78. 弟子
「……弟子、ですか」
モンタンが、ぽかんと口を開けた。
翌日、ケイたちはいつものようにモンタン一家を訪ねている。
リリーを弟子にしたいというアイリーンの申し出に、リリー・モンタン・キスカの三人の反応はまちまちだった。
リリーは目を輝かせ。
モンタンは考え込み。
キスカはどこか不安げに眉根を寄せる。
賛成、中立、反対、といったところか、とケイは思った。
「わたし、やりたい! おねえちゃんみたいなかっこいい魔女になる!」
諸手を挙げて大歓迎なのはリリー。『かっこいい』と言われたアイリーンは嬉しそうに、そしてちょっと気恥ずかしそうに目を細めている。
「弟子、とは、本当に『魔術の』弟子ですか?」
どこか慎重に確認してきたのはモンタンだ。あまりにも突然のことで、どう反応すればいいのかわからない、といった様子だ。その心情を一言で表すとすれば――「マジかよ」だろうか。
「もちろん、魔術の弟子だ」
アイリーンは鷹揚に頷いた。
「なんと……しかし、いいのですか?」
「いい、とは?」
「い、いえ、普通、そういった魔術の秘奥は、親から子へのみ伝えられるものかと思っておりましたので……お二人のお子さんが産まれてから……」
モンタンの言葉に、ケイとアイリーンは顔を見合わせた。
「い、いや……」
「子供とかは、まだちょっと早いかなって……」
途端、てれてれと頬を赤らめる二人。
「そ、そりゃあ、まあ、いつかはさ。ケイとも……赤ちゃんができるだろうし? 産まれたら、きっと魔術の手ほどきもするだろうけど……」
「だが、今はまだ色々とやりたいことや、やるべきことがあるから、なあ? そのあたりは、追々な……」
突如としてこっ恥ずかしい雰囲気を醸し出す二人に、モンタンは曖昧な笑みを浮かべて「そうですか」と頷いた。リリーは「?」と首を傾げていた。
「それに、実子以外の弟子なんてそう珍しくもないだろう。公都には魔術学校まであるんだぜ?」
「そうなんですか? そういった事情はあまり存じ上げなくて……魔術師の方々のお話なんて、滅多に伺う機会もありませんし」
今度はモンタンが首をかしげる。彼は多少大商人とも付き合いがあるとはいえ、ただの木工職人だ。魔術師への弟子入りなど遠い世界の話なのだろう。
「……まあオレも詳しくは知らないんだけどさ」
かくいうアイリーンも、聞きかじっただけなのだが。
「あの……お話は大変ありがたいのですが、危なくはないのでしょうか?」
心底申し訳無さそうに、しかし「これだけは譲れない」という母の顔で、キスカが尋ねてくる。
「魔力の鍛錬には危険が伴う、と聞いたことがあります」
「ママ、でもわたし――」
「あなたは黙ってなさい」
口を挟もうとするリリーにぴしゃりと言いつけるキスカ。いつもは柔和で活発なキスカも、愛する我が子のこととなれば流石の気迫だった。
「ご心配はもっともだ。鍛錬に限らず、魔力というものは一歩扱いを間違えれば命の危険が伴う」
アイリーンは誤魔化すことなく、正直に答える。あまりに堂々とした物言いに、キスカは二の句が継げなかった。一瞬の沈黙。
「……俺も、魔術を使って、何度か死にかけたことがある。扱いに細心の注意を要するのは、魔力も武器も同じだな」
と、ケイがもっともらしくコメントすると、モンタン一家が「ん?」と怪訝な顔をした。
「ケイさんが?」
「魔術……?」
なぜそこでお前が出てくる、と言わんばかりの口調に、今度はケイが「んん?」と首をひねった。
「……言ってなかったか? 俺も魔術師の端くれだ」
「ええっ?」
モンタンたちは驚きの声を上げたが、どちらかというと疑いの色が強い。
「冗談じゃないんですよね?」
「ふふっ、信じられないか?」
「いえ、そんなことは……ただちょっと意外で」
本音は、「ちょっと」どころか「かなり」意外だろう。大熊をも一撃で打ち倒す狩人が魔術を……? とモンタンの顔には書いてあった。確かに、脳筋戦士と魔術師は、イメージ的には対局に位置する。
「ほんとに~?」
「こら、リリー」
遠慮皆無で疑わしげに目を細めるリリー。キスカが困ったようにたしなめるが、ケイは正直なリリーが可笑しくて思わず噴き出した。
「くっはっは。まあ仕方がない、魔術師らしくない自覚はあるんだ」
そして、ニヤリと不敵な笑みを浮かべる。
「リリーにも信じてもらえるように、ここは一発、魔術を披露しようじゃないか」
これまでなら。
このような場面で「じゃあ何かやってみせてよ」と言われても、「いや
が。
今のケイは一味違う。
昨日の鍛錬でよくわかった。一般人に比べれば、ケイの魔力は劇的に鍛えられている。もはや規模の小さい術ならば、触媒なしでも行使できるのだ……!
