますます恥ずかしそうなイリス。


「それ、あたしです……」

「やっぱりか」

「ケモミミ生やしたお嬢様が何人もいるかって話だよな」


 順当! と頷くアイリーン。


「いったい、なんだってそんなことになったんだ? ひょっとすると流浪の魔術師とやらもお仲間か」

「そうよ、彼もね――」


 イリスが説明しようとしたところで、馬車の速度が緩む。窓の外を見れば、立派な屋敷の門をくぐるところだった。


「……話はまたあとにしましょう。あたし、ちょっとお姫様に戻るから」


 帽子をかぶり直し、イリスは俯いて「あたしはお姫様、あたしはお姫様……」とブツブツ呟き始める。いささか病的なものを感じさせる光景だったが、馬車が停まるころには、そこには楚々とした微笑みを浮かべる令嬢の姿があった。


「お嬢様」

「ありがとう、ヒルダ」


 馬車の扉を開け手を差し出すメイド――『ヒルダ』というらしい――に礼を言いながら、イリスが馬車を降りていく。ケイたちも続いた。


「おかえりなさいませ、お嬢様」


 執事と思しき男がうやうやしく三人を出迎える。アルカイック・スマイルを浮かべた、落ち着いた雰囲気の白髪の老人だ。執事はイリスに一礼してから、ゆったりと頭を巡らせ、ケイとアイリーンにも会釈した。


「お客様ですね」

「ええ。古い顔馴染みの方よ。まさかこちらにいらっしゃったなんて……ぜひお茶でもと。『コウ』は?」

「ご在宅にございます」

「そう。では彼にも知らせて頂戴」


 たおやかに微笑むイリスに、「かしこまりました」と一礼し執事が屋敷に下がっていく。


「ほほぅ……」


 その姿を見て、アイリーンは思わず唸る。動きそのものは素早いのに、雰囲気はごくごくゆったりとしたもので、全く急いでいるように見えないのだ。年季を感じさせる、洗練された足取りだった。まさしくプロ――執事としての所作を極めていると言ってもいいだろう。それが分野は違えど、身体操作に一家言あるアイリーンの琴線に触れたのだった。


(感じの良い人たちだな)


 一方で、ケイも執事やメイドの態度に感心していた。今日は、そのへんを適当にぶらつくつもりで、吟遊詩人のホアキンと話をする以外には特に用事もなかった。当然ケイたちの身なりもそれに相応しく、ド庶民の格好だ。貴族街に似つかわしくないどころか、この屋敷の中で、使用人たちを含めて最もみすぼらしい服装と言っても過言ではないだろう。


 だが、馬車に同乗していたメイドも、先ほどの執事も、全く表情を変えない。目の奥に侮りの光もない。草原の民風の容姿である都合上、差別意識に敏感なケイでも微塵も不快さを感じないのだ。内心どう思っているかはさておき、それを決して表に出さないプロ意識は称賛に値する。メイドも執事も、かなり厳しい訓練を受けた一流の人材に違いない。


(ただ、そんな人材が集まるとなると――)


 この屋敷の持ち主は、相応の人物ということになる。敷地が限られた市壁内にこれだけ立派な屋敷を構えているのだ、さぞかし力のある――


(いや待て、たしか例の『流浪の魔術師』は領主の庇護を受けてる、って話じゃなかったか……?)


 先ほどホアキンが別れ際にそんな話をしていたような気がする。もしそうなら、この屋敷は領主の別邸か、あるいはその係累のものか。


 思わずケイがアイリーンを見やると、こちらも薄々何かを察したのか、意味深な視線を向けてくる。


「さあ、お二人とも、遠慮なさらないで」


 うふふ、と上品に笑いながらイリス。「あたしはお姫様、あたしはお姫様……」と自己暗示をかけていた姿が脳裏に蘇る。


 きっと苦労してるんだろうなぁ、とケイは他人事のように思った。半ば開き直りに近い心境で、屋敷に足を踏み入れる。


 鬼が出るか蛇が出るか、『流浪の魔術師』とやらにお目にかかって話を聞くのが楽しみになってきた。この世界にやってきて『大冒険』をしたのは、どうやら自分たちだけではなさそうだ……




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