「行くぞ、見ていろ……ッ!」
ケイは体の奥底に渦巻く魔力を意識する。
ぞわり、と空気が異様な気配を孕む。
一同は、ケイの背後に羽衣をまとった乙女の姿を幻視した――
【 Maiden vento, Siv. 】
そして、呼び掛ける。
【 ――Faru la venton milde blovi! 】
ズオォッ、とケイの魔力が吸い取られていく。
「くっ……!」
額に汗を浮かべ、苦しげに表情を歪めるケイ。しかし耐える。シーヴの術を触媒なしで、意識的に発動するのはこれが初めてだ。
魔力が捧げられ、
「うおおおお……ッ!」
果たして術が完成する――!
そよぉ……
と、かすかな風が、窓から吹き込んだ。
モンタン宅の天井に飾られている、木製の風鈴のような飾りが、からん…………ころん…………と小さく音を立てた。
「……ふぅ。うまくいったな」
冷や汗を拭って、ドヤ顔を浮かべるケイ。「ほう……」と感心するアイリーンをよそに、モンタンたちはひたすら困惑していた。
「えっ……今の、魔術なの?」
リリーが衝撃を受けたような顔で尋ねる。今度はキスカもたしなめなかった。
「ああ。俺は風の精霊と契約しているからな。そよ風を吹かせたんだ」
「へ、へえ……」
大真面目に、あくまでも成し遂げた感を漂わせるケイに、リリーも冗談ではないらしいと察したようだ。
「……うちわであおいだ方がつよそう」
未だそよそよと揺れる天井の風鈴を見て、リリーはぽつりと呟いた。
「…………」
「と、とにかく、リリーを弟子に取ると言っても、危険な目には遭わせない」
静かにダメージを受けるケイを尻目に、アイリーンが空気を切り替えようと、再び口を開く。
「まずは座学、精霊語と魔術の基本的な考え方を学ぶ。次に瞑想で魔力を鍛える。瞑想で死ぬ奴はいないからな、これは絶対に安全な方法だ」
リリーの歳で瞑想したところで、魔力は本当に少ししか伸びないが、その少しが大きな差を生んでくる。
「そもそも、魔力の鍛錬が危険、と言われているのは、身の丈にあっていない過剰な修練で命を落とす奴がいるからだ。魔道具を利用したり、無理に術を行使したりして、魔力を使い果たして死ぬ。だけどリリーにはそんな真似はさせない。十年単位でゆっくり、確実に、そして安全にやっていくことになるだろう」
大したことはしないさ、と肩をすくめるアイリーン。そしてその言葉は、ケイが魔術を披露したお陰で、良くも悪くも説得力があった。
実際のところ、ケイの術は『脱初心者』級と呼べるもので、リリーが同じことをしようとすれば数回は軽く死ねる
「そうですか……差し出がましいことを申し上げました。娘を、リリーを、どうぞよろしくお願いします」
少しは安心したのか、キスカはホッとため息をついて一礼した。
「ママ! じゃあいいの!?」
「しっかり、がんばりなさい」
「やったぁ!!」
椅子から跳び上がるようにして喜ぶリリー、モンタンも続いて「よろしくお願いします」と頭を下げる。
「何から何までお世話になって……本当に、なんとお礼を申し上げれば良いのか」
「いやいや、オレがしたいことだから……」
「おねえちゃんありがとう! わたしがんばるね!」
アイリーンに抱きつくリリー。心底嬉しそうに笑っている。昔の彼女が戻ってきたかのようだった。
「うん、オレもリリーに相応しいお師匠様になれるよう頑張るよ。でも、辛くなったり、嫌になったらいつでもやめていいからな」
「ならないよぉ!」
「よしよし」
自分の決意をないがしろにされたと思ったのか、ぷくっと頬を膨らませるリリーに、アイリーンは苦笑してその頭を撫でてあげた。
「じゃあ、商会でのお仕事が一段落したら、精霊語のお勉強を始めような」
「うん!」
そのとき、リリーはなぜか、チラッとケイを見た。
「……立派な魔女になれるように、がんばる!」
なぜ俺を見た、とケイはまた静かにダメージを受けた。
†††
その後、しばらく雑談を楽しんでから、ケイたちはモンタン宅を辞去した。
リリーはアルファベットは読み書きできるので、簡単な精霊語の単語をいくつか教えておいた。本当に数語だが、これからちょっとずつ語彙を増やしていくことになるだろう。
「弟子、正解だったな」
鼻歌交じりに街を歩きながら、アイリーン。
「そうだな」
ケイも首肯する。新しい目標ができたことで、リリーは生来の明るさを取り戻しつつあった。いつ、また以前のように屈託なく笑えるようになるかはわからない。だがその日は必ず来る、と確信を持てたのが、今日の一番の収穫だ。
のんびりと職人街から、商業区まで歩いていく。
ケイたちが目指しているのは、とある宿屋。"GoldenEgg"亭――コーンウェル商会でホランドから聞いていた、吟遊詩人ホアキンの定宿だ。
魔力鍛錬用の魔道具と並行して"
そして、通行人に道を尋ねながら"GoldenEgg"亭に着いてみると、ちょうど宿屋から出かけようとしているホアキンを見かけた。
「これはこれは、お二人とも」
ケイとアイリーンの姿を認めたホアキンが、ひょうきんな笑顔を浮かべ、脱帽して挨拶する。
「やあ、ホアキン」
「よっ旦那、数日ぶり。調子はどうよ」
「すこぶる良いですね! 今日はこれからお仕事です、ありがたくもさる御方から依頼を受けまして……」
聞けば、これから貴族の館に詩を吟じに行くのだという。ホアキンの収入の多くは聴衆からのおひねりだが、時たま、貴族や大商人から依頼を受けることもある。
「あー、タイミングが悪かったな。いや、ぎりぎり良かったのかな?」
アイリーンが唸る。ホアキンが不在で空振りに終わるより、まだ会って話ができただけマシかもしれない。
「まだ急ぐ時間でもありませんし、のんびり歩きながらお話しましょうか」
「そうだな。実は、"
三人で、貴族街に向けて歩きながら、試作品について話していく。
「――じゃあ、登録する図柄はそんな感じでいいかな」
「ええ、お願いします。受け取るのが楽しみですね!」
「明日にはできるから、昼頃にまた宿屋に行くよ」
「いえいえ、こちらから出向きますよ。たしか"BlueBird"亭でしたよね?」
「そうそう、それ」
「では明日の昼頃に。"BlueBird"亭では、わたしもここしばらく演奏していませんでしたからね。ついでに『営業』してもいいかもしれません」
今日これから貴族の館に歌いに行くというのに、仕事熱心なことだ。
「そういえば、ホアキン。サティナに戻ってきて、何か面白い話は聞いたか?」
歌の話題になったので、ケイはさり気なく聞いてみる。
「面白い話、ですか。そうですねえ、最近サティナでは"流浪の魔術師"と"呪われし姫君"の物語が流行っているようで」
「ああ、それか。オレたちも聴いたよ」
あのアニメみたいなヤツ、とアイリーンがケイに目配せしながら笑う。
「アニメ……?」
「ん、なんつーか、アレだ。英雄譚とかそういう意味の単語だ」
ホアキンが耳ざとく興味を示したが、アイリーンはさらりと流した。
「そうですか。そしてそう、このお話なんですが、なんと実話らしく、それも割と最近の出来事だそうで。しかも当の"流浪の魔術師"は今、サティナに滞在しているらしいですよ!」
「ほう」
ケイは感心したような声を上げる。アイリーンが「アニメ」と表現していたように、あの話は完全にフィクションだと思い込んでいたのだ。
デュアル・メイジ――二体の精霊と同時に契約したとかいう、流浪の魔術師。彼が本当に実在するなら、話がどれだけ『脚色』されているのかも気になるところ。
「確かなのか?」
「ええ、同業者からの情報です。紆余曲折を経て、今は領主様の庇護を受けているとか何とか……氷の魔術の使い手は希少ですからね」
「ほーう」
領主が出てくるとなると、実在するのは確かなのかもしれない。
そして話をしているうちに、ケイたちは貴族街にたどり着いていた。
この辺りまで来ると、がらりと街の雰囲気が変わる。所狭しと建物が並ぶ商業区や職人街とは異なり、空間がゆったりと贅沢な使い方をされていた。余裕と気品をもって建ち並ぶ屋敷の数々、それぞれが貴族や名士たちの住まいだ。中には草木の生い茂る庭園まで備えるものまであった。
石畳の道幅にもかなりの余裕があり、やんごとなき方々を乗せた馬車が時折行き交っている。見回りの衛兵の数も市街区とは段違いだ。ケイとアイリーンは、特にサティナの衛兵たちにはそれなりに顔が知られているので、皆「おや」と興味深げな目を向けてくるだけで、貴族街に踏み入っても呼び止められるようなことはなかった。
「さて、そろそろ目的地です」
「それじゃ、お仕事がんばってな。オレも試作に取り掛かるわ」
「楽しかったよ。また何か面白い話があったら、ぜひ聞かせてくれ」
和やかに、ケイたちが別れようとした、そのとき――
「――あああああああああッッッ!」
突然、背後から、絶叫。
何事かと振り返ると、先ほどケイたちの横を通り過ぎた馬車の窓から、黒髪の女が身を乗り出していた。
少し浅黒い肌、なかなかの美人だ。つば広な帽子をかぶり、ごてごてと飾りすぎない上品なドレスを着ている。服装はまさに深窓の令嬢といった雰囲気だが――
「ケイ! あんたケイでしょ!!」
女はあろうことか、ケイをビシッと指さして叫んだ。
「は?」
誰だあの女、と首を傾げるのがケイ。
誰だ? あの女……とケイを見やるのがアイリーン。
その場に不穏な空気が漂いかけたが、続く女の言葉に、二人の疑念は宇宙の果てまで吹き飛ばされる。
「"
驚愕して目を見開くケイとアイリーンに、女は必死で訴えかけた。
「あたしよ! 『イリス』よ!」
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